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経過良好、ギブスが外れる

9月28日(火)の出来事。

今日は、午前中仕事を休んで病院へ行く。前日が悪天候だったこと、1週間に一度の大先生の診断日と言うこともあってか、今日の病院は大混雑。1時間半も待たされてしまった。

やっと自分の番が来て、まずはレントゲン撮影からスタート。怪我をした日は、撮影時に足を固定するのも辛かったが今日は痛みが無かった。経過は順調なのだろう。でも、まだ油断は出来ない。

その後、診察室へ呼ばれた。先週に引き続き、またも大先生の診察である。「どうですか?」と聞かれた後、レントゲン写真を見て、「う~ん、骨は順調に回復してますよ。もうギブスは外しましょう。松葉杖も1本で良いんじゃないかなあ。今日からは包帯だけで固定します。」と言われた。嬉しかった。足が軽くなる。風呂も今日から入っていいという。でも、最後に「まだ楽になったからと言ってはしゃいじゃ駄目だよ。」と釘を刺されてしまった。

松葉杖が2本から1本に。右足をしっかり地面について歩ける事がこんなに幸せに感じたのは、生まれて初めてだろう。病院の隣の薬局に行くのも楽だった。薬を貰って、再び病院に戻ってトイレに行くと、トイレの中で大先生に遭遇した。「松葉杖1本でも歩けてるねえ。」と笑顔で言われてしまった。実は、以前より自宅内では1本で歩いていたから全く抵抗は無かった。

明日からは、ピーク時間帯を避けて電車通勤を再開する予定。久々に電車に乗れる。中央線の仮線工事はどうなっているかな。明日の通勤時が楽しみだ。

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職場復帰記念? 西荻窪の美味しい店

9月24日(金)の出来事。

本日より職場に復帰した。月末なので、外せない仕事も多いので、いつまでも休んでいられないのである。暫くは、電車での出勤は難しいと判断され、西荻窪の職場から車で送迎してもらうことになった。また、当面は長時間の勤務は無理と言うこともあり、半日程度の仕事となりそう。1週間ぶりの仕事で少し疲れたが、良い気分転換になった。

さて、今日は職場復帰を記念して、西荻窪周辺の美味しいお店を紹介しよう。

まずは、西荻窪駅北口から徒歩0分のところにある、熊本ラーメン「ひごもんず」である。ここは、テレビや雑誌にも紹介されているので、ご存知の方も多いだろう。私も月に2度ぐらいは通っている。見た目はこってりした感じだが、食べてみると癖になりそうな味。お勧めは、角煮ラーメン(800円)である。その隣の回転寿司も1皿130円均一で結構人気がある。↓

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続いては、西荻窪駅南口近く、みずほ銀行西荻窪支店の角を曲がってすぐのところにある、ちゃんぽん・皿うどんの店「長崎亭」。特にちゃんぽんの味付けが心地よく私のお気に入り。店内には、近くにロケに来た某ベテラン俳優さんのサインも貼ってある。この店の近くには、あの有名な「こけし屋」もある。↓

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最後は、あっさり系のお店。西荻窪駅北口で下車して、中央線に沿って荻窪方向へ真っ直ぐ、西荻中央病院の前を歩いていくと、向かって右側にある「やまぎし」と言う定食屋さん。ここは魚料理のお店で、魚も毎日築地から仕入れてきた物なので新鮮。私は、お刺身の定食が気に入っている。マグロの刺身定食は定番メニューだが、他の刺身定食は、その時のネタによって変わる。まさにその時の運。3ヶ月ほど前には、トビウオの刺身定食を食べることが出来た。近くには、この写真は、夕方撮った物なので、看板の字が消えてしまっています。ごめんなさい。この店の近くには、ナカマ模型という模型屋さんもあるので、鉄道模型をやられる方は、こちらも立ち寄られると良いかも。

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今回は、この3軒を取り上げましたが、西荻窪にはお勧めの飲食店がまだまだ沢山あります。また後日お勧めの店をご紹介したいと思います。


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ありがとう165系

1年前の今頃、JR東日本に残った165系国鉄急行型電車が最後の活躍をしていた。元々、急行型電車の好きな私は、彼らの最後の活躍を追いかけていた。最後まで運転していたのは、越後湯沢~長岡間で運転していた快速「こころ」である。この列車は、NHKの朝の連ドラのロケ地を廻る観光客のために運転されていた列車で、「ムーンライトえちご」で使用されていた165系を転用して運転した。ただ、この列車も、昨年の9月28日を最後に運転を終了。この日をもって、JRの直流急行型電車の営業運転は終了した。

今日は、引退後の彼等を振り返ってみようと思う。

これは、昨年の8月、一般公開された大井工場で撮影したもの。この車両は、「ムーンライトえちご」で使用されていた165系を湘南色に塗り、「佐渡」や「アルプス」などのリバイバル列車に使用された。この時点では、リバイバル運転は終了し、大井工場での展示が最後の仕事となった。この数日後、長野へ帰らぬ旅に出発。この写真、私のお気に入りで、携帯の待ち受け画面にしていたりする。↓

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この写真は、昨年の8月31日に撮ったもの。撮影場所は大宮運転区。(公道より撮影)この車両は、新前橋電車区に配属されていた165系で、通称「モントレー色」と呼ばれていた。同じく廃車になった宇都宮線の115系と並んで解体待ちのところ。ここへ留置されると、必ず数ヵ月後には解体されてしまう。我々ファンにとっては、入って欲しくない場所でもある。↓

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これも大宮運転区。新前橋電車区の165系の中にも、湘南色に復元された車両がいた。この車両たちも、リバイバル急行列車に使用され、最後の花道を飾った。↓

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これは大宮工場での解体中の様子。この光景は、高崎線の車中から見ることが出来る。この姿は、我々ファンとしては大変辛い光景だ。この日は、まだ3両が形を留めていてくれた。最後の姿を記録できた。↓

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地味な存在の直流急行型電車だったが、地域別にオリジナルカラーにしたり、車内をグレードアップしたりして、その時代に合わせた姿で最後まで活躍し、我々の眼を楽しませてくれた。JR線からは姿を消してしまったが、長野県のしなの鉄道には、赤く塗られた169系が3連4本在籍し、今でもJR長野駅まで乗り入れている。また、埼玉県の秩父鉄道には、165系を種車にした3000系が急行「秩父路」として活躍している。(下の写真左側)こちらは、今でも急行料金を徴収して走る急行列車での活躍で、形は違うが本来の姿での運転である。直流急行型電車ファンとしては、彼らの末永い活躍を願いたい。

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なお、今回の文中に載せたJRの現場名は、全て旧名称で取り上げています。組織改正で現在の名称とは異なる部署もありますので予めご承知ください。また、165系に関しては、今後も取り上げていきたいと思いますので、どうぞご期待ください。今回は右足が不自由な身なので、この辺でお許しを。


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松葉杖生活続く

9月21日(火)の出来事。

今日は、仕事を休んで病院へ行ってきた。今日の診断で、この松葉杖から開放されるかどうかが決まる。

何でも今日の先生は、そこの病院に週1回しか来ない大先生だとか。そこの院長と2人での診察なのだが、自分の番が来ると、その大先生だった。

大先生、レントゲンを見て「こりゃあ、派手にやっているね。やっぱりひび入ってますよ。」と言われてしまった。これはショック。全治2~3週間だとか。松葉杖生活継続である。

でも、松葉杖を使っていると、みんな親切ですね。こんな体になってつくづくそう思いました。

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緊急事態 右足首を捻挫する!

9月19日(日)の出来事。

今日は、昼から飯能方面へ出かけて、西武鉄道の巾着田関連の臨時列車を撮影する予定だった。12時過ぎ、駅へ向かおうと自宅を出る。最上階の4階から階段を下りて、マンションの裏口(裏口の方が駅に近い)へ抜ける通路を歩いている時、何かに躓いて転んでしまった。おそらく1階のスーパーの商品(ジュースなど)ケースに絡まったのだろう。メガネを掛けている私は、とっさに両手をついて顔を含めひざから上は無事だった。ところが起き上がろうとすると、右足首が自由に動かない。なぜか通路が濡れていた事もあってズボンはびしょ濡れ。仕方なく痛い足を引き釣りながら4階の自宅へと戻る。

しばらく激痛で何も出来ない。ちょっと様子を見たが痛みもひかない。仕方なく、着替えて病院へ行くことにする。ついていない。小平市内の一橋病院へ電話をする。ここは、ちょっと前まで祖母が入院していた病院だ。とりあえず診てもらえるというのでタクシーで向かうことにした。ここで貧乏症か?駅まで行ってタクシーに乗った方が安いと思い萩山駅へ向かうが、この駅はエレベーターもない。こう言うときにバリアフリーの駅の有り難味がわかる。駅の南口には、いつもタクシーが停まっているはずだが、こんな時に限っていない。いつも常駐しているタクシー会社へ携帯電話を使って電話をする。待つこと5分。タクシーがやってきた。運転士、どうやら最近入ったらしく、病院の名前を言ってもピンと来ない。結局、自分で道を教えることに。

なんとか病院へ着くが、救急車で行ったのと違ってすぐには見てもらえない。なんだか色々と書類を書かされる。まあ、奇麗な事務員さんだから我慢しよう。しばらくすると、中年の看護師さんがやってきた。「とりあえずレントゲンを撮りましょう。」と言われた。レントゲン室へ行くと、20代半ばぐらいの担当者が出てきた。2枚撮影し、しばらく待たされた後、ようやく処置室へ。担当の医師は、自分と同年代か、ちょっと若そうな男性だった。レントゲン写真をじっと見ている。「骨には異常ないなあ。」と言った後、「いや、でもこの影がちょっと気になる。」とドキッとさせるようなことを言っている。医者の話によると、捻挫だと思われるが、レントゲン写真で見ると、遠目で見れば異常はないが、近くで見ると何となく、足首の骨にひびが入っているように見えなくもないと言う。「火曜日にもう一回診察することにして、今日は大事をとって添え木をしましょう。過保護のように見えるけど、最悪のことを考えるとこれが一番。」と言う説明があった。右足がひざから下にかけて、がっちりと固定されてしまう。そして松葉杖が貸されることになった。人生31年目の秋。生まれてはじめての松葉杖生活である。

帰りも仕方なく病院からタクシーである。今度は家の前まで回って貰った。今日ほど自宅がエレベーターもないマンションの4階ということを悔やんだ事はない。1階のスーパーにもすぐ苦情を言っておいた。

皆さんも、狭い道を歩く時は気をつけましょう。

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西武 多摩川線武蔵境駅は今 その2

それでは、今現在の武蔵境駅を御覧頂きます。

これは、今年の8月26日に撮影したもの。電車の横に白い壁、さらにその上には仮囲いのような物が見えます。この仮囲い、高架橋の形に似ているような・・・↓

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続いて、9月6日の画像。一部ではあるが、白い壁が外れて、高架橋が姿を現している。この画像では見にくいかもしれないが、本線側の橋脚は、鉄骨による仮橋脚になっている。何かの動きを予感させます。

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そして、9月15日の模様。白い壁が外れたところにホームらしき物が・・・ ここに仮設ホームを設けるようだ。↓

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電車が停まるとこんな感じ。完全にホームの一部ですね。↓

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こうやって見ると、確実に工事は進んでいる。JR側でも、仮ホームから何やら跨線橋らしきものを作り始めている。これが、西武多摩川線仮設ホームとを結ぶ連絡通路となるのだろうか? 近いうちにはJR中央線の下り線の仮線への移設もあるだろうし、こらから益々目が離せない武蔵境界隈である。


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西武 多摩川線武蔵境駅は今 その1

今回は、西武多摩川線のお話。

西武多摩川線は、JR中央線武蔵境駅から是政までを結ぶ全長8キロの路線。ここは他の西武線とは全く繋がっていないので、車両の入れ替えは、JRの機関車により回送されていた。現在は、JR中央線の連続立体化工事にあわせ、西武多摩川線も武蔵境駅周辺を高架化する工事を開始。その為、JRとの連絡線を撤去して、完全に封じ込めの状態になっている。

高架工事が本格化して約1年が経過。そこで、今回は2回に分けて、これまでの工事の様子を振り返ります。まずは、1年前の武蔵境駅の画像。写真は昨年の9月10日の様子。ちょうど、工事事務所が建った頃。↓

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同じく反対側↓

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続いて昨年9月27日の様子。駅の南北自由通路からの撮影。↓

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この後、普通のカメラでは撮影していましたが、携帯カメラでは今年の春ごろまで、殆ど撮っていないため、文面での説明となります。ごめんなさい。

工事が本格化すると、まず本線の横に白い壁が設置され、ホームからは完全に工事の様子が見られなくなります。
当初、仮設ホームを作ることから始まるのかと思われましたが、実際には違っていました。なんと橋脚を設置する工事が始まったのです。仮線へ移動するだけで2年近くかかっているJRと違い、距離も短いこともあり、西武側の工事はどんどん進んでいきます。

この続きは、その2でお伝えします。

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京浜東北線 レア物を当てる

9月13日(月)の出来事。

前日にアップした「クモヤを作る!」に関連して、仕事を終えてから秋葉原のジーエムショップへ行った。西荻窪の職場からは、下北沢店が近いのだが、あそこの親父は無愛想で、おまけにポイントカードのポイントをなかなか引いてくれない。ちょうど東京駅の書店へ行く用もあったし、秋葉原へと行くことにしたのだ。ここで、クモヤ90タイプにつける床下機器と台車をポイント充当で購入。つり掛け車を作るには、台車や床下機器も買わなくてはならないので、ポイント充当で全て購入できたのは助かった。

さて、お店を出て、秋葉原駅から東京駅まで京浜東北線に乗車。やってきた電車は、浦和電車区第92編成。この編成は、主力209系の基になった901系を改造した、209系900番代車。901系時代はC編成と名乗っていた。この編成の中には、2両だけ、JR東日本自社製造の車両がいる。大船工場、現在の鎌倉総合車両センターで製造されたのだ。そのため、他車と若干構造が違う。↓ 写真はサハ209-922。

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ちょっと画像がわかりにくいかもしれないが、通常の209系は、ドア間の窓は大型1枚窓。この車両は、窓の中央に黒い線が入っていることから、205系のような2枚構造になっている物と思われる。

京浜東北線では、もう一つ、こんなレア物がある。↓

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残念ながら、この日は乗車できなかったが、2本だけ、ちょっとおデブな209系がいる。中央・総武緩行線へ投入された500番代車だ。輸送力増強のために車体幅を広げたのが特徴。本来は京浜東北線用ではないが、京浜東北線のデジタルATC導入に伴う、予備車確保のため、この線にやってきた編成だ。現在では在来車の改造が終わり、増発用車両として、京浜東北線に残留している。ちなみに、通常の209系は下の画像。↓ スリムな車体と比べると、ちょっと太り気味なのがお分かりいただけるだろう。

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模型 クモヤを作る!

9月12日(日)の出来事。

秋晴れとなった今日、どこにも出かけず、家でのんびりとしていた。

そんな時、たまには模型の仕掛品に手を出そうと、重い腰を上げた。手に取ったのは、だいぶ前から仕掛り状態になっている、グリーンマックスのクモヤ143型キットの2両。塗装済みキットなので、作業の手間はそうかからないが、塗装済みなだけに、逆に製作が難しいときもある。手間がかかる作業は、車体のナンバーなどを入れるインレタ作業だろうか。これが場所によっては、なかなか貼り付かないのだ。以前、私の作業力のやる気をなくしたのは、2両のうちの1両を、クリアー(表面保護)を吹き付ける際に、クリアー液が出すぎてしまって、車体に泡が出てしまったことが原因でもある。

気にならない人なら良いが、私は何となく気になってしまう。通常は2両セットだが、下北沢や秋葉原のジーエムショップへ行くと、1両単位でも売ってくれるのだ。そこで当然のように購入。本日は、既にインレタ貼りを終えた。今までなら、ここで表面保護のためのクリアー吹きだったが、今回は失敗ばかりしているんで、表面保護はなしとした。

ふと、ここまで来て、あることを思いついた。完成させるのは2両。しかし、このキットの車体は3両分ある。3両目も再塗装すれば、変な傷跡も感じないだろうと思ったからだ。で、本を見ると面白い車両を見つけた。

その車両はクモヤ90102である。クモヤ90とは、このココログでも画像つきでご紹介したことがあるが、この102号から105号までは、車体もそれまでの改造車とは異なり、クモヤ145タイプの車体を新製し、足回りは旧型車と言う物。クモヤ145とクモヤ143とではそれなりに似ているし、では、こいつをぶどう色(茶色)に塗ろうと思い準備開始。久々の塗装作業だ。しばらくやっていなかったので、昔から比べたら腕は落ちたと思う。そんなに奇麗ではないが、まあまあの状態になった。その結果が下の写真である。3両並んでいるのは、青い車体のクモヤ143と同時進行で作業を進めているためである。

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さて、クモヤ90タイプにナンバーをつける。キットに含まれていたインレタを見ると、102が入っているではないか。この102号は、実は数年前まで、JR東海神領区に配属されていた車両である。これはラッキーだった。

このキットだが、作業を行った後は、こちらでも製作経過をアップしていく方針です。そうでもしないと、いつ完成するか怪しいし。しばらく工作レポートも上げていくつもりですから、皆さん、今後もお付き合い下さいませ。

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西武 プロ野球スト回避が生んだ奇跡

私の地元を走る私鉄、西武鉄道ネタを一つ。

今日は、午後から飯能方面へ出かけた。西武池袋線、高麗駅近くの巾着田の曼珠沙華が咲き始めたので、その見物客の足を確保するために、飯能~高麗間で本日から臨時列車が運転されている。私は、残念ながらボックスシート車の4000系しか撮影できなかったが、飯能駅で出会った友人の話では、引退間近の101系低運車による高麗行もあったという。これは来週も通わなくては・・・

帰り道、その友人が、野球臨を撮りたいと言い出した。今日はプロ野球のストが回避になったので、西武ライオンズの試合が予定通り西武ドームで行われている。デーゲームだったので、ちょうど帰りのお客さんを運ぶための臨時列車が走り始めている時間だ。そこで、私が案内役として、西武球場前方面への狭山線と分岐する、西所沢駅へ誘導する。

17時35分ごろ、西所沢駅3番ホームで観察していると、最新鋭の20000系電車(下の画像)が入ってきた。この20000系は、池袋線・新宿線の両方で見られる車両で、池袋線では10連6本・8連2本が、新宿線では10連1本・8連5本が活躍している。この編成は、池袋線に今年度配属された8連の20157F。回送と言うことは、西武球場前へ送り込んで、池袋行にでもなるのだろう。西武球場前からのひばりが丘行と交換をして発車のようだ。

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そして、しばらくして、ひばりが丘行が4番ホームに入ってきた。入ってきた車両を見てびっくり。池袋線ではもう1本の8連20000系である、連結器カバーつきの20151Fだった。ちょっと画像が見にくいのだが、池袋線に配属されている8連の20000系2本が、この西所沢駅で並んだのである。自分でもこんなツーショットが撮れるとは思ってもいなかった。まさにスト回避が生んだ奇跡である。

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ちなみに、今日のライオンズは、残念ながら勝つことは出来なかったものの、オリックス相手に延長戦まで縺れ込む良い試合を展開したようだ。


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中央線と言えば

昨日の出来事。

皆さんは、中央線と言うと、何を連想されるでしょうか。一時期、人身事故が多発したことがり、中央線と言えば、人身事故のイメージが強いと言う方も多いかと・・・

昨日は、早朝に荻窪駅で人身事故があった。6時前のことだし、私の通勤時間帯には影響が少なかった。だだ、いつものように国分寺駅へ行くと、ホームは人であふれている。いつもの電車は2分遅れ程度の運転だったので、そんなにあふれる筈がない。新宿までノンストップの通勤特快が運休したのかもしれない。10両編成1本分のお客さんがホームに溜まれば、こんなものだろう。

さて、電車に乗り込むと、ダイヤ混乱時にありがちなアナウンスが流れてきた。「三鷹駅から、東京メトロ東西線直通電車をご利用のお客様にお知らせいたします。今朝方の人身事故の影響により、東京メトロ東西線は三鷹からの直通運転を中止しております。ご利用のお客様には、ご不便ご迷惑をおかけいたしますが、中野駅でのお乗換えをお願いいたします。」中央線で通勤している人は、このようなアナウンスを一度は聞いたことがあるだろう。今回は荻窪駅だからまだ解るが、これが八王子駅あたりでの事故でも同じようなアナウンスを聞く。

なぜ、中央線の事故で東京メトロの直通が中止になるのか。以前、知り合いのJR社員に聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。東京メトロ直通電車の乗務員の関係だと。JRへの乗り入れ区間に当たる、中野~三鷹間の乗務員は、中央快速線の乗務員が担当すると言うのだ。それなら、八王子あたりでの事故でも直通が中止になるのは納得がいく。私も中央線での通勤を始めた頃は、これがどうしても納得いかなかったのだが、真相を聞いてみると、JRも大変なんだなあと改めて考えさせられた。

私は、列車遅延の理由で、人身事故と急病人救護は仕方ないと思っている。鉄道会社側も、毎日こんな事を想定して運転しているわけではない。だから、鉄道会社側を攻めるつもりもない。ただ、一つお願いしたいのは、こう言った時の情報の伝達だけは正確にやってもらいたい。そう思うのは私だけだろうか・・・

ちなみに、昨日は、昼頃に豊田駅で信号機トラブルがあったとか。おそらく車両運用は終日乱れたはず。関係者の皆さんは、さぞ大変だったことだろう。

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ムーンライトながら争奪戦

青春18きっぷを愛用されている方はご存知だと思うが、東京から出発する夜行普通列車で、「ムーンライトながら」と言う列車がある。

かつては、大垣夜行と言う名で親しまれた列車で、JR東海の165系急行型電車が長いこと使用されてきたが、老朽化のため、現在は同じJR東海の373系特急型電車(下の写真)に置き換えられ、同時に「ムーンライトながら」と言う列車名になり、全車座席が指定となった。

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10月の3連休、私は名古屋へ行く予定になっている。目的は、鈴鹿F1グランプリ開催に伴う臨時列車の撮影と、名古屋で新しく開業する、あおなみ線と地下鉄に乗ることである。どうやって行こうかと思ったが、このタイトルの列車の存在を思い出した。久々にながら号で行ってみよう。10月8日東京発で出かければ、効率よく回れる。そう思ったら、あれれ、今日が指定席券の発売日ではないか・・・  あわてて、帰宅途中に国分寺駅のみどりの窓口へ駆け込むと、窓口は大混雑。申込書に必要事項だけ記載して列に並ぶも、自分の順番が来るまで30分近くかかった。

担当したのは、ベテランの駅員氏。申込書を見るなり、「う~ん、小田原から自由席になるやつしか取れないかもね。」と言った後、「お客さん、最終的にはどこまで乗ります?」と聞いてきた。私は「名古屋まで乗れればいいよ」と言うと、「いやあ、名古屋で切り離すやつがあるんでね。それじゃあ、大垣まで行くやつを取るようにしましょう。」と、まるで私の正体を知っているかのような返事。(実は、この時点でどこまで乗るか本当に悩んでいた)次の瞬間、駅員氏の顔色が変わった。「ん、残席17。しかも喫煙のみ。何でこんなに混んでいるんだ?」と呟いて、「お客さん、喫煙で我慢してもらえませんか?」と聞かれた。まあ仕方ない。3連休初日の朝に着く列車だし、F1もあるとなれば、みんな考えることは一緒。喫煙でも我慢すると駅員氏に伝え、出てきたのが下の写真のようなきっぷだ。

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5号車9番C席。とりあえず、ボックス席ではなかった。担当した駅員氏も「ボックス席じゃあ寝にくいでしょうから、出来るだけ避けましょう」と言ってくれていたので、出てきた指定席券を見てほっとしたようだった。

さて、問題は10月9日夜の宿泊先。なんでも名古屋のホテルはF1特需で満杯らしい。うちの職場にあった「あんしん財団」提携のホテルガイドを見ると、豊橋駅前の豊鉄ターミナルホテルがあった。今回はここにしようかな。まだ思案中である。


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伊那松島にて

9月4日の出来事の続き。

飯田線の列車で伊那松島と言う駅に降り立つ。上下の列車が交換できる程度の小さな駅だが、実は、飯田線北部の拠点の一つでもある重要な駅だ。無人駅が目立つ飯田線だが、時間帯によって駅員もいる。駅に隣接して、伊那松島運輸区もあり、ここには乗務員が配置されている。かつては、ここに車両も配置されて、伊那松島機関区となっていたが、現在でも、車両を止めておく留置線として面影は残っている。私が訪れた時間帯も、119系が3両留置されていた。

さて、駅を出た私は、駅前の道を辰野方向へと進み、伊那松島運輸区の裏側へと回った。実は、ここには、昔懐かしい茶色の電車が止められている。その電車は、クモハ12と言う車両。クモハ12と言えば、鶴見線のイメージが強いかもしれないが、JR東海にも存在した。国鉄からJRへの転換時に、イベント用として、事業用車両のクモヤ22を旅客車へ再改造して、クモハ12041として、飯田線で「トロッコファミリー号」と並ぶ名物車両として活躍した。時には、車内に畳をひいて簡易お座敷車としても使われたことがある。そんな車両だったが、元々が古い車両だけに、やはり老朽化には勝てず、平成14年2月28日付で残念ながら廃車となった。しかし、廃車となった後も、下の写真でお解りのように、伊那松島運輸区内で静かに休んでいる。それも検修庫内ではなく、運輸区裏側に止められている。この姿は、飯田線の車内からも拝むことが可能。その姿は、まるで孫のような後輩の車両たちの活躍をしっかりと見守っているかのようである。

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伊那松島運輸区から、再び駅へと戻り、次の目的地は箕輪町郷土資料館。駅からは600メートルほどしか離れていないのだが、この資料館まではずっと上り坂。9月とはいえ、まだ残暑の厳しい時期。そんな中での上り坂の連続は、体にきつい。坂を上り終えると、突然、左手に茶色い機関車が見えてくる。箕輪町郷土資料館で保存されているED19 1と言う機関車だ。この機関車、大正生まれのもので、東京機関区・作並機関区などを経て、飯田線へとやってきた。飯田線へ来た当初は、豊橋機関区の配置だったが、最終的には伊那松島機関区へ配属された。ここで現役を引退。廃車後は運良く解体を免れ、この箕輪町郷土資料館へ保存されたのだ。下の写真では解りにくいかもしれないが、しっかりと架線まで貼られていて、パンタグラフも程よい高さで上がっている。

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この後、伊那松島駅へと戻り、岡谷行き電車で飯田線を離れ、上諏訪へと向かった。帰り道は、駅まで殆ど下り坂。往きとは対照的な行程だった。

最後におまけ。

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これは、今年の7月、浜松工場の一般公開時に展示されていたクモヤ90と言う車両である。先にご紹介した、元クモヤ22のクモハ12041と同じような顔をした車両だ。クモヤ22が車体長17メートルに対して、このクモヤ90は、車体長20メートルの通勤車からの改造であることから、似て非なる車両だ。このクモヤと言う車両だが、22も90も、もともとは、運転台の付いていない車両が工場へ入場する際に牽引したりするのが主な役割だった。しかし、最近では入場も編成単位で行われることが多く、クモヤの出番は少なくなってきた。浜松の車両と同一車両かは不明だがクモヤ90も、実は、クモハ12041とコンビを組んで、飯田線の霜取り列車(架線に付着した霜を降ろすための列車)で使われた時期もあった。そんなわけで、今回は、飯田線で活躍した旧型車両のお話の所で、あえてご紹介させてもらった。

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飯田線北部へ行って来た

9月4日(土)の出来事。

この日は、諏訪湖で全国新作花火競技大会が開催された。私は、花火大会関連で運転される臨時列車の撮影で、上諏訪まで諏訪湖フリーきっぷを使って出かけた。諏訪湖フリーきっぷは、往復に特急列車が使えることから、じゃあ撮影の前に、久々にあそこへ行こう!と思い立って、少しだけ飯田線に乗ってきた。

飯田線は、東海道本線の豊橋と、中央本線の辰野とを結ぶ、全長195.7キロのローカル線。国鉄時代、複数の私鉄を国有化して1本の路線にしたことから、駅間距離が短く、線路状態もあまり良くないのが特徴。そのため、全線を直通すると、約6時間もかかる。昭和50年代後半まで、新型電車の投入が見送られ、旧型電車の最後の砦として、全国の鉄道ファンの注目を集めた時期もあった。そんな路線にも、ついに新性能化の波がやってきて、119系電車が投入される。当時は、バラエティ豊かの旧型車両を置き換えた憎いやつと、ファンの皆さんからも思われていたでしょうけど、時代が昭和から平成へ。国鉄からJR東海へと変わった現代では、なかなかどうして、119系もバラエティ豊かではないか。

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写真の119系は、5300番代という車両。飯田線北部では、一部電車のワンマン運転が行われており、それに対応しているのが、この5300番代である。写真では解りにくいかもしれないが、ワンマン化に合わせて、押しボタン式の半自動ドアにしたことから、オリジナル車とは窓配置も異なる。119系には、この他にも両運転台に改造した5100番代車。一時期、東海道本線の静岡地区普通電車「するがシャトル」に栄転(?)した車両もいて、かつての旧型電車ほどではないが、119系だけでも4種類は存在する。それにJR東日本とJR東海の115系が119系をサポートしており、現代の飯田線も実は面白いのだ。

さて、今回は、ワンマン電車で伊那松島まで往復してきた。列車自体は、中央本線の岡谷からの直通である。岡谷~辰野間は、JR東日本の中央本線に属するため、運転士も車掌もJR東日本の乗務員が乗務する。辰野で5分停車する間に、JR東海の運転士が乗り込み、ワンマン運転への準備をする。まず、JR東日本の乗務員と引継ぎをしたあと、乗務員室との仕切りドアを開放状態にして、助手席側にある箱から運賃箱を取り出す。それが終わると、乗客へ向けて車内アナウンスによるワンマン運転の説明。逆方向の岡谷行きでも、ほぼ同じような行程を経てJR東日本の乗務員に引き継ぐわけだから、5分の停車時間はあっという間である。JR東海の運転士も大変だ。

そんな飯田線だが、来月のダイヤ改正で、北部の列車の本数が削減されるらしい。私が乗車した9月4日は、土曜日と言うこともあってか、日中の列車でもそこそこの利用があった。どの程度まで削減するのかはまだわからないが、現行ダイヤでは、ほぼ1時間おきに列車の運転がある。このぐらいは列車の運転があっても良いとは思うのだが・・・ 

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ココログの名称を変えました

ココログ開設して1日しか経っていませんが、諸般の事情で、ココログの名称を一部変更しました。まあ名称が一部変わっただけで、やることは変わりませんのでご安心を。

今後、ここではTOMOと言う名前で出て行きますので、どうぞよろしく。

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JR東海115系の醍醐味

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私の好きな鉄道会社の一つでもあるJR東海。

JR東海と言えば、誰もが思いつくのが東海道新幹線である。もし東海道新幹線がJR東海の物ではなかったら、いったいどんな会社になっているだろうか。そんな中で、私はあえて在来線に注目している。特に東海道本線では、長距離客をほぼ新幹線へ移行し、大幹線である東海道本線は、地域密着輸送に徹している。そんな東海道本線の静岡地区を走る車両の中に、なぜか115系が含まれている。もともと、山岳路線用として設計された115系だが、身延線・御殿場線への313系投入に伴い、老朽化した113系の置き換えと言う新たな使命が与えられた。しかも、寒冷地形の1000番代車を含んだS編成が中心と言う、全く本来の用途に反した使われ方だ。そのS編成の中で、たった1両だけ、デビュー当時の大型ヘッドライトを残す車両がいる。彼の名前はクハ115-188。JR東海の近郊型車両の中で、このような大型ヘッドライトを残すのは、113系を含めても、このクハ115-188のみとなってしまった。私は、静岡方面へ出かける時、いつも彼に会えないものかと時刻表と睨めっこをしながら追跡するが、なかなか会えることが出来ない。この写真は、今年の4月、片浜駅で撮ることが出来た物。今年は運が良いのか、5月と7月にも1回ずつ遭遇している。

皆さんも、静岡方面へ出かけた際には、ぜひ彼のことを思い出してもらいたい。


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ココログを作ってみた

皆さん、はじめまして。

友人たちの勧めもあってココログなるものを作ってみました。もともと、パソコンの知識の疎い自分にとって、ホームページ作成と言うのは、今までに何人もの人から勧められたにも拘らず、煩わしい事から逃げていたんですけど、ココログは簡単だと言われて、いざやって見ると、ここまでは結構順調に作れました。これから、どんなページにしていこうかな? 

とりあえず、自分が一番興味のある鉄道関係が主体となっていくでしょうけど、野球の話などや、今日あった出来事なども入れていきたいと思いますので、お付き合い下さいませ。

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