お待たせいたしました。それでは30000系甲種輸送撮影記の続きです。
いよいよ西武線内上陸となった27日は、朝から大忙し。奥むさし駅伝の臨時列車を見て、さらに多摩湖線の225Fの撮影をこなした後に、秋津で昼飯を摂った。ここで、古レール研究家のふずりなさんと合流。JR線内へ行くか、西武線内へ行くか悩んだ末に、結局は西武線内を走るE31重単回送の撮影へと向かった。
E31自体、去就が注目されている中、日曜の午後に運転と言う事で、所沢から先の各駅では、カメラを持ったファンが待ち構えていた。とりあえず、ファンが少なめな駅と言う事で選んだのが武蔵藤沢である。この駅の飯能方は陸橋があり、これが背後に入るからと言う事だろうか、今回もこの駅のホームは人も少なめであった。上り列車1本で練習をして、続いてやってくる列車が、E31の回送であった。列車接近放送を聴いてカメラを構えた。
30000系甲種輸送追跡2日目。まずは30000系を迎えに行くE31を撮影してみた。
出番がすっかり減ってしまったE31だが、このところ出動するのは、E31+E34のペアとなってしまった。E31は4両在籍しているが、残りの2両(E32・E33)は休車扱いなのだろうか。
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お待たせいたしました。それでは、これより、西武鉄道30000系の甲種輸送を撮影記を書いていきます。
1月27日、私はJR東海エリア内を走る西武鉄道30000系の甲種輸送列車を撮るために、静岡方面へと出掛けたのだが、JR東海エリアに入ってすぐ、EF64 2牽引の工臨に遭遇。そのまま工臨を追跡し、用宗駅でEF64 2号機の単機回送を撮り終えた頃には、もうクタクタとなってしまった。しかし、本番はこれから。もう1回気合を入れなおして、焼津駅へと向かう。
道中、ホームライナー浜松5号さんより、この時間帯の焼津駅は、お天気が良いとマンションの影が出てしまい、台無しになってしまうと聞いた。天気は微妙な按配。現地へ着いてみないと全く解らないと言う不安な状況の中、焼津駅に到着すると、マンションの影は無く、一安心。さらに、ホームの東京方には誰もいなかった事から、撮影がとてもしやすい状態となっていた。私は、早速撮影準備を開始する。そして待つ事およそ15分。前方より、EF66に引かれた30000系が、ゆっくりと焼津駅構内に入ってきた。
EF66 112号機に引かれ、西武30000系が焼津駅に到着。
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今日の夕方、国分寺駅で多摩湖線の225Fを撮影しようと思っていたのだが、私が国分寺に到着すると、タッチの差で225Fは出発してしまった。そこで、時間つぶしのために再びJRのホームへ。上りホームで気になることがあったので、それを調べながら暇を潰す。暫く観察していると、1番線に201系H3編成による豊田行きが入ってきた。201系を久しく見ていなかったので、なんだかとても懐かしく感じた。この列車は、国分寺で通勤快速河口湖行きとの待ち合わせをするのだが、やって来た河口湖行きも201系H7編成!私はカメラを取り出し、201系同士の緩急接続シーンを撮影した。
今日の夕方、国分寺駅で201系同士の並びを目撃。
1年前、いや半年前までなら、当たり前のように見られた201系同士の緩急接続シーン。今やE233系ばかりが目立つ状況だけに、こんなシーンを見たのはいつ以来だろうか。背後には、E233系の青梅特快東京行きが迫っていた事、さらにはコンデジでの撮影と言う事で、あまり良い画像ではないが、とりあえず今日はこんなシーンが見られたと言う記録が撮れたので自分自身は満足である。
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いよいよ引退まで残り1週間となった西武多摩湖線の225F。西武鉄道の公式サイトでも、28日から引退記念マークを掲出しての運転と発表されていたのだが、予定より1日早く27日より、ヘッドマークの掲出が始まった。
この日、私は朝から奥むさし駅伝の臨時列車撮影のため、芦ヶ久保へと出掛けていた。1本目の臨電の回送を撮り終えてから、携帯で情報をチェックした際に、多摩湖線で225Fが営業運転に就いている事を知った。朝、出掛けてくる時は、261Fが停まっていたので解らなかったのだが、とりあえず、お昼過ぎには入庫してしまうだろうと予想は出来たので、2本目の臨電を撮り終えてから、急遽地元へと戻ってきた。
11時過ぎ、萩山駅に着くと、ヘッドマーク掲出の情報を嗅ぎ付けたファンがかなり目立った。先週までとは明らかに違う。とりあえず、萩山駅で停車中の225Fを撮影してから、国分寺まで乗ってみることにした。
予定より1日早く、27日より引退記念ヘッドマークの掲出が始まった西武多摩湖線の225F。
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既に、西武系のブログでは、30000系の甲種輸送の件が続々とアップされていますが・・・
前記事でお解かりの通り、私も昨日から今日にかけて、30000系第1編成の甲種輸送を撮影しています。本来であれば、弊ブログでも本日アップする予定ではありましたが、諸事情により、明日以降に延期となります。弊ブログをご覧の西武鉄道ファンの皆様、お待たせして申し訳ございません。気長にお待ち頂ければ幸いです。
東海道本線焼津駅で撮影した、西武鉄道30000系第1編成。下松から新秋津まで、レオ車掌とコバトン車掌が乗務していました。
この場所でも撮影。良い場所で気に入りました。
詳細記事は、前編と後編に分けて公開予定です。
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今日は、西武鉄道30000系の甲種輸送を撮影するため、JR東海エリアまで出掛けてきた。朝7時過ぎ、家を出発し、小田急ロマンスカーで小田原へ。そして、小田原から東海道本線に乗り継ぎ、途中で貨物列車でも撮りながら、30000系を出迎えようという計画だった。
9時45分頃、熱海駅に到着する。列車の待ち時間の間に携帯電話を使って、「鉄道ネタ情報見たままSNS」で確認すると、EF64 2号機牽引の工臨が、東海道本線を走行している事を知った。目撃された時刻と場所から推測すると、どうやら函南で出迎える事ができそう。そこで、まずは西武30000系を出迎える前に一仕事。JR東海の工臨を撮影する事にした。
熱海駅から静岡行き普通列車に乗り込み1駅。函南駅に到着すると、EF64 2号機牽引の工臨がちょうど入線してきたところだった。まずは下車してホームの熱海方先端へ移動。後ろ向きではあるが、到着したばかりの工臨編成を撮影する事にした。
西武鉄道30000系甲種撮影に出かけたところ、函南駅でEF64 2号機牽引の工臨と遭遇した。
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さて、23日は、笹塚から戻ってきた後、新宿で食事を摂り、今度は池上線沿線の会社へ向かった。現地で2時間半ほど仕事をして、そのまま直帰扱いとなったため、久しぶりに池上線で蒲田まで乗ってみた。目的は、昨年末にデビューした新型車両7000系に乗ること。弊ブログでは、甲種輸送の模様を取り上げたが、それ以降、実車を目撃した事がなかっただけに、行く時から、見られたら良いなとは思っていたのであった。
とりあえず、蒲田へ向かったのは、多摩川線での運用を視野に入れていたのだが、蒲田駅に到着してから30分ほど観察していると、蒲田到着時に停車していた多摩川行きの車両が、蒲田へ帰ってきてしまった。と言うことは、多摩川線では運用されていない。そこで、携帯で情報を収集してみると、ちょうど池上線で運用中で、五反田を出発した所だと知る。となると、蒲田まで20分ほどは掛かる。駅前のユザワヤで暇をつぶしてから再び池上線ホームへ。車止め付近で待機していると、前方よりHIDのライトが見えてきた。新7000系とようやく対面を果たす。
昨年末に営業を開始した、東急池上・多摩川線用新型車両7000系。甲種輸送時以来、一度も見たことが無かったが、1月23日の夕方、池上線で運用に就いていた7102Fを捕らえる事が出来た。
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昨日は、朝から雪が降る寒い1日となったが、仕事で2社を訪問しなくてはいけなかった。どちらの会社も1週間以上前からスケジュール調整をして、この日に訪問する事になっていたので、天気が雪だからと言って変更する事はできない。
まあ、電車は動いているし、何とかなるだろう。私は10時20分頃、事務所を出発。まずは笹塚へ向かう。中央線で新宿へ行き、そこから京王線に乗り換えるが、ちょうど笹塚に停車する列車が10分近くない。かと言って新線新宿駅へ行くのもしんどいし、このままホームで待つ事にしたのだが、ホームを見渡すと、停車していた準特急を見て、鉄の血が騒ぎ出した。とりあえず、準特急の発車する3番ホームへ移動する。
昨日は、仕事で笹塚へ。京王線新宿駅に立ち寄ると、6000系の準特急と遭遇した。
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今日の東京は、この冬一番の寒さとなり、朝から雪が降る寒い1日となった。
引退まで残りわずかとなった西武多摩湖線の225Fは、今朝、一橋学園折り返し運用に就いていた。雪の中を走る225F、しかも一橋学園折り返し列車となると、ちょっと撮っておきたいと言う気持ちになる。そこで、今朝はいつもより1本早い列車で萩山を出発し、一橋学園で225Fを撮影。さらに、225Fで国分寺へ向かうと言う計画を立てた。
朝7時45分、家を出発し、足早に駅へと向かう。いつもより1本早い7時52分発の国分寺行きに乗り込み、一橋学園駅で下車。この時、外はかなり雪が降っている。小降りならば、国分寺方向へ少し歩いて踏切からとっても良いかなと思ったのだが、結局は、改札前の屋根付き構内踏切から、入線してくる225Fを撮る事にした。
この冬一番の寒さとなった今日の東京地方は朝から雪。そんな中、今朝の225Fは一橋学園折り返し運用に就いた。
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駅構内の地中から空洞が発見され、エレベーター工事が大幅に遅れている萩山駅。工事の遅れと合わせて、弊ブログでの工事状況のレポートもすっかりサボり癖がついてしまったが、ここへ来て少しだけ変化が出てきたので、久々の工事レポートをお伝えします。
1月20日、萩山駅構内の一部の架線柱が新しいものに交換されていた。この架線柱の交換は、駅改良工事に合わせて実施される予定だったのだろうけど、工事の遅れに伴い、架線柱の交換が先になってしまったのかもしれない。
エレベーター工事が大幅に遅れている萩山駅。この度、駅構内の一部の架線柱が新しいものに交換された。
この架線柱の交換は、既存の架線柱のすぐ近くに新しいものを建てており、1週間前には、既存の架線柱と新しい架線柱が隣り合わせに建っていると言う状況であった。
ほぼ同じ場所で1週間前に撮った写真。この時、既存の架線柱の手前に新しい架線柱が建っており、切替を待っていると言う状況であった。
ところで、ここへ来て、萩山駅の北口側で駅舎に作業用の足場を設置する作業が進んでいる。遅れていたエレベータ工事がようやく再開される事になるのだろうか。地元民として温かく見守っていこうと思っている。
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2月3日のラストランまで、残り2週間を切った西武多摩湖線の225F。18日から3日間、多摩湖線の運用に入った。ちょうど土日に重なると言うことで、我が地元、多摩湖線沿線も大勢のファンが訪れたようである。
昨日、地元民の私もお天気に誘われて、多摩湖線の225Fを撮影しに出かけた。昨日は301運用のため午前中が勝負となる。10時頃家を出て自転車で出かけようとするが、不運なことに後輪がパンクしていた。そこで、電車で出かけることに。259Fの国分寺ゆきに乗り込み一駅、青梅街道駅に降り立つ。駅はいつもと変わらず静かだ。しかし、改札を出ると目の前には警察官の姿が。駅前の青梅街道で事故でもあったんだろう。そのときはそう思った。ところが、撮影地を目指し線路沿いの道を歩くと、片側車線が仕切られていることに気づく。そして前方からたすきを掛けたランナーが近づいてくる。なんと、この日は小平市の市民駅伝大会の真っ最中だったのだ。警察官が警備をしていたのはこの為である。まあ、撮影場所は歩道だし、ランナーの邪魔になる事はない。225Fの萩山行きを撮影することにした。
引退まで残り2週間を切った西武多摩湖線の225F。1月20日は、301運用に入っていたので、一橋学園~青梅街道間で同編成を撮影してみた。
この後、国分寺方にある中央図書館前の一橋学園3号踏切に移動し、225Fの国分寺行きを撮影するが、ちょうど図書館前がゴール地点だったようで落ち着かない。撮るには撮ったが光線状態がイマイチだったこと。そして西国分寺での撮影予定時刻も迫ってきたことから、一度この場所から撤収。昼頃もう一度立ち寄り、入庫前最後の2往復に全てを賭けることにした。
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1月も今日で20日が経過。毎年、この時期は、成田や鎌倉・高尾へ向かう初詣臨を必ず撮影しているのだが、今年は、まだ成田線内で485系を撮っただけ。鉄道ダイヤ情報を見ると、今日は成田臨が2本、鎌倉臨が1本運転されている。他の予定を考えると、11時前に西国分寺を通過する鎌倉臨が撮影可能ということが解った。
そこで、今日は、この鎌倉臨を撮影する事にした。そう思った矢先、自宅でメールをチェックすると、弊ブログの読者の方より、この列車に関する目撃情報が届いていた。この鎌倉臨には、大宮総合車両センターの183系が使用されることになっており、大宮の183系には、しっかりと「初詣」と言うヘッドマークが入っている事を、2007年1月22日付記事でも紹介しているのだが、頂いた目撃情報によると、今回は「団体」幕での運転とのことだった。1年に1度撮れるかどうかのヘッドマークなので、この情報を見た時は残念だと感じたが、国鉄特急色車両での運転と言う事で、気を取り直して西国分寺へと向かう。現地に到着すると、武蔵野線下りホームの先端は、同業者が集まっている。私は、その集団の少し後ろからカメラを構えて、列車の接近を待った。それから、およそ3分後、前方より183系がゆっくりと接近してきた。
今日は、大宮総合車両センターの183系OM101編成による鎌倉臨の撮影からスタート。
ご覧のように、鎌倉臨に充当されたのは、大宮総合車両センターの183系OM101編成。シンボルマークが付いた先頭車が先頭に立ってくれたのは嬉しかった。
後ろ側はシンボルマークの無いタイプだが、よく見ると先頭車改造車のクハ182だった。
大宮総合車両センターの183系国鉄特急色編成は、3編成とも前後で先頭車のお顔が微妙に違う。この辺りは、状態の良い車両を残すために、このようなアンバランスな結果となってしまったのだろうけど、出来れば、前後共にシンボルマーク付きの車両にしてほしいと思うのは、私だけだろうか。
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今日は、青春18きっぷの最後の1回分を活用し、静岡方面へ出掛けてきた。私にとって久しぶりのJR東海静岡支社エリア。とりあえず静岡まで往復してみた。キヤ97の試運転も始まっているようだが、土曜日と言うこともあって、キヤ97に出会う事はなかった。
14時頃、富士駅に立ち寄る。暫くここで撮影をしていた。ふと身延線に乗りたくなり、富士宮まで往復してみる。そして車内から富士山が見えてきた。頂上付近に雲が掛かっているものの、良いお天気だった事もあり、とても綺麗に見えた。そこで、帰りに竪堀駅で途中下車。有名撮影地である潤井川鉄橋に行ってみることにした。
竪堀駅から歩く事およそ10分少々。潤井川鉄橋に辿り着くと、既に先客が1人。私は、その方の横でセッティングを開始。この時点で15時45分。今の時期だけに、日没までは1時間少々しかないだろう。とりあえず、撮れるところまで撮る事にした。まずは3564Gからスタート。
身延線に乗っていたら、車内から富士山が綺麗に見えたので、潤井川鉄橋へ来てみた。西富士宮からやって来た3564Gより撮影開始。
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本来であれば、関西ネタを書かなくてはいけないのですが、また地元ネタに浮気してしまいました。
18日、仕事を終えてから野暮用で都心方面へ。19時45分頃、東京駅まで戻ってきて中央線のホームへ上がると、ホームは人でいっぱい。疲れたし座って帰りたいなあと思っていたら、ホームの発車案内機の表示に「中央ライナー」の文字を見つける。「中央ライナー」は、東京から八王子・高尾を結ぶ座席定員制のライナー列車。兄弟列車に青梅線へ乗り入れる「青梅ライナー」があるが、どちらも183系・E257系と言った特急形車両を使うので、とても快適。でも、この列車は国分寺に停まらない。普段は乗らないのだが、3月のダイヤ改正で、この「中央ライナー」から、183系が撤退する事を聞き、一度は乗っておきたいという気になっていた。そこで、今日は思い切って「中央ライナー」に乗ってみよう。勇気を出して、整理券発売機に500円を投入。無事に4号車の座席をゲットした。
私は東京駅に停車中の183系の姿を撮ろうと、まずは1号車付近で待機。発車4分ほど前になって、国鉄特急色の183系が入線して来た。
3月のダイヤ改正で「中央ライナー」から183系が撤退する事になった。そこで、今日は都心方面へ出掛けた帰りに、183系が使用される「中央ライナー」に乗ってみることにした。
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では、再び関西遠征記に戻ります。
12月30日の朝、一旦ホテルへ戻り朝食を摂ってから、再び摂津富田へと戻ってきた。ここでの撮影目的は、485系の「雷鳥」である。
関西と北陸主要都市を結ぶ特急「雷鳥」は、長い間、北陸本線の看板列車として君臨してきた。現在では、681系・683系による特急「サンダーバード」に押され気味の状態で、「雷鳥」は、1日8往復程度の運転となってしまっているものの、全国的にも貴重となった国鉄特急色の485系で運転されている。そこで、今回の関西遠征時には、485系の「雷鳥」も撮影対象としていたのだ。
淀屋橋の東横インを出庫し、再び摂津富田に戻ってきたのは、9時30分頃の事。まずは、489系ボンネット車による臨時特急「ふるさと雷鳥」が先にやって来る。489系ボンネット車自体は、急行「能登」で上野まで乗り入れており、平日の夕方には、上野発の「ホームライナー」にも使用されていることから、私のような関東在住のファンから見ても、それ程珍しいものではない。しかし、日中の撮影可能な時間帯に走行写真を撮る機会は、関東でもあまりない。その為に、ここは確実に撮っておきたいところである。先程の「なは・あかつき」と異なり、今回は先客が2名待機していたが、話しかけてみると、先客のお2人も関東からの遠征組だった。先行する223系新快速で練習をして、「ふるさと雷鳥」の通過に備えた。そして、他の列車に被られる事なく、489系「ふるさと雷鳥」がやって来た。
再びやって来た摂津富田では、特急「雷鳥」を撮影。まずは、489系ボンネット車による臨時特急「ふるさと雷鳥」からスタート。
ヘッドマークが「臨時」と言うのが少々残念なところ。数年前までは、定期列車の「雷鳥」にボンネット車が入っていたので、「雷鳥」のヘッドマークはある筈なのだが、あえて「臨時」と言うヘッドマークしか掲出しないのは、何か「大人の事情」と言えるようなものがあるのだろうか。
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さて、三連休最終日の14日は、今住んでいるマンションの契約更新のため、東大和市内の不動産屋へ行く予定となっていた。前日、模型運転会に参加された貨物に詳しい方と、「明日は米タンありますかね?」なんて話をしていたら、急にそちらも撮りたくなった。不動産屋との約束の時間は13時。そこで、ちょっと早めに家を出て、まずは拝島駅の様子を見てみる事にした。
自宅最寄りの萩山から、まずは西武拝島線で拝島へ。車内より赤いDE10が構内にいるのを見つけた。もう横田基地から出てきたのは間違いない。私は、そのまま青梅線ホームへ。八高線ホームとの間にある線に、獲物は停車していた。
3連休の最終日である1月14日、拝島駅へ行って見ると、米軍横田基地の燃料輸送列車(通称米タン)が停車していた。
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昨日は、14時から18時までの4時間、今年最初の模型運転会が、高尾駅前にある「八王子N広場」で開催された。前記事でお解かりの通り、私は、綱島駅で東急8000系の東横線引退記念列車を撮影した後、南武線・京王線経由で高尾へと向かった。
ところが、昨日は昼頃より、中央線立川~日野間の多摩川の鉄橋付近の架線に凧が引っ掛かり、架線トラブルが発生。その為、全参加者13名(運転する人12名+見学1名)のうち、11名までがこのトラブルに引っ掛かってしまった。ちなみに、私自身は、当初から京王で高尾に向かう予定だったので影響なし。幹事さんを含め、ほぼ全員が30分ほど遅れてしまったため、運転会も14時30分から18時30分までの4時間に変更となった。
では、例によって会場内の様子をどうぞ。
2008年最初の模型運転会は、八王子N広場で開催。運転会前日、マイクロエースより発売となったJR東海の311系を早速会場内に持ち込んだ。
タイミングよく、運転会前日にマイクロエースの311系が入手できた。そこで、この日は、311系と313系を並べて楽しむ事にした。JR東海ファンの私は、以前からこんなシーンを再現したかったのだが、長年の夢がようやくかなった瞬間であった。
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では、ここで再び関西ネタを中断します。
以前にも書いたことがあるが、私が生まれてから最初に撮った鉄道車両は、東急東横線の8000系だった。地元を走る車両と違って、銀色に輝くステンレス車両は、とても眩しく見えたのを今でもはっきりと覚えている。
幼い頃の思い出が残る東急8000系が、本日、東横線から引退することになった。最後まで東横線に残ったのは8017Fで、更新時に前面に赤と黒の帯を入れた「歌舞伎カラー」と呼ばれるタイプで、幼い頃見たものとはイメージが異なる。しかし東横線で長年活躍してきた車両であることには変わりない。最後の勇姿は見届けてやろう。さよなら運転を撮りに行くことにしたのだが、今日は高尾で模型運転会がある。後の予定を考えると、模型持参となることから、撮影はコンデジ限定となる。そうなると撮影場所は限られてしまう。散々悩んだ挙句、私は、綱島に行ってみることにした。
立川から南武線で武蔵小杉へ。そこから東横線で綱島に着くと、既に上りホームの横浜方先端には、カーブを曲がってくるところを撮ろうとするファンでいっぱいだった。しかし、下りホーム側はと言えば、誰もいない。実は、この時点で、8017F通過のおよそ15分前。普通に考えれば、大勢いて当たり前の時間帯だ。実は、私が撮影地として考えていたのは、この下りホームの渋谷方だった。今回は特急で運転するので、綱島は通過となる。ホーム上から撮れば、ただ単に駅を通過するだけの写真となる。しかし、私自身は、それで良いと考えていた。
特急列車で練習をした後、各駅停車1本を挟むと、いよいよ8017Fの出番だ。しかし、8017F接近の自動放送が入った直後、下り列車の接近放送も掛かる。「あれ、被りか?」と半ば諦めの状態だったのだが、どうにか8017Fの方が先となり、無事に撮る事ができた。
1969年より39年間に亘って東横線で活躍してきた8000系が、ついに東横線から姿を消す事になった。長年の活躍に敬意を表して、さよなら運転が実施された。
8017Fは、前後で違うヘッドマークを付けていると言う。となると、後ろも押さえなくてはならない。ところが、背後からは東京メトロ03系による菊名行きが入線中。8017Fがゆっくりと走行してくれたため、どうにか後ろ側も撮る事ができた。
前後でヘッドマークのデザインが違うと言う事で、後ろ向きも撮影してみた。
この写真、ホーム先端の金網越しから撮影しているため、あまり良い画像ではないが、ヘッドマークの違いは解るので、自分自身は満足している。実は、この後ろに歩道橋もあり、ここからも撮影している方が何人かいらっしゃった。最初は、私もここへ行こうと思っていたのだが、結局は、次の予定も考慮して、ホーム上での撮影とした。しかし、あの歩道橋に行っていたら、菊名行きに被られ、8017Fは撮影できなかったと思う。
この後、私は一旦出場した後に武蔵小杉へと折り返し、南武線・京王線経由で、模型運転会の会場である高尾へと向かった。
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さて、大阪駅で国鉄特急形車両の共演を撮影した後は、東海道・山陽線の各駅停車で摂津富田へ。今回の遠征の最大の目的の1つである、寝台特急「なは・あかつき」の撮影に向かった。
寝台特急「なは・あかつき」は、3月のダイヤ改正で廃止される事が決定しており、関東在住の私にとっては、この遠征が撮影の最後のチャンスとなる可能性が高い。そこで、今回はどうしても撮影しておきたかったのだ。前夜お会いした痛勤形酷電氏やwakasa-express氏のアドバイスから、この摂津富田に撮影地を絞り込んだ。当初乗車予定の列車より1本後の列車になってしまったので、「なは・あかつき」通過前に到着できるか、少々心配だったが、現地には通過15分ほど前には到着する事が出来た。
2007年12月30日早朝、廃止が決定している「なは・あかつき」を摂津富田駅で撮影した。
この日、「なは・あかつき」を牽引してきたのは、EF66 42号機。現在JR西日本に在籍するEF66の中では、一番綺麗な車両らしい。早起きして撮影しにきた甲斐があった。
ところで、この「なは・あかつき」は、摂津富田通過直前に、運転士さんがわざわざヘッドライトを減光してくれた。この日、摂津富田で撮影していたのは私1人。どうやら撮影している私を見て、運転士さんが減光してくれたようである。良い運転士さんに当たってラッキーだった。私も自然と運転士さんに向かって軽く会釈をした。
この撮影を以って、摂津富田から一旦撤退。宿泊先である淀屋橋の東横インへと戻り、青春18きっぷを取ってきた。せっかく戻ったので、東横インのロビーでおにぎりを食べてから、再び出発した。
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では、再び関西遠征記の続きです。
12月30日朝6時、ホテルのモーニングコールで起床。前夜、なかなか寝付けず、この日は実質2時間ほどしか寝ていない。すぐに着替えて機材を整え、出発体制に。フロントにキーを預けて出発する。
この日、こんなに早く起きたのは理由があった。それは、廃止が決定している九州方面からのブルートレイン「なは・あかつき」を撮影するためだった。撮影地までの所要時間を考えると、6時半までには出発する必要性があったのだ。淀屋橋の東横インから出発して、まずは地下鉄御堂筋線で梅田へ。そしてJR大阪駅から青春18きっぷで入場する筈だったのだが、なんとホテルに忘れてきてしまった。時間が無いので、とりあえずICOCAで入場する。そして京都方面へ向かう各駅停車に乗り込むのだが、無常にも目の前で出発してしまった。ここで8分ほど足止めになってしまう。その時、ふと4番線を眺めると、583系が停車しているのが見えた。急行「きたぐに」である。じゃあ、待ち時間に撮影してしまおう。私の足は、自然と5番線へ向かっていた。
早朝の大阪駅で583系に遭遇。新潟からの夜行列車、急行「きたぐに」だった。
急行「きたぐに」は、大阪と新潟とを結ぶ夜行列車で、今では、583系が使用される唯一の定期列車となっている。塗装はJR西日本独自のカラーとなってしまっているが、10両編成という長編成で運転される583系の姿は、やはり国鉄形車両らしい風格が感じられる。電車に乗り遅れた結果、良い物を撮る事ができた。
ところで、この「きたぐに」の停車している4番線のお隣には、こんな車両が入線して来た。
489系ボンネット車の回送列車がやって来た。
金沢の489系ボンネット車の回送。実は臨時特急「ふるさと雷鳥」の送り込み回送だった。489系と583系、国鉄形車両の共演に思わず見とれてしまった。
この後、7番線へ移動。入線して来た321系の各駅停車で摂津富田へと向かった。
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関西方面遠征記の途中ですが、今日はこの話題を避けるわけにはいきません。
先程、帰宅してから西武鉄道の公式サイト内のリリースを見たら、一気に酔いが覚めてしまった。我が地元の西武多摩湖線で最後の活躍を続けていた、101系225Fがついに引退する事になり、今月27日より、引退記念ヘッドマークの掲出。さらに2月3日には、ミステリー列車の運転も実施されると言う。
ついに引退する事が決まった西武多摩湖線の225F。2007年11月29日、一橋学園駅付近にて。
平日朝の玉川上水への回送は、小川駅5番線に入る。2007年12月3日撮影。
西武多摩湖線に1本だけ存在する低運転台の101系225F。今年度、多摩湖線には、101系リニューアル車が増投入される事が決定していたので、いつかはこんな日が来ると言うのは解っていたのだが、実際に、このような形で引退が報道されると、やはりショックである。しかし、これが現実。せめて地元在住として、最後まで暖かく225Fを見守ってやりたい。弊ブログでは、これから先、225Fの最終運行までの間、出来る限り225Fの話題を取り上げていきたいと思っている。
この記事より下記ブログへトラックバックを送信しています。
E.T.K《E電対策協議会さん》
やっぱり鉄分の濃い日々さん
セイブネットさん
クロフネ航海手帳さん
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さて、キヤ97と近鉄名古屋線の列車を撮った後は、名古屋駅から在来線で大阪へ。米原でJR西日本の新快速に乗り換えて、新大阪に着くと、あの男が待っていた。
新大阪駅構内で、ネギ焼きを食べた後、高槻へと逆戻り。ここで、「ムーンライト九州」の回送が撮れるとの事。高槻駅に到着し、下りホームへ向かうと、既にホーム上には数名の同業者が待機していた。ここで、wakasa-express氏に初めてお会いする。まずは、手始めに「スーパーくろしお」用の381系から撮影する事にした。
12月29日最後の撮影場所は、高槻駅だった。まずは、「スーパーくろしお」用381系の回送から。
JR東海では、残り6連1本のみとなってしまった381系も、JR西日本では、まだまだ現役バリバリ。「スーパーくろしお」用編成は、ご覧のようにパノラマ形グリーン車が連結されている。
そして381系が出てから、およそ7分後の事。EF65に牽引された14系客車が、ゆっくりと高槻駅に入線して来た。
381系に続いてやって来た「ムーンライト九州」の送り込み回送。
「ムーンライト九州」は、2007年の夏にも、大阪駅で撮影している。14系客車(座席車)なんて、JR東日本からは、もう何年も前に消えており、色は違ってもこうして14系客車を撮影できるのは、とても嬉しいことだ。14系回送は、高槻駅で数分停車した後、始発駅へと向かって走り去っていった。
この後は、wakasa-express氏の車で、宿泊先へ。遠征初日がようやく終了した。
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続いては、弊ブログ久々の近鉄ネタです。
今回、JR東海のキヤ97を撮影する際に、1駅だけ近鉄名古屋線を利用した。下車駅である近鉄名古屋線の米野駅は、各駅停車しか停車しない小さな駅。名古屋駅新幹線ホームから、近鉄名古屋駅へ向かうと、ちょうど各駅停車が出たばかりで、次の列車までは15分ほどあった。そこで、待ち時間を利用して、近鉄名古屋線の車両を撮影してみる事にした。
まず、特急列車が発着するホームへ向かうと、ちょうど特急車が停車していた。ただ、残念な事に回送列車であるが、とりあえず、この車両から撮影する事にした。
米野駅へ向かう際、近鉄名古屋駅で15分ほど足止め。待ち時間を利用して、近鉄の車両を撮影してみた。まず撮影したのは、スナックカー12200系。
12200系は、1969年から1976年までに製造された車両で、1967年に製造されたスナックカー、12000系の改良型。近鉄特急車の中では最大勢力を誇るまでになった車両である。スナックカーとは、1964年に東海道新幹線が開業してから、利用客が低迷した名阪特急の利用率回復を図るために、車内にスナックコーナーを設置した事から付けられた愛称らしい。当時は、カレーライスやサンドイッチなどの軽食を提供していた。
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それでは、ここから先は、年末の中部・関西遠征記を少しずつ書いていきます。暫くの間お付き合いくださいませ。
2007年12月29日、遠征初日は、午前中、地元で用事があり、自宅を出発したのは、11時過ぎぐらいの事であった。ちょうど帰省ラッシュのピークでもあり、東京駅は物凄く混んでいた。私は東海道新幹線の自由席車両に乗るが、なかなか乗ることが出来ず、ようやく乗車した「ひかり」で名古屋に到着したのは、15時を過ぎていた。
最初の目的地、名古屋では、ある車両を観察する事が目的だった。その車両は、近鉄名古屋線の米野駅に隣接した、JR東海の名古屋車両区内にいると言う。16時ごろ、米野駅に到着すると、お目当ての車両は、ちょうど目の前に停車していた。早速撮影を開始する。
JR東海が開発した新しいレール輸送用車両、キヤ97系。荷台には、何故かプレハブ小屋が載せられている。
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さて、前記事でお伝えした「水上98号」を撮影した後は、昼食を摂ってから上野駅へと向かった。ここでの撮影目的は、臨時快速「エアポート常磐号」を撮影するためだった。
「エアポート常磐号」は、その名の通り、常磐線沿線から成田空港を結ぶ臨時の快速列車で、この冬の臨時列車として初めて設定された。下り・上りとも2本ずつが設定されており、下り列車は全車座席指定。上り列車は全車自由席として運転されている。使用される車両も、大宮総合車両センター東大宮センター所属の183系6両編成で、専用のヘッドマークを掲出しての運転と言うことで、ファンからも注目の的となっていた。運転時刻が偏っているため、朝の1往復をこなした後は、一旦、東大宮操車場へ回送される。私が撮影する3号は、出発前に東大宮操車場から回送されて来てからの運転だった。私は、入線時刻に合わせて、上野駅13番線に行くと、ちょうど回送列車が入選してきたところであった。ヘッドマークもステッカーで対応している事から、回送区間でもヘッドマークは掲出されたまま。こんな事ならば、回送区間でも撮影しておくべきだった。
上野駅から常磐線・成田線を経由して成田空港まで運転される臨時快速列車「エアポート常磐号」がこの冬初めて設定された。
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正月休みもまもなく終わり。そろそろUターンラッシュに対応するための臨時列車の運転が各線で始まっている。
弊ブログと相互リンクを組んでいる、ちろさんのブログ、ちろログで、国鉄特急色の183系で運転される臨時特急「水上98号」が紹介されていた。この「水上98号」は、「鉄道ダイヤ情報」の臨時列車運転情報を見ると、午前中に、所属車両基地である大宮総合車両センター東大宮センターを出庫し、水上まで回送。折り返し、臨時特急「水上98号」として上野まで運転されるものである。6両編成と、編成は短いものの、国鉄特急色に絵入りマークと、往年の特急列車らしさは充分に伝わるものがある。
そこで、1月5日は、この列車を撮影するために出かける事にしたのだが、不覚にも寝坊してしまった。慌てて出庫し、この後の行動も視野に入れて、青春18きっぷで出発する。さらに武蔵野線に乗ってから気が付いたのだが、「水上98号」の大宮と上野の到着時刻を誤って記憶していたため、私が乗車した武蔵野線の南浦和到着時刻には、「水上98号」が浦和まで来ているという絶体絶命のピンチを迎えてしまった。とりあえず、南浦和まで行くと、京浜東北線の南行き列車に間に合った。ならば、この列車で蕨まで先行できないだろうか。僅かな望みに賭けて乗車する。電車が浦和車両センターの脇を通過した後、車内から後方を見ると、国鉄特急色の183系の姿が見えた。蕨駅に着くのが早いか、183系が追い越していくのが早いか。電車はそのまま蕨駅まで走りきり下車。ホームの赤羽方先端に到着した頃、背後から183系がやって来た。大宮方面行き電車がいた事もあり、「水上98号」は、後追いのみの撮影となってしまうが、どうにか間に合ってくれた。
国鉄特急色の183系で運転された臨時特急「水上98号」
今回「水上98号」に使用されたのは、大宮総合車両センター東大宮センターのOM102編成。上野方の先頭車には、前面にシンボルマークが付いているのだが、今回は後ろ向きでしか撮影できていないため、シンボルマークなしの先頭車を撮影。さらに良く見ると、どうもヘッドマークがずれた所で停まっているようで、中途半端な形になってしまった。まあ「水上」と言う列車名は見えているから、まだ救われたが・・・
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ちろログさん
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1月4日、この日もお休みなので、午後から外出。出掛ける前に、複数のサイトで情報を収集する。すると、武蔵野線の貨物列車、5772列車を、高崎機関区の人気カマ、EF65 57号機が牽引しているとの情報を確認した。そこで、出掛ける前に武蔵野線に立ち寄って、この列車を撮影する事にした。
この事実に気が付いたのが遅かった事もあり、今から撮影できる場所は限られていた。色々と検討した結果、西国分寺駅が一番ベストと言う事になり、西国分寺駅へと向かう。私が西国分寺に到着したのは、5772列車通過のおよそ10分前。さすがにネタガマが入ると言う事もあって、ホーム上には同業者が5名ほど確認できた。そして撮影準備が整った頃、5772列車がやって来た。
1月4日、高崎機関区のネタガマ、EF65 57号機が武蔵野線の貨物列車5772列車を牽引した。
ちょうど順光の中での撮影となったが、良く思い出してみれば、前回、2007年10月20日に、57号機を撮影したのもこの場所だった。まあ、引いている貨車が違うから良いか・・・
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さて、1月3日は、秩父神社で初詣を済ませた後、シングルアームパンタに交換された、201系青68編成を撮影するために青梅線へと向かった。
青68編成自体は、1月1日に、立川駅で撮影をしているのだが、夜間停泊中だったこともあり、特徴であるシングルアームパンタは畳まれたまま。出来れば、走行写真を撮っておきたい。この日、携帯で掲示板等をチェックしていると、17デ運行に就いている事を知った。そこで、15時前に立川にやって来る列車を撮ろうと、青梅線の東中神駅へ出向いてみた。同駅下りホームで進入を撮影するが、車体に影がかかり過ぎてしまった。では、その折り返しを撮影してみよう。今度は上りホームの立川方にある臨時改札口へ向かう階段で待機。停車中の青68編成を撮影してみた。
長野総合車両センターへの廃車回送に備えて、シングルアームパンタに交換された青68編成。1月3日は、17デ運行に就いていると知り、東中神駅で撮影してみた。
ようやくシングルアームパンタになった青68編成の営業運転を撮影する事ができた。いずれにしても、同編成に関しては、運用離脱が近いことは間違いない。この撮影が、同編成の最後の撮影となってしまうのだろうか。
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2007年11月17日付記事で、クハ1255+クハ1256の2両が横瀬車両基地へ廃車回送されたとお伝えしたが、この2両がその後どうなったのか、大変気になっていた。秩父夜祭の時は、まだそのままの状態で置かれていたのは確認できていたのだが、夜祭からもちょうど1ヶ月。横瀬車両基地のクハ1255+クハ1256はどうなっただろうか。
1月3日、秩父神社への初詣の際、車内から横瀬車両基地の様子を見ると、1ヶ月前と変わらぬ状態で、クハ1255+クハ1256の2両の姿を確認する事ができた。
廃車回送からまもなく2ヶ月。横瀬車両基地に廃車回送されたクハ1255+クハ1256は、まだ解体されずに、横瀬で新年を迎えていた。2008年1月3日、ちちぶ24号車内より撮影。
多少の部品は抜かれているのかもしれないが、車内から見た限りでは、まだまだ形は保たれている。この2両は、いつまでそのままにしておくつもりなのだろうか。
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昨日は、毎年恒例、秩父神社へ初詣に行ってきた。
ここ数年、秩父鉄道の急行「開運号」撮影に合わせて、秩父神社への初詣にしているのだが、昨年は、3が日に行く事ができず、6000系の「開運号」は終了してしまった後であった。では、今年はどうなるのか。秩父鉄道の公式サイトで確認すると、なんと今年はヘッドマークが復活するとの事。これは撮影に行かなくては・・・と言う事で、最終日である1月3日に、秩父神社の初詣と急行「開運号」の撮影に出かける事にした。
朝9時ごろ家を出発。小平・所沢・飯能と乗り継ぎ、西武秩父駅に到着したのは、急行「開運号」通過のおよそ10分前であった。とりあえず改札を出場。線路沿いの道を歩き、西武秩父駅手前にある、西武鉄道と秩父鉄道の踏切付近へと向かう。この場所で撮影すると、3両編成ならば、ちょうど順光の状態でカメラに収まるので、ここ最近、手軽な事もあり、この場所を撮影に使っている。通過時刻となり、踏切が鳴ったが、やって来たのは上り列車。「開運号」は、やや遅れているようだ。そして、それからおよそ3分後、再び踏切が鳴る。前方の御花畑駅には、6000系の姿も確認できており、今度は間違いない。カメラを構えて、列車の通過に備えた。
正月3が日、秩父鉄道では恒例の急行「開運号」が運転された。6000系での運転2年目となる今年は、円形のヘッドマークが用意され、正月気分を盛り上げた。
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東海道本線の東京口と言えば、最近では、すっかりE231系が幅を利かせており、面白味がなくなってしまったと思われる方が多いかと思うが、ちょっと早起きすると、とても乗り得な列車が2本ある。いずれも特急形車両を使用した列車で、普通乗車券のみで、車両だけは特急気分を味わう事ができるのだ。
まず、1本目は、東京駅を5時20分に出発する普通列車静岡行き321M。首都圏に住んでいても、東海道線沿線でなければ、乗るのには困難な列車である。この列車、夜行快速「ムーンライトながら」の折り返し列車であり、JR東海の373系が使用されている。
JR東海の373系を使用した東海道線の普通列車321M。横浜駅にて。
2007年3月までは、特急「東海」として東京駅にも乗り入れていた373系。今では、「ムーンライトながら」を絡めた運用が、唯一の東京乗入となっている。この列車と似たような列車で、夜に静岡を出発する東京行きも1本ある。「ムーンライトながら」1往復と、この東京~静岡間の普通列車1往復が、東京駅から発着する列車で、沼津以遠へ直通する普通列車と言うことになってしまった。
そして、もう一つは、東京駅を7時24分に出発する普通列車伊東行き521M。こちらは、特急「踊り子」に使用される185系を使用しており、車両自体は東京口でも御馴染みの車両である。
特急「踊り子」用185系を使用した伊東行き521M。
185系デビュー当時には、運用の都合で、このような普通列車運用が良く見られたが、ラッシュ時には2ドア車は不向きと言う事から、通勤型車両などに置き換えられ、現在では東京駅から発着する185系の普通列車は、この列車のみとなってしまっているようである。185系と言う事で、グリーン車も連結されているが、当然のことながら、Suicaシステムには対応していない。私も、ここ数年、この列車には乗車していないので、今現在、グリーン車の扱いがどのようになっているのかは解らないのだが、おそらくは、磁気式のグリーン券を購入してもらって対応しているのではないかと思う。
このように、特急形車両を使用した普通列車は、東海道線だけではなく、全国各地に存在している。機会があれば、実際に乗車して、このブログでもご紹介できればと考えている。
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さて、元日の終夜運転で、立川から横浜へと向かったのは、廃止が決定している寝台急行「銀河」を撮る事が目的だった。早朝に東京駅に到着する上り「銀河」を撮るには、地元から出掛けるには初電でも厳しい。そこで、この終夜運転は「銀河」撮影のチャンスと前から計画していた事だ。
横浜駅で、「熱海初日の出号」を撮影した後、喉の渇きと寒さに耐えられず、構内のBECKSでモーニングコーヒーを飲み、6時頃ホームへ向かうと、既に6番線の東京方には大勢のファンが待機していた。私も前にしゃがみ込んで「銀河」の到着を待つ。そして時刻となり、前方から「銀河」がやって来た。
終夜運転を利用して横浜へやって来たのは、この「銀河」を撮影するためだった。
前回撮影した時と同じ、EF65 1112号機が牽引だったが、今回は上り列車ということで、前回とは違うアングルでの撮影となったので、まあ良しとしよう。
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E233系への置き換えが進む豊田車両センターの201系。中央快速線用の車両に関しては、残り8本にまでになってしまった。2008年は、青梅・五日市線用の青編成も含めて、豊田車両センターの201系は引退することになり、オレンジ色の201系による終夜運転も、2008年元旦が最後となる。
そこで、2008年の元旦は、オレンジ色の201系による終夜運転を撮影しておく事にした。まずは201系が入る可能性が高い青梅線の終夜運転を撮影する事にした。前記事で触れた「犬吠初日の出号」を国分寺で撮影した後に、立川へと向かったのは、この為である。
国分寺2時1分発の高尾行きで立川へと向かう。所定どおりの運転であれば、立川駅で10分ほど時間が有る筈なのだが、なぜか5分遅れで運転されており、立川での接続時間が半分となってしまった。立川に到着すると、3番線には、2番線に停車中の201系を撮ろうというファンの姿がいっぱい。こりゃ駄目かな?と半ば諦めムードで3番線へと向かった。やはり持ち時間が5分未満と言うのは厳しく、一眼レフをセットする余裕が無く、コンデジでの撮影となった。
201系豊田車による終夜運転は、今回が最後。と言うことで、2008年元旦は、オレンジ色の201系による終夜臨を撮影する事にした。まずは青63編成による快速「武蔵御嶽神社初詣号」を撮影。
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2008年元旦、関東地方は朝から好天に恵まれた。
関東地方の初日の出スポットは、ご来光を拝もうと言う人達で賑わった事だろう。JR東日本は、そんな初日の出を拝めるスポットへ向かう臨時列車を、元日の未明から運転。我が地元の中央線からも、銚子へ向かう「犬吠初日の出号」と、外房線回りで内房線の千倉へ向かう「外房初日の出号」が運転された。2008年の撮り始めは、この初日の出列車から行う事にした。
自宅最寄の萩山駅から、多摩湖線の終夜臨で国分寺へ。少々時間があったので、最近から使用開始した多摩湖線ホームの待合室で休憩。そして、「犬吠初日の出号」発車の10分ほど前に中央線下りホームへと向かう。ホームの東京方の暗闇には、「犬吠初日の出号」を撮ろうとしている先客が数名待機していた。私もその中に入り到着を待つ。そして予定通り、前方からE257系がやって来た。
2008年の撮り始めはこの列車。高尾から銚子へ直通する臨時特急「犬吠初日の出号」。松本車両センターのE257系M105編成が充当された。
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皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、TOMOの鉄日誌をご愛顧いただきましてありがとうございました。今年も昨年同様、鉄道を中心に様々な話題を取り上げてまいります。
JR東日本では徐々に姿を消している201系。JR西日本では、姿を変えてまだまだ現役!
今年もどうぞ宜しくお願いします。
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