14年間ありがとう!秩父鉄道3000系さよなら運転
11月25日、ついに秩父鉄道3000系が最後の日を迎えた。
幣ブログでは、これまで何度か秩父鉄道3000系を取り上げてきた。1992年、JR東日本より譲渡された165系電車を種車に誕生した3000系は、秩父鉄道でも14年間急行運用に君臨し、原形は留めていないものの、直流急行形電車本来の使い方をしてきた。
その3000系の最後の日である11月25日は、3000系の最後の花道として「3000系さよならイベント」が開催された。元々、急行形電車が大好きな私。3000系の最後の力走を撮影するため、秩父鉄道沿線に向かった。
前記事でお解かりの通り、25日朝は、八高線金子駅で旧型客車の回送を撮影した。これは当然の事ながら、秩父鉄道沿線へのアクセスを考慮した場所選びである。旧型客車の回送と交換して発車する八高線に飛び乗り、東飯能で西武池袋線に乗り換え。この駅から「秩父フリーきっぷ」を購入して、まずは秩父鉄道の影森駅を目指した。なぜ影森駅かと言うと、この駅手前の踏切で撮影すると、光線状態がちょうど良いから。今年2月に「ロウバイ号」の撮影で訪れており、それ以来の訪問だった。御花畑駅から1000系電車に揺られる事一駅。11時頃に影森駅に着くと、お目当ての踏切は誰もいない。さっそく、この踏切付近で待ち構える事にした。先行列車で練習を重ねて待ち続けること30分。3000系充当の臨時急行がやって来た。
14年間急行運用に君臨してきた秩父鉄道3000系がついに引退。最後まで残ったのは3001Fだった。
秩父鉄道では、今までに3000系を使用した急行列車で、特別なイベントに合わせて運転するときは、前後で微妙に違うマークを掲出していた。今回のさよなら運転でもそうなのかと思って振り向くと・・・
熊谷方先頭車のヘッドマークは違うデザインだった。
やはり、さよなら運転でも前後で違うデザインのヘッドマークを掲出していた。反対側は完全な逆光なのだが、前後で違うマークを掲出していた記録となるので良しとしよう。
影森駅付近での撮影を終えた後、続いては三峰口駅へと向かう。三峰口駅では、3000系のお別れイベントをやっており、これから駆けつければ、後継車両である6000系との並びが撮れる筈だ。20分ほど待ってやって来た三峰口行きも1000系。この車両も旧国鉄101系電車を改造した老兵で、どうも三峰口での3000系の撮影タイムの間は、定期列車も国鉄形車両で固めていたようだ。車内は、三峰口駅へ向かう鉄ちゃんたちで満員。三峰口駅に到着すると、車内の鉄ちゃんたちが一斉にイベント会場へ向かっていった。私は、改札を出て、まず先に改札横の立ち食い蕎麦屋で腹ごしらえをしてから会場へ向かった。
さて、三峰口駅のイベント会場では、地元自治体が特産物を売ったり、秩父鉄道も鉄道グッズの販売をしていた。中には、濡れ煎餅で話題になった銚子電鉄も濡れ煎餅を販売したようだが、私が着いたときは既に完売。次は12月3日の秩父夜祭の日に秩父鉄道沿線でも販売するらしい。そして、私が気になったのは、3000系のヘッドマーク。
3000系3編成の先頭車6両分のヘッドマークもオークション形式で販売。
ヘッドマークを横目に、駅に隣接した鉄道公園へ向かう。この公園内から、3000系と6000系の並びなどが撮影可能となっていた。
新旧急行形車両の並び。
この後、12時50分頃の事だが、SL急行「パレオエクスプレス」が三峰口駅に到着した。SLが展示してある6000系の右隣に入ると言う事で、3000系・6000系・C58と言う並びが一瞬だけ見られた。その並びを撮ろうと言う人がかなり多かったが、私は不覚にも気が付くのが遅く、その並びは撮れなかった。しかし、その代わりにこんな並びを撮った。
3000系・6000系・12系客車の並び。
「パレオエクスプレス」用の12系も、元JR東日本の車両。12系客車自体が急行形電車をベースにしているので、ある意味、急行形車両の並びと言える。C58よりは相応しいと自分に言い聞かせた。ただ、やはりC58も入れておきたかったので、最後に鉄道公園へ向かう踏切上より並びを撮影した。
三峰口駅に集まった車両たちを踏切上から撮影。
さあ、そろそろ上りの熊谷行きの撮影の準備に入らないといけない。3000系は13時15分頃から入替を始めるというので、まずはそれに間に合うように三峰口駅に入場した。急行に先行する13時30分発の各停に乗るために2番線へ移動。このホームの先端でカメラを構えていると、3000系の入替作業が始まった。
いよいよ最後の営業運転に向けて、三峰口駅構内で入替作業が始まった。
13時30分発の各停も1000系。3000系の臨時急行は1番線に入るので、1000系との並びを撮る事にした。
発車前に国鉄形同士が並んだ。秩父では当たり前の光景だったが、これが明日からは見られなくなる。
ご覧のように上り列車もまたヘッドマークが違っている。最後に御花畑駅までの間でもう一度撮影しよう。先行する各停に乗車して、最初の白久駅で下車してみた。ここの三峰口方は大カーブになっているので、ホームが多少混んでいても大丈夫だ。同じ事を考えている人がやはり多くて、ここではホーム・外の踏切を合わせると20人ぐらいはいただろう。私は、ホームの端っこにカメラを構えて3000系の通過を待った。そして7分後に、3000系がゆっくりとやって来た。
大勢のファンを乗せて3000系最終列車が熊谷を目指す。
列車通過後に画面上で画像を確認すると、三峰口駅で撮影したものとヘッドマークのデザインが微妙に異なっているのが解った。最初は御花畑駅で撮る事も考えていたのだが、光線状態はあまり良くない。それだけに、ここ白久駅で撮影しておいて本当に良かった。秩父鉄道3000系、本当にお疲れ様でした。
なお、JR(国鉄)に在籍していた直流急行形電車は、秩父鉄道以外にも、しなの鉄道と富士急行の2社に譲渡されており、この2社については今なお現役で活躍している。特にしなの鉄道は、現在でもJR線の篠ノ井~長野間に乗り入れており、塗装こそ違うが原形に近い形で使用されている。どちらも新幹線や特急を使用すれば、東京から1時間弱で訪れる事ができるが、両社とも車両維持には苦労しているようだ。
朝晩は9両編成の運転もある、しなの鉄道169系。(撮影:2枚ともr104さん)
富士急行の「フジサン特急」は、元JR東日本のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」を改造したもの。
国鉄直流急行形電車ファンとしては、両社に残る直流急行形電車の残党の末永い活躍に期待したい。
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コメント
TOMOさんお疲れ様です
確かしなの鉄道の169系はしなの鉄道発足時に松本運転所から新車にほぼ近い価格で販売されたと耳にしております
投稿: 如月瑞穂 | 2006/11/26 10:32
一日2件の掛け持ち取材お疲れ様でした。
ついこのあいだ(いったい何年前だ?)まで全国の直流区間で普通に見られた直流急行型ですが、もうどこにも無いんですね。
ま、急行という種別そのものが消えかかってますからね。
なんでも特急にすりゃイイってもんでもないとは思いますが。
ま、これも時代の流れってのでしょうがないんですかね。
交直流はまだ残ってますからもう少し楽しめると思います。
なにはともあれお疲れさん!>3000系
PS:例のラーメン屋さんはいつ取材に?
投稿: クハ1193@球場 | 2006/11/26 13:52
ニアミスですね。
自分はホーム下の踏切脇からから撮影していました。
投稿: ひろっぴ | 2006/11/26 17:24
はじめまして…
鉄道フォーラムにあるURLから参りました
「まさる」と申します。
いつも楽しくブログを拝見しております。
私も先日の秩鉄のイベントに行きました。
開場する前に到着してしまい、3000系の臨時列車が来るまで
暇を持て余しましたが、同列車到着後4つ目の写真と同じアングルで
僕も撮影しました。その後は野上まで移動し、同列車とパレオExp
を撮影しました。名車が消えていくのは実に惜しいですね。
投稿: 「まさる」 | 2006/11/26 20:03
如月瑞穂さん、クハ1193@球場さん、ひろっぴさん、「まさる」さん、コメント有難うございます。
如月瑞穂さん>
しなの鉄道にいる169系ですが、碓氷峠区間廃止前に、当時ATS-Pが搭載されていなかった長野の「みすず」用車両と、ATS-P搭載の松本運転所の改座車と呼ばれる団臨用車両との間でトレードが行われました。当然の事ながら、ATS-Pの無かった元「みすず」用車両が転用された訳です。しなの鉄道発足時に新車並みの金額で譲渡されたということですが、車両の価値的には新車に等しいかどうか、怪しいところではありますね。
クハ1193@球場さん>
本当に、つい最近まで各地を走っていたと言うイメージの強い急行形電車ですが、直流車に関しては、もう残り2社となってしまいました。交直流車も、仙台の455系は、E721系増備により、仙台駅周辺では1年ちょっとで消えてしまうようです。北陸の475系も後継車の521系電車が出てきましたし、九州も新車投入でだいぶ減ってしまいましたね。これらもあと数年で消えてしまうかもしれません。あと、ラーメン屋、鉄道ファン2006年11月号で紹介されていましたね。機会があれば訪れてみたいと思います。
ひろっぴさん>
白久駅の踏切で撮影されましたか。完全にニアミスですね。あの場所は駅手前で大きくカーブしていますから、先行の各停からは、私も含めてかなり下車していましたね。
「まさる」さん>
鉄道フォーラムからようこそいらっしゃいました。新サーバーへ移行してから、巡回ソフトを変更したのをきっかけに、発言の最後の署名欄に、このブログのアドレスを載せるようになりました。今後ともどうぞ宜しくお願いします。
投稿: TOMO | 2006/11/26 20:42
TOMOさん
そうです
そのため長野県の内部でもJR東日本に関し不信感が一時期あったと耳にしました
しかし編成は忘れましたが一編成だけATS-Pを搭載した編成があり
舞浜に入線実績があるそうです
投稿: 如月瑞穂 | 2006/11/27 19:56
如月瑞穂さん、このところ多忙気味でコメント出来ず失礼しました。
しなの鉄道の169系でATS-Pを搭載した事がある編成ですが、調べてみましたら、1998年に、朝の快速列車の9両化のために追加で増備したS54編成(クモハ169-13+モハ168-13+クハ169-13)が該当するようです。
この編成、鉄道ピクトリアル1997年7月号(特集:165系電車の興味)を見てみますと、当時は長野総合車両所(現:長野総合車両センター)の所属で、長野時代はN33編成を名乗っていました。そして、このN33編成は、新宿発着で小海線直通快速として運転された「葉ッピーきよさと号」及び京葉線直通の「ファンタジー舞浜号」に使用することを考慮して、1990年(平成元年)にATS-Pを搭載したそうです。ちなみに、一時的だとは思いますが、「葉ッピーきよさと」に使用する際にDD16と併結する事を考慮して、クモハ169とクハ169の運転台側の連結器を、自動連結器に交換していた時期もあったかと思います。
投稿: TOMO | 2006/11/29 21:00
こんばんは。先日はお疲れ様でした。
私も白久で写真を撮っておりました。実は白久駅に降りたのが今回が初めてだったんですが、三峰口寄りに絶好の撮影場所があるとは思いもよりませんでした。私も混じって3000系の通過する様子をカメラに収めましたが、あいにくうまく撮れませんでした(^_^;)。
165系の末裔ももう富士急としなの鉄道の2社にしかいないんですね。富士急の「フジサン特急」はまだ乗っていないので、いずれは乗ってみたいと思っております。といっても、その前身の「パノラマエクスプレスアルプス」には最後のさよなら運転で乗れたんですけどね。
投稿: mattoh | 2006/11/30 23:02
mattohさん、先日はどうもお疲れ様でした。
富士急の「フジサン特急」ですが、実は私も乗車した事はありません。でも数少ない165系の末裔ですから、一度は乗ってみたいですね。私もmattohさん同様、「パノラマエクスプレス」の末期の頃に臨時快速で乗車した事はあります。
投稿: TOMO | 2006/12/01 00:23