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寝台列車初体験 急行「銀河」で関西へ

それでは、これから少しずつ関西訪問記を書いていきます。

8月10日の夜から13日の夜まで、関西方面へ出かけてきた。主目的は、今年より関西で開催されることになった鉄道模型イベント「JAM」の見学である。初日の11日の朝に関西に着くように、寝台急行「銀河」を利用してみた。実は、私自身、寝台列車に乗るのは、これが初体験。偶然にもミッチーの気分はさくらいろのミッチーさんと同じ列車、同じ車両になり、早速、東京駅でお会いした。

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寝台急行「銀河」で関西へ。

「銀河」は、東京駅を23時ちょうどに出発する。乗り場は9番線。入線してくるのは、出発の5分前で何とも余裕が無い。飲み物を事前に購入していたので、そのまま車内へ。既にお隣の下段の方は乗車しており、一人旅の女性客で、「こんばんは」と挨拶された。そんな事をしていたらすぐに出発。横浜到着前に車掌さんによる検札があった。検札を終えて、そろそろ寝る仕度に入る。寝酒に購入したビールを飲んでいると横浜駅に停車した。ここからも乗車する人が多い。その中に見覚えのある方がいた。ロンちゃんの愛称で親しまれた、元TBSアナウンサー、吉村光夫さんだ。2006年2月までJAMを主催する「NPO法人 日本鉄道模型の会」の会長を務めていたのだが、会長を辞任しても、初日には顔を出すと言うことなのだろう。もう79歳になられるそうだが、お元気なようだ。

ビールを飲み終わり寝床へ。さて初体験の寝台車で眠ることが出来るだろうか。小田原を出た辺りからうとうとと眠くなってきた。そのまま眠りにつく。深夜目が覚めると静岡だった。ここでトイレへ。再びベットに戻って眠る。このまま5時頃まで眠れたのだが、岐阜駅到着時に両足がつってしまって痛みで目が覚めた。それからと言うものの横になっていても辛くて、5時半ごろ、通路のいすに座ることにした。ちょうど垂井付近を走行しており、関が原越えの特殊な線路配置を確認できた。そして米原までこのいすに座って再びベットへ。少しは足を動かしたので楽になってきた。ベットでは大津到着まで横になり、京都辺りで洗面場へ。洗面を済ませるともう降りる準備をしなくてはならない。荷物をまとめて、終着の一駅手前である新大阪で下車。ここで、痛勤形酷電さんと合流して、少々撮影の後、大阪駅へと向かったのであった。

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コメント

TOMOさん、どうもです。寝台車初体験ですか。意外ですね。僕が初めて寝台車に乗ったのは高校の時ですね。列車は同じ「銀河」で大阪から東京まで乗りました。垂井付近(正確には東海道下り本線)の車窓風景を楽しまれたようで。以前はさわやかウォーキングの臨時で113系のかぶりつきを楽しんだことがあります。次回、来られるときは関ヶ原始発の列車に乗って垂井線を走る上り列車も体験してもらいたいです。

投稿: ハンドル | 2006/08/14 23:23

 こんにちは、TBどうもです。
ちなみに、私の寝台車初体験は、同じく銀河で、約10年程前の「天賞堂50周年記念号」運転に際し、同社より招待されて上京した時に、乗車しました。
 今でも鮮明に記憶しているのは、米原までは非常に丁寧だった運転が、米原で機関士が交代した直後から「引き出し」と「減速」が荒くなり、熱海位まで一睡も出来なかったことでしょうか?
 やはり、日頃から「カマ」に余り触れない機関士が、東海には多いのでしょうか?!
 足の攣りで寝られなかったことを除き、乗り心地はどうだったんでしょうか?

投稿: 痛勤形酷電 | 2006/08/14 23:42

ハンドルさん、痛勤形酷電さん、コメント有難うございます。

ハンドルさん>
先日のJAM会場ではお世話になりました。お陰様で楽しいひと時を過ごす事ができました。
関ヶ原始発の上り列車、そう、これはまだ乗っていませんでした。「ながら」で名古屋方面へ行ったときは、是非乗ってみることにします。

痛勤形酷電さん>
寝台車そのものの乗り心地は悪くないのですが、やはり駅発着時の衝撃が多いですね。今回は東海だけに限ったことではなく、東京から大阪までの全区間で言えることでした。JR東海は、もともと客車列車が少なく、機関車を運転しないと言うイメージが強いですが、今、客車列車の定期列車が、夜行列車以外に無いと言う点は、JR東日本も西日本も同じです。どの会社の運転士さんも普段は電車の運転が多いでしょうから、仕方が無いのかな?昔は、確かに静かな走り出しをする人が多かったなんて言う方も、よくいらっしゃいますよね。

次からは、大阪まででしたら新幹線にしたいと思います。

投稿: TOMO | 2006/08/15 01:07

いつも楽しく拝見しています。萩山のお隣、八坂周辺で幼少期を、中央線沿線で少年期を過ごした同世代の者です。

吉村光夫さんに遭遇されたとのことですが、勤務先のお隣、荻窪のタウン誌「荻窪百点」に現在も吉村さんのエッセイが連載されていますよ。機会があれば一度ご覧ください。

投稿: SR/LR | 2006/08/15 02:06

SR/LRさん、コメント有難うございます。

私と同世代の方となりますと、「まんがはじめて物語」を見て育った世代ですね。

荻窪百点と言うタウン誌については、恥ずかしながら全く知りませんでした。西荻窪に通うようになって8年は経過したんですが、まだまだ知らない事だらけですね。機会がありましたら一度読んでみたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: TOMO | 2006/08/15 23:15

かなり以前のコメントへの再レスをどうかお許しください。
吉村光夫さんがご逝去されました。本日(2011.01.09)通夜、明日葬儀とのことです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


年末年始に荻窪に帰省した折り、なじみのカメラ屋にある荻窪百点を入手したところ、氏の連載が掲載されていなかったのでどうなさったものかと訝しんでいた矢先でした。

しかし、わずか4年半前のこの記事、もう乗れない銀河の乗車体験が綴られていて興味深いですね。25年くらい前に東京口のブルトレがEF66化された頃、趣味誌の乗車体験記に載っていた、嬉々とした笑顔が想い出されます。 合掌

投稿: SR/LR | 2011/01/10 00:45

SR/LRさん、コメントありがとうございます。

吉村光夫さんの訃報については、私も正直驚きました。そして、一報を聞いた時に、この記事で取り上げた、急行「銀河」の車内でお見かけした事を思い出しました。あの時、少しでも声をかけてご挨拶していればよかったなあと思ったものです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿: TOMO | 2011/01/12 03:11

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