岐阜駅でキハ40・48を撮影する
では、話は再び1月31日に遡ります。
三岐鉄道の撮影を終えた私は、近鉄名古屋線の急行列車で名古屋へ。三岐鉄道沿線では、昼食も摂れなかった事から、まずは遅い昼食を摂る。そして、少々休憩した後、名古屋から東海道線で岐阜へと向かった。既に時刻はまもなく18時。岐阜での目的は、高山本線の普通列車を撮る事だった。
岐阜駅から出発する高山本線の普通列車は、キハ11系を使用した、岐阜~美濃太田~多治見間の列車が主体となるが、一部にキハ40系を使用した列車が存在する。JR東海では、武豊線用として、新型気動車、キハ25系の投入を発表しており、その結果、キハ40系を即置き換えると言う話は今のところ出ていないのだが、近い将来、キハ40系列も置き換えが予想される事から、今のうちに少しずつ記録していこうと言うのが狙いである。岐阜駅に到着すると、18時13分発の普通列車高山行き4729Dが停車していた。
岐阜駅で出発を待つ高山行き4729D。この日はキハ48が両端を固めて、中間にキハ40が2両入ると言う編成だった。
キハ40と48の混合による4両編成の高山行き。なかなかユニークな編成だ。まずは編成全体を撮った後、1両ずつ撮影する事にした。
キハ48 6807
JR東海のキハ40系列は、エンジンの載せ換え・冷房改造時やワンマン化の際に、車番変更を繰り返しており、最近では、新製時の車番がどういう番号だったのかが解らなくなってきた車両が多い。手元にある鉄道ピクトリアル2008年7月号・8月号にあるキハ40系の車歴表で確認していくと、先頭のキハ48 6807は、キハ48 1524として誕生し、1996年、名古屋工場にてエンジン載せ換え等を行った際に6507となり、更に3年後、ワンマン運転対応改造を実施し、現在の車番になっている。
キハ40 6308
キハ40 6308は、キハ40 2112として誕生し、1997年、名古屋工場にてエンジン載せ換え等を行った際に6008となり、更に3年後、ワンマン運転対応工事を実施し、現在の車番になっている。
キハ40 6307
キハ40 6307は、キハ40 2111として誕生し、1997年、名古屋工場にてエンジン載せ換え等を行った際に6007となり、更に2年後、ワンマン運転対応工事を実施し、現在の車番になっている。
最後尾キハ48 3812側から編成全体を撮る。
キハ48 3812は、キハ48 529として誕生し、1992年、名古屋工場にてエンジン載せ換え等を行った際に3529となり、更に7年後、ワンマン運転対応工事を実施し、現在の車番になっている。
ここまで撮影を終えたところで、高山行き普通列車は、岐阜駅を出発して行った。まだまだ撮り足りない感じもしたが、この日はこの撮影を以て終了とした。
複雑な改番を繰り返しているJR東海のキハ40系列。これからも定期的に記録し続けていこうと思う。
| 固定リンク | 0
「鉄道」カテゴリの記事
- 北上尾で安中貨物を撮影する(2023.12.09)
- 西武40000系 40164Fの甲種輸送を撮影する(2023.12.04)
- EOS6D MarkⅡ試運転 その2 秩父鉄道「パレオエクスプレス」と鉱石列車を撮影する(2023.11.28)
- EOS6D MarkⅡ試運転 その1 新所沢駅で2000系を撮影する(2023.11.25)
- 西武2000系 2529Fが横瀬車両基地へ廃車回送される(2023.11.21)
「鉄道:JR東海」カテゴリの記事
- JR東海211系5000番台 中央本線の定期運用が消滅(2023.10.13)
- ブログ開設18周年(2022.09.06)
- 最後のロクニ ED62 17号機が姿を消す(2021.03.21)
- レール輸送車キヤE195系と遭遇する(2020.07.04)
- JR東海 在来線の新型車両315系の開発を開始へ(2020.01.02)
コメント
TOMOさんには関係ないことではありますが、今度は新形式キハ25ですか。
どうして東海はわざわざ国鉄時代に実在した形式を使うのでしょうか。他のJR各社ではこのような例は見あたりません。
国鉄時代のキハ40・45など(客車改造気動車)は新しく同じ形式が生まれる前に形式を改めています。
私のように国鉄時代を知るものから見れば、趣味的には混乱を招くと思います。
利用者には関係ない、ヲタクだけが迷惑するといえばそれまでですが(JR東海に意見しようと思いましたが、馬鹿にされると思いやめました)新しい形式を使える自由度はあるので(私見では60番台にすればいいと思っています)あえてかつて存在した形式を選ぶ意味が理解できません。
TOMOさんはいかがお考えですか。
投稿: マクレー | 2009/02/21 13:42
マクレーさん、コメントありがとうございます。
私も、先代のキハ25を知っていますので、マクレーさんのお気持ちもよく解ります。
以前、キハ11の時にもお話しましたが、JR東海では、気動車を2桁、電車を3桁と言う形で形式を付けています。キハ11の場合は、高出力エンジンを1基搭載の普通列車用気動車と言う事だったと思いますが、今回登場するキハ25は、20番台の形式を使っている事からして、おそらく高出力エンジンを2基搭載と言うことなのでしょう。じゃあ21でも良いのではと言う気もしますが、おそらく片運転台だから、25にしたのかなと言う気がします。ならば、既に活躍中のキハ75で良いじゃんと言う事になりますが、キハ25の完成予想イラストを見ますと、静岡地区に投入されている313系ロングシート車にそっくりなんですね。基本的には、313系の気動車版と言うことなのでしょう。となると、車内はロングシートもしくはセミクロスなのかもしれません。まあ、投入線区が武豊線と言う事ですから、仮にロングシートでも問題はないのかもしれません。
投稿: TOMO | 2009/02/23 23:53
TOMO様、ありがとうございます。
当方がくだらないことに拘っているとお思いでしょうが、
2エンジン車ならキハ75の続きでキハ76とかでもいいかと
思うのですが、よくわかりません。
JR東海公式ページのイラストを見ると1エンジンのように
もみえますし、空き形式はあるのですからどうにでもなる
とは思うのですが・・・
電車は3桁、気動車は2桁なんて縛りなど取っ払って、
キハ85や75は3桁形式のほうがふさわしいと思います。
それと逆に電車のクモハ12041はなんだったのか、と
突っ込みたくもなります。
投稿: マクレー | 2009/02/24 16:56
マクレーさん、前回のコメントでは、私も言葉足らずの部分がありました。改めて補足させていただきます。
まず、私がキハ25を高出力エンジンを2基搭載と予想したのは、運用線区が武豊線である事です。名古屋近郊の武豊線は、キハ75の投入により、名古屋直通列車も増え、利用客も伸び、並行する名鉄河和線にも割引回数券を設定させるまでの状態に来ました。しかし、過密ダイヤである東海道本線に直通させるとなると、高速運転が可能な気動車でなくてはなりません。現行のキハ75が運用されている列車の一部を置き換えるとなると、キハ75と同等の車両でないと、何かと問題が起きると思われますので、2基搭載と予想しました。
次に、キハ75の次世代車両と言う事で、76にできないのかとの事ですが、これはキハ75の位置付けにも影響されていると思います。キハ75は、そもそも快速「みえ」用に登場しましたが、その車内設備は、転換クロスシートとは言え、一部に指定席を設置するなど、快速用としては、かなり豪華な作りとなっています。どちらかと言えば、急行用と言っても過言ではなく、現に、急行「かすが」に使用されていた時期もあります。そんな事から、JR東海でも特急用と位置付けている80番台よりもやや低い、70番台の形式を付けているのではないでしょうか。であれば、313系のコピーであり、どちらかと言えば、通勤・近郊型用として製作される新型気動車を、キハ76とするには、やや問題がありそうな気がします。その為に、キハ25としたのではないでしょうか?
あと、クモハ12041に関してですが、クモハ11を両運化したクモハ12040の続番である、クモハ12041にしているのですよね。クモハ12041の基になったクモヤ22は、30系の改造車のようですね。鶴見線用のクモハ12052と053は、31系電車が基になっていた筈ですから、これら2両のように50番台に編入するのには抵抗があったのかもしれませんね。
投稿: TOMO | 2009/02/24 21:18
TOMO様、コメントありがとうございます。
クモハ12041については、そういう意味ではなく、単に
電車が3桁形式ならなぜクモハ「12」と2桁形式なの?
という単純なものです。
中部天竜の保存車も、旧塗装でありながらシールドビーム
灯で矛盾しているのに「キハ48000」と旧形式にしている
のがひっかかります。
ならばライトを原型に戻せば堂々と「キハ48000」を名乗れ
るのに、と思いました。
キハ11を導入しなければ保存車を「キハ11」にしても
「あれ、高山線の車両と同じ」と言う突っ込みもされなく
て良かったのでは、と思ったのです。
まあ、重箱の隅をつつくような指摘で、私がおかしいとは
思いますけど。
投稿: マクレー | 2009/02/24 21:37
マクレーさん、新旧のキハ11に関してですが、JR東海のキハ11が登場したのが昭和63年。佐久間レールパークがオープンしたのは平成3年です。つまりJR東海のキハ11が新製されたのが先ですし、更には後に茨城交通からキハ11を購入して佐久間レールパークに展示させることになるとは、全く予想もしていなかった事ですから、仕方が無いことではないかと思います。
一方、クモハ12に関してですが、この車両を旅客車に復元したのは、実はJR東海ではなく国鉄です。改造落成日は昭和62年3月31日。つまり、民営化前日であります。よって、JR東海の3桁ではなく、国鉄形式にするのは当然のことではないかと思います。仮にJR東海の手で落成したとしても、新製車両ではないですから、クモハ12になったのではないかと思いますよ。
投稿: TOMO | 2009/02/24 23:19
この記事とは直接の関係ないのですが、きたる3月28日と29日に新潟~会津若松間にてキハ52とキハ58を使用する団体臨時列車が運転されます。詳細は、JR東日本・新潟支社のホームページを御覧下さいませ。
投稿: 岩崎友裕 | 2009/02/26 21:45
岩崎友裕さん、JR東日本新潟支社のイベントをご紹介いただきありがとうございました。
新潟のキハ58、52もいよいよ終わりですね。出来れば、国鉄色車両も併せて撮影しておきたいです。
投稿: TOMO | 2009/02/27 02:19