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さらば寝台特急「富士・はやぶさ」

日付が変わり今日は3月14日。JRグループではダイヤ改正が実施される。

春は別れの季節。このダイヤ改正を機に、東京駅からは九州方面への寝台特急の運転が終了した。最後まで残った九州方面へのブルートレインは、「富士」と「はやぶさ」である。運転最終日となった3月13日は、どこも、最後の撮り収めをしようとするファンや、一目見ようとする一般の方達で賑わった。

この最終運行を残り1週間を切った3月7日の夕方、私は東京駅を旅立つ「富士・はやぶさ」を撮影しようと思い出掛けてきた。まずは、日中の留置先である品川から、始発の東京駅までの回送列車の撮影から開始。田町~東京間の途中駅は、どの駅も人でいっぱいだったが、撮影条件の良さから、あえて田町駅を選択し、3・4番線東京方で待機。回送列車の通過を待つ。やがて、前方からEF66の姿が見えたと思った瞬間、背後からは無情にも京浜東北線の電車が入線。機関車側は撮影出来ず、仕方なく客車の後追いだけ撮影した。

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始発の東京駅へと向かう「富士・はやぶさ」編成。

東京~門司間で併結運転となっている「富士」と「はやぶさ」。車両運用の都合から、下り列車・上り列車ともに前よりが「はやぶさ」となっている。その為、併結区間では、「はやぶさ」のテールマークが顔を出すことはなく、唯一撮影できる場所が、東京~品川間の回送区間のみなのである。当日、田町駅では、私の前に何人も先客の方達がいたため、ライブビュー機能で背伸びして、画面だけを頼りにピントを合わせて撮影したため、ややピントが合っていなかったようだ。

撮影後、私は京浜東北線の電車で東京駅へと向かう。到着後、すぐに9・10番線ホームへ移動。予想はしていたことだが、「富士・はやぶさ」が出発するこのホームはかなり混み合っていた。まずは、ホームの品川方へ向かい、機関車の連結シーンを撮ろうとするが、既にホームの先端はカメラを持ったファンでいっぱい。先程の田町駅と同じように、ライブビュー機能を使って撮影をする。

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人と人との間から、機関車の連結シーンを撮影。

これだけ人が多いと、警備をする現場の方達も大変だ。機関車の前にいた職員さんからは、「フラッシュを使わないように」と注意されるが、どこからともなくフラッシュの光が当たっている。列車の安全運行を維持するためにも、撮影時のマナーは、きちんと守ってもらいたいものである。

この後は、発車までの間、ホーム上で色々と撮影。

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東京駅10番線の発車案内機。「富士」「はやぶさ」2つの列車が併結と言う事で、双方を交互に表示している。

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「富士」「はやぶさ」それぞれの側面方向幕。

日豊本線へ向かう「富士」と鹿児島本線へ向かう「はやぶさ」。現在では、「富士」が大分行き、「はやぶさ」が熊本行きとなっているが、私が小学校に入学する頃までは、どちらも西鹿児島(現:鹿児島中央)行きであった。特に、日豊本線経由の「富士」は、当時の国鉄では、最も長い距離を走る列車となっていた筈である。

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それぞれに連結されているB個室寝台「ソロ」

B個室寝台「ソロ」の表記も撮影してみたが、塗装はご覧のような状態。確かに製造後30年経過した車両ばかりで構成された列車であるので、これは仕方ないか。

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最後に、最後部車両を撮影。

「富士」のテールマークを掲出する最後部のスハネフ14は、やはり撮影する側にとって人気の的となっているため、このアングルで撮るのも、一苦労であった。まあ、みんな考えている事は一緒だから仕方が無い。この撮影が終わったところで、発車時刻となり、「富士・はやぶさ」は、九州を目指して静かに出発して行った。

翌8日、日中の走行シーンの最後の撮影をしておこうと、早起きして東海道本線沿線へ向かう。移動中、知人から浜松付近を約1時間遅れで運転中と言う情報が入る。遅れてくる分だけ、撮影場所探しに時間が取れるのは有難かった。私は、辻堂駅で下車し、藤沢方向に歩きながら撮影場所を見つけることにした。出来るだけ線路に沿って歩いてみたが、ちょっと見通しの効く場所はカメラを持った人でいっぱい。ようやく撮影できそうだと思ったポイントも先客が待機していた。この日は、曇っており、富士山は望めない事から、貨物線側からの撮影にしたが、道路に沿ってフェンスがあり、ちょっと撮影は難しい。最初は躊躇していたのだが、撮影場所はバス停の前で、ここまでは車道との間に歩道もある事から、車の走行に支障はない。また、安全性を考え、ガードレールの上では立たずに、中腰の状態で撮ることによりフェンスをクリアした。

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約1時間遅れで辻堂~藤沢間を走る「富士・はやぶさ」

撮影後、私は藤沢駅へ向かったが、もう少し藤沢駅寄りに進めば、ここより条件の良いところがあったようだ。ちょっとだけ後悔。おそらく、この撮影が、私にとってまともに撮影出来た最後の「富士・はやぶさ」となるだろう。

ダイヤ改正を機に、また一つ寝台列車が姿を消した。全国的に見ても寝台列車は、新幹線の開業や飛行機に追われる形で厳しい時代を迎えている。でも、これらの列車を愛用する方達が、まだ多くいらっしゃることも事実。一鉄道ファンとしては、残った列車が末永く活躍してくれることを願い、機会があれば、私達も乗車しなくてはと改めて実感した。

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コメント

拝見させて頂きました。昨日の東京駅はさぞやすごかったでしょう。 私は仕事の関係でいかれませんでした。拝見している間に35年程前のことを、思いだしていました、当時私は小学6年生か中学1年生位の時です。九州方面に向かうブルートレインは「EF65 500番台」が牽引していました。その当時のことを思い出していました。ブルートレインの華やかな時代が今では嘘のようです。 もう一度あの頃のような時代に戻って欲しいものですね。まあむりでしょうけど。

投稿: 熊田 虎之助 | 2009/03/14 13:05

とうとう終わってしまいました…。
昨日は仕事があり、携帯のワンセグを見ながら、仕事帰りに新橋駅で待ちました。
ちょうど18時のニュースで民放東京キー局4放送は、はやぶさ・富士ラストランをLIVE!上空にヘリが追跡…!
私は新橋で見送りました…。
廃止が決まったとき、上りの到着を東京駅で見たのですが、客車の整備状態の酷さに唖然としました!!
昨年の寝台急行の銀河と比較しても、傷んでいるように思いました!

1975年の急行桜島・高千穂のラストラン時、私は高校生でした…もちろんカメラを持って走り回っていました。まさか、東京発着の寝台列車がなくなるとは…!!!!!!

投稿: 準急豊島園 | 2009/03/14 15:01

私も、最終運転日の前日の東京発の「はやぶさ」に乗車してきました。東京駅は12日も凄かったですがやはり最終日の13日の方がより凄い人の数でしたね。

今日、私は鳥栖駅で「はやぶさ」を見送ってきました。やはり周りの人から「ありがとう」「さようなら」という声が多く響き渡りました。自分が乗った列車だからこそなんか最後はちょっと寂しくなります。

今度は、Nゲージのブルトレを買って、自宅内でいつまでも走らせてみようと思っています。

投稿: mi-ha- | 2009/03/14 21:04

本当に、西鹿児島発着の頃に乗っておいて良かったなと思います。今はただ「ありがとう」そして「JRが忘れても俺達は忘れない!」、と言う思いです。

投稿: 岩崎友裕 | 2009/03/14 22:10

撮影お疲れ様です。
遂に東京発着のブルートレインが終焉を迎えてしまいましたね。
特に「富士」はブルートレインブームの頃より浜松に停車し続けているのを見ていて愛着を持っていました。
そんなコメントを書きながら最終日に寝過ごして「富士はやぶさ」とのお別れは出来ませんでした。
情けないです。

他のブールートレインを含め夜行列車がどうなるか気になります。

投稿: maa | 2009/03/14 23:02

撮影お疲れ様です。

私は「富士」に昨年から乗る機会を探していたのですが、とうとう都合がつかず、今日を迎えました。

私が鉄道写真を撮り始めたときには、すでにEF65PFの時代になっており、Pの時代が黄金期だとすれば、その時代は知らないことになります。
それでも、大船近辺で、朝一番の「出雲」・「紀伊」併結列車(これと「銀河」のみヘッドマークがなかった)からEF58+20系の「銀河」、そして「さくら」まで飽きることなく写真を何回も撮りに行きました。

それが全てなくなってしまったという喪失感は大きいものです。

今回のことで東海道・山陽本線を通して走る旅客列車がなくなりました。戦前から東京(新橋)-下関を走る列車が花形でした。確実に一時代が終わったのでしょう。でも、いままで頑張ってくれてありがとうと言いたいです。

追記 西鹿児島行きの「富士」は運転時間が24時間を超えると聞いて、不思議に思ったものです。なぜなら終着駅到着前に同じ列車が東京駅を出発してしまうからです。素朴な疑問でした。

投稿: バイシ | 2009/03/15 01:07

大変ご無沙汰しております。

ついに九州ブルトレがなくなりましたね…。ホントは昨日の朝、自宅近くの駅か沿線で上りの最終列車を見送りしたかったんですが…結局寝過ごしてしまい、見送りできませんでした…(泣)。

「はやぶさ」は15年くらい前、まだ単独運転だった時代に浜松から鳥栖までB個室“ソロ”に乗った思い出があります。できれば廃止前にもう一度乗っておきたかったですね…。

実車がなくなった代わりといってはなんですが、今後は模型で末永く活躍させてあげようと思います…。

投稿: ひかり183号 | 2009/03/15 15:36

ついになくなっちゃいましたね。優等列車代表格の存在だっただけにさびしい限り。
1月のコラムを読ませて頂き、先月辻堂に行きました。撮影場所の知識なかったもので、ありがとうございます。貨物線側からだと、こんな感じで見られるのですか。
あのマンションが順光に影を落としてたのか。なんて言っちゃいけないですね。
富士は今年の元日に小倉→東京乗って来ました。九州までの行きは、例のながら折返しから青春18で刻んで行ったのは言うまでもありません?

投稿: わるわる | 2009/03/15 23:25

皆さん、コメントありがとうございます。

熊田 虎之助さん>
残念ながら13日夜の東京駅へは行けなかったのですが、行った人の話によると、凄かったそうですね。35年前と言うと、ちょうど私が生まれた頃ですね。私にとっては、物心ついた時には、ブルトレの牽引機はPFでした。でも、その前のP形もなかなかカッコイイと思います。出来る事なら、廃止前にP形かPFよる牽引で運転してほしかったですが、JRになった今では難しいのかもしれませんね。

準急豊島園さん>
最終日は新橋で見送られたのですか。お疲れ様でした。「富士・はやぶさ」の場合、晩年は14系14形の他、14系15形、24系25形からの改造編入車など、様々な経歴を持つ車両が入っていました。それだけに、整備も大変だったのでしょうか。おっしゃる通り、「銀河」編成よりも状態の悪い車両が目立っていたように感じます。

mi-ha-さん>
最終日前日の「富士・はやぶさ」に乗られたんですね。羨ましい。きっと、この乗車記録は良い思い出になると思いますよ。これからは、模型の世界でいつまでも九州ブルトレを走らせてやってください。

岩崎友裕さん>
西鹿児島発着時代に乗られましたか。まさに、その頃が九州ブルトレの黄金期だったことでしょうね。「富士・はやぶさ」は惜しまれながら廃止されていきました。我々、鉄道ファンは勿論のこと、多くの人たちの記憶の中では、いつまでも「富士・はやぶさ」は、終着駅を目指して走り続けてくれることでしょう。

投稿: TOMO | 2009/03/16 02:17

皆さん、コメントありがとうございます。

maaさん>
「富士」は、浜松の皆様には、何かと馴染みのある列車だったんですね。それだけに、最終日の見送りが出来なかったとは、残念でしたね。ちなみに、上り列車最終日の便は、途中区間で1時間20分ほど遅れていました。

バイシさん>
鉄道写真を撮り始めた頃、ブルトレがPFになっていたということは、私と同年代か少し上の世代の方ですね。やはり黄金期と言うのは、P形が担当だった頃と言うことなのでしょうか?

ひかり183号さん>
御無沙汰しております。「富士・はやぶさ」は、残念ながら廃止となってしまいましたが、今後は模型で残されるのですね。また、ブログでの製作記も期待しております。

わるわるさん>
辻堂へ撮影に行かれましたか。お疲れ様でした。撮影には天気が良い方が良いですが、曇りですと、その分、影は気になりませんから、私は曇りも歓迎しています。今回、撮り収めの時は、天気が曇りでしたので、貨物線側から撮る事が出来ました。この場所も好天ですと、側面に陽が当たらないと言う状況だったと思います。

投稿: TOMO | 2009/03/16 02:47

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