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改良工事が完成した萩山駅

平成20年度は今日でお終い。明日からは新年度に突入となる。

平成19年度から実施された萩山駅の改良工事。地中に空洞が見つかり、当初の予定が大幅にずれ込み、工事完成は平成20年度にずれ込んでしまった。そして、エレベーターは平成20年11月28日付で全て完成したが、北口駅前広場の整備が、年を越してしまった。駅前広場の整備は、平成21年1月中に完成はしていたのだが、その模様をお伝えするタイミングを逃してしまったのである。駅改良工事の最後の記録として、新しくなった萩山駅の駅舎及び北口駅前広場の工事完成後の模様を、新年度突入前、平成20年度最後の日に触れておきたい。

まずは萩山駅北口の様子から。

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駅改良工事が完成した萩山駅。(2009年2月5日撮影)

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西武多摩湖線 ツートンカラーの261Fが営業運転開始

週明けの月曜日。先週末にデビュー当時のカラーで出場した261Fが、今日辺りから運転を開始しないかなと予想して、いつもより少しだけ早く駅へと向かった。私が毎朝乗車する多摩湖線の列車は、玉川上水車両基地から出庫する運用なので、これまでにも復帰後最初の営業運転と言うのに遭遇することは多いのだ。そんな事から今日も期待しての事だった。

改札を入って、私は1・2番ホームの小平方先端へ向かう。この場所からは、逆光ではあるが、国分寺方面からカーブを曲がって萩山駅に進入してくる多摩湖線の電車が撮影できるのだ。入線5分ほど前に到着するが、他に撮影している人はなし。ありゃ、これは外れたかな?そう思った時、1番ホームの接近放送が入る。カメラを向けてみると、前方からやってきたのは、紛れもなくデビュー当時のカラーを再現した261Fだった。

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デビュー当時のカラーで出場してから3日後、ついに多摩湖線の261Fが営業運転を開始した。

デビュー当時の塗装を纏った261F。出場後、明るい時間帯に見たのはこれが初めてだ。スカート取付、種別幕廃止など、デビュー当時の姿とはだいぶ異なる姿ではあるものの、塗装だけでも変わると、デビュー当時の雰囲気は、十分に伝わってくるなあと、改めて感じた。

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霜取りパンタ付きの115系新潟車と出会う

さて、2071レを上牧駅付近で撮影した後は、高崎へと戻るのだが、上牧から高崎へ戻る普通列車は、1時間近くない。何もない上牧駅でひたすら待つのも苦痛である。ちょうど青春18きっぷで乗っているので、すぐにやって来る下り列車に乗車。水上まで行く事にした。

やってきた水上行きは、湘南色の115系3両編成。中間のモハ114に乗車し、一駅、水上駅へと移動する。水上駅には1番線に到着。隣の2番線には、新潟色の115系が停車していた。数少ない、上越国境を越えて行く普通列車である。青春18きっぷ利用者だろうか。水上駅では、小走りに2番線へ移動する乗客が多かった。私は、そんな乗り換え客を無視して1番線の長岡方へ。湘南色と新潟色の115系の並びを撮影する事にした。

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水上駅で並んだ、新潟色と湘南色の115系。

2番線に停車中の新潟色の115系、新潟車両センターのN6編成なのだが、よく見ると、モハ114のパンタグラフが2基上がっている。新潟車両センターの115系には、霜取りパンタを装備した115系が4編成存在し、今回、そのうちの1本と出会う事が出来たのである。

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上越線の貨物列車を撮影する

さて、「DLみなかみ号」の撮影で訪れた上越線。この日、上越線では貨物列車も撮影対象となっていた。

3月14日に実施されたダイヤ改正。この改正を機に、上越線の貨物列車は大きく変わった。これまで、上越国境を超える貨物列車は、いずれも夜間の運転であり、同区間を走るEF64が重連で貨物列車を牽引する姿は、ダイヤ乱れでもない限り、走行撮影は不可能な状態であった。しかし、今回の新ダイヤからは、機関車や乗務員運用の効率化等の目的から、約半数の貨物列車が、日中の走行となったのである。

今回、ちろ氏が予め、撮影が可能な貨物列車のチェックをしてくれていた。私も貨物時刻表は持参していたのだが、そこまでチェックはしていなかった。下り「DLみなかみ号」を撮影した後、2085レが追いかけてくると言うので、まずは、この列車を撮影する事にした。貨物時刻表に掲載されている機関車運用表では、EH200が牽引することになっていた。EH200は、今回のダイヤ改正から、上越線にも活躍の場を広げていた。私にとって、初の上越線でのEH200撮影と思っていたのだが、実際に現れたのは、この車両であった。

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この日の2085レは、EF64重連が牽引を担当。

EH200が担当かと思っていた2085レは、この日、EF64の1000番台車の重連が牽引を担当していた。EH200の代走と言うことなのだろう。更新色の重連ではあるが、これまで夜間しか見る事が出来なかった上越線でのEF64の1000番台車重連の雄姿を、昼間見る事が出来ると言うのは、新ダイヤの魅力だ。

この後、私とちろ氏は、水上へと向かった後、午後は上牧駅付近で「DLみなかみ号」を撮影したのだが、やはり、この直後に、2071レがあると言う事で、上牧駅近くの踏切で、2071列車を撮影してみた。所定ではEF64の1000番台車重連の運用なのだが、実際にやって来たのは、この車両だった。

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この日の2071レは、EH200-11号機が牽引を担当。

午前中撮影した2085レとは正反対で、こちらは、EH200が、EF64の運用を代走と言う形になっていた。おそらく、2071レと2085レとの間で、何らかの事情から機関車尾の運用を入れ替えたのではないかと思われる。私自身、EH200は、これまでに何度も撮影してきているが、これ程長いコンテナ編成を牽引している姿は、今回が初めてだ。

日中の上越線を走る貨物列車。新ダイヤが生んだ新しい上越線の魅力でもある。今回撮影した列車は、僅かに2本のみであるが、近いうちに、貨物列車メインで上越線に撮影に行こうと思っている。

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D51の代役はDD51 「DLみなかみ号」運転

さて、早朝の鶯谷駅、上野駅で「あけぼの」を撮影した後は、上野駅構内で朝食を摂った後、高崎線の普通列車に乗り込んだ。目指すは高崎である。

昨年、遠征先の仙台でボイラーが故障し、長期離脱となってしまったD51 498号機。ホームグラウンドの高崎地区は勿論のこと、この車両が遠征する予定だった先では、同車両の代役となる車両を立てる必要がある。2月に、房総地区で運転されたSL列車は、新潟から「ばんえつ物語」用のC57を派遣した。そして、3月となり、D51のホームグラウンドの高崎地区でも、本来であればSL牽引となる列車を運転する事になった。房総地区に出張した新潟のC57は、3月に入り新潟地区での運転が始まる。そうなると、他の地区からはSLを借りる事が出来なくなり、運転自体を止めるか、SL以外の車両での代走するしかない。そこで、高崎地区では、D51の代役として、ディーゼル機関車のDD51を抜擢。手始めとして、高崎~水上間に「DLみなかみ号」を走らせることになった。「DLみなかみ号」は、既に3月20日から運転が始まっているが、前回の3連休の時は、撮影に行く事が出来ず、今回、4回目の運転となった3月28日に撮影チャンスが巡って来たのである。

前夜からの寝不足もあり、高崎線の普通列車はグリーン車を利用。高崎在住のちろ氏とは、上野出発時に乗車する列車や乗車位置を連絡していたこともあり、高崎に到着すると出迎えてくれた。ちろ氏と合流し、早速「DLみなかみ号」の撮影に向かう。3分の接続で出発となる吾妻線の列車で高崎を出発。車内で、どこで撮るかを打ち合わせした後、下車したのは新前橋であった。この駅の手前に、以前から気になっていた場所があったのである。今回は、いつもの「奥利根号」関連のパターンを変更し、井野ではなく、井野~新前橋間の駅間での撮影としたのだ。駅から歩くことおよそ15分ほど。道に迷いながら、ようやく撮影場所を見つけてセッティングを開始。準備が完了したころに、107系による伊勢崎行きがやって来た。この列車でリハーサルをするのは、今まで通りの事。そして、それから数分後の事。前方よりDD51の姿を確認。その直後に、背後から上り列車がやって来た。一瞬、最悪の事態が頭を過ったが、DD51の方がゆっくりと走行してくれたことにより、無事撮影する事が出来た。

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故障したD51に代わり、DD51 842を使用した「DLみなかみ号」が高崎~水上間で運転された。

撮影後、通過していく同列車を見てみたが、DD51の後ろに連なる6両の12系車内は、僅かな乗客の姿しか見えなかった。あとで聞いたところ、この日、この列車に乗車していたのは20名だったとか。DD51も、お召列車牽引実績のある842号機を充当しているのだが、やはりD51の代役には役不足と言うことなのだろう。

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EF64牽引の「あけぼの」を撮影する

JRグループのダイヤ改正から2週間が経過した昨日の朝。私は早起きして寝台特急「あけぼの」の撮影に出掛けた。

上野~青森間を高崎・上越・信越・羽越・奥羽本線周りで運転される寝台特急「あけぼの」は、このダイヤ改正を機に、上野~長岡間の牽引機がEF64に変更された。この変更を受けて、高崎車両センターからEF64 37・38号機の2両が長岡車両センターへ転属させて、不足分を補う事になった。そして、「あけぼの」には、この転属車2両が充当されるケースが多いらしい。EF64の0番台車は、私にとっては好きな機関車の一つ。「あけぼの」のヘッドマークを掲出し、24系客車の先頭に立つ姿を撮りに行かなくてはとチャンスを狙っていたのである。

地元を6時前に出発し、西武新宿線で都心方面へ向かう。当初の予定より1本遅い列車となってしまったため、撮影できる場所は限られ、結局辿り着いたのは鶯谷駅だった。鶯谷駅のホームの日暮里方には、既に先客の姿があり、私はホームの中程からカメラを向けることにした。現地到着からおよそ10分後、前方より青いEF64の姿が確認できた。24系を牽引して上野にやって来たのは、高崎車両センターから転属して来た38号機であった。

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ゴールの上野駅まであと少し。EF64 38+24系「あけぼの」が鶯谷駅付近を通過。

東京では桜も咲いているのだが、この日はとても寒い朝を迎えており、新潟県側では雪が降っていたのだろう。EF64 38号機に掲出された「あけぼの」のヘッドマークは、雪で白くなっていた。

この後、上野駅へと向かい、13番線に停車中の「あけぼの」編成を撮影する。

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上野駅13番線に到着した寝台特急「あけぼの」編成。

前面のヘッドマークは、雪で白くなっていたのだが、運転士さんのご厚意で雪を掃ってもらい、山男EF64と「あけぼの」のヘッドマークの組み合わせを拝むことが出来た。

こうして青いEF64の0番台車である38号機の「あけぼの」は撮影できる事が出来た。次は茶色の37号機の「あけぼの」も撮影したい。 あっと、その前に「あけぼの」のヘッドマークが白くなってしまっていたから、青の38号機ももう1回は撮らなくては・・・

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西武多摩湖線 261Fがデビュー当時の塗装で出場

先月末頃より、261Fが武蔵丘検修場へ入場中のため、予備車なしの状態が続いていた西武多摩湖線。本日、昼過ぎ、知人より261Fが武蔵丘検修場より出場して来たと言うメールが届いた。しかし、そのメールには、261Fがデビュー当時を彷彿させるような、ツートンカラーで出場して来たと書かれていた。これには驚いた。ツートンカラーになって出場してくるとは思ってもいなかったのである。これは一刻も早く撮影しなくては。多摩湖線の車両が、武蔵丘検修場から出場する場合、いったん、南入曽車両基地に入庫した後、再び夜に出庫して、上石神井経由で玉川上水車両基地へと回送されることになっている。そこで、この回送を撮りに出掛けることにした。

これまで、玉川上水車両基地への回送は、南入曽車両基地を19時20分頃に出庫する筈だった。そこで、所沢での所用を終えてから、新所沢へ向かう事にしたのだが、私が所沢駅構内にいる間に、261Fの回送列車が通過してしまった。どうやらダイヤ改正で30分ほど早くなってしまったようだ。これは大誤算。予定を変更して、上石神井へ向かう事にした。回送列車の後続の急行で上石神井へ。車内で時刻表を眺めてみると、この急行で追いかけても、261Fの回送には追いつけそうにない。実際に上石神井に到着すると、261Fは、下りホーム横の側線に停車していた。私は、下りホームへと急いだ。すぐに発車してしまう事を考え、階段から近い場所と言う事で、クハ1261側へ進み、編成全体を撮影してみた。

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デビュー当時のツートンカラーになって出場して来た、多摩湖線用の261F。

新101系としては、約10年ぶりとなるツートンカラーの復活。この画像ではお解りにくいかもしれないが、実は正面も登場時のブラウンに塗られている。多摩湖線で活躍中の車両と言う事で、種別幕廃止、スカート取り付け、側面方向幕取り付け、シングルアームパンタ装備など、登場時の姿とはだいぶ異なる車両ではあるが、カラーそのものは、とても懐かしい。この時期に、なぜツートンカラーを復活させるのか、それも多摩湖線の車両と言うのが引っ掛かるが、これから先、この編成が何かと注目を浴びることになるのは間違いない。

この撮影を終えた後、261Fは静かに出発して行った。私は、後続の拝島行きで追跡したが、玉川上水に到着した時には、既に車両基地内へと入ってしまった後であった。せめて、少しでも近くへ。そう思って、車両基地へ向かって歩いてみたが、261Fは、多摩湖線ワンマン編成が良く留置されている場所に静かに停まっていた。この場所にいると言う事で、遅くとも来週前半ぐらいまでには、営業運転に復帰するのではないかと予想している。日中の走行シーンを撮るのが楽しみになって来た。

最後に、261Fを撮影される皆様へ、多摩湖線沿線住民としてのお願いです。

261Fが活躍する舞台となる、西武多摩湖線の国分寺~萩山間は、ほぼ全区間、道路に面しています。その為、道路上での撮影が多くなるかと思います。道路上で撮影される場合には、走行中の自動車やバイクの邪魔にならないよう、歩道上での撮影をお願いたします。また、歩道上では、自転車や歩行者の方達への配慮も併せてお願いいたします。

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お帰りなさい 西武2093F

西武鉄道では、昨年度より新2000系のバリアフリー化工事を進めているが、今年度の改造第3弾となった2093Fが、3月24日、東急車輛より出場。甲種輸送により西武沿線へと戻って来た。

2093Fは、2008年12月15日に東急車輛へ入場している。前回出場した2055Fは、土曜日の出場となったが、今回は平日の出場となった。そこで、この日は休暇を取り、2093Fの出場甲種の撮影に出掛けることにしたのだが、前の記事でお解かりの通り、午前中は栃木県の壬生へ行っていた。従って、逗子(神武寺)からの撮影は不可能。とりあえず行ける所まで行ってみよう。そう思いながら、宇都宮駅12時39分発の湘南新宿ライン快速逗子行きに乗車した。この列車で、新川崎に到着するのが14時36分。甲種輸送のダイヤと見比べると、どうやら新川崎手前の小倉陸橋には間に合いそうだ。宇都宮からの移動時間は、約2時間。朝早かったこともあり、お昼ご飯を食べたら眠くなってきた。ここはグリーン車で移動する事にしよう。モバイルSuicaで、グリーン券を購入し、2階席に腰を下ろした。

列車は定刻通りに新川崎に到着。私は横浜方向に歩きだして、小倉陸橋を目指す。15時頃、現地に到着する。流石に有名撮影地だけあり、集まっているファンの数は数え切れないほどだ。どうにか隙間を見つけて、両サイドの方に声をかけて入れさせてもらった。撮影場所の確保が終了した頃、前方よりDE10のヘッドライトが見えてきた。

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DE10 1749号機に牽引されてやって来た西武2093F。

現地到着から3分ほどでやってきた2093F。ちょっと新川崎駅付近でのんびりし過ぎてしまったせいでギリギリになってしまった。

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日光線用107系 レトロ調デザインの新塗装車が営業運転を開始

3月24日、多忙なシーズンも終わったので休暇を取った。

まず、午前中は栃木県の壬生町にある「おもちゃ博物館」へと出掛けてきた。ここで開催中の「鉄道模型展」の会場内で販売中の限定品を購入するのが目的だったが、「おもちゃ博物館」と言う事で、他にも懐かしいおもちゃがあり楽しむことが出来た。

「おもちゃ博物館」の見学を終えて、私は宇都宮へ移動。名物の餃子で昼飯に。そして、ここから湘南新宿ラインで次の目的地へと移動するのだが、その際に、宇都宮駅の日光線ホームを眺めてみると、見慣れないカラーの107系が停まっていた。

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日光線を走る107系に、レトロ調デザインの新塗装車が登場。営業運転を開始した。

宇都宮駅から分岐するJR日光線では、車両や駅設備などをレトロ化して活性化を図る動きが、昨年春頃より始まっており、今回、ついに車両の塗装をレトロ調に衣替えする事になった。日光線の107系は、全部で8編成存在するが、残りの編成についても、今後、順次塗装を変更して行く。

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日光駅の駅舎を象ったロゴマークも入れられている。

JR東日本初の新製車両として、165系電車の足回りを生かして作られた107系電車も、今年で登場から21年。車体はまだまだ新しいが、足回りは古いだけに、そろそろ後継車種の問題も出てくるかなと思うが、日光線用の107系に関しては、新塗装化の動きが出てきており、もう暫くの間は、107系の活躍ぶりが見られそうだ。

この撮影後、私は隣のホームに停車していた湘南新宿ラインへと乗り込み、次の目的地へと移動した。

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戸倉駅構内の車両基地を訪ねる

さて、新駅の千曲からは、乗車駅証明書を手に上り列車に乗車。隣駅の戸倉へと向かった。

41運用に就いていた169系湘南色編成は既に入庫している。実は、2008年11月15日に訪れた時、湘南色編成は、41運用終了後、上り本線の隣の線に留置されていた。今回も同じ条件であれば、戸倉駅のホームから湘南色編成を撮影できる。まだ陽もあるし好都合だ。そう思って戸倉駅へと向かった。しかし、私たちが戸倉駅に着くと、湘南色編成の姿が見えない。おかしい。よく見たら、洗浄線に入れられていた。これでは、ホームからの撮影は厳しい。湘南色編成については、後程、車両基地の方向へ近付いて様子を見ることにして、まずは、ホーム上から、留置中の赤い169系を撮影することにした。

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車両基地内に留置中の169系

この日、上り本線のすぐ隣に留置されていた169系は、クモハ169-1+モハ168-1のトップナンバーユニットを含んだS51編成だった。

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しなの鉄道の新駅 千曲駅を訪ねる

さて、前の記事でもお解かりの通り、3月15日は、まもなく見納めとなる169系湘南色編成の撮影へと出掛けたが、この日2回目の湘南色編成の撮影に利用したのが、3月14日のダイヤ改正を機に開業した新駅、千曲駅であった。

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3月14日に開業した、しなの鉄道の新駅、千曲駅。

千曲駅は、戸倉~屋代間の中間に設けられた駅で、僅か1週間ほどではあるが、湘南色編成との組み合わせが楽しめる事から、今回の遠征計画に、この駅は欠かせなかった。私は、滋野駅から乗車した169系湘南色編成を、この駅で下車し、早速、169系湘南色編成をホーム上で撮影した。そして撮影後、改札口へと向かうが、実は私が所持していた乗車券が、料金不足であるため、運賃を精算する必要があった。改札口で駅係員に声をかけると、応対した駅員さんは、千曲市役所の職員さんであった。駅構内を見渡してみると、この駅は千曲市に業務委託をしている旨の掲示があった。委託先が市役所とは、ちょっと意外だった。

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まもなく見納め しなの鉄道169系湘南色編成

さて、小海線の列車で小諸に到着した私は、ここでkimu氏と合流する。早速、しなの鉄道の乗車券を購入し、小諸13時06分発の長野行きに乗り込み、隣の滋野駅へと移動し、169系湘南色編成による快速604Mを撮影する。

滋野駅の長野方は、カーブしており、上り列車の撮影に適している。午前中、169系湘南色編成充当による快速602Mに乗車したkimu氏によると、滋野駅のホームには多くのファンな待ち構えていたとの事。果たして、この時間帯はどうだろうか。実際に滋野駅に降り立ってみると、待ち構えていたファンの数は少なめ。これなら撮影できそうだ。私達は、ホームの先端へと向い、撮影準備に取り掛かる。そして、およそ15分後の事。湘南色編成による快速小諸行き604Mが接近して来た。

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まもなく元のカラーに戻される、しなの鉄道169系湘南色編成。

この日2回目の上り快速列車。kimu氏が乗車した1本目の602Mだと、光線状態が良かったようだが、この604Mだと正面に陽が当たらない。この場所で撮影していた人が少なかったのは、その為だろう。まあ、私の場合は、出遅れた訳だから贅沢は言えない。

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佐久平から小海線で小諸へ

ダイヤ改正から一夜明けた3月15日。前日の大荒れの天気が嘘のように、朝から好天に恵まれた。

この日、私は、終焉が迫って来た、しなの鉄道の169系湘南色編成の撮り収めに、長野へと出掛けるつもりでいた。しかし、目が覚めたのが9時30分。前夜、友人のkimu氏に、「湘南色は22日までだよ」とメールを送ったところ、朝から現地へ向かったと言う。彼からのメールをもらった時は、今日は寝坊したので行かれないとメールを送ったのだが、その後、時刻表で調べてみると、この日2本目の快速列車には間に合う事が解った。そうとなれば、すぐに支度して現地へ。自宅を10時すぎに出発し、大宮11時10分発の長野新幹線に乗車した。

kimu氏とは、小諸駅で待ち合わせをする事にしたのだが、長野新幹線が経由しない小諸へは、2通りのルートが選択できる。まず1つ目は、新幹線を軽井沢で下車し、軽井沢からしなの鉄道に乗り換えて小諸へ行くルート。そして、もう1つは、新幹線を佐久平で下車し、小海線に乗り換えると言うものであった。料金は、佐久平経由がやや安い。到着時間は2分しか変わらない事からほぼ一緒。佐久平経由で行けば、わずかな距離ではあるが、小海線にも乗れる事から、佐久平経由を選択した。

12時10分、佐久平駅に到着する。ホームには、「世界初、ハイブリット気動車が走る小海線への乗り換え駅」と書かれた看板があり、長野からの帰りによく目にしていたのだが、実際に降りるのはこの日が初めてのことだ。改札口を出て、小海線はどちらかなと見渡すと、細い連絡通路を見つけた。早速、連絡通路に向かう。東海道新幹線の三河安城駅程ではないものの、結構長く感じる通路だ。そして、通路上に自動扉が見えた。ここから先、ホームまでの間が、待合室となっているのだ。狭い通路の一部を有効に使おうと考えたのだろう。時刻表を見ると、私が乗車する小諸行きの5分ほど前に、反対方向の中込行きが来ることを知る。時刻表の表示によれば、中込行き、小諸行き、どちらもハイブリット車ではない。ごく普通のキハ110系なのだが、せっかく小海線に乗ることだし、ホームに出て、まずは中込行きを撮影することにした。

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佐久平駅に進入する小海線中込行き。

小海線の佐久平駅は、ホーム片面の高架駅。珍しく在来線が新幹線を乗り越えている。長野新幹線開業時に設置された駅なので、まだ設備も新しく、車両とも合わせて、昔の高原列車のイメージは殆ど感じられない。

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最後の「富士・はやぶさ」を出迎える

さて、話は3月14日、ダイヤ改正当日に遡ります。

東京と九州を結ぶ寝台特急「富士・はやぶさ」。最後まで残った九州ブルトレであるが、惜しまれながらもダイヤ改正前日の3月13日発車分の列車で幕を閉じた。その模様は、テレビのニュース番組でも取り上げられたので、鉄道に興味のない方も、この列車がダイヤ改正を機に姿を消すと言う事を知っている人は多いと思う。

「富士・はやぶさ」は夜行列車と言う事で、3月13日に出発した列車は、上り・下りともに終着駅に到着するのは、ダイヤ改正当日の14日朝となる。そこで、3月14日は、東京駅に到着する最後の「富士・はやぶさ」を見届けようと思い、出掛けてみた。しかし、この日は前日からの悪天候の影響により、「富士・はやぶさ」にも遅れが生じていた。途中駅を1時間20分ほど遅れて運転していると言う情報が入り、東京駅の到着は11時30分頃だろうと判断。10時頃に地元を出発し、中央線で東京駅へと向かう。しかし、東京駅に到着してみると、「富士・はやぶさ」が到着する9・10番線ホームは、人だらけ。そこで、一駅進んで有楽町で様子を見ることにした。この駅も、人だらけで、とてもまともな写真が撮れるような状況ではない。まあ、これも予想していた事だから、別にかまわない。どこで撮ろうかとホームを適当に歩いていると、くましげさんと遭遇。一緒に撮影する事にした。

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有楽町駅で最後の「富士・はやぶさ」を待ち構える人々。

くましげさんと「富士・はやぶさ」を待っていると、見覚えのある方を発見。作家の野村正樹先生だった。野村先生とお会いしたのは、昨年5月の新刊発売記念パーティ以来のこと。やはり、最後の「富士・はやぶさ」を見届けにいらしたようだ。簡単にご挨拶をしたのち、撮影体制に入る。

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西武多摩湖(南)線に2000系入線

週明けの月曜日。いつものように出勤するために萩山駅へ向かうと、多摩湖線国分寺行きが出発する1番ホームに停まっていたのは、いつもの101系ワンマン車ではなく、2000系2535Fだった。

多摩湖線のワンマン運転に対応する101系は、257F・259F・261F・263Fと4編成存在し、毎日3編成が運用に就き、1編成が予備として待機と言う状態を維持している。しかし、今現在、261Fが武蔵丘検修場へ入場中のため、予備車が無い状態。その為、残された3編成のどれかに不具合があると、専用編成を充当できない事になり、他の車両による代走が発生する。今朝も2535Fが運用に就いたと言う事になると、3編成のどれかに不具合が発生している事になる。ワンマン運転に対応していない2535Fが運用に就くと言う事は、当然のことながら、車掌が乗務する事になる。車内アナウンスも肉声のアナウンスで、普段の多摩湖線とは一味違う出勤となった。

国分寺到着後、折り返して行く2535Fを撮影してみる。

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折り返し萩山行きとして国分寺駅7番ホームに停車中の2535F。

折り返しの合間に確認したが、車掌役として乗務していた方は、運転士の名札をしており、普段、多摩湖線のワンマン運転を担当されている運転士の方がそのまま乗務していた。

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国分寺駅7番ホームの発車案内機。しっかりと4ドア4両と表示。

なお、今日は、夕方、東村山市内で仕事があったため、国分寺16時00分発の萩山行きに乗車した。その際に乗車したのは257F。途中、一橋学園で259Fとすれ違ったので、不具合があったのは263Fだったようである。その263Fも、夕方の運用には復帰しており、非ワンマン車による代走は、昼頃で終了していたようである。

参考:過去の多摩湖(南)線代走運転の記録
1999年12月28日・・・ 245F
2000年12月 4日・・・2531F
2001年 1月31日・・・2541F
2005年 4月 4日・・・2519F(朝)2523F(夜)弊ブログ2005年4月5日付記事参照
2005年 5月 2日・・・ 253F(朝)弊ブログ2005年5月2日付記事参照
2006年 1月 6日・・・2535F(夜)弊ブログ2006年1月6日付記事参照
2007年12月13日・・・ 251F(夜)弊ブログ2007年12月14日付記事参照
2007年12月14日・・・ 251F(朝)弊ブログ2007年12月14日付記事参照
2008年 3月10日・・・2535F(夜)弊ブログ2008年3月10日付記事参照
2009年 2月24日・・・2543FMusashino RM Blogさん参照

こうして見ると、2535Fが代走に充当されている事が多い。単なる偶然だとは思うが・・・

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さらば寝台特急「富士・はやぶさ」

日付が変わり今日は3月14日。JRグループではダイヤ改正が実施される。

春は別れの季節。このダイヤ改正を機に、東京駅からは九州方面への寝台特急の運転が終了した。最後まで残った九州方面へのブルートレインは、「富士」と「はやぶさ」である。運転最終日となった3月13日は、どこも、最後の撮り収めをしようとするファンや、一目見ようとする一般の方達で賑わった。

この最終運行を残り1週間を切った3月7日の夕方、私は東京駅を旅立つ「富士・はやぶさ」を撮影しようと思い出掛けてきた。まずは、日中の留置先である品川から、始発の東京駅までの回送列車の撮影から開始。田町~東京間の途中駅は、どの駅も人でいっぱいだったが、撮影条件の良さから、あえて田町駅を選択し、3・4番線東京方で待機。回送列車の通過を待つ。やがて、前方からEF66の姿が見えたと思った瞬間、背後からは無情にも京浜東北線の電車が入線。機関車側は撮影出来ず、仕方なく客車の後追いだけ撮影した。

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始発の東京駅へと向かう「富士・はやぶさ」編成。

東京~門司間で併結運転となっている「富士」と「はやぶさ」。車両運用の都合から、下り列車・上り列車ともに前よりが「はやぶさ」となっている。その為、併結区間では、「はやぶさ」のテールマークが顔を出すことはなく、唯一撮影できる場所が、東京~品川間の回送区間のみなのである。当日、田町駅では、私の前に何人も先客の方達がいたため、ライブビュー機能で背伸びして、画面だけを頼りにピントを合わせて撮影したため、ややピントが合っていなかったようだ。

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新101系近江鉄道向け譲渡車 現地へ向けて出発!

新型車両30000系の投入により廃車が進む西武鉄道101系電車。廃車になった車両のうち、一部の車両が縁有って、地方私鉄へ譲渡されているが、この度、西武鉄道グループの近江鉄道へ101系が譲渡されることになり、3月9日朝、現地へ向けて旅立って行った。

西武鉄道を取り上げている複数のブログで紹介されているとおり、譲渡車両3両は、3月3日に武蔵丘検修場を出場。そして、3月7日終電後に方向転換を実施。方転後、そのまま所沢駅6番線に9日朝まで留置されることになった。私は、8日午後、新天地へ向けて旅立って行く3両を見届けるため、所沢駅へ向かった。15時頃、所沢駅5番ホームに到着すると、隣の6番線には、E31とE34に挟まれる形で、近江鉄道向け譲渡車が停められていた。

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所沢駅6番線に留置中の近江鉄道向け譲渡車。

近江鉄道へ旅立って行く101系は、池袋線で活躍していた291Fのクモハ291と269Fの計3両。ご覧のように、特に手は加えていない。改造は現地の工場が担当するのだろう。

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まもなく見納め? 373系の「ムーンライトながら」

春は出会いと別れの季節。JRグループは、3月14日にダイヤ改正を行うため、ダイヤ改正を機に引退する列車・車両たちにとっては、今が「別れの春」となっている。

東京から岐阜県の大垣までを結ぶ夜行快速列車「ムーンライトながら」。青春18きっぷ愛好家の皆さんは、一度は乗った事があるであろう、東海道本線の名物夜行列車である。私も、これまでに何度か乗車した経験がある。この「ムーンライトながら」が、このダイヤ改正を機に、季節列車扱いに格下げされる。季節列車となる「ムーンライトながら」は、現在、「ムーンライトながら」の臨時便に使用されている、JR東日本の183・189系に使用車両が変わるため、JR東海の373系による運転は、まもなく終了となるのだ。そこで、定期列車での「ムーンライトながら」をしっかりと記録しておこうと思い、残り1週間となった3月6日の夜、東京駅へ撮影に出掛けてきた。

一旦帰宅してから再び外出。東京駅に到着したのは、22時30分頃のことであった。「ムーンライトながら」に使用されるJR東海の373系は、この運用に就くために、静岡から東京までの普通列車として上京してくる。東京駅へ乗り入れてくる東海道本線の普通列車では、数少ないグリーン車を連結しない普通列車。まずはその到着シーンからの撮影とした。22時43分、9番線に373系が入線してくる。私は、8番線に停車していた東海道線の下り列車の出発を待って、撮影を開始した。

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ダイヤ改正まで残り1週間となった3月6日、改正を機に季節列車化される「ムーンライトながら」を撮影するために東京駅へと出掛けてきた。

ちょっと見辛いが、373系のヘッドマークには白地に小さな黒文字で「普通」と書かれている。3編成つなげた9両編成は、長編成が目立つ東海道本線東京口では、やや短めな編成である。グリーン車も連結されていないため、ちょっと物足りない部分はあるが、使用される373系そのものが特急形車両と言う事で、9両とも車端部を除きリクライニングシートとなっており、長距離客には人気がある。また、今では数少ない沼津以西からの直通の普通列車でもある。なお、「ムーンライトながら」が季節列車に格下げされても、この運用には、373系が使用される事は発表されており、引き続き、東京駅では早朝と深夜に373系を見る事が出来る。

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西荻窪で201系を撮影する

本業が多忙なシーズンを迎え、この時期は、終日ではないが土曜日も出勤している。その為、あまり遠くへ撮影に行く事が出来ないのだが、その分、地元の中央線の撮影は増えてくる。土曜日に出勤する場合は、意識して、EOS40Dを持参している。

2月28日、この日も15時頃まで仕事をしていた。仕事を終えてから1時間ほど、西荻窪駅にて撮影をしてみた。最初は、電車も次々にやって来たのだが、16時を前に突然電車が途絶えてしまった。何でも吉祥寺駅構内、線路上に障害物があり、取り除くために電車を停めているとか。15分ほど停まっていただろうか。そして運転再開をしてから暫くして、上り快速電車で201系がやって来た。

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201系H4編成による快速東京行き。

今や2編成となった中央快速線の201系。後追いではあるが、有難く撮影する。

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模型運転会に参加する

さて、前の記事で触れたように、1か月前の2月8日は、今年最初の模型運転会に参加した。11時より17時までのおよそ6時間、習志野の運転会場に缶詰となる運転会。今回も総勢11名での開催となった。

では、例によって当日の模様から。

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三岐鉄道ED45がホキ10000を牽引。

1月末に引退する601系を撮影するために訪れた三岐鉄道。そこでは、貨物列車も何本か撮影した。この三岐鉄道の機関車、ED45は、タイプではあるがマイクロエースで発売されており、私も所有している。今回の運転会では、三岐鉄道訪問から間が無かったこともあり、この車両から運転を開始した。

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ラッピング車になった新京成N800形

では、ここで1か月ほど前の話に遡ります。

2月8日、この日は今年最初の模型運転会。いつもの船橋市内の会場へ向かうため、萩山から、まずは西武線で高田馬場へ。そして、高田馬場から東西線・東葉高速鉄道線直通列車で北習志野へ。ここで、いつものように、新京成線へと乗り換える。待ち時間はおよそ10分。やって来る列車は、京成千葉線直通の千葉中央行きのため、6両編成である。こんな時に1本しかないN800形が来たりして・・・何となく予感がしたのか、自然と足がホームの松戸方へと進む。ちょうど順光で撮れる場所なので、一度は撮ってみたかったのだ。ホームの先端に辿り付いてからおよそ5分。乗車予定の千葉中央行きが近付いてくる。予感的中。N800形が入線して来た。

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北習志野駅に入線するN800形。(2009年2月8日撮影)

入線して来たN800形。良く見ると、ラッピング車となっており、オリジナルの姿とは雰囲気が異なっている。広告主は、北総鉄道線印西牧の原駅前にある巨大ショッピングモール「BIG HOP」とのこと。今現在、新京成電鉄は、北総鉄道との連絡線が無くなってしまったため、この車両が北総鉄道線内を走る事はないのだが、同じ京成グループの会社であり、新鎌ケ谷駅で接続していることもあってか、この新京成線にもラッピング車を走らせているのだろう。

1編成のみしかない車両に遭遇し、気分良くして運転会の会場へと向かった。

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183系「新宿あがつま草津号」を撮影する

さて、秩父鉄道を訪れた2月22日、午後からはJRの撮影に移る。既にお伝えしているように、夕方には、京浜東北線の209系500番台車ウラ80の撮影をしているのだが、その前に、臨時特急「新宿あがつま草津号」を撮影した。

「新宿あがつま草津号」は、その名が現す通り、新宿と草津温泉を結ぶ臨時特急列車。2007年秋から「あがつま草津号」と言う名で登場し、土曜日に下り列車を、日曜日に上り列車を運転している。2008年から列車名の前に「新宿」が付くようになった。そして、2008年秋の運転からは、下り列車が185系、上り列車が183系での運転と言うパターンが続いている。

実は、前の記事で触れた秩父鉄道の急行「臘梅号」を撮影するため、熊谷駅で秩父鉄道の電車を待っている際に、JRのホーム上に大宮総合車両センター183系OM103編成の回送が停まっているのを確認していた。後に「新宿あがつま草津」の送り込み回送だと解ったので、OM103編成の「新宿あがつま草津」を帰りに撮ろうと心に決めていたのである。ただし、時間に余裕があった事から、いったん、浦和まで行き、ユザワヤを覗いてから、高崎線の列車で宮原駅へと戻って来た。ここで、「新宿あがつま草津号」を撮影する。最初は、改札を出て、線路沿いの道から撮ろうと思っていたのだが、ホーム上で進入を撮るのも悪くないなと思い、今回はホーム上から撮影する事にした。20分ほどの待ち時間の間にやって来たE231系などでタイミングを計りながら、本番を待つ。そして、通過予定となり、前方からOM103編成の姿を確認。近付いてきたところで撮影してみた。

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183系大宮車OM103編成で運転された、2月22日の「新宿あがつま草津号」

183系使用の「新宿あがつま号」は、今回が初めての撮影ではなく、2008年11月11日付記事でも取り上げている。この時は、専用のヘッドマークを掲出しての運転であったが、最近では、185系も含めて、「草津号」のヘッドマークで運転されていると言う話は、ちろ氏のブログでも確認していたので、それほど違和感は感じられなかった。特に183系の場合は、新特急と呼ばれていた頃の草津号に使用されていたマークに似ている事から、どこか懐かしさを感じた。

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急行「臘梅号」を追って秩父鉄道へ

お待たせいたしました。それでは、ここで2月22日の撮影記に戻ります。

秩父鉄道では、今年も1月17日から2月22日までの間、長瀞の宝登山のロウバイの開花に合わせて、急行「秩父路号」を急行「臘梅号」として運転した。昨年から、この急行「臘梅号」には円形のヘッドマークを掲出しての運転となっており、その様子は、弊ブログの2008年2月3日付記事でも取り上げている。今年もヘッドマークを掲出しての運転と言う事で、撮影に行くつもりでいたのだが、色々とスケジュールの都合上、最終日である2月22日の撮影となってしまった。

今回、この急行「臘梅号」の撮影は、縁有って、『モハようございます。あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』の著者である、吉田一紀さんと出掛けることになった。当初は、吉田さんと西武池袋線・秩父線で西武秩父まで行き、御花畑~影森間での撮影を予定していたのだが、吉田さんが、13時より中目黒でお仕事があるとの事で、急きょ撮影地を熊谷周辺に変更する事になった。その為、この日は、大宮駅から乗車する高崎線の車中で合流と言う事になったのである。

大宮駅8時28分発の高崎線高崎行きで出発。宮原付近で吉田さんと無事に合流が出来た。乗車した列車は211系15両編成。当初は、基本編成の先頭である10号車に乗車していたのだが、途中から空いて来たので、セミクロスシート車の1000番台車が入った前の5両に移動。ボックスシートに腰を下ろして熊谷を目指した。

9時5分、熊谷駅に到着する。JRのホームから秩父鉄道の熊谷駅を眺めてみると、留置線にはヘッドマークを掲出した6000系と、更には1000系の国鉄色編成が停められていた。そこで、秩父鉄道に乗車する前に、まずは駅に隣接した駐車場より、留置中の車両を撮影する事にした。

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2月22日は、「モハようございます」の吉田さんと秩父鉄道沿線へ。まずは熊谷駅の留置線にいた1000系の国鉄色編成と、急行「臘梅号」のヘッドマークを掲出した6000系を撮影。

駐車場内に入って、撮影を開始すると、すぐに6000系がゆっくりと動き出した。どうやら、構内で入替を始めるようである。まだ乗る列車への時間もあった事から、引き続き入替シーンを撮影する事に。

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三峰口方へゆっくりと進んで行く6001F。

留置線上をゆっくりと走行していた6001F。どうするのかと思いきや、留置線を少し進んだところで停まってしまった。どうやら、暫くの間、この場所で過ごすようである。この日最初に遭遇した急行用車両であるが、この編成には、ご覧のようにローマ字で書かれたヘッドマークを掲出していた。

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JR国分寺駅バリアフリー化工事観察記9

2009年2月20日付記事でお伝えした、JR国分寺駅上りホームのエレベーター。当初の予定通り、昨日、2月28日の初電より使用を開始した。

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予定通り2月28日より使用開始された、JR国分寺駅上りホームのエレベーター。

また、このエレベーターの使用開始に伴い、上りホームに残されていたエスカレーターが閉鎖され、上りホームからエスカレーターが一時的ではあるが消滅した。

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閉鎖されたJR国分寺駅上りホームのエスカレーター。

今後は、上りホームのエスカレーター増設工事が本格的に開始されることになる。

さて、バリアフリー化工事と直接関係するかどうかは不明だが、昨日の12時を以て、国分寺駅構内で営業を続けてきた、ジューサーバーが閉店する事になった。昨日は、ちょうど12時頃に国分寺駅を通り掛かったが、店員さんたちが、後片付けをしているところであった。

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2月28日の12時を以て閉店した、国分寺駅構内のジューサーバー。

毎日、乗り換えで、この店の前を通過しており、西武線への乗り換え時間が長い時などには良く利用していた。それだけに、今回の閉店は残念である。中央線沿線では、三鷹駅でも駅舎内改良工事のために閉店しており、国分寺駅も同様の理由ではないかと考えられる。今後、ジューサーバーに代わる新たなエキナカショップがオープンする事になるのかも気になるところだ。

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