カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の73件の記事

親友の死

今週は、私にとって、とても辛い1週間でありました。

6月12日、私と27年間の付き合いである親友のYU君がこの世を去りました。享年38歳。彼とは、小学校5年生の時に同じクラスになってからの付き合いでした。お互い、家も近所、趣味も同じと言う事で、最初は衝突した事も有りましたが、だんだん意気投合し、良き相棒となりました。彼とは、何でも言える間柄だった事も有り、鉄道関係の事以外でも、時にはお互いの学校生活での不満や好きな女性の話なんかもしました。

そんな彼を今から20年前、白血病と言う病が襲います。それでも、彼は生きる為に、あらゆる手段を試し、病と闘ってきました。入退院を繰り返し、臍帯血治療や骨髄移植もしました。私も、何度か見舞いに行きましたが、その都度、励ましに言った筈が、逆に励まされて帰ってくる。自分の事より他人の事を優先。そんな奴でした。

実は、今年に入ってからも、本人にとっては3度目(後日お母さまから聞いて知りました)となる骨髄移植を受ける為、2月末から入院していました。本人からも、「忙しいだろうから、見舞いは良いよ」なんてメールも来ていました。私も、本業の合間に、怪我の治療の為に通院していた事も有り、「落ち着いたら見舞いに行くよ。」と返信し、彼とはメールのやり取りを繰り返していました。そして、3月末に骨髄移植は無事終了。経過も良好とのことで、私も、ホッとしていたのでした。本人曰く、6月までは入院しているとの事でしたので、そろそろ見舞いに行ってみるか?と思っていましたが・・・

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悪夢の転倒から7カ月 ようやく完治宣言

気付けば、悪夢の転倒から7カ月が経過してしまいました。

季節も秋から冬へ。そして、冬から春へ変わっても、月に2回程度の通院生活が続いていましたが、昨日、4月18日の事になりますが、ようやく通院生活も終了となりました。私の右足には、ガーゼを固定する為に使用したテープによる被れも残りますので、あとは、皮膚の回復を待つ事になりますが、とりあえず、転倒事故による傷は埋まりました。これに伴いまして、弊ブログ上でも、完治宣言を発したいと思います。

この7ヶ月間、皆様には、ブログ、Twitter、Facebookを通して、励ましのメッセージを数多く頂きました。皆様には、心より感謝しております。今後は、少しずつ趣味活動も、転倒事故前の状態に戻していきたいと思っております。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

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追悼 野村正樹先生

今日は3月13日。1年前に66歳でお亡くなりになられた、野村正樹先生のお話です。

昨年12月初旬のある日の事。色々あった2011年も師走を迎え、喪中はがきが送られてくるシーズンとなった。亡くなられた方が高齢の方だったりすると、介護も大変だったろうなあと感じてしまうのは、どうしても自分の経験と重ねてしまうからだろう。そんな中、また1通の喪中はがきが到着した。何気なく差出人の名前を見ると、以前お世話になったことがある、作家の野村正樹先生の奥様だった。亡くなった方はご主人。野村正樹先生ご本人だった。

私は、このはがきを見て、言葉を失ってしまった。先生御自身がお亡くなりになっていたことを、このはがきが到着するまで全く知らなかった。早速、野村先生のホームページを見ると、遺族の方からのメッセージが添えられていた。震災の2日後に当たる3月13日、肺がんのため、66歳で旅立ってしまったのだ。

そもそも、先生との出会いは、2006年に遡ります。東京鉄道見たまま日誌の管理人であるSATO氏から、野村正樹先生が鉄道関係の書籍を出版するので、編集を手伝ってほしいとの依頼を受けた。この時、一緒に呼ばれたのが、Kaz-T氏マニはら氏。計4人で、編集協力をした。そして、たまたま内容を精査した結果、近鉄特急の車両の写真が、本文と異なっていたため、関西在住の痛勤形酷電氏に撮影を要請。最終的には、この5人で、野村先生の著書の編集を担当した。今思うと、このメンバーで一つのことをやり遂げたこと自体が、奇跡的なことなのかもしれない。

後日、著書の完成と合わせて、打ち上げ会が開かれ、この時、初めて野村先生と対面した。作家の先生という事で、気難しい方かと思ったが、実際にお会いしてみると、とても気さくな方で、すぐに打ち解けることができた。そして、この時、編集協力をした5人は、「電車力向上委員会」として、著書の最後に名前が載ることになった。私にとっては、自分の名前が、初めて書籍に載った瞬間であった。

その後も、野村先生とは、年賀状のやり取りや、新刊発売記念パーティにも出席したりして、親交を深めていた。最後に、先生とお会いしたのは、2009年3月14日、有楽町駅へ、最後の「富士・はやぶさ」を出迎えに行った時のことであった。大勢の鉄道ファンが集まった、有楽町駅のホームで、偶然にも先生をお見かけしご挨拶をした。先生も、「富士・はやぶさ」の最終列車の取材にいらしていたようで、列車が遅れていたこともあり、少し雑談をさせてもらった。先生から、私のブログについて、「なかなか良い文章書いてるねえ。」と言われた。単なるお世辞だろうけど、作家の先生から、こんなことを言われてとても嬉しかった事が、今でも忘れられない。と言うか、先生からのこの言葉が、まさか最後の会話になってしまうだなんて、喪中はがきが到着するまでは、夢にも思っていなかった。

66歳で旅立ってしまった野村先生。まだまだやりたいこと、書きたかったことも多かったと思います。先生の最後の言葉を励みに、これからもブログを続けていこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

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経過良好 入院回避

今日から10月。すみません。今月一発目の記事も経過報告からです。

今日は一週間ぶりに小平市内の病院へ。1週間前の状況と比較する為、今日も血液検査を実施。1週間前は、かなり危険な数値だったが、血液検査の結果はおおむね良好。最悪の場合、入院が必要と言われていたが、血液検査の数値も良く、更に傷口も綺麗に回復してきているとの事。

今週は、勤務先近くの整形外科の先生の所へ毎日通院し、ガーゼ交換、更には9月28日より、3日間、抗生物質の点滴を打ってもらっていたが、この点も良かったらしい。

弊ブログを御覧の皆様には、ご心配をおかけしましたが、ようやく長いトンネルの出口が見えてきたような気がしました。完全復活までもう少しかも。頑張ります!

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7年ぶりの松葉杖生活

すみません。今日も経過報告です。

今週に入ってから、職場に近い整形外科の先生のもとへ通うようになった。歩いて10分ほどの所にある病院。院長先生は、まだ若い先生で、ちょうど先週の事になるが、テレビ朝日のニュース番組にも登場したらしい。設備も新しく、病院のスタッフの皆さんも、優しくて好感のもてる病院だ。

通院2日目となった27日の夕方、前日同様、先生に処置してもらう事に。実は初日の診察から言われていた事なのだが、足首付近の赤い腫れが気になると言う。もしかしらら、傷口から悪い菌が入ってしまっているのではないかと。出来る事ならば、1週間程度入院して、点滴で治療した方が良いのではないかとの事だった。とりあえず、今日の診察時に、血液検査をして、一度、抗生物質の点滴をする事になったのだが・・・

正直、今、とても不安です。これまで37年間、お陰様で、病院に入院しなければいけない事態になった事は無く、至って健康的な生活を送ってきました。ここまで悪い結果が続くと、もしかしたら、右足は、もう治らないんじゃないかとか、そんな悪い事まで考えてしまいます。でも、負けたくない。いや、負けちゃいけないんです。今は、この逆境を乗り越えなくてはいけない。それは解っているんだけど、何となく不安です。仕事も穴を開けてしまうかもしれないし・・・

今、先生の奨めもあって、27日の帰宅時から、松葉杖を1本だけ使っています。7年ぶりに使う松葉杖。これで右足への負担を軽くするのが目的。流石に、松葉杖だと、満員電車に乗っても、席を譲ってもらえました。今週は、何とか、これで乗り切る事にします。

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9月9日の悪夢 その後

9月9日の悪夢の転倒から、早いもので2週間以上が経過した。

痛み止めの薬も効いてきて、日常の生活は困らない程度まで回復してきたのだが、先週の後半頃より、右足の傷からの出血が止まらなくなってしまった。心配になり、病院へ行くと、血の塊、血腫が出来ているとの事。最悪の場合、大きく切開して血腫を取り除かなくてはならないと言う。その場合は、入院が必要と診断された。

月末に来ての入院。毎月、月末は仕事が多忙となる為、何とか入院は避けたい。24日に血液検査をして、その結果次第でどうするかを決める事になった。運命の日、病院へ向かい血液検査を実施。検査の結果、入院しなくても良い数値になってくれたのだが、まだ油断は禁物との事。とりあえず、毎日のガーゼ交換は必要との事で、今週は、職場の近くの整形外科で対応してもらうよう、紹介状を書いてもらった。

そして、この日は、少しだけ傷口を切開して、中の血液を絞り出したのだが、とても痛かった。当面は安静にしなくてはいけないと言う事なので、今週末の西武鉄道の横瀬のイベントには、行けない可能性が強まってきた。

twitterやfacebookを通して、皆様からの応援メッセージも頂き、大変感謝しております。今は、無理をせず、怪我を治す事に専念したいと思います。

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9月9日の悪夢 駅の階段で転倒

この日、西武園ゆうえんちで「SMAPファンミーティング2011」が開催された。西武鉄道では、このイベントに合わせて、西武園線で臨時列車を増発。更に、多摩湖線の一部列車を増結する等して対応した。特に、西武園線は、西武新宿からの直通列車も2往復運転されており、うち1往復は特急。もう1往復は、下りが準急、上りが急行として運転される事になった。流石に、下りの臨時列車は、仕事も有る為、撮影はできないが、夕方のイベント終了後の上り列車に関しては、撮影できそうと言う事で、デジタル一眼レフ持参で出勤したのだが・・・

朝8時頃の事。地元の萩山駅から電車に乗ろうとした際、ホームに向かう階段で足を踏み外してしまい転倒。眼鏡をかけている事も有り、顔を守らなきゃと、とっさに左手を出した。その為、左手首と肩に激痛が。更に、右足のすねの部分をすりむいて出血していた。多摩湖線の運転士さんに声をかけられたが、その場は何とかなりそうだったので、お礼を言って国分寺行きに乗車。しかし、国分寺まで行ったところで、痛みが我慢できず、病院へ行く事にした。向かった先は、2004年の9月に足を怪我した際にお世話になった病院。とりあえず、痛みの酷い左手に関しては、骨に異常もなく、2~3日安静にしていればと言う診断を受け、ホッと一安心。右足のすりむいた所も消毒してもらい、その時は終了した。

しかし、午後から出勤しようとしたところ、今度は頭が痛くなった。実は、朝の転倒の際、少し頭を打っており、何となく嫌な頭痛だった。そこで、念のため、小平市内の脳外科医へ。先生の診察を受けると、どうやら、私の頭痛の原因は、肩凝りから来ているとの事。左肩が痛くて、カバンがかけられない為、通常は使わない、右肩にかけていた事から、肩凝りが悪化し、頭痛が来たらしい。とりあえず、脳に異常が無いと解って、ここでもホッとしたのだが・・・

週が明けて、昨日の事。すりむいた右足の腫れが酷くなってきた。だんだんと心配になり、本日午後、2時間ほど早退させていただき、再び病院へ。1時間半待って、院長先生の診察を受けた。なんと、あの時は大したこと無かった右足が一番重症との事。骨は折れていないので歩く事も可能だが、炎症が酷い為、左手首・肩も合わせて、全治3週間との事。包帯をグルグル巻きにされ、右足のみ、半ズボン状態で帰宅となった。

世間では、これから3連休が2回。私も、足が落ち着けば、どこか撮影に行こうと思っていたのだが、この調子だと、遠出は無理。来月の鉄道の日のイベントに向けて、治療に専念する事になりそうです。

皆様も、駅の階段では、ご注意くださいませ。

PS・・・小手指車両基地ぐらいは行きたいなぁ。

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新しい相棒

たまには、鉄道以外のお話。

先日、3年間使用してきた携帯電話、N905iが上手く充電できなくなってきた。N905iのコネクタ部が破損したのが原因。実は1年3カ月ほど前に、スマートフォンを購入していたものの、モバイルSuicaが使用できないと言う事で、N905iも騙し騙し使い続けてきたのだが、コネクタ部の破損も今回が2度目だし、まだスマートフォンも、購入から1年3カ月だし、違約金が発生するだろうけども、モバイルSuica対応のスマートフォンも出てきた事だし、これは違約金を払っても買い替えた方がいいと言う結論に達した。

8月10日の夜、吉祥寺のドコモショップに駆け込んだ。勤務先最寄りの西荻でも良かったのだが、駅前のドコモショップ、狭い事もあって混んでいて、近くで20時まで営業していると言う事で、吉祥寺南口店を選択したのであった。早速、スマートフォンの展示コーナーへ。色々あって目移りしてしまうが、店員さんにモバイルSuica対応機種を聞いたところ、在庫のある機種は4種類に絞られてしまった。その中には、つぐみさんのブログ、ミライロスケッチでも取り上げられたSH-13Cも有ったが、手に取ってみてみると、どうも自分の手には、画面が小さそうな感じ。1年3カ月使って来たスマートフォンの画面が小さく、更に指をタッチすると、隣の文字が入力されたりと苦労した事もあり、画面は大きい方が良いと言う考えがあった。そこで選んだのがこれ。

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新しい相棒。SH-12C。

歴代の携帯電話では、初のシャープ製となるSH-12C。待ち時間の間に、色んな機種を試してみたけど、このSH-12Cが、私の指には一番馴染んでくれた。色は黒を購入したのだが、この日の吉祥寺南口店では、これが最後の1台だった。そして、その足でカバーを購入。色は御覧のようにオレンジを選んだのだが・・・

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昨年惜しまれながらも引退した中央線の201系。

もちろん、イメージは中央線の201系。オレンジの色の感じがやや違うが、雰囲気重視なので、その辺りは気にしないことに。

スマートフォンへの完全移行に伴い、iモードは解約。コロプラやTwitter、facebookは、簡単に移行することが出来たが、時刻表情報サービス社が提供するダイヤ情報メールは、@niftyダイヤ情報メールに切り替えたり、鉄道目撃情報SNSは、PC閲覧用画面で見ることにする等、代替手段への変更にやや手間取った。それでも、切り替えは、8月12日までにほぼ終了し、これまでとほぼ同様に使えるようにはなったのだが、唯一、ぴたのりダイヤ情報だけは、現時点で見ることが出来なくなってしまった。これは、ちょっと痛いかも。

なお、TOMOの鉄日誌の速報版ブログ、TOMO鉄 NOWの記事についても、8月11日付記事より、SH-12Cのカメラで撮影した画像を使用しています。N905iと比較すると、カメラの性能も格段に違うため、今後は速報版でも、より鮮明な画像を皆様にお見せできるかと思います。

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計画停電 13年ぶりの自転車通勤

東北地方太平洋沖地震発生から1週間が経過し、日常生活に戻りつつあるが、14日からは新たな問題点「計画停電」との調整に追われることになった。

週明けの月曜日、電気の供給量が不足しているとの事で、計画停電が実施される事になった。この停電、環八を境に都心側では実施されないところも多く、私の職場も実施されない区域。しかし、この停電は、鉄道会社にも大きな影響が出た。地元、西武鉄道は、池袋線・新宿線共に大幅に運転本数を縮小。拝島線も朝のうちわずかに運転される列車があるが、多摩湖線は終日運転見合わせ。中央線は動いてはいるが、僅かな本数しか運転しないと言う。さあ、困った。確定申告が終わる3月15日までは、何としても仕事に出かけなくてはならない。そんな時、Twitterのフォロワーさんより、自転車で通勤してみては?とのコメントが入った。思えば、今から13年前までは、自転車通学・通勤を8年間続けていた。それだけに、自転車で西荻へ行こうと言う想いが、徐々に強まって来た。早速、コースをシミュレーションしてみる。杉並区西荻南2丁目の職場まで、片道約12キロ。今までの通勤通学は、だいたい3~4キロ程度だから、およそ4倍の距離。でも、全行程のほぼ半分は、多摩湖自転車道が使える。このルートなら、何だか行けそうな気がする。所要時間は約1時間と想定した。

7時20分頃、家を出発し、萩山駅前駐輪場にて自転車のタイヤに空気を補充し、7時26分、萩山駅前を出発。多摩湖自転車道をひたすら走る。鉄道各線が大幅に列車本数を減らしている事から、思った以上に自転車で移動する人が多い。順調に進み、萩山駅前から28分で、多摩湖自転車道の起点である関前五丁目交差点に到達。ここで5分間の休憩及び給水タイムとした。そして再び西荻窪へ向けて出発。何を勘違いしたのか、武蔵野大学前で曲がらなきゃいけないところをまっすぐ進んでしまい、慌てて五日市街道へ戻ると言うハプニングもあったが、8時34分、無事に事務所に到着する事が出来た。

翌3月15日も同様のコースで出勤。この日は往復共に1時間1分で通勤ルートを走破する事が出来た。この日、我が地元の萩山駅には、1本も列車の発着が無かった。駅の状況がどうなっているのかが気になり、帰り道、萩山駅に立ち寄ってみた。

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列車が終日運休し、シャッターが閉められた萩山駅北口。(2011年3月15日撮影)

御覧のように、シャッターが閉められており、駅は完全に閉ざされていた。この画像を撮影したのは、20時10分頃の事。通常であれば、都心で働いていてきた方達が、帰宅する時間帯。家路に急ぐ人たちで駅前も賑わう時間帯だ。それが、この日は駅前に人の姿は無い。街が死んでいるように見えてしまった。

翌朝、西武多摩湖線も動き出し、ようやく電車で出勤できるようになった。多摩湖線の列車には乗り遅れてしまったが、走り去る国分寺行き、西武遊園地行きを見た瞬間、涙が出そうになった。電車がお客さんを乗せて、目的地に向かう事が、こんなにも素晴らしい事だったのか。2日間の自転車通勤をした事で、改めてそう感じた。

2日間行った自転車通勤。Twitterでは、複数の方から応援メッセージや休憩ポイント情報などを頂きました。ありがとうございました。

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東北地方太平洋沖地震 被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます

2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震。マグニチュード8.8と言う、気象庁の観測史上、もっとも強い地震。地震から丸1日以上が経過し、次々に明らかになっていく被害状況。テレビから流れる映像に、心が痛みます。

地震発生時、私は事務所で仕事をしていました。これから電卓を使って計算をしようと言うところで、集計用紙を手にした瞬間、床下から揺れが伝わってきました。最初は、すぐに収まるだろう。そう思っていたのですが、だんだんと揺れが強くなるにつれて、これは今までに経験した事がない揺れだ。大変だ。と思い、すぐに机の下にもぐりました。幸いにも、事務所内では、書類や参考書の一部が、書棚から落ちた程度で、職員も全員無事でありました。

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