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最後の「富士・はやぶさ」を出迎える

さて、話は3月14日、ダイヤ改正当日に遡ります。

東京と九州を結ぶ寝台特急「富士・はやぶさ」。最後まで残った九州ブルトレであるが、惜しまれながらもダイヤ改正前日の3月13日発車分の列車で幕を閉じた。その模様は、テレビのニュース番組でも取り上げられたので、鉄道に興味のない方も、この列車がダイヤ改正を機に姿を消すと言う事を知っている人は多いと思う。

「富士・はやぶさ」は夜行列車と言う事で、3月13日に出発した列車は、上り・下りともに終着駅に到着するのは、ダイヤ改正当日の14日朝となる。そこで、3月14日は、東京駅に到着する最後の「富士・はやぶさ」を見届けようと思い、出掛けてみた。しかし、この日は前日からの悪天候の影響により、「富士・はやぶさ」にも遅れが生じていた。途中駅を1時間20分ほど遅れて運転していると言う情報が入り、東京駅の到着は11時30分頃だろうと判断。10時頃に地元を出発し、中央線で東京駅へと向かう。しかし、東京駅に到着してみると、「富士・はやぶさ」が到着する9・10番線ホームは、人だらけ。そこで、一駅進んで有楽町で様子を見ることにした。この駅も、人だらけで、とてもまともな写真が撮れるような状況ではない。まあ、これも予想していた事だから、別にかまわない。どこで撮ろうかとホームを適当に歩いていると、くましげさんと遭遇。一緒に撮影する事にした。

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有楽町駅で最後の「富士・はやぶさ」を待ち構える人々。

くましげさんと「富士・はやぶさ」を待っていると、見覚えのある方を発見。作家の野村正樹先生だった。野村先生とお会いしたのは、昨年5月の新刊発売記念パーティ以来のこと。やはり、最後の「富士・はやぶさ」を見届けにいらしたようだ。簡単にご挨拶をしたのち、撮影体制に入る。

「富士・はやぶさ」は、この時点で80分ほど遅れているとの事。有楽町駅では、駅員氏が、「富士・はやぶさ」の位置を定期的に知らせてくれていた。これは有難かった。川崎・品川と、列車が近付いてくる事を知らされると、少しずつではあるが、私のテンションも上がって来る。そんな頃、通過していく京浜東北線の南行き電車は、安全性を考慮して、徐行運転を開始。気がつけば、私も、京浜東北線を徐行運転させてしまった原因の一人な訳で、申し訳ない気分になる。それだけに、黄色い線から出ないよう心掛けた。そして、いよいよ「富士・はやぶさ」がゆっくりと近づいてくるのが見えた。私の前には多くのファンが列を作っているため、カメラを持ち上げて、ライブビュー機能で画面を見ながらシャッターを押してみた。しかし、タイミングが一瞬遅れてしまい、機関車の連結器より下側が切れてしまった。

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シャッターを押すタイミングがやや遅かった。

気を取り直して、後追いと思ったのだが、この直後に、京浜東北線の南行き電車がゆっくりと接近。その為、私のいる場所からは後追い撮影が不可能となり、やや後ろへ下がって、東京駅へ向かう14系15形を撮影してみた。

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まもなく東京駅へ。最後の長旅が、今終わろうとしている。

良く見ると、最後尾車両には、赤い反射板が取り付けられている。使用されている客車はJR九州所有の車両なので、営業運転が終了すれば、再び九州へ帰って行く事になる。おそらく、返却回送を考慮して反射板が付けられているのだろうけど、どうも客車に反射板が付けられるのは、私自身好きにはなれない。

さて、今度は気を取り直して、東京駅から品川へ回送される「富士・はやぶさ」編成を撮影する。同じホームを品川方へ移動。私とくましげさんが到着した時は、まだ4人ほどしか集まっていなかったのだが、回送列車の時刻が迫るにつれて、徐々に人が集まりだし、通過直前には、前に入られてしまったりで、やはり、まともな写真は撮れない状況だった。

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日中の留置先である品川へと向かう「富士・はやぶさ」編成。

EF66+14系15形客車が、この有楽町を通過するのは、もう、これが最後なのだろう。せめて、回送列車ぐらいはしっかり撮りたいと思っていたのだが、後追いは被られてしまった。

大した写真は撮れなかったが、もともと最終日の混乱で、思うような撮影が出来ないのは覚悟していた事。最後の「富士・はやぶさ」を出迎えると言う目的は、十分に達成できたと思う。

この後、くましげさん、そして途中から合流したマニはらさんとともに、駅近くの定食屋で食事をした後、有楽町から撤収した。

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コメント

恥ずかしながら、富士・はやぶさが14系15型だったとは、廃止が決まるまで知りませんでした!
79年からでも30年前なんですよね!
富士重工鶴田で製作されたのを宮原の58が牽いたのが…そんな前だったとは!!!
14日21時からのNHKの特集番組を見ました。最後の上り列車の専務車掌さんが、自分はブルトレを最後の仕事で退職しようと思っていたのが、まさか自分がブルトレを送る立場になるとは…と、おっしゃっていた事が記憶に残っています。だれも東海道・山陽から夜行列車が消えると思ったでしょうか…。伝統ある『富士』という列車名を失ったこと、これが単なる時代の流れとして片付けられてしって良かったのか…私は疑問に思いました!

投稿: 準急豊島園 | 2009/03/18 04:11

「客車に反射板を付けてもらいたくない」、僕だってそうです。見ていて嫌です、貨物列車と違って尾灯がきちんとあるのに・・・。(`□´)

投稿: 岩崎友裕 | 2009/03/18 07:42

遅れの情報を9時半頃に知って、急遽、東京駅まで行ってしまいました…。
特に機回しの際には、10番線側から9番線側に民族の大移動で大混乱でした。
その後は、回送狙いで浜松町へ行きましたが、すでにガラガラでした。ということは有楽町でニアミスのようですね。

投稿: アッパークラス | 2009/03/18 07:54

TOMOさんがいたのなら行けばよかったなと思いますが、体調を崩していたので、残念です。
13日の送りこみ回送は新橋で撮影しましたが、人ごみで9001レは撮影不能でした。

投稿: 横山正典 | 2009/03/19 00:34

私も、最終上りの編成に赤い反射板が付けられていたのは非常に気になりました。ちなみに最終下りの編成には付けられていませんでした。最後くらい、反射板を付けずにそのままの姿で東京に姿を見せてほしかったものです。

私も最終1日前の「はやぶさ」で熊本に着いてからは、ホテルのテレビで運転最終日の東京駅の様子とかを見てました。やはり3000人もの人が押しかけ、9,10番線から溢れ出た人達が新幹線20,21番線から撮影するといった、平日朝夕のラッシュ時以上の混雑に見舞われていたのを見て、昨年の「銀河」の運転最終日よりもはるかに人が多い事にびっくりしました。私も鳥栖で最終下り列車を見送りました。東京や横浜ほど人は多くなかったのですが、やはり「ありがとう」「さようなら」の声がホームいっぱいに広がっていきました。私も最後の列車が熊本に向けて走っていった時は少し寂しくなりました。今度はNゲージで、自分が死ぬまでブルトレを残し続けていこうと考えています。TOMIXで発売されている「さよならあさかぜセット」「さよならなは・あかつきセット」は、東上する最終上り編成を模型化しており、やはり赤い反射板が模型にも反映されています。いずれ「さよならはやぶさ・富士」セットがTOMIXから売り出される時が訪れると思いますが、その時も反射板が反映されるのではと思います。

14日の夜より、品川から最終上りの編成は、その日の夜に本当に最後の長旅を始めました。You Tubeで見ましたが、車内のライトを灯さない回送列車として、ヘッドマークは「はやぶさ」「富士」ではなく「回送」という非常に哀れな姿で西に向かっていきました。東海道ブルトレはこれで本当に最後なのだから九州への返却も兼ねて0系と同じく下り列車だけでさよなら運転をしてもよかったと思うんですけどね。

最後に、改正後も残る「北斗星」「あけぼの」「日本海」「北陸」についても、本数削減などにより、廃止へのカウントダウンが始まっているかもしれません。これらのブルトレが活躍するのももうそれほど長くはないと思いますが、残りわずかな期間思いっきり北へ、南へ、駆け抜けていってもらいたいです。

投稿: mi-ha- | 2009/03/19 00:50

皆さん、コメントありがとうございます。

準急豊島園さん>
14系15形と言うと、どうしても関西地区発の九州ブルトレに使用されているイメージが強かったですが、近年では、「富士・はやぶさ」にも連結されるようになっていました。この日、最後の「富士・はやぶさ」として上京して来た車両の中にも含まれておりまして、最後部の車両も、白帯ではありますがスハネフ15でした。新しいと思っていた14系15形も30年選手なんですよね。

岩崎友裕さん>
確かに客車列車には尾灯がありますから、そちらを使ってほしいですよね。考えられることとしては、帰りの回送列車が、客車側の電源を全く使わないと言うことなのでしょうね。赤い反射板にも、会社間の持ち分があるようですから、予め九州を出てくる前に、JR九州が所有する反射板を付けて運転と言うことなのでしょう。でも、ファンとしては、折り返しの回送列車運転時まで付けてほしくなかったです。

アッパークラスさん>
東京駅へ行かれていたんですか。お疲れ様でした。やはり機回しの時は、皆さん、少しでも良いアングルで写真を撮りたいでしょうから、10番線から9番線への民族大移動は、さぞや大変だったことでしょうね。

横山正典さん>
体調を崩されたそうですが、大丈夫でしょうか?どうぞお大事になさってください。13日は、新橋駅で撮影されたんですね。お疲れ様でした。9001レの走行写真を新橋駅で撮っていた方も多かったのですか。今の時期だと、撮影条件は厳しかったのではないかと思いますが、これもデジカメが普及したことによる現象なのでしょうか。

mi-ha-さん>
最終日1日前の「はやぶさ」に乗られたんでしたね。貴重な体験をされたようで羨ましいです。反射板については。折り返し、回送時の電源の問題及び反射板の持ち分の問題などで、九州を出発する際に取り付けていたのかもしれませんが、やはり営業運転では付けないでほしかったです。模型に関してですが、昨日付で、トミックスから「さよなら富士・はやぶさ」セットの発売が決定したと、とあるブログに載っていました。これまでに、さよならシリーズは数多く製品化していますから、この製品化については、ある程度予想はできていましたが・・・ 機関車も4両含まれた高価なセットとなるようです。

投稿: TOMO | 2009/03/19 01:52

自分も反射板をつけて欲しくなかったですね。

1レの最終富士編成を使って大分ー鹿児島中央でリバイバル富士が走ったと聞きました。
2レの最終編成を使い東京発で走ってくれたら反射板も必要無いのにと思いましたがJR各社間の調整など色々な難問があるのでしょうね。

富士、はやぶさ号、及び使用車輌にお疲れ様でしたと言いたいですね。
そして運行に携わった全ての皆さんに感謝したいです。

投稿: maa | 2009/03/20 07:23

maaさん、コメントありがとうございます。

リバイバル富士は、車両を所有するJR九州エリア内での運転でしたから実現したのだと思いますが、さすがに東京発での運転というのは、各社間の調整も必要でしょうから難しかったのでしょうね。

やはり、客車への反射板の取り付けについては、皆さん同じようなお考えのようですね。やはり、回送列車とは言えども、テールランプが点いてこそ味がありますからね。

投稿: TOMO | 2009/03/23 12:04

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