閉園目前の佐久間レールパークを訪ねる
さて、東上駅から乗車した519Mで中部天竜に着くと、ホーム上は、レールパークから帰る乗客、レールパーク内の混雑のため、ここで昼食を摂る家族連れなどで混雑していた。
閉園まであと1カ月少々となった佐久間レールパーク。「佐久間レールパーク号」、「伊那路」、そして私が乗車した519Mと、名古屋方面から佐久間レールパークへ向かうには好都合の列車が、既に3本到着済みとなっている。それだけに、レールパーク内は、多くの見学客で賑わっており、構内の保存車両を1両ずつ撮影するには困難な状況となっていた。まあ、5月の連休中にも訪れているので、一通り撮影は済ませてあるのだが・・・
とりあえず、この5連休の期間中、「佐久間レールパークオータムフェスタ」の企画として、特別展示されているDE15 1541号機の姿だけは見ておこう。私は、DE15が展示されている場所へと向かった。JR東海では、在来線で唯一の現役機関車となってしまったDE15は、保存車両の展示スペースでは、一番奥。つまり、車両の出し入れを一番しやすい場所に置かれていた。
保存車キハ181-1と並んで展示されたDE15 1541号機。
期間限定展示として佐久間レールパークにやって来たDE15は、JR東海在来線唯一の現役機関車と言う事で、中部天竜までは自力で回送されてきた。しかし、DE15は飯田線での走行実績がないため、信号機能への影響を考え、キハ40を連結して回送されたと言う。
このDE15の展示により、一部展示車両の配置が変更になっていた。
クハ111-1と並んだキハ48036。
茨城交通(現:ひたちなか海浜鉄道)から、佐久間レールパークにやって来たキハ48036。キハ48000形と言うよりは、キハ11形と言った方がお解りになると言う方も多いかと思う。
今回の訪問では、あまりにも人が多すぎた事もあって、撮影したのはここまで。あとは、レールパーク内で昼食を摂り、中部天竜13時18分発の臨時快速「さわやかウォーキング号」で、次の撮影地へと向かった。
さて、今回の訪問は、滞在時間約40分と言う事で、殆ど展示車両の撮影もしなかった佐久間レールパークだが、実は5月4日にも、この場所を訪れ、展示車両を一通り撮影している。この時点で、既に11月に閉園する事は発表されており、例年のゴールデンウィーク期間中と比較すると、やや混雑していたが、それでも、展示車両はじっくりと撮影する事が出来た。今回、この4か月前の訪問時に撮影した画像も合わせてご紹介したい。
(以下画像は全て5月4日撮影)
快速「佐久間レールパーク1号」で佐久間レールパークへ。
5月4日も、今回と同様、豊橋の東横インからの出発であった。名古屋から直通で来る「佐久間レールパーク1号」で中部天竜へ。今と異なるデザインのヘッドマークを掲出しての運転であった。
クハ111-1。
クモハ12054。
クモハ12形の50番台車は、1959年、鶴見線の単行運転用として、クモハ11形を両運転台改造したもので6両が存在している。もともとは、片運転台だった事もあって、同じ車両でも前面のデザインが両端で異なっているのが特徴でもある。このタイプのクモハ12は6両誕生。クモハ12052と12053の2両は、JR東日本に引き継がれ、1996年まで鶴見線で使用されていた。佐久間レールパークに保存されている、クモハ12054は、両運転台車両である事が買われて、国鉄時代に静岡運転所(現:静岡車両区)へと移り、入替用として使用されていた。このクモハ12054、私も好きな車両ではあるが、残念ながら名古屋港にできるJR東海博物館(仮称)へは収蔵されないようで、レールパーク閉園後の同車の処遇が気になる。
アメリカ生まれのED11 2号機。
ED11形は、1923年にアメリカから輸入した電気機関車である。2両が製造され、1号機は後に西武鉄道へ譲渡。E61形となって、現在でも横瀬車両基地にて保管されている。今日まで2両とも保存されていると言うのは、大変喜ばしい事である。この2号機は、廃車後、浜松工場で入替用として使用されていた。
飯田線の貨物輸送に活躍したED62。
飯田線北部の貨物輸送に活躍していた、旧型の輸入機関車等を置き換えるために、1974年から、当時中央本線で活躍していたED61を飯田線用として軸重軽減改造をしたのがED62である。貨物用と言う事で、JR化後は、JR貨物に継承されたものの、この14号機は一足早く廃車となり、JR東海の浜松工場で入替用として使用されていた。この他、17号機がJR貨物大宮車両所に保管されており、大宮総合車両センターのイベントで公開される事が有る。
このED62 14号機も、JR東海博物館への収蔵リストからは外れており、今後の処遇が気になる。
教習車、クヤ165-1。
クヤ165は、1974年、当時の国鉄名古屋鉄道管理局の165系電車教習用車両として、浜松工場にて、153系電車のビュッフェであるサハシ153より改造された車両である。この車両も、JR東海博物館へは収蔵されないらしい。
オハフ33 115。
オハ35系客車の三等緩急車であるオハフ33。佐久間レールパークで展示されているオハフ33 115には、三等車を表す赤帯が再現されている。
キハ48036。
キハ48000形。後のキハ11形である。茨城交通(現:ひたちなか海浜鉄道)で廃車後に、佐久間レールパーク入りした車両で、展示に際して元番号であるキハ48036に戻された。この点は、現在、JR東海にキハ11系気動車が現役車両として在籍している事も影響しているのかもしれない。なお、キハ48036は、国鉄キハ11時代、キハ11 26を名乗っており、茨城交通入りする前は、国鉄水戸鉄道管理局、水戸機関区真岡支区に在籍し、真岡線で活躍していたらしい。と言う事で、このキハ48036にも「水モウ」の所属表記が見られる。この点は、大宮の鉄道博物館に収蔵されたキハ11 25も同様である。
10系客車の2等寝台車、オロネ10 26。
一等寝台車、マイネ40 7。
中央本線の特急「しなの」にも運用されていたキハ181-1。
かつては、中央本線の特急「しなの」にも運用されていたキハ181系。ここで展示されているキハ181-1は、その後、四国で活躍をしていたが、JR四国で廃車後、佐久間レールパークへとやって来た。
スニ30 95。
事故救援用操縦車、ソ80。
モハ52004。
モハ52形は、1936年から37年にかけて、京阪神地区の急行電車に使用する事を目的として作られた車両。飯田線へは1957年にデビュー。約20年間活躍した。晩年はスカ色となり、佐久間レールパークのオープン当初は、スカ色の状態で展示されていたのだが、その後、デビュー当時のカラーに再現された。
この佐久間レールパークで展示されている車両の一部は、閉園後、2011年にオープンする「JR東海博物館(仮称)」へ収蔵されることが決定している。貴重な車両も多い事から、1両でも多く博物館入りしてほしいところではあったが、それでも残念なことに何両か収蔵されない車両が存在している。これら、博物館入りから漏れてしまった車両たちが、今後どのような運命を辿る事になるのだろうか。
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コメント
「鉄道ファン」の記事でキハ40型と共に中部天竜に回送されたのは知ってましたが、信号関係で連結したとは・・・てっきりDE15と一緒に展示する為と思ってました。
投稿: 岩崎友裕 | 2009/09/23 16:52
岩崎友裕さん、コメントありがとうございます。
この回送シーン、キハ40を連結させると言うのは、実にユニークですよね。DE15の展示は、この5連休のほか、10月の3連休にも実施予定ですが、回送の手間を考えますと、DE15は、10月の3連休が終わるまで、中部天竜に留置したままなのではないでしょうか。さすがにそうなりますと、キハ40は通常の運用もある訳ですし、非電化区間に行けば、いつでも乗車できるような車両ですから、展示せず、すぐに返却したようです。
投稿: TOMO | 2009/09/23 23:50
私は一度だけ佐久間レールパークを訪れたことがあります。オープンから三ヶ月後で、のち現役復帰したED18 2も当時は展示車両の一つでした。
現在のクヤ165-1の写真を見てちょっと驚いたのは、妻窓のHゴムが黒に変わっていたことです。野ざらしで陽も当たる側なので傷みが進んだんでしょうが、白Hゴムはもう作ってないという話もあるので、仕方なくこうなってしまったんでしょうね。
私のブログから入れるアルバムに当時のクヤの写真を載せておきますので、よかったらご覧下さい。そのうち他の展示車両の写真も載せようと思います。
投稿: ひみつ | 2009/09/25 23:09
ひみつさん、コメントありがとうございます。
クヤ165のHゴムの件、恥ずかしながら気付いていませんでした。アルバム、見させていただきましたが、当時はパンタグラムも上昇しており、良い感じですね。
ひみつさんが撮影された当時は1991年。既に18年前ですね。その間、屋外に展示されている訳ですから、流石に車両の隅々に痛みが出てくるでしょう。白Hゴムの件ですが、最近の国鉄型車両は、入場すると良く黒Hゴムに変わる事が多いですから、本当に白Hゴムを作らなくなってしまっているのかもしれませんね。
投稿: TOMO | 2009/09/27 00:45