西武鉄道100年アニバーサリーイベントin保谷 E11形電気機関車修復完成記念披露会を開催

このところ、本業が多忙気味だった事、更に、疲れもたまってしまい、ブログの更新が10日以上遅れてしまいました。毎日、お越しいただいた皆様には、お待たせいたしまして申し訳ございませんでした。

それでは、5月13日のお話。

前の記事で触れたように、この日は、まず秩父へと向かい、秩父鉄道の電気機関車の重単を撮影した。そして、秩父からは、撮影終了後、すぐにレッドアローで折り返し、向かった先は保谷である。

今年、西武鉄道は創立100周年の節目の年を迎えた。節目の年と言う事で、記念イベントをいくつか企画しているようで、今回、その第一弾として、E11形電気機関車の修復完成記念披露会が、旧保谷車両基地で開催される事になった。保谷に到着したのが、12時40分頃の事。イベントの開催時間は14時30分までとなっており、まだまだ時間は十分にある。まずは会場に行く前に腹ごしらえをする事に。この日、上京中のあの男が、保谷のイベント会場に来ていると、秩父にいる時に連絡が有り、せっかくなので、昼飯を一緒に食べる事になった。イベント会場とは反対側となる、駅前の日高屋に向かったが、このイベントに合わせて、日高屋には長蛇の列が出来ていた。

昼食後、この日のうちに関西に戻る「あの男」とは別れ、一人イベント会場へと向かう。案内されたルートを辿って、およそ5分ほどでイベント会場に辿り着く。さすが、西武鉄道のイベント。既に会場の入口にて、知った顔に遭遇する。挨拶をしながら会場内へ。早速、この日の主役であるE11形電気機関車の傍へと近付いて見た。

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見事に復元されたE11形電気機関車。

E11形電気機関車は、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が、1923年、池袋~所沢間の電化に合わせて、アメリカのウエスチング・ハウスから輸入された車両。当初は、デキカ10形と名乗っていたそうだが、西武鉄道に編入された際に、E11形と言う形式が与えられた。全部で3両が輸入されたが、このうちE11が1961年に弘南鉄道へ譲渡(現在でも現役)。1969年には、E13が越後交通に譲渡され、最後まで西武鉄道に残ったE12も、私が生まれた年でもある1973年に廃車となった。しかし、最後まで残ったE12は、保谷車両管理所内で保管される事になり、以後、今日まで、この地に残されてきた。

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反対側からも撮影。この時間帯は、こちら側が順光となる。

私自身、このE11形電気機関車が、旧保谷車両基地内に残されている事は知っていたが、横瀬車両基地内に保管されている電気機関車と異なり、これまで展示される事がなく、今回、初めて、E11形電気機関車をこの目で見る事になった。

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秩父鉄道 電気機関車の重単を撮影

5月13日のお話。

ゴールデンウィーク明けの最初の日曜日。この日、秩父鉄道で電気機関車の重連単機回送が運転されるらしいと小耳に挟んだ。この時期、秩父鉄道の鉱石輸送列車は運休中なのだが、運転再開に向けて、機関車を送り込む必要があるらしい。

そこで、機関車重単回送を撮影するべく、秩父へ向かう事にした。重単は、7303列車のスジで運転される模様。所沢から西武鉄道の特急「ちちぶ7号」で西武秩父へ。この日は、これ以外にも予定が有る為、西武秩父駅から徒歩で移動できる場所で撮影する事に。結局選んだのは、大野原~秩父間の直線区間だった。現地に到着したのは、10時20分頃の事。到着後、すぐに下りの定期列車が通過。そして、さらに5分後の事。近くの踏切が鳴りだす。そして、電気機関車特有のモーター音が聞こえてきた。早速撮影を開始する。

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鉱石輸送列車運転再開に向けて、秩父鉄道で機関車の重単が運転された。

7303列車のスジでやって来たのは、デキ302+デキ108の2両。青空と青い電気機関車がとてもマッチしていた。

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後追い。

正面には陽が当たらないが、このデキ108のデザインも捨てがたく、しっかりと後追いも撮影した。

撮影後、再び西武秩父駅まで戻り、「ちちぶ22号」に乗って所沢へ。更にそこから保谷へと移動。青い電気機関車の次は、赤い電気機関車を見に行く事に。

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211系田町車ラストラン 「ありがとう211系で行く急行伊豆の旅」運転

E233系3000番台車の増備に伴い、4月23日を以て、定期運用を離脱した田町車両センターの211系。JR東日本は、東海道本線からの211系の引退を記念して、「ありがとう211系で行く急行伊豆の旅」と言うツアーを企画。5月12日と13日の2日間、東京~伊豆急下田間で、211系を使用した団体臨時列車が1往復運転される事になった。

東海道本線の211系は、国鉄時代末期の1986年より運転を開始した。当時は、東京駅から浜松駅まで行く普通列車にも使用されるのを見た事が有る。また、伊豆急下田までの快速列車にも使用された事が有るとの事で、今回の引退記念列車は、伊豆急下田までの運転となったようだ。とは言え、私自身、伊豆急下田行きの快速列車は、167系での運転しか記憶がないのだが・・・

と言う訳で、26年間、東海道本線で君臨してきた211系のラストランを見るべく、出かける事にしたのだが、流石に伊豆急線内まで行く気力は無く、更には、ここ数日、疲れもピークに達していた事から、朝の下り列車は撮影出来ず、伊豆急下田から戻ってくる列車を藤沢付近で狙い撃つ事にした。向かったのは、以前、西武30000系の甲種輸送の撮影で訪れた事が有る鵠沼第二踏切。小田急線で藤沢入りして、駅から歩く事10分少々。現地に到着した時には、既に踏切付近には旅客線側・貨物線側合わせて10名ほどのファンが待機していた。特に旅客線側には、全く入る隙もなく、貨物線側で撮る事に。しかも、スペースの関係上、まともに撮れるのは、後追いだけと言う状況だった。しかし、光線状態は後追いの方が良好。ここは後追い1本に絞る事にした。

まずは211系急行「伊豆」に先行する普通列車で試し撮り。

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E233系3000番台車による東京行き普通列車。

211系「急行伊豆」に先行する普通列車は、皮肉な事に、211系を、東海道本線から引退に追いやったE233系3000番台車だった。田町車両センターにいた211系の数だけ増備されただけに、今や、東海道本線で見かける回数も増えた。

E233系普通列車の通過から、およそ5分後の事。211系の「急行伊豆」がやって来た。

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一路、東京を目指す211系使用の団体臨時列車、急行「伊豆」

団体臨時列車「急行伊豆」に使用されたのは、田町車両センター所属の211系N1編成。211系0番台車のトップナンバー編成だ。この編成は、東海道本線の定期運用から離脱した後、尾久車両センターに疎開していたそうで、この団臨の運転に合わせて、尾久車両センターから田町車両センターに戻って来た。ツアー名に表すように、急行列車扱いと言う事で、前面の方向幕には、「急行」幕、おそらくステッカーだと思われるが用意され、またヘッドマークも、前後で違うデザインのものが用意され、東海道本線から引退する211系に華を添えていた。

撮影後、徒歩で藤沢駅へと戻る。その途中、183系使用の修学旅行臨とすれ違った。こんな列車が運転されていたとは・・・ 全くチェックしていないとは、何ともお恥ずかしい話である。

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臨時快速「足利藤まつり号」を撮影

4月29日のお話。

前日、祖母の3回忌法要の為、高崎へ向かった際、上野駅の発車案内機に、臨時快速「足利藤まつり号」の文字を見つけた。毎年、ゴールデンウィークの恒例ともなった、183系使用の臨時快速列車。昨年も撮影しているが、183系も、そう長くは活躍できないだろうし、今年も撮影しておきたい。そう思っていた。

そこで、29日の朝、ある場所へ出かける前に、東十条で撮影しておく事にした。前日の疲れからか、1号の時刻には間に合わず、3号に狙いを定めて自宅を出発。埼京線の十条駅で下車し、良い風情の演芸場通り商店街を進み、およそ10分ほどで東十条駅付近に到着。いつも通り、線路沿いの道でカメラを構える事にした。

現地到着からおよそ10分。9時2分頃になるが、前方より、「足利藤まつり3号」が接近。しかし、無情にも、貨物線上には、湘南新宿ラインが・・・

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東十条付近を行く、183系「足利藤まつり3号」と湘南新宿ライン。

御覧のように、湘南新宿ラインには、完全に被られてしまった。湘南新宿ラインのE231系の方が、スピードも速いが、その分、両数も長い為、どうにもならない。そこで、この場所では、かなり強引となるのだが、後追いも狙ってみた。

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後追い。順光なのがせめてもの救い。

そもそも、後追いを考慮していなかった為、この画像も思い切ったトリミングをした結果、こんな感じになった。そもそも被ると解っていれば、もう少し赤羽方から後追いだけを撮るべきだった。

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あさま色183・189系で運転 「あずさ81号」を撮影

ゴールデンウィークも後半戦に突入。4連休の初日となった5月3日は、生憎の空模様となってしまった。

祝日の木曜日・・・と言う事で、まずは米タンの撮影に行こうと出かけたが、なんと米タンはお休み。事前に5月1日午後の米タンが、単機だったと言う情報は掴んでいたので、仮に運転されたとしても、横田からの返空は単機で、夕方の横田行きが有るかどうかという事になるだろうとは睨んでいたが、拝島にDE10が留置されているかどうかを見るまでは、何とも諦めがつかなかったので、実際に、拝島へ行き、自分の目で確かめた。

単純に、拝島だけで帰ってしまうのは勿体ない。このまま、どこかへ出かけよう。そう思いながら、八王子方面へ行き、模型店等を覗いていたのだが、午後から中央本線で、あさま色車両を使用した臨時特急「あずさ81号」が走ること思いだす。特急運用が無くなった183・189系だが、このゴールデンウィーク期間中は、中央本線の臨時特急運用に入る事になっており、既に、午前中には、旧あずさ色や国鉄特急色車両で運転される「あずさ71・75号」が運転されていた。しかし、旧あずさ色車両も国鉄特急色車両も、ヘッドマークから「あずさ」は外されていて、なんとも味気ない「特急」幕での運転。しかし、あさま色車両には「あずさ」幕が残されており、塗装こそ違うが、「あずさ」の主役として走っていた頃の姿が少しだけ蘇ってくる事から、私自身は、あさま色車両で運転の「あずさ」の方が好きだ。

と言う訳で、午後は、この「あずさ81号」を撮影する事にした。どこで撮ろうかと悩みながら、八王子で昼食。最初は上野原へ行く事も考えたが、雨が降ったりやんだりと言う事で、ホーム上から撮影が可能な相模湖駅での撮影に決めた。

八王子から高尾行きの電車に乗り、更に終点の高尾駅から、長野色の115系電車に揺られて1駅。相模湖駅に到着すると、雨は小降りになっていた。既にホームの東京方には、この列車を狙うのか、6名ほどの鉄道ファンが待機していた。私は、望遠レンズを装着し、彼等の位置から10メートル程後ろに待機。先行するE257系で構図を確認。本番に備えた。

13時45分頃の事。あさま色車両の「あずさ81号」が相模湖駅を通過した。

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相模湖駅を通過する「あずさ81号」

この日、「あずさ81号」に充当されていたのは、長野総合車両センター所属のN101編成。先頭車は、183系のATC車で構成されており、かつては、そのATC機能を生かして、横浜線経由の「はまかいじ」にも充当されていた。東京方の先頭車、クハ183-1528は、飾り帯の低い珍車であるので、後追いもしてみたが、上手く撮れなかった。

さて、この「あずさ81号」の通過直前に、相模湖駅上り本線隣の側線、4番線と言うのだろうか。上りの回送列車として、こんな車両が入線してきた。

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旧「あずさ」色を維持している幕張車両センター所属の183系マリ31編成。

マリ31編成の回送。この日は、このマリ31編成も、「あずさ71号」として、久し振りに特急運用に入った。この回送列車は、「あずさ71号」の折り返しで、同列車は、相模湖駅で約30分ほど停車し、後続の特急列車や普通列車を先に通した。出来れば、2番線に入線し、「あずさ81号」との並んでほしかったが、2番線には、「あずさ81号」の通過の後に、115系の普通列車が入線する事になっていた為、停車時間を考慮し、この線に入線した者と思われる。正面の幕が「快速」となっているのは御愛嬌。

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西武101系四季の電車「春」(247F) 301日ぶりに多摩湖線で営業運転

では、ここで順番を変えまして、本日、4月30日のお話です。

4月8日の甲種輸送で、多摩川線から戻ってきた101系四季の電車「春」(247F)。本線側に戻ってきてからは、もっぱら西武園線で運用されていたが、本日、ツイッターで西武関連のツイートを読んでいたところ、午前中から、多摩湖線の運用に入ったことを知った。今朝は、多摩湖線を利用していなかったので、走っていたことに気づかなかったのだが、多摩湖線で走り出したとなれば、地元民として是非とも撮影したい。そこで、都心での用を終えて、夕方、帰りながら247Fを撮影しようと思っていたのだが・・・

運悪く、西武新宿線、西武柳沢~田無間で人身事故が発生した影響により、多摩湖線もダイヤ乱れが発生。本日は、国分寺~萩山間の列車の一部が、不定期列車として西武遊園地まで延長運転をしており、247Fも、その運用に入っていたのだが、人身事故の影響から、直通運転が中止となり、私が地元に戻ったときには、247Fが萩山駅構内の留置線に入庫してしまっていた。

このまま、留置線に引き上げたまま、もう今日は運転しないのか?萩山に到着した私は、諦めきれずに、ホームの先端へ向かい留置線を見ることに。すると、247Fは、ヘッドライトを点けたままの状態で留置されているではないか。あきらめ切れない私は、自宅へ帰らずに、ホーム上で、暫く観察することにした。

観察開始から、およそ15分後のこと。コンデジで247Fの様子を見ると、方向幕が、「萩山」から「西武遊園地」に変わっていることに気づく。そこで、いつ動いてもいいように、3番ホームへ移動し、観察を続けた。

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2000系とともに、萩山の留置線で待機する247F「春」

そして17時20分頃のこと。拝島行きの到着が大幅に遅れているため、順序を入れ替え、2番ホームからは西武遊園地行きが先の発車となる旨のアナウンスが流れた。しかも、西武遊園地行きは、車庫から出てきて、車両も発車案内機の表示と異なり、3ドア車での運転だと言う。その直後、留置線の247Fが動き出し、ゆっくりと2番ホームに入線してきた。

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萩山駅2番ホームにゆっくりと入線してきた247F「春」

人身事故によるダイヤ乱れと言うことで、一度は247Fの撮影を諦めたが、こうやって特発便として出てきたと言うことから、この後も暫く駅に残って観察をすることが確定的となった。

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西武多摩川線 101系247F「春」の甲種輸送を撮影

では、4月8日のお話です。

前日、慰安旅行を終えて、山北駅そして八王子駅を経由して帰宅した私。帰宅が深夜になってしまった事も有り、この日は、早起きが出来ず、出かけるのがギリギリのタイミングとなってしまった。この日の目的は、西武多摩川線から戻ってくる101系247F「春」の甲種輸送である。

前夜、ネット上にアップされていた画像を見て、この日のJR区間の牽引機が、通称「カラシ」と呼ばれるEF65 1127号機が担当の可能性が強まった事も有り、早めに出かけようと思っていたのだが、結局は、いつも通りギリギリのタイミングとなってしまった。とりあえず、選択肢は国立駅だけになってしまっていた。ネタガマが牽引すると言う事で、おそらくホーム上は、多くのファンが集まっているだろう。その事は解っていたのだが・・・

午前10時頃、国立駅に到着。下りホームの立川方先端は、予想通り、多くの鉄道ファンが集まっていた。そこで、259Fの甲種輸送のときと同じく、7号車付近で待機する事に。その直後、下り列車が国立駅に到着するが、入線してきた電車は、ホームの先端で集まっていた少年達に注意を促しながらの停車だったのか、いつもよりも時間をかけて、ゆっくりと入線してきた。

10時10分頃の事。前方より、多摩川線の甲種輸送列車が近付いて来た。牽引してきた機関車は、予想通り「カラシ」だった。

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EF65 1127号機に牽引され、新秋津へ向かう101系247F「春」

今回の多摩川線の甲種輸送は、JRグループのダイヤ改正後、初の実施となった為、まずはJR区間の牽引機が、改正前同様、EF65が担当するのか、気になっていたのだが、結果的には、御覧のように、EF65が担当。EF65の活躍の場が減らされていく中で、改正後も変わらずEF65が担当してくれた事は嬉しかった。

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後追い。

とりあえず、国立駅での撮影は、被られる事無く無事に終了した。この場所に集まっていたファンが、この直後、一斉に撤収して行く。私も、この247Fを追い掛ける為、一旦、改札を出場。次の目的地、新秋津へと向かう。

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西武多摩川線へ向かう101系245Fを八王子駅で撮影

お待たせいたしました。それでは、弊ブログ久々の西武ネタです。

4月7日夜の事。御殿場線山北駅での撮影を終えた私は、山北から国府津・茅ヶ崎・橋本と乗り継いで、八王子へと向かった。4月7日から8日にかけて、西武鉄道では、多摩川線の車両交換に伴う甲種輸送が実施されていた。流石に、職場の慰安旅行と重なる為、1日目の甲種輸送の撮影は不可能ではあるが、多摩川線に向かう車両は、夕方から八王子駅構内に留置され、終電後に武蔵境に向かう事になっていることから、八王子駅留置中の様子は撮影が可能だった。そこで、山北駅から八王子駅へと向かったのだった。

横浜線の電車で八王子駅に到着したのは、21時頃の事だった。到着後、横浜線のホームからビックカメラ横の留置線を見ると、白い電車の姿を発見。早速、ホーム上から撮影してみる事に。

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八王子駅に留置中の西武101系245F。

今回、多摩川線へ異動する事になった245Fは、2011年7月13日に、ワンマン対応工事を終えて武蔵丘検修場を出場。2011年7月15日より多摩湖線で営業運転を開始し、以後、多摩湖線や西武園線で運用されていた。

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続いて中央線ホーム(3・4番線)からも撮影してみる。

結局、八王子駅では、横浜線ホームと中央線ホームから、留置中の245Fを撮影しただけで終了。駅周辺の飲食店で、晩飯を食べた後、帰宅した。帰宅後、PCで、複数の掲示板やブログから、この日の甲種輸送の様子を確認。新秋津~新座貨物ターミナル~八王子間の牽引を担当したJRの機関車を見て、思わずニンマリしてしまった。これまでのパターン通りならば、翌日もこの機関車になる筈。これは、JR区間の撮影者が多くなりそうだな。そんな事を考えながら、布団に入った。

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御殿場線山北駅を訪ねる

4月7日のお話。

前日6日より、職場の慰安旅行があり、1泊2日で伊豆高原へ行って来た。現地では、ゆっくり温泉に浸かって、さらに美味しい海の幸を堪能。身も心もリフレッシュする事が出来た。

そんな帰り道。伊豆高原から「スーパービュー踊り子」に乗り込むが、慰安旅行の一行と熱海で別れて、E233系の普通列車に乗り換え。まずは国府津へ。ここから最後の1回分だけ残されていた青春18きっぷに日付を入れて、御殿場線の山北駅へ向かう事にした。

弊ブログを御覧の皆様には、「また今年もか」と思われる方も多い事だろう。振り返ってみると、弊ブログでは、これまでに、2006年2007年2009年2010年と、過去4回、山北駅の桜を取り上げている。そして、今年は、これまでの年と異なり、どうしても、山北駅を訪ねたかった、その理由の一つには、J-WAVEの番組で取り上げた事と言う事もあるのだが、もう一つの理由として、今年3月のダイヤ改正を機に、山北駅が無人化された事が挙げられる。無人化された山北駅を、この目で確かめておきたかったのだ。

実は、4月1日にも、この山北駅は通過している。しかし、この時は、桜も開花したばかりで、まだ3分咲きと行ったところだったため、6日後の土曜日に再度訪問と言う事を決めていた。国府津駅から乗車した御殿場線の沼津行き2549Mは、数少ない313系3100番台のV14編成。2006年、静岡に残っていた国鉄形車両を一掃する前に先立って増備された車両。外観上は、3000番台車と大差はないが、トイレが車いす対応の為に大型化されている他、行先表示もフルカラーLED化されているのが特徴。2編成のみの存在と言う少数派の遭遇で、幸先よいスタートと言えるだろう。

16時41分、山北駅に到着。車掌に青春18きっぷを見せた後、ホームの沼津方先端へ移動。2549Mと交換する2552Gの入線シーンを撮る為である。2552Gと言えば、4月1日、駿河小山から乗車した列車。16時45分頃の事、前方より313系のライトを確認。桜のトンネルを抜けて、駅構内に入って来たところで撮影を開始する。

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山北駅に進入する国府津行き2552G。

桜のトンネルを抜けて、山北駅に進入する国府津行き2552G。この日は、313系3000番台車V11編成での運転だった。

2552Gと入れ替わりに、今度は、私が山北まで乗車してきた2549Mが沼津に向けて山北駅を出発する。

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山北駅を出発し、一路沼津へと向かう313系V14編成による2549M。

これから桜のトンネルへと向かう313系V14編成。313系としては少数派に当たる3100番台車と、山北の桜との組み合わせは、これまでに撮った事が無かった為、ちょっと得した気分になった。

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御殿場線駿河小山駅で「あさぎり」の並びを見る

では、引き続き4月1日のお話です。

伊豆箱根鉄道駿豆線の貸切列車から降りた後は、そのまま三島で東海道線に乗り継ぎ沼津へ。ここから御殿場線に乗り換えて、向かったのは駿河小山駅。

3月17日のダイヤ改正より、運転区間が新宿~御殿場間に短縮された特急「あさぎり」。運転区間短縮と合わせて、車両も小田急60000形MSEに統一され、平日に関しては3往復に減ってしまった。MSE化された「あさぎり」は、御殿場到着後、すぐに折り返す為、以前のように、御殿場線内での「あさぎり」同士の交換は、平日は見る事が出来ない。しかし、土曜・休日は、1往復増発される為、増発される「あさぎり12号」が、駿河小山駅停車中に、定期列車の「あさぎり5号」が通過することになっており、「あさぎり」同士の並びが見られる事になる。

この「あさぎり」の並びを見る為、沼津駅から国府津行き2550Mで、駿河小山を目指す。伊豆箱根鉄道の貸切列車の中でビールを飲んだせいか、座ると眠くなり、うとうととしてしまっていた。途中の御殿場で目を覚ますと、構内に60000形MSEが停車しているのを見たが、見慣れないせいか、まだ違和感があった。

15時47分、駿河小山駅に到着。無人駅の為、車掌に青春18きっぷを見せて下車。そして、ホーム上で「あさぎり12号」の到着を待つ事に。光線状態等を考慮し、撮影場所は、ホームの御殿場方と決める。

16時11分頃の事、「あさぎり12号」が駿河小山駅に到着。それからおよそ2分後の事。御殿場行き「あさぎり5号」が軽やかに駿河小山駅を通過していく。

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駿河小山駅を通過する「あさぎり5号」(右)と新宿行き「あさぎり12号」(左)

MSE同士の並びは、まさに一瞬の出来事だった。まあ、「あさぎり5号」は、停車しない訳だから仕方ないか・・・

この撮影を以て、駿河小山駅での撮影を終了とした。この後は、後続の国府津行き2552Gで国府津を目指す事に。2552Gと言う列車番号が表すように、この列車はワンマン運転だった。2両編成、ワンマン運転の2552Gは、行楽客などで混雑していた。私は、先頭車両に乗車し、ワンマン運転の実態を見て行く事にした。

御殿場線のワンマン運転は、1999年12月より開始された。ワンマン運転区間は、御殿場線全線。もちろん、当初から全列車がワンマン化されている訳ではなく、313系化された一部の列車が対象であった。御殿場線でのワンマン運転の歴史は、既に12年以上と言う事になるが、私自身は、御殿場線のワンマン運転には反対である。まあ、理由は後程触れるとして、まずは、この日の2552Gで起きた出来事を触れておく事にする。

順調に走っていた2552Gに異変が起きたのは、谷峨駅に差し掛かろうとした時だった。一人の乗客が、運賃箱にある両替機で両替をしようとした。しかし、お金を入れたものの、小銭が出てこない。そこで、停車中に運転士に申告し、運転士が対応に当たるが、運賃箱は反応しない。この時点で、既に遅延が発生しており、運転士も、ひとまず谷峨駅を出発する事に。そして、輸送指令室へ対応策を相談する。そのまま、先日のダイヤ改正で無人駅となった山北駅に到着するが、ここで、運転士が証明書を作成し、先程の乗客に対して、松田駅の駅係員に証明書を渡して、お金を返金してもらうように乗客に説明していた。まあ、先程の乗客も松田まで行く予定だったようだから、松田駅での対応と言う事になったのだろう。しかし、この時点で8分の遅れが発生している。列車は、そのまま山北駅を出発し、フルスピードで東山北へ。ここも無人駅なのだが、降りる客が先頭車前寄りのドアを開けた所、ホームで待機していた乗客が、開いたドアから乗車してしまう。ワンマン運転の列車なので、無人駅からの乗車の場合、本来は先頭車両後ろ寄りのドアから乗ることが前提である。それに対して、運転士も、注意していない。と言うか、運転士は集札業務もあり、これ以上の遅れを出さない為にも黙認しているような状態であった。

御殿場線の国府津~御殿場間は、都市部にも近く、更には、国府津からJR東海になっている事を知らない乗客も多く、横浜方面から、そのままSuicaで乗ってくるような客も多い為、ワンマン運転の運転士は、列車の運転以外にも、証明書発行等の業務をさせられる事が多い。その事からも、遅延が発生するケースが多く、必死に働く運転士がとても気の毒に感じてしまう。この日も、まさにそんなケースだった。私が御殿場線のワンマン運転を反対する最大の理由が、まさに、このICカード問題なのである。そして、ワンマン運転開始から12年にもなるのに、東山北駅のように、本来の乗車位置から乗ろうとしない客もいたり、JR東海の他のワンマン運転実施路線と比較すると、ワンマン運転の乗車方法も徹底していないようにも見える。これは、御殿場駅や松田駅等、沿線の主要駅で、モニター等で無人駅を監視し、乗客に対して、乗車位置を守るように注意放送を流す等の対策も必要なのではないかと思う。

結局、この遅れは、終点の国府津まで引きづる事になり、国府津には、およそ5分遅れでの到着となった。

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悪夢の転倒から7カ月 ようやく完治宣言

気付けば、悪夢の転倒から7カ月が経過してしまいました。

季節も秋から冬へ。そして、冬から春へ変わっても、月に2回程度の通院生活が続いていましたが、昨日、4月18日の事になりますが、ようやく通院生活も終了となりました。私の右足には、ガーゼを固定する為に使用したテープによる被れも残りますので、あとは、皮膚の回復を待つ事になりますが、とりあえず、転倒事故による傷は埋まりました。これに伴いまして、弊ブログ上でも、完治宣言を発したいと思います。

この7ヶ月間、皆様には、ブログ、Twitter、Facebookを通して、励ましのメッセージを数多く頂きました。皆様には、心より感謝しております。今後は、少しずつ趣味活動も、転倒事故前の状態に戻していきたいと思っております。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

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伊豆箱根鉄道1100系貸切列車に乗る 後編

さて、貸切列車に乗車する為に大場駅へと向かった一行。車内では、缶ビールが1人につき1本頂けると言う事で、各自、駅周辺のコンビニでおつまみや弁当類を買うように説明があったが、私は、1100系の入庫シーンを撮るべく、大場駅3番線の車止め付近で待機する。

本来であれば、この時間内に、買い物をすべきところではあるが、大場の車庫から大場駅までの僅かな距離だけを、1100系には、ある物を掲出して運転すると言う。それは、こんな札であった。

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大場駅3番線に入線してきた1100系貸切列車。

西武時代の「通勤快速」を模した「送込回送」と言う札を掲出しての運転となった。「送込回送」となっているだけに、車庫から駅までの僅かな距離だけのお披露目となった。そして、伊豆箱根鉄道の幕には、「臨時」幕の用意が無いらしく、この「臨時」幕も主催者側が用意したもの。修善寺方の先頭車は、701系のデビュー当時の幕を模した形で、「臨」と「時」の字が、端に寄ったタイプのものが掲出されていた。

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伊豆箱根鉄道1100系貸切列車に乗る 前編

では、引き続き4月1日のお話。

沼津運輸区で371系を撮影した後は、沼津駅から東海道線で三島へ。更に、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え、目指すのは大場である。

西武鉄道グループの伊豆箱根鉄道には、自社オリジナル車両に加え、親会社の西武鉄道から譲り受けた1100系と1300系が少数ながら活躍している。1100系は、西武鉄道の701系を譲り受けた車両。1300系は、1100系の後継車種として、西武鉄道の新101系を譲り受けた車両で、1300系の入線により、1100系は1編成を除き廃車となった。最後の1編成となった1100系も、今年6月には引退することが発表されており、伊豆箱根鉄道では、昨年11月より、1100系を赤電カラーに塗り替えて運転している。

今回、最後の活躍を続けている1100系を、西武鉄道ファンの方が貸し切って運転する事になり、縁有って、私も、この列車に乗車する事になった。

午前10時、集合場所となった大場の伊豆箱根鉄道本社へと向かう。貸切列車に乗る前に、1100系の撮影タイムを設けていただいているとの事。受付を済ませて構内へ進んで行くと、まずは、こんな車両が待っていた。

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大雄山線車両の入場回送や工臨用に活躍するED32。

茶色い凸型の機関車、ED32。現在では、主に大雄山線の車両が大場工場に入場する際に、三島~大場間で大雄山線車両の牽引を担当したり、工事用列車の牽引を担当している。この車両、かつては西武鉄道で活躍した車両で、西武鉄道時代はE31形(初代)を名乗っていた。

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ED33。

ED32と共に、大雄山線車両の入場回送や、工事用列車の牽引に活躍するED33も、逆光気味ではあるが、撮影し易い場所に置かれていた。時折聞こえてくるAK-3コンプレッサーの音が、心地良かった。

そして、この日の主役、1100系の傍へと進んで行く。

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部分的に西武鉄道時代の塗り分けが再現された1100系。

昨年11月に赤電カラーになった1100系。伊豆箱根鉄道の白地に青帯の塗り分け線のまま赤電カラーに戻された為、西武鉄道時代とは、やや異なる姿となってしまっていたが、今回の貸切運転に合わせて、修善寺方の先頭車となるクハ2005の正面のみ、主催者側が特殊なカッティングシートを使って、西武鉄道時代の塗り分けを再現。更に、撮影会用にと、昔懐かしい「準急本川越」「西武園」「池袋」の三種類の方向幕を再現していた。

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「あさぎり」運用離脱後の371系

4月1日のお話。

宿泊した沼津の東横インからのスタートとなる。前日、飯田線の119系の撮影に出かけた後は、そのまま青春18きっぷで東海道線を東上。途中、静岡で、生桜エビなど、静岡の旬の味覚を堪能した後、翌日の予定に備えて、沼津に宿を取っていた。当初は、7時半までに起床し、8時過ぎには出発の予定だったが、見事に二度寝してしまい、出遅れてしまった。

痛恨の二度寝で、出遅れてしまったが、この日のメインイベントの前に、どうしても訪れておきたいところがあった。ホテルから歩いておよそ15分ほどの場所にある、JR東海の沼津運輸区である。沼津運輸区は、東海道線や御殿場線の列車に乗務する乗務員の基地であるとともに、車両配置は無いが、この地域で走行する車両の留置線がある。その沼津運輸区には、3月16日を以て「あさぎり」の運用から離脱した、JR東海の371系が留置されているらしいとの話を聞いていた。その真相を確認するのが、今回の訪問の目的である。

東海道線と御殿場線の線路に挟まれた、所謂「デルタ地域」の中にある沼津運輸区。デルタ地域の住宅街の道を進んで行くと、沼津運輸区にぶつかった。運輸区に沿った道路を歩いていくと、見慣れた白い車体の車両が見えてきた。

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沼津運輸区の一番外側の留置線にいた371系。

1991年のデビュー以後、予備車なしの状態で、「あさぎり」の運用に専念してきた371系。21年間、酷使し続けてきた車体は、所々に痛みが見られた。371系は、この後、団体列車用に転用される事が既に発表されており、今は、23年間を振り返りながら、次のステップに向けて、静かに翼を休めていると言うところなのだろう。

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中間に連結された2両のサロハ371。

7両編成のほぼ真ん中に連結されている2両のサロハ371。これまでにも、触れているように、この2両に関しては、おそらく転用される事無く、このまま廃車となるのではないかと予想している。思えば、371系に初めて乗車したのも、このサロハ371の2階席。つまりグリーン席である。当時17歳だった私にとっては、大冒険だった。とは言っても、乗車したのは小田急線内の新宿~町田間だが、今振り返ると、371系のグリーン席に乗ったのは、これ1回きりである。グリーンに乗ろうと提案してくれたS君には感謝しなくては・・・

本当は、もう少し傍にいたかったが、次の予定時刻まで迫っており、早々に沼津運輸区を離れ、沼津駅へと向かった。

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ありがとう119系 「119系ファイナル号」を撮影する

春は出会いと別れの季節。私自身にとって、今年の春は、出会いよりも別れのイメージが強い。

1983年のデビュー以降、飯田線を中心に活躍してきた、JR東海の119系電車も、この春、飯田線の運用から卒業することになった。既に、3月17日のダイヤ改正を機に定期運用を終えており、年度末となる3月31日までの土曜・休日に、唯一、デビュー当時の復元したE4編成を使用した、「119系ファイナル号」が、豊橋~豊川間に1往復運転されていた。

119系の引退を間近に控え、今年の正月休みは、二度、飯田線を訪れ、最後の活躍を続ける119系の記録をした。もう、これが最後の撮影だ。そう心には決めていた。しかし、3月のダイヤ改正を向かえ、細々と臨時列車として最後の運用に就く119系の姿を、もう一度、撮っておきたいと言う気持ちが日に日に強くなってきた。なんとかもう一回、119系を見たい。そう思い、本当の最終日となる3月31日、飯田線を訪れて、119系を撮影することにした。

当日、朝6時に起床。機材の点検や情報の最終確認などをした後、7時過ぎに出発。基本的に、青春18きっぷを利用するが、時間の都合上、東京~静岡間のみ、東海道新幹線「ひかり463号」を利用した。この日は、運悪く、早朝から中央線で人身事故があり、予定していた新幹線に間に合うかどうか際どかったのだが、品川駅を利用することにより、何とか乗れることができた。あとは天気さえ持ってくれれば・・・とやや不安を残して東京を発ったが、その不安は、熱海を過ぎたころより現実となる。静岡県内は大荒れの天気だった。とは言え、119系のファイナル号まで時間はあるから、何とかなるかと思いながら、静岡より在来線の普通列車に乗り換えて西へ進むが、大荒れの天候は、豊橋到着時点でも一緒だった。とりあえず、飯田線ホームへと向かい、予定していた列車に乗り込むが、豊橋~小坂井間、風規制により、徐行運転を行っており、その影響で遅れが出ていた。私が乗車する列車についても、線路を供用している名鉄との兼ね合いか、出発を見合わせていた。結局、3分ほど遅れての出発となったが、その先もノロノロ運転。約6分遅れで、目的地の牛久保駅に到着する。

牛久保駅。雨さえ降っていなければ、駅周辺を歩いて、適当な撮影地を見つけるのだが、この雨と風では身動きが取れない。駅の上りホームには、多くの撮影者が119系の通過を待っている状況だった。ホームには上屋があるが、風が強いので時々、雨が吹き込んでくる。風雨に耐えながら、ここで撮影をすることにした。

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牛久保駅に進入する豊川行き421G。

激しい風雨の中、およそ6分遅れで到着した豊川行きワンマン列車。3月17日のダイヤ改正では、これまでワンマン運転を実施していなかった、豊橋~中部天竜間でもワンマン運転が開始され、これらの列車には、大垣車両区に転入してきた313系3000番台車が充当されている。119系では、単行(1両)での運転が主体だった、豊橋~豊川間の折り返し列車も、313系の2連での運転が主体となったようだ。

豊川行き列車の後を追う形で、119系ファイナル号もやってきた。

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牛久保駅に進入する119系E4編成「119系ファイナル号」

警笛を鳴らしながら、ゆっくりと牛久保駅に差し掛かった119系E4編成。今回のさよなら運転にあわせて、特製のヘッドマークが用意されたが、このヘッドマークを装着するにあたっては、クハ118の幌を撤去して対応していた。もう他の編成と連結することもないと言う裏付けとも言えるだけに、幌が外されたと言う事も寂しく感じる。

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後追い。

カメラもコートもびしょ濡れとなったものの、まあ、何とか撮影することができた。

この後、「119系ファイナル号」は、豊川駅到着後、新城まで回送されて、折り返しまでの間、新城駅構内に留置されることになっていた。私も、後続の列車で、まずは豊川へと向かい、昼食休憩を挟んだ後、新城へ行く予定だったが、あまりの悪天候のため、いったん豊橋へ戻ることにした。

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御殿場線内で「あさぎり」を撮影する

このところ、疲労がたまっていたせいか、更新間隔が開いてしまいましたが、少しずつ書いていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

それでは、3月16日のお話のつつきです。

田町駅で「のぞみ329号」を撮影した後は、お隣の品川駅へと移動し、ここから東海道新幹線に乗り込み三島へ。運良く、三島停車の「ひかり」を捕まえる事が出来、僅か40分ほどで三島に到着した。

三島からは、東海道本線に乗り換えて岳南鉄道を目指す予定だった。しかし、時刻は、まだ12時前。東海道新幹線の300系同様、この日を以て「あさぎり」の運用から離脱するJR東海の371系を使用した「あさぎり3号」は、まだ沼津駅に到着していなかった。三島駅からは、御殿場線の下土狩駅まで2キロ以内と言う立地条件。そこで、「あさぎり」運用中の371系の最終日の様子も押さえておこうと思い、下土狩駅へと移動する。時間的な問題も有り、三島駅からはタクシーを利用した。下土狩駅までは、およそ5分ほどで到着。この時点で、「あさぎり3号」の通過まで、およそ10分ほど余裕がある。そこで、御殿場線の線路に沿って、隣駅の長泉なめり方向へ向けて歩いてみた。以前、撮影に使った長窪踏切は、6両編成が限界だった為、その一つ先、長泉町役場横の踏切へと行ってみた。しかし、この場所も、長窪踏切と似たような条件。それどころか、障害物も多く、これは大誤算。とは言え、長窪踏切へ戻る程の時間的余裕は無く、ここで撮るしかない。この場所で待機する事およそ5分後の事。やや遅れ気味の「あさぎり3号」が駆け抜けて行った。

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沼津行き「あさぎり」、そして371系による「あさぎり」最終日。長泉町役場脇を高速で通過する371系「あさぎり3号」

撮影後、カメラの画面で画像を確認すると、最終日と言う事もあってか、先頭車乗務員室内には、便乗の乗務員が2名、更にスーツ姿の社員さんの姿も確認出来た。ちょうど、下土狩駅手前と言う事で、担当の運転士氏及びスーツ姿の社員さんが、揃って指差し確認をしている瞬間を撮ってしまったようだ。これはこれで良いかも。

この後、私は下土狩駅へと戻り、沼津経由で岳南鉄道の始発駅である吉原駅へと移動した。私にとって、御殿場線を行く371系の撮影は、これを以て終了となった。

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ありがとう300系ラストラン 「のぞみ329号」を撮影する

ダイヤ改正前日、3月16日のお話。

春は出会いと別れの季節。今年も、ダイヤ改正を前に、惜しまれながらも現役を引退して行く車両たちがあった。中には、思い出のある車両もあり、出来れば、それら全てをもう一度追っておきたいところではあるが、流石に全部を追う事は不可能だった。

確定申告シーズンを終えて、ホッとしたところで、この日は休暇を取った。9時過ぎに自宅を出発。とりあえず、国分寺経由、中央線で都心を目指す事に。

今から20年前、1992年に颯爽とデビューした、東海道新幹線の初代「のぞみ」こと、300系も、この日がラストランとなった。最後まで残ったJR東海所属のJ57編成には、1ヶ月ほど前から、引退を記念し、特別な装飾をしての運転となっていた。最後の晴れ姿を一目見ておきたい。そう思いながら、まずは東京駅へ。新幹線ホームへ入って、300系に少しでも近づいて・・・と考えたが、人が多過ぎて、まともな撮影は出来ないだろうと判断し、そのまま新幹線ホームには行かず、京浜東北線の電車に乗り田町駅へ。目指すは、以前、ドクターイエローを撮影した事がある跨線橋。皆さん、考える事は一緒で、実際に「のぞみ329号」通過のおよそ15分前に着いた時には、階段付近も入れると100人以上はいたんじゃないかと思う。そんな中、何とか撮影できる場所を確保。時々、通行人の方に「何が来るのか」と尋ねられながら、先行列車でタイミングを計り、「のぞみ329号」の通過を待つ。そして、10時52分頃の事、300系が田町駅付近に差し掛かった。

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20年の歴史に幕。300系最終列車となった新大阪行き「のぞみ329号」

この跨線橋からは、16両編成全てを入れて撮るのは、もともと不可能。でも、この日の撮影の目的は、ラストランの装飾を施した300系を撮ることだったので、このアングルでも十分に満足する事が出来た。

20年間、颯爽と走って来た300系。デビュー当時、東京駅を朝6時に出発し、名古屋も京都も通過して、新大阪駅に8時半に到着すると言うのは、とても画期的だった。その翌年、300系による「のぞみ」が増発され、名古屋・京都飛ばしは解消された。そして、この頃から、私にとって300系は身近な存在へとなっていく。新幹線のグリーン車に、初めて親を乗せたのも、この300系だった。所属している鉄道フォーラムで、JR東海を取り上げる掲示板のスタッフをやっていた頃は、ちょうど在来線の113系・115系・123系の引退が迫っており、静岡県内の三島・静岡・浜松まで新幹線を利用する事が多くなり、300系を使用した「ひかり」「こだま」には、何度も乗車した。改めて振り返ると、これまでの私の人生の中で、一番多く乗車した新幹線車両は、この300系ではないかと思う。それだけに、ラストランとなった「のぞみ329号」は、どうしても見届けたかった。

「20年間、御苦労様。」と、心の中で叫んだ後、お隣の品川駅へ移動。ここから東海道新幹線に乗り込んで、次の目的地へと向かった。

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185系OM08編成(157系風塗装編成)使用の特急「草津32号」を撮影

3月17日、JRグループダイヤ改正当日を迎えた。

今回のダイヤ改正は、引退する車両が多く、ダイヤ改正前日の16日は、お休みをいただき、撮影に出かけたが、一夜明けて、ダイヤ改正当日は、例により通院もあり、のんびり過ごす事に。

診察を終えて、そのまま都心方面へと出かける。途中、新宿で途中下車し、遅めの昼食を摂っていると、吾妻線からの特急「草津32号」が、157系風塗装になった、大宮総合車両センター所属の185系OM08編成で運転注と言う情報をキャッチ。OM08編成は、先日「上州踊り子」「あまぎ」として運用され、その模様は弊ブログでも取り上げたばかり。同列車充当後は、他の185系と同様に、上野発着の特急「草津」「あかぎ」などに運用されており、いつかは、一般列車充当中の姿も撮影したいと思っていた。しかし、この日は、通院後、買い物がメインの予定だった為、カメラも持参しているのはコンデジのみ。しかも、天気は雨模様と言う、何とも最悪のコンディション。でも、OM08編成を見たいと言う気持ちの方が強く、気付いたら、新宿から埼京線の電車に乗り込んでいた。

予定を変更し、埼京線で向かった先は十条駅。ここから、京浜東北線の東十条駅へ向けて歩きだす。埼京線の十条駅と、京浜東北線の東十条駅は、直線距離にして約700メートル。商店街を抜けると、東十条駅は、すぐそこだ。道中、大衆演劇場もあったりして、なかなか良いムードだ。十条駅から歩く事およそ10分。お馴染みの撮影地に着くと、雨模様と言う事もあり、撮り鉄さんの姿は少なかった。

現地到着からおよそ10分後の事。157系風塗装を纏った、185系OM08編成の特急「草津32号」がやってきた。

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185系OM08編成による特急「草津32号」が、上野を目指す。

小雨降る東十条にやって来た、185系OM08編成。改めて見ると、この塗装、185系によく似合っている。この天気の中、コンデジによる撮影と言う事で、写りが心配だったが、どうにか見られる画像に仕上がってくれた。

思ったよりも、良い成果が出た事で、気を良くして、OM08編成が折り返してくるのを待つ事に。「草津32号」は、土曜・休日のみ運転の列車の為、折り返しは、大宮総合車両センター(東大宮操車場)へ回送される事は解っていた。先程とは、場所を変えて撮影に臨むことに。

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「草津32号」の運用を終えて、東大宮操車場へ向けて回送される185系OM08編成。

先程の撮影から40分ほど経過し、これ以上暗くなったら、撮影も厳しいなあと考えていた頃、185系OM08編成の回送列車はやって来た。先行列車の関係か、ゆっくり来てくれたため、落ち着いて撮る事が出来たのは有り難かった。

こうして、157系風塗装OM08編成による特急「草津号」を撮る事が出来た。せっかくお目見えした157系風カラーの185系。やはり「あまぎ」に続き、吾妻線と言う事で「白根」も見てみたい。関係者の皆様、是非ご検討をお願い致します。

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追悼 野村正樹先生

今日は3月13日。1年前に66歳でお亡くなりになられた、野村正樹先生のお話です。

昨年12月初旬のある日の事。色々あった2011年も師走を迎え、喪中はがきが送られてくるシーズンとなった。亡くなられた方が高齢の方だったりすると、介護も大変だったろうなあと感じてしまうのは、どうしても自分の経験と重ねてしまうからだろう。そんな中、また1通の喪中はがきが到着した。何気なく差出人の名前を見ると、以前お世話になったことがある、作家の野村正樹先生の奥様だった。亡くなった方はご主人。野村正樹先生ご本人だった。

私は、このはがきを見て、言葉を失ってしまった。先生御自身がお亡くなりになっていたことを、このはがきが到着するまで全く知らなかった。早速、野村先生のホームページを見ると、遺族の方からのメッセージが添えられていた。震災の2日後に当たる3月13日、肺がんのため、66歳で旅立ってしまったのだ。

そもそも、先生との出会いは、2006年に遡ります。東京鉄道見たまま日誌の管理人であるSATO氏から、野村正樹先生が鉄道関係の書籍を出版するので、編集を手伝ってほしいとの依頼を受けた。この時、一緒に呼ばれたのが、Kaz-T氏マニはら氏。計4人で、編集協力をした。そして、たまたま内容を精査した結果、近鉄特急の車両の写真が、本文と異なっていたため、関西在住の痛勤形酷電氏に撮影を要請。最終的には、この5人で、野村先生の著書の編集を担当した。今思うと、このメンバーで一つのことをやり遂げたこと自体が、奇跡的なことなのかもしれない。

後日、著書の完成と合わせて、打ち上げ会が開かれ、この時、初めて野村先生と対面した。作家の先生という事で、気難しい方かと思ったが、実際にお会いしてみると、とても気さくな方で、すぐに打ち解けることができた。そして、この時、編集協力をした5人は、「電車力向上委員会」として、著書の最後に名前が載ることになった。私にとっては、自分の名前が、初めて書籍に載った瞬間であった。

その後も、野村先生とは、年賀状のやり取りや、新刊発売記念パーティにも出席したりして、親交を深めていた。最後に、先生とお会いしたのは、2009年3月14日、有楽町駅へ、最後の「富士・はやぶさ」を出迎えに行った時のことであった。大勢の鉄道ファンが集まった、有楽町駅のホームで、偶然にも先生をお見かけしご挨拶をした。先生も、「富士・はやぶさ」の最終列車の取材にいらしていたようで、列車が遅れていたこともあり、少し雑談をさせてもらった。先生から、私のブログについて、「なかなか良い文章書いてるねえ。」と言われた。単なるお世辞だろうけど、作家の先生から、こんなことを言われてとても嬉しかった事が、今でも忘れられない。と言うか、先生からのこの言葉が、まさか最後の会話になってしまうだなんて、喪中はがきが到着するまでは、夢にも思っていなかった。

66歳で旅立ってしまった野村先生。まだまだやりたいこと、書きたかったことも多かったと思います。先生の最後の言葉を励みに、これからもブログを続けていこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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あれから1年 3月11日午後2時46分の萩山駅

東日本大震災から1年。あの日の記憶は、今でも忘れないと言う方も多いかと思います。

節目の日を迎え、関東では多くの鉄道事業者が、強い地震があった事を想定した列車の一斉停止訓練を実施する事になり、地元を走る、西武鉄道でも、1年前に地震が起きた時刻と同じ、午後2時46分に、全列車の一旦停止訓練を実施した。

西武鉄道は、以前より、防災の日である9月1日の午前10時に、強い地震があった事を想定して、全列車の一旦停止訓練を実施しており、弊ブログでも、その模様をお伝えしている。今回は、9月1日に実施ている訓練と、ほぼ同様の内容での訓練であるが、当初、この話を聞いた時、9月1日と同様、観察すべきかどうか考えた。しかし、1年前の記憶を忘れない為にも、この様子を取り上げようと思い、地元、萩山駅で観察をする事にした。

午後2時44分、萩山駅に着くと、旅客一斉放送が入った。これから防災訓練を行うと言う予告の放送だが、冒頭には、被災者への哀悼の意を表すメッセージが含まれており、9月1日の訓練との違いを感じた。それから2分後、全線で列車が一斉に停止。訓練が開始された。萩山駅周辺では、多摩湖線の小平行き6068列車、萩山行き6493列車、拝島線の拝島快速3315列車の3本が走行しており、一旦停止後、この3本の列車が徐行運転で萩山駅までやってくる事になる筈。まず、最初に到着したのは、八坂駅を出てすぐに停止した、小平行き6068列車だった。そして、次に到着したのが、青梅街道駅を出てすぐに停止した、萩山行き6493列車。そして、最後に到着したのが、拝島快速3315列車であった。

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全列車一旦停止訓練の後、萩山駅に到着した拝島快速3315列車。

この日、拝島快速3315列車に充当されていたのは、2000系のトップナンバー編成である2001F。通常、拝島快速は、萩山駅には停車しない為、この訓練でも、8両停止位置目標に停止した際、運転士が駅係員へ伝達した後、客扱いをせず運転を再開した。

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3分ほど遅れて通過した上り拝島快速3320列車。

この後、萩山駅、3000系による拝島快速3320列車を撮影。この列車も、武蔵砂川駅付近で訓練を行った影響により、3分ほど遅れての通過となった。

3320列車の撮影を以て、萩山駅での撮影を終了とした。

東日本大震災で被災された皆様の、1日も早い復旧・復興を心よりお祈りいたします。

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