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飯田線 「佐久間レールパークフィナーレ号」を撮影 前編

11月1日。宿泊した東横イン豊橋駅東口からのスタートとなる。

この日を以て、中部天竜駅構内にある「佐久間レールパーク」が閉園となる。JR東海では、「佐久間レールパーク」の最終日に合わせて、豊橋~中部天竜間に臨時快速を第増発して対応する事になっている。今回の遠征は、もちろん、この臨時快速を撮る事が目的である。臨時快速1番手は、豊橋7時59分発。と言う事で、この列車に間に合わせるためにも、7時49分発の列車には乗ることが、最低限の条件となるが、やはり前日までの疲れか、この列車に乗るのがギリギリとなってしまった。

ホテルで朝食を摂った後、豊橋7時49分発の新城行き509Mに乗り込む。車内は、鉄道ファンよりも地元の高校生の姿が目立ち、至っていつもの朝と変わらない光景だった。意外と空いているなあと思いつつ、前回撮影に使った東上駅を目指す。まもなく東上と言う所で、線路沿いの撮影ポイントを見ると、大勢の鉄道ファンが「佐久間レールパークフィナーレ号」を待ちかまえていると言う状況であった。そこで、撮影ポイントへ行くのを諦め、東上駅の野田城方にある踏切で撮影する事にした。と言っても、この場所も先客がいらっしゃったので、邪魔にならないように撮影することに。

現地到着からおよそ4分後の事。臨時快速「佐久間レールパークフィナーレ1号」が、東上駅に到着した。

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東上駅に到着した、9501M「佐久間レールパークフィナーレ1号」

臨時快速の一番手となる「佐久間レールパークフィナーレ1号」は、御覧のようにデビュー当時のカラーに戻された大垣車両区の117系S11編成が充当された。この列車は、豊橋駅で出発式も行われており、S11編成の充当は当然のことかもしれない。

この「佐久間レールパークフィナーレ1号」は、東上駅にて、上り豊橋行きとの行き違いと交換のため、運転停車となっており、停車時間を利用して、踏切内からも撮影ができた事は有り難かった。

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516Mと交換。

中部天竜からの516M到着を待って、「佐久間レールパークフィナーレ1号」は、一路、中部天竜を目指して出発して行った。

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中部天竜を目指して出発。

こうして、「佐久間レールパークフィナーレ1号」が出発。1号に続き、今度は3号が続けてやって来る。1号に遅れる事、およそ7分後の事であるが、3号がゆっくりと東上駅を通過して行った。

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9503M「佐久間レールパークフィナーレ3号」は、117系S9編成充当。

まずは立て続けに2本、臨時快速を同じ場所で撮影した。臨時快速は、この後も昼頃まで運転が続き、17号まで9本運転される。同じ場所での撮影も飽きて来るので、少しずつ撮影場所を変えて行く事にした。まずは、東上駅のホームへと移動してみる。この駅は、下り列車に25キロの速度制限が掛かる事から、落ち着いて撮影する事が出来る。まずは、定期列車で練習。

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天竜峡行き511M。

最混雑時には増結対応がおこなわれると言う511M。佐久間レールパーク最終日となったこの日も増結が実施されており、4両編成での運転となった。

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9505D「佐久間レールパークフィナーレ5号」は、キハ75系で運転。

511Mに遅れる事10分後、東上駅にやって来た「佐久間レールパークフィナーレ5号」は、今回の臨時列車の中で一番の注目の的となるキハ75系での運転となった。キハ75系は、名古屋車両区に所属し、名古屋から鳥羽へ向かう快速「みえ」や、武豊線で運用されている気動車である。以前は、急行「かすが」にも使用されていたが、同列車の廃止により、運用に余裕が出来たのか、今回の臨時列車にも抜擢された。飯田線は全区間電化されており、気動車の定期列車の運転は無いのだが、検測車のキヤ95系や、レール輸送のキヤ97系など、事業用の気動車は普段から定期的に運転されており、ほぼ同性能であるキハ75系の運転には支障がないのだろう。

このキハ75系、投入時期により外観上の違いが2種類あるのだが、まず先頭に立っていたのは、1999年、武豊線に投入された2次車。貫通扉上のライトが特徴となっている。

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豊橋方の2両は1次車。

一方、豊橋方に連結された2両は、1993年、快速「みえ」用として登場した1次車である。こちらは、貫通扉上のライトが無く、すっきりした印象を受ける。

このキハ75系による臨時快速が過ぎ去ると、撮影者の姿が徐々に少なくなってきた。そこで、今度は駅から外へ。江島~東上間に点在する複数の撮影ポイントを訪ねて、臨時快速を中心に撮影を続けてみた。

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9507M「佐久間レールパークフィナーレ7号」は、117系S4編成。

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9509M「佐久間レールパークフィナーレ9号」は、117系S8編成。

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21M 特急伊那路1号。

この特急「伊那路1号」だが、静岡車両区の373系F12編成での運転だった。F12編成と言えば、前夜、静岡から豊橋までお世話になった車両。あの後、大垣まで「ホームライナー」として運転した後、大垣車両区に入庫。そして、この日の朝、「ホームライナー豊橋32号」で、大垣から豊橋入りし、この「伊那路1号」の運用に就いた。

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9511M「佐久間レールパークフィナーレ11号」は、117系S16編成。

この時点で時刻は11時少し前。そろそろ、この辺りのポイントでも正面に光が当たらなくなってくる。こうなると、今度は東上駅構内の方が条件が良くなる。そこで、撮影地から撤収し、朝一番に撮影をした東上駅近くにある踏切へと移動する。ここも、既に撮影者の姿は無く、私一人で独占状態だ。

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9513M「佐久間レールパークフィナーレ13号」は、117系S13編成。

9513Mが通過すると、次の521Mまで、およそ30分ほど時間が有る。私は警報機の足元にある石段の所に腰をおろし、しばし休息を取る。朝が早かった事、更に心地よい風が眠気を誘う。ポイントの動く音、更に踏切の音で目を覚まして、再び撮影体制に。521Mがゆっくりと入線してきた。

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521M~9515M「佐久間レールパークフィナーレ15号」は、117系S5編成。

521Mは、本長篠行きの定期列車であるが、この日は本長篠~中部天竜間が「佐久間レールパークフィナーレ15号」として延長運転となる。その為、使用車両も119系から117系へ変更されているのだが、定期列車の延長運転と言う事で、もしかしたら「普通」幕表示の117系が来るかなと淡い期待もあったのだが、結果的には、フィナーレのマークを掲出した117系だった。

朝8時半ごろから撮影してきた「佐久間レールパークフィナーレ号」も、下り列車は、残すところあと1本となった。最後の17号は、こんな車両が使用されていた。

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9517M「佐久間レールパーク17号」は、神領車両区211系K11編成充当。

これまでの117系と異なり、中央西線で運用している神領車両区の211系5000番台車K11編成が充当されていた。211系5000番台車は、当時の大垣車両区所属車が、1999年まで新城までの定期運用が存在していた。

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119系の定期列車と交換する211系。

9517Mは、この東上駅で暫く停車。上りの豊橋行き534Mと交換してからの発車となった。

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東上駅を発車。一路、中部天竜を目指す9517M。

この撮影を以て、下り「佐久間レールパークフィナーレ号」の撮影を終了とした。この後は、上り列車の撮影へと移行するため、東上駅のホームへと移動し、中部天竜から戻って来る2号の撮影に備えた。

後編へと続く。

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コメント

撮影ポイントは私が旧国を撮っていた頃とまったく
変らないし、江島ー東上の田圃などは同じアングル
で旧国撮ってます。

今回のポイントにはならなかったようですが鳥居駅
は比較的綺麗に撮れた思い出があります。

10月は名古屋月と言いましょうか、私は名古屋を
3度も通りました。降りたときもあります。安城
までは行きましたが、豊橋ましては飯田線沿線には
行くことができませんでした。レールウエーパーク
もその姿を見ることなく閉園してしまいました。

残念なような、そして私と鉄道趣味との関係性
の現状を表しているというか、残念ようなそして
今の自分に満足しているような複雑な心境です。

PS そのわりに名鉄はしっかり撮影しているわけでヾ(;´Д`A

投稿: SATO | 2009/11/03 21:29

東上のカーブなんかは懐かしいですよね。
クモハ52のさよならの頃は少年時代で行けず、レコードでがまんしました。
身延のあとに旧国がなくなる時は大垣夜行で出かけたものです。
レールパークの車両も配置換えするのですね。
錆び落とし?回送がどのように行われるのか興味津々です。
私は前の週に名古屋出張のついでに寄ってみました。
GWよりも車両がつまっているような。。。
自由に触れて?のびのびした雰囲気が気に入りました。
今度は屋根の下、徹底した管理下になると思うとちょっと残念です。

投稿: わるわる | 2009/11/04 23:01

117系をかなり投入しての運用ですね(それだけ、日中は117系が余っている??)。
先頭車の2段窓と1段窓のバリエーションもありますので、これもまた楽しめそうです。

投稿: アッパークラス | 2009/11/05 07:36

皆さん、コメントありがとうございます。

SATOさん>
弊ブログの記事にて懐かしんでいただけたようでなによりでした。仰る通り、この辺りの風景は当時と殆ど変っていないと思います。変わっているとすれば、架線柱ぐらいでしょうね。関西では流電の末裔とも言えるような117系が、流電最期の地となった飯田線を何本も走ったというのは、何か因縁めいたものを感じてしまいます。

わるわるさん>
SATOさんと同じく、東上のカーブで懐かしんでいただけたようでなによりでした。レールパークの展示車両は、新しくできる博物館へ移るようですが、一部は博物館へは入らない車両もあります。ネット上では現地で解体というような説も出ていますが、いずれも貴重な車両ですので、博物館入りを果たせなかった車両も、何らかの形で残してもらいたいものです。

アッパークラスさん>
今回の臨時快速、下りは9本中7本が117系での運転ですので、117系をしっかりと記録するには良いチャンスだったと思います。仰る通り、117系は、日中、熱田・岡崎・豊橋などで昼寝している編成も多いですから、今回はこれらの車両を有効に活用できたと言えそうです。

投稿: TOMO | 2009/11/05 12:11

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