カテゴリー「古い鉄道写真」の14件の記事

古い鉄道写真12 165系最後の営業列車 快速「こころ」

昨年8月の引っ越し時に、荷作りで苦労したものの一つに、デジカメ導入前に撮っていた鉄道写真がある。

それらの古い写真を箱詰めしたもの中には、未だに開封していないものがあるが、良い機会なので、これらの写真をデジタル化しようと決意。先日、たまっていたヨドバシカメラのポイントを利用し、新たにフィルムもスキャンできるスキャナーを購入した。これまでに、名刺などをスキャンする事が出来る、簡易的なスキャナーは所持していたが、本格的なスキャナーの導入は、これが初めて。早速、気になった写真を数枚、スキャンしてみた。

今回は、その中から、私の大好きな直流急行形電車、165系のお話。

今から14年前。2003年4月1日早朝、新潟駅に到着した快速「ムーンライトえちご」を以て、165系の定期運用は消滅した。しかし、定期運用終了後、9月末までの約半年間、臨時快速列車「こころ」が運転された。この列車は、当時、NHKで放送されていた、朝の連続テレビ小説「こころ」の舞台となる一つである、中越地方の越後湯沢と長岡を結ぶもので、当然、このドラマを意識した列車名である。

この165系の快速「こころ」を、私は2回、乗りに行った記憶がある。

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越後湯沢駅に停車中の165系快速「こころ」

当時の撮影データが見当たらないので、はっきり断言できないが、前後の撮影した画像から判断すると、運転開始直後の4月中に、まず一度乗りに行っていた模様。この快速「こころ」には、M6編成が充当されていた。当時、165系で運用に就いていたのは、この他にM1編成しかなく、M6編成は、最後まで、快速「こころ」専属で運用されていたと記憶している。

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クモハ165側も撮影したが、こちらは残念ながら発車直前まで「回送」幕だった。

そして、二度目の乗車は最終日となった2003年9月28日。この日は、早朝、中央線三鷹~国分寺間の高架化工事に向けた、第1回目の線路切り替え工事が、大失敗に終わった日でもあった。

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越後湯沢駅に停車中の団体列車「急行さよならこころ号」

この日も、1回目の時と同じように、越後湯沢~長岡間の快速「こころ」に乗車して、165系の乗り収めをした。そして、夕方、越後湯沢へ向かう、上りの「こころ」を撮影後、越後湯沢駅へ。営業終了後の回送列車を、団体列車扱いの急行列車として、新潟まで運転する事になり、この列車を越後湯沢駅で見送った。残念ながら、発車するまで、115系が停車しており、このような並びの写真しか撮れなかったが、これも今となっては、良い思い出。

と言う訳で、今後も、古い写真ネタを、定期的にお送りしていきたいと思っています。お付き合いいただければ幸いです。

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古い鉄道写真11 青梅線「せせらぎパノラマ号」

三連休最終日は、自宅で写真の整理。

昨年8月に新居へ引っ越して以来、未だに開封していない段ボールがいくつかあり、この日も段ボールを1つ開封。この箱には、古い写真も入っていたのだが、懐かしい写真が出てきて、暫し手が止まってしまった。

2001年8月、当時、三鷹電車区(現:三鷹車両センター)に所属する、165系改造のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」が、引退を間近に控えていた。そんな中、同年8月22日から26日までの5日間、「パノラマエクスプレスアルプス」を使用した、臨時快速列車「せせらぎパノラマ号」が、青梅線で運転された。みたけふるさと祭りに合わせて運転されたものだったが、「パノラマエクスプレスアルプス」を使用した最後の臨時列車であり、実質的に、同車のさよなら運転と言える。

165系大好き人間の私としては、当然、この列車の撮影に臨んだが、運転初日となる筈の8月22日は、台風により運休。23日からの4日間での運転となった。

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拝島駅に停車中の「パノラマエクスプレスアルプス」

撮影した日時の記録が残っていないので、4日間のうち、いつ撮影したのかは特定できないが、おそらく、まずは、拝島駅で、立川駅へ送り込まれる回送列車を撮影したものと思われる。そして、注目していただきたいのが、4両編成での運転と言う事。「パノラマエクスプレスアルプス」は、6両編成で運転されていたが、この列車は、青梅線奥多摩まで入線すると言う事から、5号車と6号車を編成から外し、変則的な4両編成での運転となった。

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青梅~宮ノ平間を行く「せせらぎパノラマ号」

そして、拝島駅で送り込みの回送列車を撮り終えた後は、沿線へ先回り。青梅~宮ノ平間、お馴染みの山根踏切で撮影していた。この山根踏切、当時は、青梅線の有名撮影地の一つとされていたが、今では、この地を走る車両も、普段はE233系ばかり。訪れる人も少なくなったのではないかと思う。

その後、「パノラマエクスプレスアルプス」は、6両全車が富士急行へ譲渡。3両編成ずつに分割され、翌2002年、「フジサン特急」として再デビュー。2016年2月7日を以て営業運転を終了するまで、14年間活躍を続けた。

雪が降る河口湖駅で「フジサン特急」を見送ってから、もうすぐ1年かぁ・・・

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ブログ開設12周年

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧頂きまして有難うございます。

2004年9月6日に誕生した「TOMOの鉄日誌」は、おがげさまで、本日9月6日で、開設12周年を迎える事になりました。

そこで、今回は、12周年にちなみまして、この車両のお話をしたいと思います。

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鶴見線で活躍していた、クモハ12。(1996年3月24日、さよならイベント時に国道駅で撮影)

神奈川県を走るJR鶴見線で、1996年まで活躍していた、クモハ12です。平成の世まで、クモハ12052と12053、旧型電車が2両も生き残った理由は、同線の大川支線の分岐駅となる、武蔵白石駅の大川支線ホームの急曲線。20メートル級車両が入線できなかった為、この車両が大川支線の専用車両として、生き残りました。しかし、老朽化には勝てず、武蔵白石駅の構内改良により、大川支線ホームを廃止。この結果、20メートル級車両の乗り入れが可能となり、クモハ12の活躍に終止符が打たれました。

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古い鉄道写真10 ちょっと懐かしい西武3ドア車の記録

私事ではございますが、この度、マイホームを購入しました。6月末に引き渡された後、コツコツと準備を進めてまいりましたが、いよいよ、8月18日に引っ越す事になり、現在、引越しの荷づくりに追われる毎日を過ごしております。

そんな中、古いアルバムを箱詰めしている際に、ちょっと懐かしい写真を見つけましたので、その一部をご紹介したいと思います。

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西武園線の折り返し運用に就く、引退間近の701系電車。

残念ながら、撮影日の記録がないので、はっきりとは断言できないが、引退を目前に、701系としては最後まで残った781Fの記録をしようと、西武園線の折り返し運用に就いていた同編成を、東村山駅で撮影した。

ちなみに、この電車が出た後には・・・

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3000系3013Fによる急行本川越行き。

特急退避の為、4番ホーム(現在の3番ホーム)に入線してきた、3000系3013Fによる急行本川越行き。元々、池袋線の各駅停車用として開発された3000系だが、1993年ごろより、池袋線への新2000系投入により、ねん出された3000系の一部編成が、新宿線に転属してきた。101系同様、ツートンカラーを纏っている姿が懐かしい。

さて、西武鉄道の3ドア車の忘れられない出来事として、2001年秋に、101系159Fを、懐かしい赤電カラーに塗り替えて、イベント列車として運行した事が有りました。私も、当時撮影していた筈なんですが、こちらも、引越しの荷作りをしていたら、出てきましたので、こちらも合わせてご紹介したいと思います。

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新宿線、新井薬師前~沼袋間を行く159F。(2001年9月30日撮影)

2001年9月29日と30日に西武新宿~西武園間、そして10月7日と8日に、池袋~横瀬間を、イベント列車として、赤電カラーで運転された159F。このイベント列車の為だけに、塗装を変更。イベント終了後は、営業運転に就く前に、黄色一色に戻されてしまい、101系の赤電塗装は、僅か2週間で消滅した。赤電塗装を纏った101系を、実際に見た時は、子供の頃に見た801系の非冷房時代を思い出し、とても懐かしく感じた。

159Fの赤電が運転されてから11年後、まさかKATOから、101系低運車、しかも赤電になった159Fまでもが、製品化される事になるとは、世の中、何が起こるか解らないものです。

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古い鉄道写真9 「トワイライトエクスプレス」宮原駅停車!

今日、3月14日は、JRグループの全国ダイヤ改正。

春は出会いと別れの季節。このダイヤ改正を機に、北陸新幹線が開業。華やかな北陸新幹線開業の裏では、「トワイライトエクスプレス」が、大阪~札幌間の運行を終了した。

そこで、弊ブログでも、近江鉄道遠征記をいったん中断して、旬な話題として、「トワイライトエクスプレス」の話題を取り上げたいと思います。と言っても、写真は古い写真。今から24年前、1991年3月のお話。

「トワイライトエクスプレス」が、団臨として、北陸本線・信越本線・上越線・高崎線・山手貨物線経由で、浜松町まで運転される事になった。当時、私は17歳。普段、首都圏では絶対に見られない豪華寝台列車だけに、何としても撮りたい。撮り鉄仲間と共に撮影に出かけた。狙ったのは、下り列車。たぶん、長岡周りで大阪へ戻る列車だったと思う。同行した撮り鉄仲間の勧めもあり、高崎線の宮原駅で撮影する事にした。なぜ宮原駅か。当時、「トワイライトエクスプレス」の客車は、JR西日本の宮原客車区に所属していた。同行した撮り鉄曰く、「宮原客車区の車両は宮原駅で撮るのが一番」との事。

私は、宮原駅2番線の上野方に陣取り、その瞬間を待つ事に。そして、ついに、「トワイライトエクスプレス」がやって来た。

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1991年3月、「トワイライトエクスプレス」が団臨として上京。高崎線宮原駅に入線する「トワイライトエクスプレス」の団臨。

この日、「トワイライトエクスプレス」を牽引したのは、専用機のEF81 104号機。「トワイライトエクスプレス」自体は、この後、2005年にも上京しているが、この頃には、首都圏各線に続々とATS-Pが導入されており、JR西日本のEF81が、そのまま入線してくると言うような事はなく、「トワイライトエクスプレス」専用機のEF81が上京してきたのは、現時点でこの時のみ。おそらく、この時が最初で最後と言う事になってしまうだろう。

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宮原駅の駅名票と「トワイライトエクスプレス」

宮原客車区所属の「トワイライトエクスプレス」が、宮原駅に停車しているところを撮る。当時のTOMO少年は、同行した撮り鉄仲間と、このアングルでの撮影を終えた時、きっとニンマリしていたと思う。

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古い鉄道写真8 長野電鉄須坂駅にて

さて、1994年ごろの長野遠征記。JRの長野駅での撮影を終えた後は、長野電鉄に乗り込んで、向かった先は須坂駅。

長野線と屋代線が交わり、更には車両の整備も担当する車両工場も併設されている、長野電鉄では最大級の駅となる須坂駅。現在は、屋代線が廃線となったものの、駅構内の様子は、1994年も2013年もそんなに変った感じはしない。そんな須坂駅ならば、短い時間で、様々な種類の電車を撮影出来るだろう。そう思って、ここへ来たのかもしれない。

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特急用の2000系を使用した普通列車。

ちょうど須坂駅で出くわした2000系の普通電車。2012年の3月まで活躍していた特急用の2000系車両は、本来の始業である特急運用の他に、間合いで普通列車の運用に就く事もあった。2000系の代替には、元小田急電鉄の特急ロマンスカーHiseを編成短縮化した上で譲り受けた1000系、そして、元JR東日本の「成田エクスプレス」用車両253系を譲り受けた2100系の2種類の車両が活躍しているが、どちらも、2000系で見られたような普通列車運用と言うのは、存在しないのではないかと思う。

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古い鉄道写真7 新幹線開業前の長野駅にて

前の記事で触れていますように、西武鉄道では、まもなく3000系車両の本格的な廃車が始まります。それに備えて、我が家の古い写真の中から、3000系の良い写真が無いか、色々と探しているときに、1冊のアルバムが出てきました。撮影時期を記入していなかったのが悔やまれるのですが、写っている写真の中身からして、たぶん1994年頃の撮影と思われます。今回は、このアルバムの中から、何枚かご紹介したいと思います。

舞台は長野駅。まだ長野新幹線は工事中です。たぶん、当時親しくしていた仲間たちと出かけたんだと思いますが、長野まで、どうやって行ったとか、何をしに行ったのかは、はっきり覚えていません。でも、写した列車から判断すると、たぶん長野駅には昼前に到着していたみたいなので、大宮辺りからL特急「あさま」で長野入りしたのかも。

で、長野駅で最初に撮影したのは、こんな列車。

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長野駅に到着する165系急行「赤倉」

新潟からやって来た165系急行「赤倉」。この日の急行「赤倉」は、上沼垂運転区(現在は新潟車両センター)に所属する165系K1編成+K2編成での運転だった。前3両となるK1編成は、3両共165系のトップナンバー車両で構成されており、たぶん、これ目当てで長野へ行ったのかな?と言う気がする。

ちなみに、当時の急行「赤倉」は、確か妙高高原~長野間が普通列車となっていた為、長野駅到着時点では、種別幕も「普通」と表示されている。

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到着後、K2編成側からも撮影。

後ろ3両のK2編成。この編成は、原型ライトを維持したまま、1999年に三鷹電車区へ転属となり、「新幹線リレー号」や「ホリデー快速ピクニック号」の運用で注目を浴びるようになるとは、この時、全く想像もしていなかったと思う。

ちなみに、K1編成・K2編成とも、クモハ165の角形通風器が撤去されている。これは、長年、新潟地区で運用されていた165系によく見られる特徴の一つである。

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JR東海の381系「しなの」とも並んだ。

その後、名古屋行き特急「しなの」が入線してくるが、この「しなの」も、この当時は、383系が臨時列車で走り始めたばかりで、長野発着の列車は、御覧のように381系で運転されていた。この時、165系の隣に入線してきた381系は、JR東海では少数派だった非貫通の100番台車だった。

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古い鉄道写真6 高崎線の塩トラと・・・

10月に入り、あるイベントに備えて、古い写真と当時の記憶、そして今の写真と格闘する日々を過ごしております。本来であれば、真っ先に書かなきゃいけない物もあるんですが、今回は、イベントの準備段階で出てきた副産物(古い写真)を取り上げたいと思います。

時は、1990年の夏のこと。友人達と、ある列車を撮影する為に高崎線の北上尾へ。駅から歩いて数分のところにある踏切付近で待機する。お目当ての列車が来るまで、雑談をしながら、数本の列車を撮影する。当時は、今と違って、デジカメもないから、撮影もフィルムでの撮影となる。限られたお小遣いでは、片っ端から撮りまくると言う事は出来ず、115系の普通列車とか、後に貴重となる列車をまともに撮っていないのが、何とも悔やまれる。それでも、たまたまやって来た貨物列車はしっかり撮っていた。

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EF65 541号機が牽引する貨物列車。

JR貨物高崎機関区所属のEF65 541号機が牽引する貨物列車。機関車の後ろに連なるのは、おそらくトラ70000形だろう。トラ70000形には、小さなコンテナのようなものが載っている。この列車の正体は何だろう。ネットで調べてみると、どうやら神奈川臨海鉄道の横浜本牧駅から渋川までを結ぶ通称「塩トラ」と言う列車ではないかと言う結論に達した。

通称「塩トラ」と呼ばれる列車は、渋川にある関東電化工業渋川工場で使用される工業塩を運ぶ列車で、工業塩を運ぶ無蓋車トラ70000から「塩トラ」と呼ばれていたらしい。工業塩を運ぶ車両は、他にコンテナ車もあり、こちらは「塩コキ」と呼ばれていたそうだが、関東電化工業渋川工場への工業塩輸送は、2003年に終了している。

さて、この日の本当の獲物は・・・

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「パノラマエクスプレスアルプス」と「なのはな」の併結列車。

165系改造のジョイフルトレイン、「パノラマエクスプレスアルプス」と「なのはな」。「パノラマエクスプレス」は、当時の三鷹電車区に所属する展望電車。一方の「なのはな」は、幕張電車区に所属するお座敷電車。用途は全く違うが、165系同士と言う事も有り、過去に何度か併結運転が実施されていた。この日も、これを撮りに出かけたのだが、この撮り方、後方から上り列車が接近していて被りを回避するために、こんな撮り方をしたのだろうか、当時の撮影状況が全く思いだせない。皆さんに、お見せするのも恥ずかしくなるような写真なのだが、2つのジョイフルトレインが併結運転を行った証だと思って御覧いただければ幸いです。

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古い鉄道写真5 田町電車区のクロ157

先日、某サイトで、185系電車と、貴賓車クロ157の事が話題になった。

クロ157は、皇室の小旅行用並びに外国賓客用の貴賓車として、1960年に登場した。登場時は、157系のクモハ157-1+モハ156-1のユニットを牽引車として3両編成で運用されたが、1962年6月の運転時に、牽引車両の電気系統の故障により、走行不能な状態に陥ってしまったため、クモハ157-2+モハ156-2のユニットを、牽引車として追加。以後、157系の2つのユニットに挟まれる形で運用されるようになった。

その後、157系車両の(貴賓車両を除く)全廃により、牽引役を183系に変更するも、1985年3月、183系の田町電車区からの転出により、牽引役が185系に変更される。その際、塗装も185系に準じた塗装に変更し、皇室の小旅行に使用されてきたが、1993年5月の運用を最後に、運転実績が無く、現在では、東京総合車両センター内に保管されていると言う。

そんなクロ157を、過去に一度だけ撮影した事がある。1986年8月23日、当時、中学1年生だった私は、夏休みの思い出にと、185系で行くミステリー列車に乗車した。確か、品川駅発着で、列車名も185系にちなんで「イッパー号」だったと記憶しているが、同列車のルートの中に、田町電車区での撮影会が入っており、その際、このクロ157も展示されていた。滅多に見る事が出来ない貴賓車と言う事で、私もやや興奮気味にシャッターを切った記憶がある。古いアルバムを探していたところ、当時の写真が出てきた。

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田町電車区内で展示されていたクロ157-1。

正面気味の写真となってしまっているが、御覧のように、特別な車両と言う事もあって、ロープで仕切られた状態で展示されていた。今思うと、もう少し右によって側面も入るように写せばよかったのに・・・と思うが、当時の自分には、そこまで考える余裕は無かったのかもしれない。でも、1962年以降は、先頭に立つ事が無かったクロ157を正面から見られるチャンスは、そう多くない筈。そう考えると、この写真でも悪くないのかもしれない。

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メインの撮影会場に並べられた167系・185系・211系。

26年前の田町電車区のスター達が並べられたメインの撮影会場。185系も、まだデビューから5年が経過した程度で、伊豆方面への看板列車として君臨していた。また、一番右の211系は、デビューしたばかり。そんな211系も、今や東海道線からは追われる身となっている。そして、真横を通過する京浜東北線は、当然の事ながら103系。

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当日乗車した185系を品川到着時に撮影。

この日乗車した185系には、御覧のように特製のヘッドマークを掲出しての運転となった。ツアーそのものは、品川駅を出発して、大崎~蛇窪信号場~品川と経由して田町電車区へ。撮影会後、確か横須賀まで往復して終了だったように記憶している。ルート的には単純かもしれないが、あの頃、大崎~蛇窪信号場間は、殆ど通過する事は出来なかった筈。更に、滅多に入れない田町電車区に入れたと言う事で、夏休みの良い思い出になった事は間違いない。

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古い鉄道写真4 西武多摩川線甲種輸送(2000年春)

この3連休は、我が家の地デジ対応の準備に追われておりました。地デジ対応と同時に部屋を整理していましたところ、また古い写真がいくつか出てきました。その中に、2000年の春に実施された西武多摩川線の甲種輸送の写真が少しだけ出ていたので、ご紹介したいと思います。

中央線の武蔵境から是政へ向かう西武多摩川線は、他の西武線と線路が繋がっていない為、車両交換の際には、今も昔もJRの甲種輸送で対応している。この頃は、武蔵境駅の入替も昼間に行われており、八王子~武蔵境間の輸送も、日中に実施されていた。

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JR貨物のDE10に牽引され、八王子へと向かう西武多摩川線用101系車両。(国分寺駅にて)

この頃の西武多摩川線の甲種輸送は、八王子~武蔵境間をDE10が牽引していた。DE10が西武線の車両を引いて国分寺を通過して行くなんて、今では全く想像もつかない。この時、振り向いて後追いの撮影をしていなかった事から、おそらく、背後には東京行きの快速電車が停車していて、後追いが出来なかったのかもしれない。

西武多摩川線の甲種輸送は、この時以外にも、何度も撮影しているのだが、とりあえず、今のところ出てきたのはこの画像のみ。いずれ、多摩川線の甲種輸送の写真が出てきた際には、改めて、弊ブログでも取り上げる予定です。

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