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御殿場線内で「あさぎり」を撮影する

このところ、疲労がたまっていたせいか、更新間隔が開いてしまいましたが、少しずつ書いていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

それでは、3月16日のお話のつつきです。

田町駅で「のぞみ329号」を撮影した後は、お隣の品川駅へと移動し、ここから東海道新幹線に乗り込み三島へ。運良く、三島停車の「ひかり」を捕まえる事が出来、僅か40分ほどで三島に到着した。

三島からは、東海道本線に乗り換えて岳南鉄道を目指す予定だった。しかし、時刻は、まだ12時前。東海道新幹線の300系同様、この日を以て「あさぎり」の運用から離脱するJR東海の371系を使用した「あさぎり3号」は、まだ沼津駅に到着していなかった。三島駅からは、御殿場線の下土狩駅まで2キロ以内と言う立地条件。そこで、「あさぎり」運用中の371系の最終日の様子も押さえておこうと思い、下土狩駅へと移動する。時間的な問題も有り、三島駅からはタクシーを利用した。下土狩駅までは、およそ5分ほどで到着。この時点で、「あさぎり3号」の通過まで、およそ10分ほど余裕がある。そこで、御殿場線の線路に沿って、隣駅の長泉なめり方向へ向けて歩いてみた。以前、撮影に使った長窪踏切は、6両編成が限界だった為、その一つ先、長泉町役場横の踏切へと行ってみた。しかし、この場所も、長窪踏切と似たような条件。それどころか、障害物も多く、これは大誤算。とは言え、長窪踏切へ戻る程の時間的余裕は無く、ここで撮るしかない。この場所で待機する事およそ5分後の事。やや遅れ気味の「あさぎり3号」が駆け抜けて行った。

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沼津行き「あさぎり」、そして371系による「あさぎり」最終日。長泉町役場脇を高速で通過する371系「あさぎり3号」

撮影後、カメラの画面で画像を確認すると、最終日と言う事もあってか、先頭車乗務員室内には、便乗の乗務員が2名、更にスーツ姿の社員さんの姿も確認出来た。ちょうど、下土狩駅手前と言う事で、担当の運転士氏及びスーツ姿の社員さんが、揃って指差し確認をしている瞬間を撮ってしまったようだ。これはこれで良いかも。

この後、私は下土狩駅へと戻り、沼津経由で岳南鉄道の始発駅である吉原駅へと移動した。私にとって、御殿場線を行く371系の撮影は、これを以て終了となった。

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ありがとう300系ラストラン 「のぞみ329号」を撮影する

ダイヤ改正前日、3月16日のお話。

春は出会いと別れの季節。今年も、ダイヤ改正を前に、惜しまれながらも現役を引退して行く車両たちがあった。中には、思い出のある車両もあり、出来れば、それら全てをもう一度追っておきたいところではあるが、流石に全部を追う事は不可能だった。

確定申告シーズンを終えて、ホッとしたところで、この日は休暇を取った。9時過ぎに自宅を出発。とりあえず、国分寺経由、中央線で都心を目指す事に。

今から20年前、1992年に颯爽とデビューした、東海道新幹線の初代「のぞみ」こと、300系も、この日がラストランとなった。最後まで残ったJR東海所属のJ57編成には、1ヶ月ほど前から、引退を記念し、特別な装飾をしての運転となっていた。最後の晴れ姿を一目見ておきたい。そう思いながら、まずは東京駅へ。新幹線ホームへ入って、300系に少しでも近づいて・・・と考えたが、人が多過ぎて、まともな撮影は出来ないだろうと判断し、そのまま新幹線ホームには行かず、京浜東北線の電車に乗り田町駅へ。目指すは、以前、ドクターイエローを撮影した事がある跨線橋。皆さん、考える事は一緒で、実際に「のぞみ329号」通過のおよそ15分前に着いた時には、階段付近も入れると100人以上はいたんじゃないかと思う。そんな中、何とか撮影できる場所を確保。時々、通行人の方に「何が来るのか」と尋ねられながら、先行列車でタイミングを計り、「のぞみ329号」の通過を待つ。そして、10時52分頃の事、300系が田町駅付近に差し掛かった。

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20年の歴史に幕。300系最終列車となった新大阪行き「のぞみ329号」

この跨線橋からは、16両編成全てを入れて撮るのは、もともと不可能。でも、この日の撮影の目的は、ラストランの装飾を施した300系を撮ることだったので、このアングルでも十分に満足する事が出来た。

20年間、颯爽と走って来た300系。デビュー当時、東京駅を朝6時に出発し、名古屋も京都も通過して、新大阪駅に8時半に到着すると言うのは、とても画期的だった。その翌年、300系による「のぞみ」が増発され、名古屋・京都飛ばしは解消された。そして、この頃から、私にとって300系は身近な存在へとなっていく。新幹線のグリーン車に、初めて親を乗せたのも、この300系だった。所属している鉄道フォーラムで、JR東海を取り上げる掲示板のスタッフをやっていた頃は、ちょうど在来線の113系・115系・123系の引退が迫っており、静岡県内の三島・静岡・浜松まで新幹線を利用する事が多くなり、300系を使用した「ひかり」「こだま」には、何度も乗車した。改めて振り返ると、これまでの私の人生の中で、一番多く乗車した新幹線車両は、この300系ではないかと思う。それだけに、ラストランとなった「のぞみ329号」は、どうしても見届けたかった。

「20年間、御苦労様。」と、心の中で叫んだ後、お隣の品川駅へ移動。ここから東海道新幹線に乗り込んで、次の目的地へと向かった。

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185系OM08編成(157系風塗装編成)使用の特急「草津32号」を撮影

3月17日、JRグループダイヤ改正当日を迎えた。

今回のダイヤ改正は、引退する車両が多く、ダイヤ改正前日の16日は、お休みをいただき、撮影に出かけたが、一夜明けて、ダイヤ改正当日は、例により通院もあり、のんびり過ごす事に。

診察を終えて、そのまま都心方面へと出かける。途中、新宿で途中下車し、遅めの昼食を摂っていると、吾妻線からの特急「草津32号」が、157系風塗装になった、大宮総合車両センター所属の185系OM08編成で運転中と言う情報をキャッチ。OM08編成は、先日「上州踊り子」「あまぎ」として運用され、その模様は弊ブログでも取り上げたばかり。同列車充当後は、他の185系と同様に、上野発着の特急「草津」「あかぎ」などに運用されており、いつかは、一般列車充当中の姿も撮影したいと思っていた。しかし、この日は、通院後、買い物がメインの予定だった為、カメラも持参しているのはコンデジのみ。しかも、天気は雨模様と言う、何とも最悪のコンディション。でも、OM08編成を見たいと言う気持ちの方が強く、気付いたら、新宿から埼京線の電車に乗り込んでいた。

予定を変更し、埼京線で向かった先は十条駅。ここから、京浜東北線の東十条駅へ向けて歩きだす。埼京線の十条駅と、京浜東北線の東十条駅は、直線距離にして約700メートル。商店街を抜けると、東十条駅は、すぐそこだ。道中、大衆演劇場もあったりして、なかなか良いムードだ。十条駅から歩く事およそ10分。お馴染みの撮影地に着くと、雨模様と言う事もあり、撮り鉄さんの姿は少なかった。

現地到着からおよそ10分後の事。157系風塗装を纏った、185系OM08編成の特急「草津32号」がやってきた。

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185系OM08編成による特急「草津32号」が、上野を目指す。

小雨降る東十条にやって来た、185系OM08編成。改めて見ると、この塗装、185系によく似合っている。この天気の中、コンデジによる撮影と言う事で、写りが心配だったが、どうにか見られる画像に仕上がってくれた。

思ったよりも、良い成果が出た事で、気を良くして、OM08編成が折り返してくるのを待つ事に。「草津32号」は、土曜・休日のみ運転の列車の為、折り返しは、大宮総合車両センター(東大宮操車場)へ回送される事は解っていた。先程とは、場所を変えて撮影に臨むことに。

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「草津32号」の運用を終えて、東大宮操車場へ向けて回送される185系OM08編成。

先程の撮影から40分ほど経過し、これ以上暗くなったら、撮影も厳しいなあと考えていた頃、185系OM08編成の回送列車はやって来た。先行列車の関係か、ゆっくり来てくれたため、落ち着いて撮る事が出来たのは有り難かった。

こうして、157系風塗装OM08編成による特急「草津号」を撮る事が出来た。せっかくお目見えした157系風カラーの185系。やはり「あまぎ」に続き、吾妻線と言う事で「白根」も見てみたい。関係者の皆様、是非ご検討をお願い致します。

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追悼 野村正樹先生

今日は3月13日。1年前に66歳でお亡くなりになられた、野村正樹先生のお話です。

昨年12月初旬のある日の事。色々あった2011年も師走を迎え、喪中はがきが送られてくるシーズンとなった。亡くなられた方が高齢の方だったりすると、介護も大変だったろうなあと感じてしまうのは、どうしても自分の経験と重ねてしまうからだろう。そんな中、また1通の喪中はがきが到着した。何気なく差出人の名前を見ると、以前お世話になったことがある、作家の野村正樹先生の奥様だった。亡くなった方はご主人。野村正樹先生ご本人だった。

私は、このはがきを見て、言葉を失ってしまった。先生御自身がお亡くなりになっていたことを、このはがきが到着するまで全く知らなかった。早速、野村先生のホームページを見ると、遺族の方からのメッセージが添えられていた。震災の2日後に当たる3月13日、肺がんのため、66歳で旅立ってしまったのだ。

そもそも、先生との出会いは、2006年に遡ります。東京鉄道見たまま日誌の管理人であるSATO氏から、野村正樹先生が鉄道関係の書籍を出版するので、編集を手伝ってほしいとの依頼を受けた。この時、一緒に呼ばれたのが、Kaz-T氏マニはら氏。計4人で、編集協力をした。そして、たまたま内容を精査した結果、近鉄特急の車両の写真が、本文と異なっていたため、関西在住の痛勤形酷電氏に撮影を要請。最終的には、この5人で、野村先生の著書の編集を担当した。今思うと、このメンバーで一つのことをやり遂げたこと自体が、奇跡的なことなのかもしれない。

後日、著書の完成と合わせて、打ち上げ会が開かれ、この時、初めて野村先生と対面した。作家の先生という事で、気難しい方かと思ったが、実際にお会いしてみると、とても気さくな方で、すぐに打ち解けることができた。そして、この時、編集協力をした5人は、「電車力向上委員会」として、著書の最後に名前が載ることになった。私にとっては、自分の名前が、初めて書籍に載った瞬間であった。

その後も、野村先生とは、年賀状のやり取りや、新刊発売記念パーティにも出席したりして、親交を深めていた。最後に、先生とお会いしたのは、2009年3月14日、有楽町駅へ、最後の「富士・はやぶさ」を出迎えに行った時のことであった。大勢の鉄道ファンが集まった、有楽町駅のホームで、偶然にも先生をお見かけしご挨拶をした。先生も、「富士・はやぶさ」の最終列車の取材にいらしていたようで、列車が遅れていたこともあり、少し雑談をさせてもらった。先生から、私のブログについて、「なかなか良い文章書いてるねえ。」と言われた。単なるお世辞だろうけど、作家の先生から、こんなことを言われてとても嬉しかった事が、今でも忘れられない。と言うか、先生からのこの言葉が、まさか最後の会話になってしまうだなんて、喪中はがきが到着するまでは、夢にも思っていなかった。

66歳で旅立ってしまった野村先生。まだまだやりたいこと、書きたかったことも多かったと思います。先生の最後の言葉を励みに、これからもブログを続けていこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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あれから1年 3月11日午後2時46分の萩山駅

東日本大震災から1年。あの日の記憶は、今でも忘れないと言う方も多いかと思います。

節目の日を迎え、関東では多くの鉄道事業者が、強い地震があった事を想定した列車の一斉停止訓練を実施する事になり、地元を走る、西武鉄道でも、1年前に地震が起きた時刻と同じ、午後2時46分に、全列車の一旦停止訓練を実施した。

西武鉄道は、以前より、防災の日である9月1日の午前10時に、強い地震があった事を想定して、全列車の一旦停止訓練を実施しており、弊ブログでも、その模様をお伝えしている。今回は、9月1日に実施ている訓練と、ほぼ同様の内容での訓練であるが、当初、この話を聞いた時、9月1日と同様、観察すべきかどうか考えた。しかし、1年前の記憶を忘れない為にも、この様子を取り上げようと思い、地元、萩山駅で観察をする事にした。

午後2時44分、萩山駅に着くと、旅客一斉放送が入った。これから防災訓練を行うと言う予告の放送だが、冒頭には、被災者への哀悼の意を表すメッセージが含まれており、9月1日の訓練との違いを感じた。それから2分後、全線で列車が一斉に停止。訓練が開始された。萩山駅周辺では、多摩湖線の小平行き6068列車、萩山行き6493列車、拝島線の拝島快速3315列車の3本が走行しており、一旦停止後、この3本の列車が徐行運転で萩山駅までやってくる事になる筈。まず、最初に到着したのは、八坂駅を出てすぐに停止した、小平行き6068列車だった。そして、次に到着したのが、青梅街道駅を出てすぐに停止した、萩山行き6493列車。そして、最後に到着したのが、拝島快速3315列車であった。

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全列車一旦停止訓練の後、萩山駅に到着した拝島快速3315列車。

この日、拝島快速3315列車に充当されていたのは、2000系のトップナンバー編成である2001F。通常、拝島快速は、萩山駅には停車しない為、この訓練でも、8両停止位置目標に停止した際、運転士が駅係員へ伝達した後、客扱いをせず運転を再開した。

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3分ほど遅れて通過した上り拝島快速3320列車。

この後、萩山駅、3000系による拝島快速3320列車を撮影。この列車も、武蔵砂川駅付近で訓練を行った影響により、3分ほど遅れての通過となった。

3320列車の撮影を以て、萩山駅での撮影を終了とした。

東日本大震災で被災された皆様の、1日も早い復旧・復興を心よりお祈りいたします。

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まもなく見納め JR東海373系の東京乗り入れ

3月17日のダイヤ改正まで、あと1週間となった。ダイヤ改正で見納めとなるものも多く、私も出来る限り記録するように心がけている。

1995年に登場したJR東海の特急形電車、373系。現在は、身延線の特急「ふじかわ」や飯田線の特急「伊那路」や、静岡地区・名古屋地区の「ホームライナー」を中心に使用されているが、JR東海エリアから飛び出て、東京駅まで1日1往復、普通列車としてやってくる。東京駅へは、東京~静岡間で運転されていた特急「東海」や、東京~大垣間で運転されていた夜行快速「ムーンライトながら」でも入線していたが、特急「東海」は、2007年3月のダイヤ改正を機に廃止され、「ムーンライトながら」は、2009年の3月のダイヤ改正を機に、季節列車化に伴い、JR東日本の183・189系電車に置き換えられた事により、現在は、早朝・深夜のみの入線となってしまっていた。

その373系の東京乗り入れが、3月17日のダイヤ改正を機に見納めとなる事になった。改正後は、運転区間を東京~沼津間に縮小した上で、JR東日本のE231系による運転となると言う。そこで、373系が使用される静岡発の東京行き普通列車を、最後にもう一度撮影しておこうと思い、3月10日の夜、仕事を終えてから横浜駅へと向かった。373系による普通列車の横浜駅の出発時刻は22時16分。停車時間は1分もないかもしれないが、下り列車に被られる心配もなく、また、新宿方面からのアクセスも良い事から、この駅での撮影となった。

22時ちょうどの事。東京駅からの普通列車で横浜駅に着くと、6番線にはそれらしき撮り鉄さんの姿は全くなく、のんびりとスタートする事にした。そして、停止位置を確認していると、どこからともなく、同業の方がお一人登場。更にその直後にお二人、と言った感じで、思ったよりも、まったりムードであった。

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横浜駅7番線の発車案内機

373系到着前に撮影した、横浜駅の発車案内機。東海道本線の普通列車は、現在、3ドア車の211系も追われる身となっており、ここも4ドア表示が当たり前となってしまう日が、すぐそこまで来ている。2ドア車も、上りの普通列車に関しては消滅してしまいそうだが、下りの普通列車に関しては、185系使用の列車が残る限りは見られそうだが、こちらも、いつまで見られる事やら。

快速「アクティー」が出て行くのと入れ替わりに、いよいよ373系の到着。停車を待って撮影を開始する。

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横浜駅に到着した373系による普通列車東京行き338M。

この日、338Mとして上京してきたのは、F7編成+F11編成+F6編成の3編成。いずれも、1996年3月ダイヤ改正に伴う、急行「東海」の特急格上げ、165系使用の大垣行き普通列車の「ムーンライトながら」化に伴い増備された車両で、東京進出用として登場した車両達だ。373系による東京乗り入れ列車の撮り納めとしては、まさにベストメンバーと言えるかも。正面の表示機には、「普通」と表示されている筈なのだが、373系は字も小さく、こうして撮影しても殆ど写らないのが痛い。

こうして、373系東京乗り入れの撮り納めを終えた私は、湘南新宿ライン、西武新宿線と乗り継いで帰宅した。

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お知らせ ラジオ番組に出演することになりました

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧いただきまして、ありがとうございます。

さて、急な話ではありますが、この度、縁ありまして、FMラジオ局、J-WAVEの番組、I AMに、少しだけですが、出させていただくことになりました。

同番組内で、私は、「春を感じる鉄道の旅」をテーマに、コメントさせていただきました。6日夜、六本木ヒルズの33FにあるJ-WAVEのスタジオにて収録が行われまして、放送日は、3月8日(木)とのことです。

番組は、午前9時から11時30分までですが、同番組の中で、9時35分からの5分間放送されるワンコーナー、『SIGN OF THE TIMES』で、私のコメントが流れます。弊ブログをご覧の皆様の殆どが、リアルタイムでは聞くことができないかと思いますが、もし、お時間等に余裕があるよという方は、是非ともお手元のラジオのチャンネルを、FM81.3チャンネルに合わせていただき、ラジオがないという方は、radikoにも対応していますので、パソコンやi-Phoneなどでお聞きいただければ幸いです。

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特別な塗色の185系で運転! 特急「上州踊り子」と「あまぎ」を撮影

季節も少しずつ春へと移り、時刻表を見ても、春の臨時列車が動き出す季節となった。

3月最初の土曜日となった本日は、ちょっと変わった臨時列車が運転された。その名も「上州踊り子号」。列車名が示すとおり、群馬県と伊豆を結ぶ臨時特急で、かつて運転されていた「モントレー踊り子」を髣髴させる列車である。使用される車両は185系。運転区間が特殊であって、それ以外は普通の踊り子号と大して変わらんだろう。最初はそう思っていた。しかし、JR東日本高崎支社のホームページを見ると、「特別な塗色運転」と記載されており、何やら特別な列車であることが判明。それと同時に、3月3日から4日にかけて、東京~伊豆急下田間に「あまぎ」が運転されることになっており、これとも関係しそう。

そんな事を考えながら迎えた2月下旬。大宮総合車両センターに、かつて、伊豆方面に向かう特急「あまぎ」に使用されていた157系風のカラーに変更された185系が現れたとネット上で話題になった。これが噂の「特別な塗色」の正体らしい。大宮総合車両センターの185系の中には、かつての湘南電車、80系電車をイメージした車両も在籍しているが、185系のデザインそのものが、かつての157系に近いこともあり、157系風カラーの方が似合っているように感じられた。

そこで、本日は、通院前に、「上州踊り子号」を撮影することにした。病院への移動を考え、撮影場所は新宿駅に決めた。ちょうど中央線の快速電車が発着する7・8番線の高尾方は、埼京線や湘南新宿ラインを撮るのに適しており、湘南新宿ラインのルートで運転される「上州踊り子」の撮影には、ちょうどいいと思ったのである。しかし、10時50分ごろ、現地へ行くと、太陽が真上にあり、側面までは陽が回らないことが判明。しかし、今更動くわけにもいかず、ここで撮影することに。

現地到着からおよそ20分後、、定刻どおり、「上州踊り子」がやってきた。

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157系風カラーに変更された185系OM08編成による「上州踊り子号」

特製のヘッドマークを掲出してやってきた「上州踊り子号」。この列車、新宿駅では5分間停車することになっていた。私が陣取った場所からは、一番外側、1番線を通過すれば、7両編成でもゆったり撮る事ができる。直前まで5分停車という事実を忘れていて、ここで大丈夫と、軽い気持ちでいた。しかし、実際にやってきた列車は、だんだんと、内側に曲がってくる。ようやく、自分が重大な事実を忘れていたことに気づき、あわててカメラを調整した。少々、障害物が気になるが、背後には、新宿プリンスホテル(西武新宿ペペ)もしっかりと入り、新宿らしさを表現できたかと思う

この後、中央線の下り電車に乗り込み病院へ。そして、午後からは2時間ほど仕事をした後、「あまぎ」として、東京に戻ってくるOM08編成を撮影するために川崎へ。上りの「あまぎ」は、伊豆急下田の出発が夕方のため、走行撮影ができるのは、伊豆急線内のみで、あとは駅撮りになってしまう。とは言え、途中の停車駅を見ると、撮影できそうな大船と横浜は、下り電車に完全に被られてしまうダイヤとなっているため、まともに撮れるのは川崎だけと判断。到着15分ほど前に川崎駅に行くと、京浜東北線のホーム上には、15名ほどの撮り鉄さんが待機していた。先に来ていた方達の邪魔にならないこと。そして、ホーム上での安全を考慮し、黄色い線から更に内側に入ったところから撮影した。

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折り返しは「あまぎ」

ご覧のように、文字のみの「あまぎ」のヘッドマーク(ステッカー)が貼り付けられていた。「上州踊り子」の特製ヘッドマークと比較すると、地味なスタイルのように見えるが、157系の「あまぎ」に近づけるには、この形にするのが一番という判断だったのだろう。

こうして、突如現れた157系風カラーの185系。他の185系同様、高崎線・吾妻線方面へ向かう特急列車の運用に就くことになっており、他の185系との併結も見られることになるかと思う。また、ゴールデンウィーク期間中には、「草津83・84号」に充当されることが、JR東日本高崎支社のホームページ上でも発表されており、この間は、同列車を狙えば確実に撮影できそう。しかし、せっかく157系風カラーにして吾妻線に入線するならば、列車名は、「草津」ではなく、「白根」だろうと思うのは、私だけだろうか。

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臨時快速「富士山トレイン117」を撮影

さて、3461列車を撮り終えた後は、小田原から新幹線に乗り換えて三島へ。そこから、更に東海道本線の普通列車に乗り換えて、向かった先は富士川。

JR東海静岡支社では、1月28日から3月4日までの土曜・休日に、静岡~御殿場間で臨時快速「富士山トレイン117」を1往復運転している。列車名が示すように、大垣車両区の117系S9編成「トレイン117」を使用した観光用列車で、3号車「ウィンディスペース」から、美しい富士山を眺めてもらおうと言うのが狙いの列車である。

大垣車両区の117系は、国鉄時代の1982年に登場し、名古屋地区の快速列車を中心に運用されてきた。現在では、313系の増備により、廃車も始まっているが、今でも名古屋周辺の快速列車の運用が残されている。

そんな117系だが、これまでに、団臨で静岡まで入線した事があるのは、自分でも記憶しているが、静岡以東での運用実績は記憶にない。「トレイン117」は、沼津から御殿場線に入るが、東海道本線をあと一駅、三島まで行けば、兄弟車両とも言える185系とも顔合わせが出来るんじゃないか?と言うところまで来てしまった。普段は走行しない区間での117系の運転。改造車とは言え、これは是非記録しておきたい。とは言え、この日の天候状況からして、おそらく富士山と117系との組み合わせは撮れなそうだが、「トレイン117」自体、走行区間により、姿を変えて運転しており、今回もなかなか派手な装い。「トレイン117」の記憶だけでもと思い、撮影に向かった。

700系「こだま」と313系の普通列車を乗り継いで富士川駅に到着したのは、「富士山トレイン117」の通過およそ10分前の事。早速、富士川駅を下車し、駅の静岡方にある踏切へ移動する。この踏切からは、運が良ければ、背後に富士山が入り、「トレイン117」と富士山とのコラボが気軽に撮れるのだが、残念ながら富士山は厚い雲の中。まあ、この時間帯に順光で撮れる場所で思い付いたのが、ここしか無かったというのが本音。

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富士川駅を通過し、静岡を目指す臨時快速「富士山トレイン117」

残念ながら、富士山は顔を出さなかったが、117系S9編成「トレイン117」の静岡遠征バージョンはしっかり撮る事が出来た。「トレイン117」自体の撮影は、2011年4月に撮影した「水都大垣トレイン」以来の事であるが、当時の記事をご覧いただくと、今回の「富士山トレイン117」とは違った装いでの運転であることがお解りいただけるかと思う。

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「ウィンディスペース」となっているモハ116-45。

3号車、ウィンディスペースとなっているモハ116-45を撮って、「富士山トレイン」の撮影を終了した。この後、富士川駅から、東海道線の上り列車に乗り込み、いったん吉原で下車。構内にいたワム380000を眺めた後、再び三島駅から新幹線に乗り込み、東京へと戻った。

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