伊那松島にて
9月4日の出来事の続き。
飯田線の列車で伊那松島と言う駅に降り立つ。上下の列車が交換できる程度の小さな駅だが、実は、飯田線北部の拠点の一つでもある重要な駅だ。無人駅が目立つ飯田線だが、時間帯によって駅員もいる。駅に隣接して、伊那松島運輸区もあり、ここには乗務員が配置されている。かつては、ここに車両も配置されて、伊那松島機関区となっていたが、現在でも、車両を止めておく留置線として面影は残っている。私が訪れた時間帯も、119系が3両留置されていた。
さて、駅を出た私は、駅前の道を辰野方向へと進み、伊那松島運輸区の裏側へと回った。実は、ここには、昔懐かしい茶色の電車が止められている。その電車は、クモハ12と言う車両。クモハ12と言えば、鶴見線のイメージが強いかもしれないが、JR東海にも存在した。国鉄からJRへの転換時に、イベント用として、事業用車両のクモヤ22を旅客車へ再改造して、クモハ12041として、飯田線で「トロッコファミリー号」と並ぶ名物車両として活躍した。時には、車内に畳をひいて簡易お座敷車としても使われたことがある。そんな車両だったが、元々が古い車両だけに、やはり老朽化には勝てず、平成14年2月28日付で残念ながら廃車となった。しかし、廃車となった後も、下の写真でお解りのように、伊那松島運輸区内で静かに休んでいる。それも検修庫内ではなく、運輸区裏側に止められている。この姿は、飯田線の車内からも拝むことが可能。その姿は、まるで孫のような後輩の車両たちの活躍をしっかりと見守っているかのようである。
伊那松島運輸区から、再び駅へと戻り、次の目的地は箕輪町郷土資料館。駅からは600メートルほどしか離れていないのだが、この資料館まではずっと上り坂。9月とはいえ、まだ残暑の厳しい時期。そんな中での上り坂の連続は、体にきつい。坂を上り終えると、突然、左手に茶色い機関車が見えてくる。箕輪町郷土資料館で保存されているED19 1と言う機関車だ。この機関車、大正生まれのもので、東京機関区・作並機関区などを経て、飯田線へとやってきた。飯田線へ来た当初は、豊橋機関区の配置だったが、最終的には伊那松島機関区へ配属された。ここで現役を引退。廃車後は運良く解体を免れ、この箕輪町郷土資料館へ保存されたのだ。下の写真では解りにくいかもしれないが、しっかりと架線まで貼られていて、パンタグラフも程よい高さで上がっている。
この後、伊那松島駅へと戻り、岡谷行き電車で飯田線を離れ、上諏訪へと向かった。帰り道は、駅まで殆ど下り坂。往きとは対照的な行程だった。
最後におまけ。
これは、今年の7月、浜松工場の一般公開時に展示されていたクモヤ90と言う車両である。先にご紹介した、元クモヤ22のクモハ12041と同じような顔をした車両だ。クモヤ22が車体長17メートルに対して、このクモヤ90は、車体長20メートルの通勤車からの改造であることから、似て非なる車両だ。このクモヤと言う車両だが、22も90も、もともとは、運転台の付いていない車両が工場へ入場する際に牽引したりするのが主な役割だった。しかし、最近では入場も編成単位で行われることが多く、クモヤの出番は少なくなってきた。浜松の車両と同一車両かは不明だがクモヤ90も、実は、クモハ12041とコンビを組んで、飯田線の霜取り列車(架線に付着した霜を降ろすための列車)で使われた時期もあった。そんなわけで、今回は、飯田線で活躍した旧型車両のお話の所で、あえてご紹介させてもらった。
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コメント
力作をありがとうございます。伊那松島機関区は何度も訪問しました。静ママという表記も懐かしいです。
豊橋には流電のクモハ52、合造車のクハユニ56がいるように、伊那松島には京阪神、横須賀を激走したクモハ53がおりました。特に007は張り上げ屋根のままでなんとも勇ましい姿でした。
またここにはクモハ40のパワーアップ車、クモハ61がただ一つ残っていました。飯田線ではあまり人気のない車種でしたが、側面に通風器が残るなど、原型を残しているものとして私は気に入っていました。そうそう原型のクハニ67はクハユニに改造されましたが、その後釜900番台もここには残っていました。
投稿: マニ310 | 2004/09/09 00:44