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旧型客車の返却回送を撮影

さて、分倍河原での撮影を終えて立川に戻って来た私。ここで、駅構内に出来た焼きそば屋で昼食を摂って帰るつもりでいた。しかし、昼食を終えて、何気なく携帯電話でSNSを見ると、長野から高崎へ向けて、旧型客車の回送列車が運転されている事を知る。

この旧型客車、連休中に、長野支社管内の飯山線でイベント列車に使用された車両である。旧型客車が所属する高崎車両センターから、長野支社へ貸し出されたものだが、高崎から長野へ向かう場合、普通に考えれば、長岡経由での回送が一番簡単に思う。しかし、機関車によって牽引される旧型客車を回送するとなると、長岡経由では、長岡で方向転換を伴うため、機関車の付け替え作業を行わなくてはならない。そこで、この回送時に、高崎線~武蔵野線~中央本線~篠ノ井線と経由して長野へと向かわせた。このルートだと、距離は伸びるが、一度も機関車の付け替え作業をすることなく長野へと行ける。このルートで長野入りした訳だから、当然のことながら、長野から高崎へ帰る時も同じルートである。ちょうど焼きそばを食べ終わった頃の目撃情報や、過去の回送列車のダイヤを考慮しても、どうにか上野原までは行けそうだと言う事が解った。

立川から中央線の高尾行きに乗り込み、更に高尾から甲府行きに乗り換え、上野原を目指す事にした。上野原の到着時刻は14時32分。旧客の通過予想時刻が14時42分なので、10分差と余裕が有る筈だったのだが、ちょうど上りの特急に遅れが生じており、私が高尾から乗車する甲府行きになるための上り列車にも遅れが生じていた。当然の事ながら、高尾駅での折り返しとなる甲府行きにも遅れが生じる事に。4分ほど遅れていたため、上野原の到着は、14時36分頃となってしまった。私は、上野原で下車した後、足早に撮影ポイントへと向かう、アップダウンの激しい駅構内及び公道を歩いて、撮影ポイントとなる踏切に差し掛かった頃、踏切が鳴りだした。上り列車接近である。そして、前方にはEF64のヘッドライトが見えた。まさに、ギリギリのタイミングだった。

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飯山線での運用を終えて、高崎へと向かう旧型客車。

長野から高崎へと戻る、3両の旧型客車を牽引してきたのは、EF64 39号機。同機も、高崎車両センターの所属であるが、「あけぼの」の上野~長岡間の牽引機のEF64化に伴い、長岡車両センターへと転属した37・38号機に代わり、この39号機が中央線での臨時列車牽引用として、甲府常駐機になった。

この後、上野原駅へと戻り、後続の普通列車で高尾方面へ向かう。すると、相模湖駅に、旧型客車の回送列車が停車していた。私はここで下車して撮影する事に。停車時間が結構ありそうだった事もあり、客車を1両ずつ撮影してみた。

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スハフ42 2173

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オハ47 2266

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スハフ32 2357

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牽引機EF64を入れて編成全体を撮影。

この後、出発シーンを撮るため、ホームの高尾方先端で待機する。10分ほどして、回送列車は高崎に向けて動き出した。

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高崎に向けて相模湖駅を発車。

ホームで列車を待つ一般客からも、突然現れた機関車と旧型客車に、やや驚いた様子の方も多かった。

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ゴールの高崎までは、まだ長い道のり。

走り去る旧型客車を見て、最後尾は反射板ではなく、テールライトにしてほしいと思ったのは私だけだろうか。

旧型客車の出発を見届けた後も、相模湖駅では115系などを撮影。そして、大宮行きの「ホリデー快速河口湖号」で帰宅した。

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