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古い鉄道写真3 西武多摩湖線351系さよなら運転

今日から8月。いよいよ夏本番。弊ブログを御覧の皆様方の中には、これから夏休みを利用して旅行に行こうと言う方も多いかと思いますが、前の記事でも触れたように、今年の夏は、遺品・私物整理の関係で、あまり遠出はできない見込みです。

と言う訳で、本日も実家の私物整理で出てきた昔の写真の発掘記事。本当は7月中の記事も書かなくてはいけないのだが、地元の西武多摩湖線の写真だし、あまりの懐かしさから、こちらを優先しちゃいます!

毎朝、通勤で利用している西武多摩湖線。国分寺~萩山間は、新101系リニューアル車によるワンマン運転を実施しているが、この区間は、1990年まで351系と言う赤い旧型電車が、多摩湖線の主として活躍していた。351系は、西武鉄道最後の17メートル級車両。多摩湖線は、国分寺駅の多摩湖線ホームが17メートル車体3両編成までしか対応していなかった事から、最後まで旧型電車が使用されていた路線であった。

その351系電車が引退したのが、1990年6月23日。西武鉄道最後の赤い電車と言う事で、引退前最後の1週間は、351系全編成に引退記念のヘッドマークを付けて運転されていた。当時私は16歳と8カ月。学校の修学旅行で、人生初の海外旅行が、6月末に迫っていたのだが、生まれた時から親しんできた351系電車が引退と言う事で、この最後の1週間は、実車に出来るだけ乗り、出来るだけ撮影した。

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萩山駅3番ホーム(現1番ホーム)で出発を待つ351系電車(355F)。

この写真は、さよならイベント初日となる6月17日に、萩山駅の南口駅前広場に通じる歩道橋の階段から撮影したものである。さよならイベントに合わせて、この日からヘッドマークの掲出が開始された。この日は、351Fが、萩山~拝島間をさよなら運転として特別に往復。この特別運転は、事前申込制で、この1週間ほど前に、萩山駅で募集したのだが、その日は、日商簿記検定試験の日。深夜の萩山駅に並んで申し込みをしたかったのだが、当日の試験に影響が出てはいけないと、当時76歳の祖母と私の母が、私の代わりに萩山駅に並んでくれた。この時の祖母の配慮により、私は無事に日商簿記検定試験2級に合格。そして特別列車にも乗車する事ができた。この事は今でも感謝している。

この後、友人のS君と共に改札内に入り、351Fの入線を待つ。ホーム上は、351系の入線を待つファンでいっぱい。地元の萩山駅に、これだけ多くの鉄道ファンが集まったのは、後にも先にも20年前の、この1週間が一番だろう。それだけ人が多かった事は、今でもはっきりと覚えている。

そして、351Fの特別列車に乗り込み、いざ拝島へと向かう。とりあえず、特別列車に乗車できたが、確か座れなかったんじゃ無かったかな?車内では、中学時代の同級生とも遭遇し、吊革に掴まりながら立ち話をしていた記憶がある。蒸し暑い車内で我慢する事およそ20分。拝島駅に到着。拝島駅は、7番ホームへの入線だったが、当時は、今ほど7番ホームを使用していなかったように思う。滅多に電車が入らないホームに電車が入ったと喜んでいたような。ホームに降りて撮影をするが、ここも萩山以上に混んでいた。

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拝島駅7番ホームに停車中の351F。

折り返し時間まで多少余裕があったので、ホーム上で粘っていたのだが、それでも、まともには撮れず、やっと撮ったのがこの程度の写真。同行したS君は、川越市民だった為、351系の方向幕で「本川越」が出た時には、すごく喜んでいた。

この後、折り返しの特別列車で萩山へと戻り、この日の351系撮影を終えた。

特別列車乗車から数日後、学校から早く帰宅できた私は、同級生のA君を誘って、351系の撮影に出かける。当時の多摩湖線は、平日夕方にも、国分寺~一橋学園間の折り返し運転があり、この事から、同区間の中間にある本町信号所では、朝だけでなく夕方も列車の交換シーンを見る事が出来た。もちろん、この列車交換シーンを撮るのが狙いである。

まずは、萩山駅から一橋学園駅まで351系に乗車するが、乗車前に、2番ホームの小平方へと行き、国分寺からやってくる351系電車を撮影する事にした。

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萩山駅に進入する351系(355F)

入線してきたのは355Fなんだが、何故かヘッドマークのデザインが変更になっていた。これには驚いた。

撮影後、355Fに乗り込み、一橋学園へと向かう。力強い吊り掛けモーターの音も、あと何回聞けるんだろうか。そんな事を思いながら、一橋学園駅まで乗ったように思う。僅か4分ほどで到着。

一橋学園駅からは、線路に沿って国分寺駅方向へ向けて歩きだす。途中の歩道橋で、折り返してくる355Fを撮影。そして、更に線路沿いの道を歩き続けて、本町信号所へ。予想通り、ここでは351系同士の交換シーンを撮ろうとするファンが数名待機していた。私達も先客の皆さんの邪魔にならないところに陣取って撮影を開始する。

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本町信号所で交換する353F(左)と355F(右)

国分寺へ向かう353Fには、多摩湖線の主に相応しく、多摩湖(村山貯水池)が描かれていた。後年、このヘッドマークについて、絵の上手い現場の職員さんによる作品らしいと言う話を聞いた事があるが、真相は不明である。353Fは、この日、初めて撮影したが、私もこのヘッドマークが多摩湖線の351系らしくて好きだった。そして、国分寺~一橋学園間の折り返し列車としてやってきた355Fだが、萩山方の先頭車であるクモハ356の方向幕が不調らしく、この車両が一橋学園折り返し運用に就いた時は、クモハ356のみ「国分寺~一橋学園」と書かれた札を下げて対応していた。

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353Fによる萩山行き。

本町信号所での撮影は、この2枚で終了とした。この後、私達は国分寺駅へと歩き、ここから多摩湖線に乗車して帰宅する事にしたが、乗車前に、多摩湖線旧ホームから発着する電車を撮影する事にした。

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萩山へと向かう401系電車。

国分寺駅を出発していく401系電車。この時点で、多摩湖線国分寺~萩山間に入線できる冷房車は、2両編成で運転できる401系と、701系の余剰先頭車を電動車化した上で2両編成にした501系の計2種類。多摩湖線の冷房化率を上げる為に、この401系は大きく貢献したものの、2両編成と言う事でラッシュ時は嫌われ者であった。401系の後方には、6月24日より使用される、多摩湖線新ホームの一部が写っている。そして、国分寺駅ホームに隣接した国分寺1号踏切は、この切り替えを以て廃止された。その国分寺1号踏切は、広報の方だろうか。ビデオ録画をされている方が写っている。

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国分寺駅に入線する355F。

401系と入れ替わりに入線してきた、355Fの一橋学園行き。御覧のように、国分寺方先頭のクモハ355は、方向幕も問題無く、「国分寺~一橋学園」の札は使用していない。

この355Fを撮影して、確か一橋学園行きに乗車して国分寺を離れ、そして、一橋学園からは、後続の353Fによる萩山行きに乗り換えて帰宅した筈である。

そして、営業運転最終日となった6月23日。私は、最後の351系による営業列車に乗る為、国分寺駅へと向かった。確か、この列車は、6月17日に運転された特別列車と異なり、誰でも乗車できたはずである。その為、一般客の積み残しが出ても問題ないように、この列車は臨時列車として運転され、すぐそのあとを定期列車が続行すると言うダイヤだったと思う。(あるいは逆だったか)国分寺駅に着くと、狭い国分寺駅のホームは人がいっぱい。とても自由に座れたりと言うような環境で無かった。とりあえず、入線してきた351Fに何とか乗り込み、一橋学園・青梅街道と、いつも通り停車して行き、萩山へと向かう事が出来た。

予想通り、351系の最終列車には多くの人が乗車し、とても撮影出来るような状況ではない。そのまま大人しく萩山まで乗り通した。そして、営業運転を終えた351Fは、その後、翌日のさよなら撮影会が開催される上石神井車両管理所玉川上水支所(現:玉川上水車両基地)へと回送された。私は、萩山到着後、友人と拝島行きに乗り込んで、玉川上水へ。この回送列車を撮影する事にした。

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最後の営業運転を終えて、玉川上水へ回送されてきた351F。

351Fの回送は、私が乗車した拝島行きのすぐ後を追いかけてくるように運転されたようで、そのまま下りホームの小平方先端で撮影しているところからして、上りホーム側へ移動する余裕も無かったようだ。当時使用していたレンズの関係から、これが限界だった。

そして翌日、6月24日は、いよいよ351系さよならイベントの最終日。この日は、新設されたばかりの上石神井車両管理所玉川上水支所(現:玉川上水車両基地)で、351系3編成を並べたお別れ撮影会が開催された。私も友人達と共に、朝から会場へと出かける。玉川上水駅から徒歩で車両管理所へと向かい、入口付近で並んだ覚えがある。訪れた人が相当多かったのだろうか。それとも、気持ちが抑えられず、朝早くから行ったのだろうか。その辺は記憶が曖昧である。

会場内に入ると、広い車両管理所の中に351系が3編成綺麗に並べられていた。この当時、上石神井車両管理所玉川上水支所は、まだ正式に稼働していた訳ではなく、平日朝のラッシュ時間帯に使用される車両を1編成留置させていたと言うくらいで、こう言ったお別れイベントをやるには、ちょうど適した会場だった。

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351系お別れ撮影会で並べられた3編成の351系。

真新しい留置線の中に並べられた3本の351系。左から351F、353F、355Fと揃えられている。それぞれの車両の方向幕を見ると、どれも多摩湖線の行先となっている事から、おそらくは撮影会が始まってすぐに撮ったものと思われる。

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別の角度から3本並びを。

そして、途中からは方向幕グルグル回転タイムに入ったようで、別の角度から撮った3本並びでは、「入間市」と言った、多摩湖線とは無縁な行先も表示されていた。

撮影会当日は、とても暑い1日で、351系追っかけ及び初の海外旅行の準備に追われていた私は、この暑さにやられてしまい、半ば日射病状態となってしまい、撮影会の会場を早めに切り上げてきた。最後の最後で、体調を崩し、後ろ髪を引かれる思いで351系に別れを告げてしまった。

西武鉄道最後の赤電、351系の引退から、今年で丸20年が経過。最後まで多摩湖線に351系が残った理由ともなった、旧多摩湖線ホームは、今でもその一部が国分寺駅の駅前に残されたままとなっている。機会があれば、消えた多摩湖線国分寺1号踏切等も合わせて、今の姿を取り上げてみようと思う。

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コメント

人ごみが嫌いなので引退の日の写真は撮っていないけども、私も地元民なので、人が居ない時にちょいと撮った奴が家のどこにあるかわからない。
これが近くに居たのも良い思いでだが、こんなでこぼこ編成がtomytecで模型化されるなんて夢にも思いませんでしたなぁ。

投稿: kimu | 2010/08/02 06:54

懐かしいですねぇ、西武351系。僕が中学2年生の夏ぐらいまで父方の祖母が国分寺駅のわりと近くに住んでまして、そこへ行くのに多摩湖線の踏切を渡る関係で西武351系を何度も見ました。ですから一回だけ401系を見た時は、びっくりして目が点に・・・。

投稿: 岩崎友裕 | 2010/08/02 12:30

はじめまして。いつも楽しく拝見しております。ほんと懐かしいですね。実家が保谷の車両管理所の近くにあり、子供の頃はいつも赤い電車で一杯でした。うる覚えですが、床は板張りで、独特の匂いがしていたような。東京を離れて二十余年経ちますが、実家を訪れるたびに、保谷駅をはじめ西武沿線の変貌振りには驚くばかりです。

投稿: とやとや | 2010/08/02 21:44

こんにちわ。351系。 自分は今 高校一年生なので横瀬でしか351系(クハ355)しかみたことないんですよね...
自分の撮影仲間は萩山在住の為印象に残ったのは225Fだと存じていました。

自分は川越在住の為印象に残るのは2000系初期車両とまだ新宿線にもいた9000系ですかね。

351系は盛大にさよなら運転が行われたのですか...
今年は101低が引退を迎えます。 さよなら運転はどうなるかわからないですが引退までしっかり見届けたいです...

投稿: サスケ | 2010/08/03 11:13

TOMOさん、こん**は。

懐かしい写真をありがとうございます。

ワシが高校生だった1974年から3年間、351系にはお世話になっていました。

その頃も電車が好きで写真を撮っていたのですが、何と毎日使っていた多摩湖線の写真が一枚もありません。
なぜ撮っておかなかったのか、今でも悔やまれます。

かわいい赤い丸いおでこ、いい思い出です。

投稿: タコ安 | 2010/08/03 22:28

懐かしいですね。
先頭車両もさることながら、355Fの中間車も感激ひとしおです。
シルにヘッダー付き。旧型車ならではのサイドビュー。
しばし少年期を思い起こさせて頂きました。
ありがとうございます。

投稿: わるわる | 2010/08/04 00:13

どうも。

西武多摩湖線が西武最後の吊り掛け電車の配属線区とは知っていましたが、引退のときの撮影をされていたんですね。

まだ自分は生まれてもいないころの話なので、まさか自分の近所の路線に平成の時代まで吊り掛け電車がいたとは・・・!!
ちなみに、多摩湖線の旧国分寺駅というのは今の北口のどの辺りにあったのでしょうか?

投稿: Local Train | 2010/08/04 18:30

皆さん、コメントありがとうございます。

>kimuさん
私も引退が決まってから、必死になって撮ったと思うのですが、さよなら運転よりも前に撮った写真が未だに見つかりません。たぶんどこかにあるんだと思うんですが・・・当時は、未成年でしたから、あまりお金もなく、今と違ってデジカメでもないですから、現像代もかかりますし、地元と言う事で、あまり撮影していないんですよね。今となっては、もっと撮影しておくべきだったと思います。

>岩崎友裕さん
少年時代、国分寺で351系の雄姿を見ていたとなると、今回の記事は、懐かしい思いで御覧頂いたと思います。地元民から見ますと、401系が多摩湖線を走る姿は、夏場の恒例でしたので、特に驚く事も無かったのですが、私の記憶ですと、昭和61年ごろに、1度だけ新101系の2連が入線していたと思うのですが、はっきりとした確証がつかめていません。どなたか御覧になった方がいらっしゃいますでしょうか?

>とやとやさん
はじめまして。いつもご覧いただきありがとうございます。保谷の車両基地周辺も、今では一部の留置線を残して線路を撤去してしまいましたので、大きく変わってしまいましたよね。あのくらいの規模の車庫ですと、赤い電車がちょこっと停まって入換をしていると言う光景が、凄く似合っていると思います。物心ついたころには、池袋線は101系が中心となってしまっていましたが・・・私もそんな頃の様子を見てみたかったです。

>サスケさん
今回ご紹介した写真を撮ったのは、私が16歳と8カ月の頃ですので、ちょうど今のサスケさんと同じ年頃ですな。年代の差と言ってしまえばそれまでなんですが、351系を知っている世代から見ますと、101系や2000系の初期車では、やや役不足なんですよね。でも、サスケさんの世代だと101系の低運車だって、廃車が始まって、だいぶ本数を減らしてきた頃の記憶しかないでしょうから、仕方ないかな。今、印象に残っていらっしゃる2000系初期車と101系低運車を、しっかりと記録して、20年先の次の世代の少年達に受け継いであげてくださいね。

投稿: TOMO | 2010/08/06 02:30

皆さん、コメントありがとうございます。

>タコ安さん
毎日利用している電車って、あまりに身近すぎて、ほとんど撮っていなかったりするんですよね。私も351系の写真は、もっと撮っていたように思うのですが、意外と少なかったりします。

>わるわるさん
3編成しかないので、全編成を撮っていると思ったのですが、さよなら運転期間中のものに関しては、353Fと355Fしかまともに撮っていないのですね。他にも撮っているとは思うのですが・・・355Fだけでも、中間車が撮れていて良かったです。

>Local Trainさん
多摩湖線は、まさに地元の路線ですので、この351系引退の時は、必死になって撮っていたつもりなのですが、今こうやって当時の写真を見ると、しっかり撮れているのが少なかったりします。多摩湖線の国分寺駅旧ホームは、現在の北口の駅前にあるコインパーキング付近ですね。駐車場の中に草が生えているこんもりした場所が、当時のホームの跡です。ホームの一部は今でもはっきり分かるように残っていますので、もし宜しければご覧になってみてください。

投稿: TOMO | 2010/08/06 03:59

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