それでは、富山遠征記を少しずつ書いていきます。
今回の遠征の最大の目的。それは2月末でLRT化のために廃線となるJR富山港線の乗りつぶしと撮影である。現在、この富山港線は、JR路線としての最後のイベントとして、金沢総合車両所の475系2本を国鉄急行色に復元して運用している。撮影は、この車両を中心にしたいところではあるが、この富山港線、撮影するにも曲者の路線である。現在の富山港線では、この475系を使用するのは朝と夜のみ。日中から夜間の列車は、キハ120形気動車によるワンマン運転となっているのだ。その為、475系が2本とも運用に入るのは朝のみとなるため、この撮影をするには、早朝もしくは前夜までに富山入りする必要があるのだ。私も、この撮影のために29日夜に富山入りし、撮影は30日に行った。
30日の朝、私は宿泊先の東横インjr富山駅前で朝食を食べた後、富山駅8時1分発の岩瀬浜行きに乗車するために富山駅へと向かった。富山駅の富山港線乗り場は、一番北側の7・8番線。早速ホームに行くと、既にホーム上には475系国鉄急行色編成が2本並んでいた。
富山駅の富山港線ホームに停車中の475系国鉄急行色編成
足元を気にしながら、7番線に停車中の電車に乗り込む。まず、最初に目指すのは城川原駅だ。元々私鉄買収路線だった事もあり、富山港線は駅間が短い。あっと言う間に城川原に着くのだが、ここでアクシデント発生。なんと座席の上に載せておいたEOS kiss デジタルが落下してしまったのだ。この瞬間、生きた心地がしなかった。幸いなことに、雪対策として用意していたレンズフィルターが割れただけでカメラ側には異常が無かったが、とにかくヒヤッとした。
雪の城川原駅に到着した475系。カメラの動作確認を兼ねて撮影。
ここ城川原駅は線内で唯一の列車交換設備のある駅。20年ほど前、旧型国電の73系電車が走っていた頃は、ここに車両基地も置かれていた。今では、その時の面影は殆ど残っていない。私が乗車した列車は交換はなく、そのまま岩瀬浜まで走りとおす。ここで、折り返し列車の到着を待ち、475系同士の交換シーンを撮影すると言う作戦だ。
雪の中、約30分ほど待って、先程の編成が富山行きとなって帰ってきた。ここから撮影再開である。運良く雪も止んできた。
岩瀬浜からの折り返し列車が到着。白熱灯のやさしい光が良い感じ。
そして、富山からの下り列車が到着。国鉄急行色の並びは美しい。
並びを撮った後、富山行きに乗り込んで、下奥井駅へと向かう。実は、城川原へ来る途中の車内で、下奥井駅付近に良い撮影ポイントを見つけたのだ。LRTへの転換に備えて、新しい架線柱の設置工事が進む沿線の中では、比較的綺麗に撮れるポイントなのだ。この列車で現地へ向かった場合、通常では下りの岩瀬浜行きは撮影できないのだが、私が訪れた30日は競輪開催日として、もう1往復、475系による列車が運転されていたので、この撮影が可能となったのだ。
下奥井~越中中島間を行く岩瀬浜行き。
撮影後は、下奥井駅から富山行き列車で富山へ戻り、ここで一旦富山港線の撮影を終了。大糸線へと向かったのであった。
そして夕方、再び富山港線を訪れた。時刻は既に17時を過ぎており、走行撮影は不可能であるが、とりあえず全線通して乗ってみようと言うのが趣旨だ。富山港線ホームへと向かうと、今度は朝と違って可愛らしいキハ120系の単行が停車していた。
富山港線のもう一つの顔、キハ120系による岩瀬浜行き。
このキハ120系は、高山本線と共通運用で、富山港線にはトイレなしタイプの車両が単行運転用として投入されている。朝のラッシュ終了後から富山港線に入り、そのまま夜まで運転。夜のラッシュ時は、475系との交互運転となるので、3連と単行によるワンマン運転ではかなりの落差がある。年末の30日の夜なので、乗客の数も少なく余裕があるのだが、普段は増結するのだろうかと気になり、痛勤形酷電氏が発車前に運転士に話を聞いてみたが、普段の日でも、このキハ120の単行と475系との交互運転なんだそうだ。
このキハ120でそのまま岩瀬浜まで乗り通す。終点の岩瀬浜も、ホーム片面の駅でのんびりとしたムードだった。ここで、折り返しまでの様子を駅の外から撮影する。もうすっかり暗くなってしまったので、大した写真は撮れないが、とりあえず、ひっそりとした終着駅と言う感じは撮影できた。
岩瀬浜駅で出発を待つキハ120系。
ここ岩瀬浜では、折り返しの列車には乗車せず、後続の475系の列車まで待つ事にした。約30分後、先程のキハ120を撮影した場所とほぼ同じ位置から撮影したのだが、なかなか上手くいかず、同じ場所での撮影は諦め、翌日の朝に再度訪問することにした。
岩瀬浜駅からの帰りは475系に乗車。
帰りに乗車した475系は、3両編成と言う事もあり車内はガラガラ。終点までワンボックスを占領してしまった。途中の城川原でキハ120のワンマン列車とすれ違ったが、あちらは結構乗っており格差が激しい。私が富山港線沿線住民なら、この475系で帰宅したいと考えるだろう。
翌朝、前夜のリベンジで、私は再び富山港線に乗車した。痛勤形酷電氏も、カメラの設定ミスで下奥井での走行写真をもう一度撮影するとの事で、彼は私よりも一足早くタクシーで現地入りした。前日の朝と同じく、宿泊先の東横インのロビーで朝食を食べてからホームへ行くと、何人か見覚えのある顔があった。そう、先程まで同じホテルのロビーで朝食を食べていた人達である。後で痛勤形酷電氏から事情を聞くと、彼がロビーへ行った6時55分ごろには、朝食を食べようとしている客が殺到。その殆どがカメラと三脚を持っていたと言うから、富山港線撮影のために宿泊した客が結構いたことになる。私が7時10分ごろ行ったときに、おにぎりが殆ど無かったのはその為だったようだ。
前日と同じ様に8時1分発の岩瀬浜行きに乗る。今度は終点まで乗り通すので、先頭車両への乗車だ。急行型電車特有のモーター音を楽しみながら、のんびりと車窓を楽しむ。前夜には解らなかった臨時駅の競輪場前駅も確認が出来た。岩瀬浜に着くと、駅の外も含めて撮影している人が多かった。私は一人黙々と前夜撮影した場所に立つ。
岩瀬浜駅にて出発を待つ475系の富山行き。
この列車は、折り返し時間が約15分ほどあり、撮影するには充分な時間なのだが、私のように敷地外から望遠で撮影する人は少なく、車両の近くで撮影する人が多いため、撮影チャンスは少なかった。私も何枚か撮影したが、モノになったのは、ほんの僅かだった。それでもフィルムを気にせずに撮影できるのがデジカメ一眼レフの強みでもある。それを充分に思い知った一時であった。
リベンジも達成し、折り返し列車で富山へと戻る。これが私にとってのJR富山港線最後の乗車となるだろう。次に訪れる時は、LRT化後になる。LRT化後にもう1回乗りに来よう。そう誓いながらJRの富山港線に別れを告げたのであった。
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