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JR東海 改正後の113系T編成

10月20日(水)の出来事。

「トカゲ」と名付けられた、超大型の台風23号が接近してくる中、勤務終了後に東京駅へと向かった。ダイヤ改正後の東海道線113系の様子が気になっていたからだ。既に台風の影響で、雨も強くなっており、乗車していた中央快速線も、所々で徐行運転が実施されていたので、東京駅へ到着したのは19時近くになっていた。

到着後、東海道線の7・8番線ホームへ行くと、19時5分発の小田原行にT6編成が連結されていた。この編成は、4両とも2000番台車がベースとなっている。JR東海の2000番台車は、化粧板の変更などを行っている車両が多いが、この編成は4両ともオリジナルのまま。車内にも入ってみたが、どこか懐かしい感じがした。

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さらに、この小田原行の発車直前、となりの7番線には、後続の13分発沼津行が入線してきた。この列車にも、T3編成が連結されていた。ほんの一瞬だが、7番線と8番線でT編成同士が並んだ。改正後に、こんな光景が見られるとは、ちょっぴり嬉しかった。

東京口での残留が確認されたT3編成。↓(但し、この写真は17日撮影。)

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なお、友人の話によると、他にもT11編成が東京口で活躍しているらしい。少なくとも、この3本は、東京口での増結運用に使われていることになる。

とりあえずは、改正後も東京口での使用が確認できたT編成だが、彼等の東京口での活躍もそう長くはないだろう。ダイヤ改正では、東海道線にも本格的にE231系が投入された。しかし、宇都宮線・高崎線のE231系へのグリーン車組み込みが遅れていることが原因で、現在では湘南新宿ライン主体の運用となっている。しかし、この宇都宮線・高崎線用のE231系へのグリーン車組み込みが完了すれば、いよいよ本来の活躍舞台である東海道線への進出が始まるだろう。東京駅でE231系が頻繁に見られるようになれば、T編成の出稼ぎ運用も終了してしまうだろう。

東海道線にも本格的にデビューしたE231系。但し、今は湘南新宿ライン主体の運用。↓

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模型運転会を開催する

10月16日(土)の出来事。

今日は、JR東日本・東海・西日本のダイヤ改正の日。首都圏では、湘南新宿ラインの増発などで大きく変化したはずである。当然、私もチェックに行くつもりでいるが、今日は実車ではなく模型で一日を過ごすことに。そう、今日は久々の模型運転会の日である。

今回は、地元の古い友人を中心に6人が集まった。今までは、どこかの貸しレイアウト場へ車両を持ち込んでいたが、今回は、近くの都営住宅の集会場をお借りして、自分達で線路も持ち込んで組み立てて走らせるもの。貸しレイアウト場と違い、レールの設営からとなるが、長い付き合いの友人たちとやる作業は、結構楽しいものである。今回は、単純な複線エンドレスで、それぞれにヤードを持たせた。

さあ、走らせよう。と思ったが、みんなしばらく模型を走らせていなかったこともあり、レールがかなり汚れていた。まずは通電性を良くする為に、レールクリーニングから始まる。クリーニングカーを5週ずつ走らせて、ようやくスタート。みんな、それぞれ自慢の車両を並べ走らせる。こんな時は、30過ぎのオッサン連中も、みんな子供に戻ってしまうから不思議である。私も、仲間に混じり運転を始めたが、まだ怪我した足が時々痛む事もあり、車両をレールの上に載せる作業は、ちょっぴり辛かった。

仲間で模型を持ち合ってやる運転会は、やっぱり楽しい。みんなが持っている車両を持ち合わせれば、時には、大きな車両基地と同じような光景を再現できる。今回も3人が共同で長野県内を走る165系シリーズ並べて、気分は松本運転所(現在は松本車両センター)だ。でも、後ろを走る青い電車は、南海電鉄の関空特急「ラピート」。こう言う並びは、模型ならではの光景である↓

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運転会の後は、集まった仲間で飲み会。久々に、実物と模型の話で盛り上がって、楽しい一日だった。


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JR東海 東京駅から消えるのか?113系静岡車

10月13日(水)の出来事。

夕方、仕事を終えた私は、いつものように西荻窪駅へ向かう。改札を入ってホームへ向かうと、東京行電車が入ってきた。ふと、ダイヤ改正が間近であることを思い出し、私は東京行電車に乗り込んだ。

今週末、10月16日は、JR東日本・東海・西日本でダイヤ改正が実施される。東京近郊では、湘南新宿ラインの大増発を中心に、ダイヤが改正されるが、その中で私が注目しているのが、東海道本線だ。国鉄がJRになって17年。東京駅から出発する東海道本線の昼間の普通列車には、浜松行と言うのもあったが、JRになってからは、一番遠くても静岡までになった。そのパターンが長く続いたが、ついに、今度の改正で、熱海以遠を直通する普通列車が大幅に減少。基本的には沼津までとし、静岡まで行く列車は早朝の下りと深夜の上りの1往復。つまり、「ムーンライトながら」に使用される373系の送り込み列車だけとなる。

私が、東京駅に着くと、ちょうど静岡行がまもなく出発すると言うところだった。ホームへ行って列車を撮るのは間に合わない。慌てて、通路にある発車案内機を撮ることにした。↓

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続いて、東京駅の東海道本線ホームへと向かう。ちょうど夕方の通勤ラッシュの時間帯。主力の113系電車が次々とやってくる。既に、新聞などで発表されているが、JR東日本では、湘南電車として親しまれた113系電車を数年かけて置き換えることにしている。113系は、JR東日本の車両の他に、少数ではあるがJR東海が所有する車両も東京駅へやってくる。T編成と呼ばれる車両だ。東海道本線も熱海から西はJR東海になる。乗り入れの精算運用で、15両編成のうち増結用の4両編成数本にJR東海車が充当されているのだ。しかし、この113系JR東海車も、週末のダイヤ改正以後、東京駅から消えてしまう可能性がある。熱海以遠の直通列車が大幅に削減されること、新型車両E231系の投入が開始されることが原因である。そこで、東京駅から消えてしまうかもしれない113系T編成の最後の姿を撮る事にした。私がホームにいた時間帯、なんと4本もT編成が来てくれた。

グレーのスカートと東京方先頭車の貫通幌が特徴の113系JR東海車↓

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今月から、ようやく「優先座席」になった。それまでは「シルバーシート」を維持。この辺も、JR東日本の113系とは違い、わが道を行くと言う感じがする。「シルバーシート」マークも未だ残っている。↓

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東京駅でT編成同士が並ぶ。こんなシーンは、改正後でも見ることが出来るだろうか。↓

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改正まで残り3日。113系T編成に、どんな運命が待っているのだろうか。

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電卓が壊れる

10月13日(水)の出来事。

私事ですが、今日、10月13日は誕生日。目出度く31歳になりました。もう誕生日を祝ってもらうような歳ではないので、特に何もしない。ただ、平凡な1日で終わって欲しいと思ったのだが、そうはさせてもらえなかった。

私は、経理関係の仕事をやっている。商売道具の中に電卓がある。電卓は、自分の体になじんだ物を使うのが一番理想的で、うちの職場では、みんな自前の物を使っている。私の電卓は、もう13年使っているベテラン選手。学生時代から使ってきた電卓だが、ついに壊れてしまった。

この電卓には、たくさんの思い出がある。学生時代、商業系の学校だったので、文化祭で「電卓コンクール」と言うのがあった。三年生の時から始まった大会だ。各クラスから3名が選出され、私は、この大会にクラスの主将として出ることになった。実は、大会の1週間前に使っていた電卓が故障し、急遽新品を買ったのだった。従って、大会当日までには自分の指に馴染めなかった。まず、いい成績は出せないだろうと、無心で参加したのだが、結果はなんと優勝。自分でも信じられない快挙だった。第1回の大会で優勝したのだから、何となく気分も良い。それからと言うものの、私の体の一部として、就職してからも、この電卓を使い続けた。「0」「1」「2」「3」「+」は、使用頻度が高いせいか、ボタンの字が消えかかっている。「+」なんか、ほとんど消えてしまっている。

壊れてしまった電卓だが、これだけ使うと自分でも愛着がある。思い出がいっぱい詰まっているだけに、捨てられない。今日、仕事の帰りに、新しい電卓を買ってきたが、きっと、この古い電卓も捨てることなく、大切に残しておくことになるだろう。

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JR東海 鈴鹿F1輸送を観察する

10月10日(日)の出来事。

名古屋の新規開業路線、あおなみ線に乗車した話を書いたが、今回の名古屋遠征の目的は、あおなみ線だけではない。鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリの観客輸送を視察するのが本当の目的である。本来なら、夜行列車「ムーンライトながら」で名古屋入りし、早朝から臨時列車を視察する予定だったが、台風の影響により、10日に新幹線による名古屋入りとなった。その為、臨時列車に関しては、午後の分を観察するのが精一杯だった。しかし、午前中だって、F1開催日ならではの光景を見ることは出来る。あおなみ線に乗る前に、この時点で出来ることを消化することにした。

私が、「のぞみ45号」で名古屋へ到着したのは10時16分だった。まず最初に、在来線乗り換え改札口を抜け、11番線へ向かう。お隣の12番線には、10時30分発の快速「みえ3号」がまもなく入線してくる。ホームは、鈴鹿へ向かう客であふれている状態だ。発車5分ほど前に名古屋車両区から入線してきた車両は、いつもと同じキハ75系だが、2両多い4両である。通常は「みえ」に使用されない、武豊線のワンマン運転用キハ75系も動員されていた。

F1輸送で増結されている「みえ」 いつもは2両だ。後方2両は武豊線用だった。↓

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キハ75系の4両運転は、それほど珍しい物ではない。知多半島を走る武豊線は、名古屋からも近く、キハ75系の投入により、現在では、並行する名鉄と十分対抗できるレベルになってきた。朝夕を中心に、土日は日中にも名古屋直通があり、名古屋直通列車では4両で運転されることも多い。しかし、津・松阪方面へ走る快速「みえ」については、通常は2両での運転が主体である。私自身も、「みえ」の4両運転を撮るのは、今回が初めてだった。

その後、JR東日本の183系によるF1観戦ツアー団臨の折り返し回送に遭遇すると言う偶然に気を良くした私は、キハ75系の4連「みえ」の走行写真が撮りたくなった。名古屋の近場で撮影しようと思い、11時8分発の関西線亀山行きに乗り込んだ。313系電車によるワンマン運転の電車だ。名古屋を発車すると、名古屋車両区やあおなみ線を見ながら、近鉄線と並んで走る。しばらくして八田と言う駅に着くが、ここはいつの間にか高架の新駅に生まれ変わっていた。続いて春田という駅に着く。ここは全く新しい駅で、この駅が開業してからは関西線初乗車だった。そこで、今回は、この新駅で下車し、4連の快速「みえ」の走行を撮影。なかなか面白い駅で、単線の関西線は、ここで行き違いをするのだが、列車によっては、この駅を右側通行で通過する列車もある。単線でのスピードアップには、こうした工夫も大事である。「みえ5号」を撮り終えた後は、一旦名古屋へ戻り、あおなみ線を1往復した。

さて、あおなみ線の乗車も終わり、いよいよ後半戦突入である。メインイベントの14系客車によるF1臨撮影である。14系使用の快速は、鈴鹿サーキット稲生発が17時を過ぎており、もう走行写真は無理であるが、朝の運用が終わると、留置場所の関係で、伊勢市へ回送される。ちょうど折り返しの回送が、松阪駅で長時間停車があった。そこで私は松阪へと向かった。その前に、四日市で伊勢鉄道の気動車を撮るため、まずは名古屋14時8分発の関西線亀山行きに乗る。先程と同じ313系だった。四日市に着くと、怪しげなキハ75系4連の回送がいた。これもF1臨へ充当だろう。さらに、伊勢鉄道の気動車を撮影。そして慌しく四日市発14時58分発の快速「みえ11号」に乗車する。午前中の列車同様、この列車も4両編成になっていた。調べてみると、一部の「みえ」を除き、殆どの列車が4両編成での運転だったようだ。さすがはキハ75系。高規格路線の伊勢鉄道をかっ飛ばし、あっという間に松阪へ着いた。

松阪へ着くと、私を待っていたのは、真っ赤なDD51型ディーゼル機関車と、青い14系客車だった。一昔前なら当たり前のように見られた光景だが、今では本当に珍しくなってしまった。

赤いDD51と14系の組み合わせ。松阪にて。↓

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同じ列車を後ろから見る。この最後尾車両はスハフ14形のトップナンバーだ。↓

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その後、駅近くで出発の瞬間を撮り、後続の快速「みえ18号」で名古屋へと引き返す。途中駅で、鈴鹿サーキット稲生発の名古屋行臨時快速を追い越すはずだ。この列車には、キハ11型の5両編成が使われる。通常は名古屋駅へ姿を見せない車両なので貴重なシーンを撮るチャンスだった。ところが、この快速「みえ」が途中駅で遅れが出てしまい、なんと終点まで臨時快速を追い越せなかった。それどころか、名古屋駅手前で信号待ちにより止められ、やっとの思いで動き出したと思えば、なんとキハ11の回送が出て行ってしまったのだ。これは大ショックである。おまけに、キハ11を優先したために、もう1本の臨時快速を撮り損ねてしまった。これには、JR東海では少数派のキハ47型が使われていただけにショックも大きい。

仕方ない。あきらめて、臨時特急の観察をしよう。鈴鹿サーキット稲生~名古屋間では、臨時快速の他に、臨時特急「鈴鹿F1号」が運転されていた。上りは2本(2号と4号)設定され、どちらもキハ85系が使われた。

まず、2号だが、この列車は、名古屋~紀伊勝浦間で運転されている特急「南紀」の表示でやってきた。確かに、「南紀」の臨時列車のダイヤを使っているのだが、これでは「南紀」そのままの状態で、普段より両数が長いと言う程度の差しかなかった。一般客の人は、記念撮影をしている人もいたが、名古屋地区以外の人だろうか。本当に珍しい物を見るような目で撮影していた。

「南紀」表示の臨時特急「鈴鹿F1 2号」 名古屋駅にて。↓

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このF1号だけでは、いつもの「南紀」と変わらない。4号はどうだろうか。少しでも違う形の物を撮りたくて、他のことをしながら待つことにした。待つこと約2時間。4号がやってきた。今度は前と違う。「臨時」表示だった。先頭車も、鈴鹿方が貫通タイプの車両で、前の2号とは見た目も違っていた。待ったかいがあった。

「臨時」表示の「鈴鹿F1 4号」 携帯電話のカメラによる画像なので、ちょっと字が見にくいかも。↓

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今回のF1臨、撮り損ねた物もあり、自分では決して満足な結果には終わらなかったが、逆に期待していなかった物も撮ることが出来た。これはこれで良かったのだろう。とりあえず、DD51牽引の14系が撮れた事が一番の成果だろう。来年もF1臨があれば、ぜひとも撮影に行きたいと思っている。

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あおなみ線に乗る!

10月10日(日)の出来事。

鈴鹿で開催されているF1グランプリに伴う、JR東海の波動輸送と、開業したばかりのあおなみ線の乗りつぶしのため、日帰りで名古屋へ行ってきた。前日の台風22号の影響で、東海道新幹線も運転見合わせがあったせいか、10日の東海道新幹線は大混雑。往復共に自由席利用となったが、経験と感を生かし、座って移動することができた。

私が、名古屋駅あおなみ線ホームに向かったのは、昼過ぎのこと。ちょうど12時15分発の電車が停車していた。4両編成の1000系と言う新型電車で、外観は小田急3000形を3ドア車にしたような感じだ。どうやらトップナンバーの車両に当たったらしい。何となく気分が良い。

発車時刻が来て、運転士が運転席に座りながら、発車ベルを押してドアを閉める。最近はこう言ったワンマン運転が多い。運転士が発車ベルまで鳴らすのは、東急池上線・多摩川線なんかでもやっている方式。都営地下鉄の三田線も駅ごとに発車メロディがなるから、これも同じだろう。一駅目のささしまライブ駅までは、先頭車でかぶりつきをした。元々は西名古屋港線と言う貨物専用線を旅客営業化したので、早速DD51の単機回送とすれ違う辺りは楽しい。DD51を見て満足したわけでもないが、モーター音が気になり2両目に移動。走行音は、外観と違って、ご当地名古屋を走るJR東海の主力電車、313系に良く似ているではないか。そう言えば、乗務員室のドア開閉装置(車掌用)の形も313系にそっくり。小田急3000形もJR東海313系も、ともに愛知県豊川市の日本車両で作られているから、部品や構造に似た部分が出来るのだろう。

元々が貨物線ということもあり、途中区間では貨物ターミナルも存在する。南荒子付近からは、しばらくの間、コンテナ車の行列を見ることになるが、コンテナ車に混じり、国鉄の名入替機DD13と同型車体の専用線ディーゼル機関車の姿も見られる。ここで見た機関車は、塗装までかつてのDD13と同じ物で、とても懐かしく感じた。貨物ターミナルを見た後は、だんだん景色も臨海工業地帯ぽくなってきて、最後はレインボーブリッジのような橋を見ながら、終点の金城ふ頭に到着。なかなか楽しい24分の旅だった。

帰りは、金城ふ頭から最前部に乗車し、荒子川公園で下車。この駅は、名古屋競馬場前から直線で、しかも、午後からは金城ふ頭行が順光で撮影できる。金城ふ頭行を撮影したあと、後続の電車で再び名古屋へ。ささしまライブ駅手前では、名古屋車両区に留置中のDE10や、検修庫から顔を出していた、ドクター東海こと、キヤ95を撮影した。

今回はF1臨撮影が控えていたので、駆け足で乗り潰してきたが、なかなか楽しい路線なので、年末ぐらいにもう一度行ってみようと思っている。最近、貨物列車にもはまっているので、大府・南荒子・富田・四日市・美濃赤坂と巡る貨車巡りも面白そう。さらに、あおなみ線と同じ日に開業した、日本地下鉄史上初の完全環状運転である、名古屋市営地下鉄名城線の初乗りも残っている。次回は、ぜひそちらも乗ってみたい。

荒子川公園駅にて撮影↓

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ムーンライトながら争奪戦 その後

10月8日(金)の出来事。

1ヶ月前、このココログで「ムーンライトながら争奪戦」と題して、同列車の指定席券を取った話をした。10月の3連休に、鈴鹿のF1関連の臨時列車の撮影と、名古屋で開業する新路線2箇所を乗ることが目的で、10月8日夜から出かける予定だった。

あれから1ヶ月。この間、色々な出来事があった。私にとっては、まさかの怪我。さらに怪我が良くなってきた頃には風邪である。ようやく足の状態も、そして風邪の状態も良くなってきたと思ったら、今度は何と台風である。本当についていない。列車自体は運転するらしいが、実際に乗ったとしても、名古屋に着いて活動を初めた頃から台風の影響が出るはず。と言うことで、8日の帰宅時に、指定席券のキャンセル手続きをしてきた。

18時10分、国分寺駅のみどりの窓口に着くと、台風接近中であるにも関わらず、三連休の前日と言うことで、混雑していた。1ヶ月前の9月8日と、ほぼ同じ状況である。自分の番が来るまで15分近く待たされてしまった。ようやく自分の番が来て、空いた窓口へ行くと、1ヶ月前に、指定席券を発券してくれたベテランの駅員さんだった。あの時、いろいろと私を気遣って手配してくれた人に、キャンセルを申し出るのは、何か申し訳ないなあという気持ちがあったのだが、指定券を見せて、キャンセルして欲しいと伝えると、「あっ、これは手数料なしで払い戻します。」と言って、額面どおり510円を返してくれた。私は、列車が運休になったのかと思い、真相を尋ねると、丁寧に説明してくれた。台風22号が西から接近しているために、台風により予定を変更するような場合には、手数料なしで返金するように通達が出ているとの事。そう言う事だったのかと私も納得した。

でも、この日を目標に、足の怪我を治すように我慢してきた自分にとって、まだF1臨の撮影は諦め切れないでいる。特に、DD51+14系のF1臨は、今年が最後かもしれない。幸いにもF1臨は、10日も運転がある。怪我をしたお蔭で、生命保険会社から通院給付金が出ることもあるし、当初の予定では現地で1泊する予定だった筈だし、ならば、その資金を生かして、新幹線を使おうではないか。まだ最終決断ではないが、10日に新幹線で名古屋日帰りを考えている。10日ならば、天気も良さそうなので、明日はじっくり休養して、10日に備えようと思っている。

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松葉杖生活卒業

10月5日(火)の出来事。

今日は週に一度の病院へ行く日。今日は電車で行こうと思っていたが、生憎のお天気になってしまった。おまけに2~3日前から風邪気味だし、ここは無理をせずタクシーで行くことにした。地元の西武タクシーに電話をする。

10分ほどしてタクシーがやってきた。運転士さんは、1週間前、私を病院まで乗せてくれた人だ。運転士さんも覚えていた。先週、この人の車で病院へ行って、ギブスが外れて松葉杖が1本になった。今日も良い事があるかも。そう思いながら病院へ行く。

雨と言うこともあり、今日の病院は空いていた。それでも20分待ち。いつもの大学病院の先生が診てくれた。もう杖はいらないだろう。と先生から言われて、私も安心した。杖の代わりにということで、足にはめる特殊サポーターを用意してもらったのだが、私の足は偏平足なので、このサポーターには合わないんだそうだ。よって、伸縮包帯での代用である。先生が言うには、私のような足は、アメリカ製の靴が良いと言う。本当なのだろうか。

整形外科の診察が終わり、今度は風邪気味なので内科で診察を受ける。看護婦さんから体温計を渡され、熱を測ると微熱があった。数分の診察で終了。薬を出しておくとの事。病院は待ち時間だけが多くて全く嫌なところだ。会計を終えて調剤薬局へ行くと、なんと薬が5種類。5日分との事だが、薬の量の多さに驚いてしまった。その後、職場へ電話をして、今日は仕事を休むことを連絡し、昼食を食べて帰宅した。

さあ、薬も飲んだし、再放送の西部警察も見終わった。これからぐっすり眠ることにしよう。

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西武 低運101系を追う(続)

それでは、10月3日の午後の報告をしておこう。

午前中、飯能で撮影を終えた後、一旦帰宅し、ココログに西武101系関連の記事をアップした。その後、自宅で一休みした後、再び出かけて、横瀬からの池袋行101系特別電車を入間市駅で撮ることにした。

入間市駅を選んだのは、まず特別電車の停車駅であること。そして、ホームにエレベーターが設置されていること。小手指や所沢よりも人が少ないだろうと言うこと。以上の理由からである。実際に現地へ行ってみたら、私以外には2人しか待機していなかった。

午前中、清瀬駅で取った画像は回送列車だったが、この列車は快速急行池袋行である。方向幕も「池袋」を出しており、誇らしげに「快速急行」の種別板もつけている。やはりこっちの方が良い。と言うことで、ココログにも入間市駅で撮影したものをアップしておこう。

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それにしても、松葉杖が一脚の代わりになるとは。今日初めて気がついた。(笑)


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西武 低運101系を追う

10月3日(日)の出来事。

今日は、西武鉄道の鉄道の日イベント、西武トレインフェスティバル2004in横瀬が、西武秩父線横瀬駅近くの車両基地で開催されている。私も行きたいところだが、まだ松葉杖を1本使っているため、今回は行くのをやめた。

今、西武鉄道では、湘南型スタイルの名残である101系低運車が絶滅の危機を迎えている。あれほど西武顔だと思われていた電車も、気がつけば4連9本のみとなった。このうち池袋線には193Fと197Fの2本、新宿線には175Fと191Fと多摩湖線用の225Fの3本、多摩川線には217F・219F・221F・223Fの4本が残っている。このうち、175F・191F・193F・197Fの4本が今年度中に廃車されることが決定している。よって、今年度末には、多摩川線・多摩湖線用のワンマン車を除き消滅するのである。そんな引退間近の101系低運車が、今回のフェスティバルに合わせて、池袋線の193Fと197Fがデビュー当時のカラーに戻して本線を走ることになった。横瀬へは行かれないが、せっかくだから、その列車だけを撮ってくる事にした。

ある人から情報を聞き、池袋への回送列車が停車する清瀬駅へと向かった。この駅はエスカレーターもあり、大変ありがたい。列車が着く10分近く前に到着すると、あまり人は来ていなかったが、何人か知っている顔を見かけた。突然の松葉杖姿で、皆さんからどうしたのかと尋ねられた。やがて、電車が入線。本当にデビュー当時の塗装で懐かしい。今では塗装省略化でグレーの部分が廃止になったが、101系はやっぱりこの色。これが一番似合っている。↓

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この電車は、フェスティバル終了後、しばらくの間は、土日の西武秩父行快速急行に充当されることが決まっている。開通35周年を迎えた西武秩父線のイベントに合わせての運転のようだ。おそらく11月中旬ぐらいまでは、このままの姿で走るだろう。これから先、旧塗装に復元された車両たちが目立つことになるだろうが、残された車両たちの記録も忘れてはならない。新宿線には、かつての冷房試作車の生き残りで、現役最古参の175Fがいる。この車両は、西武鉄道では唯一、ドアのガラスが黒いHゴムで固定されている。屋根上のベンチレーター以外は、一番101系の原型に近い形である。↓

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さらに、安泰だと思われるワンマン対応車も油断は出来ない。唯一本線と繋がっている多摩湖線のワンマン車として225Fがいる。この編成は、武蔵境駅のJRとの連絡線撤去前の最後の甲種輸送で、本線側へ戻ってきた車両だ。多摩湖線には、新101系のワンマン車3本がいるが、所定運用で3編成使うため、1編成は予備車が欲しくなる。今年度は、この多摩湖線用新101系の入場があるはずなので、予備車無しになってしまうから、225Fの今年度中の廃車はないと思うが、これも来年度以降、新車投入により捻出される新101系にワンマン対応工事をすれば、225Fの出番は無くなる可能性が高い。多摩川線に封じ込められた編成たちは、中央線と線路が繋がるまで生き続けるだろうが、こちらは断言できないのだ。今のうちに225Fも記録しておいた方が良いかもしれない。↓

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225Fは、通勤時に4分の1の割合で当たるのだが、運転台が低いので、前方の景色が見えやすく、子供達からも人気がある。玉川上水車両基地配属のため、本線にすぐ入線できるし、出来ればイベント用として残してもらいたいものだ。

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中日ドラゴンズ優勝!

今日は野球ネタ。

私は、中日ドラゴンズの大ファンである。そのドラゴンズが、10月1日に5年ぶりの優勝を決めた。この日はナゴヤドームでの広島戦。ドラゴンズが試合中に、ヤクルトが負けたために、5年ぶりの優勝がその瞬間に決まった。あとは、勝って優勝を決めたい。インターネットの野球速報を見ながら瞬間を待つと、なんと延長12回表で広島の緒方選手が満塁ホームランを打ち勝ち越し。その裏に1点を返したものの試合は負けてしまった。でも、優勝と言う記録は変わらない。落合監督の胴上げが行われた。

私が、中日ファンになったのは、星野仙一監督の影響だろう。就任二年目でしっかりと優勝し結果を残した。あの男気を感じさせる采配は見ていて気持ちよかった。一度退任し、二度目の就任時は、ただ短気なだけでなく、選手を温かく見守る一面も見せ、それはそれで理想の上司的な存在でよかった。中日の監督退任後、阪神の監督に就任し、ちょっと複雑な心境だった。それでも、昨年は阪神を優勝に導き、その時は「さすがだなあ」と感心した。リーグ優勝を決めた時の優勝監督インタビューには感動した。

話を中日に戻そう。昨年のシーズンオフに、来期は落合監督が指揮を執ると報道された時、最初は「えっ?」と思ってしまった。確かに落合は中日に在籍していたが、FAで巨人へ移籍してしまった。何となく中日出身とは思いにくい部分もあったからである。今のままの戦力で戦う。FAでの補強はしない。と言う部分にも、自分だってFAでチームを去っただろうと突っ込みたくなった。まあ、Aクラス入りしてくれればいいやと言う気持ちにしかならなかった。

そして開幕を迎える。開幕投手は、怪我で3年間登板できなかった川崎。これも「えっ?」である。そう思った中日ファンも多いだろう。普通なら川上だろう。これも「オレ流采配」なのだろうか。結果、川崎は途中降板。広島に5点差を付けられる。しかし、ここからが今年のドラゴンズは違った。5点差をひっくり返し、開幕戦を白星で飾る。開幕広島3連戦は、結果的に3連勝だった。続いて巨人を迎える。初戦は黒星。二戦目も9回表に巨人に追加点を浴び、やはり駄目かぁと諦めてしまったが、9回裏、昨年チャンスで打てなかったアレックスが3ランを打ちサヨナラ勝ち。この時、ベンチでは冷静な落合監督が、コーチ陣と抱き合って喜んでいた。これは行けるか?とその時は思ったが、その後、ヤクルトに弱いことが気になった。5月には単独最下位と言う屈辱も味わった。

ところが、6月中旬以降がガラリと変わる。札幌ドームでの巨人との3連戦。1年にこの時期しか北海道に来ない巨人。地元の巨人ファンは毎年楽しみにしているイベントである。当然、巨人も札幌では良い試合をしたいと思うはず。しかし、この3連戦は、なんと中日が3連勝した。この時、私の頭の中には、優勝の二文字が見え始めた。

その後の試合でも、落合采配は見事に決まる。相手チームの右バッターに対し左投手を出してみたり、代打が見事に結果を出す。就任一年目にして名将ぶりを発揮。チームが勝てなかった時も決して選手を攻めない。負けた時は指揮官である自分の責任と記者団に言う辺りは、本当に選手に気配りをする監督だと思った。そんな監督の思いが選手に伝わったのか、6月以降は一度も首位を明け渡すことは無かった。オリンピック後の福留の怪我による離脱もあったが、そんな事は全く影響なかった。

そして、10月1日である。負けはしたものの、地元での優勝を決めた。優勝決定後の祝勝会。ここでも「オレ流」だった。戦ったのは選手だけではない。選手の家族も一緒に戦ったのだからと、祝勝会は選手の家族も招待されていた。当然、監督の夫人も対象である。私は、どうも落合夫人は好きになれないのだが、まあ優勝したから、多少は大目に見てやろう。

さあ、これで日本シリーズへの出場権は獲得できた。ここまで来たら50年ぶりの日本一を目指してもらおう。相手はダイエーか、西武か、それとも北海道日本ハムか。

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電車通勤再開

ギブスも外れて、ようやく身動きが楽になった。

ピーク時間帯を避けながら、電車通勤を9月29日より再開した。毎日電車に乗ることが生活のリズムになっていた私にとって、この11日間は異例の出来事である。元々電車が好きだと言うこともあるが、病院へ通院する時も、タクシーの中から電車を見ると、乗りたくてうずうずしていた。

私の通勤経路は、西武多摩湖線の萩山から国分寺を経由して、中央線で西荻窪までである。中央線では、ちょうど高架工事が行われている区間を通過するため、このところ変化が激しい。11日間乗車していないと、景色もだいぶ違っていた。武蔵小金井駅は、旧上りホームの撤去工事が始まった。東小金井駅は、仮下りホームの柱に駅名票が付けられ、ホームらしくなった。武蔵境駅では、西武多摩川線の仮ホームに屋根が付いていた。通勤電車の車内から見ても、これだけの変化が観察できる。

30日の帰宅時に撮影した武蔵境駅多摩川線ホームの画像↓

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さらに車両観察も楽しい。朝の三鷹電車区には、E231系に混じりながら、国鉄特急色の183系が2本留置されている。毎日見ていた光景だが、11日ぶりに見た時はとても嬉しかった。また、ピーク時間帯を避けていると、中央線もスピードが出る。三鷹からの複々線では、時には駅間走行中の追い抜きも見ることが出来る。30日も東京メトロの5000系を走行中に追い抜いた。子供みたいと思われるかもしれないが、こう言う光景を見ると、何となくわくわくする。

松葉杖を使った電車通勤は、まだまだ辛い。自宅近くの萩山駅は、階段のみの駅なので、友人たちは、萩山駅の階段は注意するようにと言ってくれるのだが、実際に怖いのは、萩山駅よりもJR国分寺駅だ。この駅は、エスカレーターはあるものの、各ホーム上りのみ。ホームへ降りる時は階段しか手段が無い。おまけに、この駅は緩急接続をするため、ホームが島式ホームである。駅側は右側通行と決めているようだが、乗客は電車に近い方を使ってくるため、右側通行が必ずしも守られているわけではないのだ。構造上仕方ないのかもしれないが、出来れば徹底してもらいたいものである。

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