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国鉄型車両を求めて師走の上野駅へ

12月29日のお話。

2009年も残すところあと僅か。各鉄道会社でも、12月29日が2009年最後の平日ダイヤで運転されているケースが多い。と言う事で、平日しか撮れないものを撮っておこうと計画していたのだが、朝のラッシュ時間帯には目を覚ます事が出来なかった。そのまま夕方までのんびり過ごした後、17時過ぎに撮影機材を持って外出。上野駅を目指した。

先日、2010年3月13日に実施される、JRグループのダイヤ改正の内容が発表された。ここ数年、春のダイヤ改正では、長年親しまれてきた夜行列車が廃止されるニュースが飛び交っていたが、今回は、ついに、首都圏と北陸方面を結ぶ寝台列車、急行「能登」と特急「北陸」が揃って廃止されることが発表された。ただし、多客期に限り、北陸方面へは臨時の夜行列車が設定されるとしているが、2つの夜行列車が定期列車から消えると言う事で、ますます夜行列車が少なくなってしまう。そして、「能登」が廃止される事により、首都圏でもホームライナーに運用され親しまれてきた、JR西日本所属の489系の上野乗り入れも終了となる模様。であれば、無くならないうちに489系のホームライナーに乗っておこうと言う気持ちになった。私は、489系が使用される、上野18時40分発の「ホームライナー鴻巣」に間に合うように、上野駅へと向かったのである。

上野駅に到着したのは、18時25分頃の事。早速、ホームライナー鴻巣が出発する8番線へと向かう。既に489系は入線していた。

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上野駅8番線で出発を待つ489系「ホームライナー鴻巣3号」

正月休みに突入した企業も多いらしく、停車していた「ホームライナー鴻巣」はサラリーマンよりも鉄道ファンの姿が目立っていた。ホーム上で撮影しているファンの数も多く、撮影するにも9番線側からは一苦労と言った感じである。私は、8番線で撮影を手短に済ませた後、ホーム上の整理券券売機へ。せっかく空いているのであれば、この列車で鴻巣まで行ってみようと思ったのである。

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新潟駅で115系を撮影

さて、新津駅で「トワイライトエクスプレス」を撮影した後は、磐越西線から来た普通列車で新潟へと移動する。この日4回目のキハ47。しかも乗車した車両は国鉄色(首都圏色)の車両であった。新潟到着後撮影しようと思ったのだが、反対側のホームには115系が停車しており、私が乗車してきた気動車が折り返すまでの間、115系が塞いでいた事から、撮影は諦めた。

新潟駅では、最終の上越新幹線に乗るまでの間、駅周辺で食事を摂った後、少しだけ撮影と言うつもりだった。しかし、新潟駅に到着し、停車中の115系を見ると、まずは撮影・・・と言う気持ちになった。そこで、晩飯は駅弁にして、撮影に専念する事に。まずは、こんな車両から撮影してみた。

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115系S8編成他の白新線・羽越本線村上行き949M。

新潟から白新線経由で羽越本線の村上まで行く949Mは、御覧のように115系S8編成他の5両編成。後ろ3両の青いカラーの車両は、リニューアル工事を受けた車両に見られる新塗装。3両編成は、全てこのカラーになるのかと思いきや、リニューアル工事自体が途中でストップしており、このカラーはこれ以上増える見込みはなさそうである。

一方、先頭を務めるS8編成は、2両編成と言う事で、単独で運転すると2両ともクモハとなる事から、強力編成である。新潟車両センターの115系には、2両編成が18本あり、そのうち12本が御覧のように1000番台をベースにした車両。残り6本は、0番台車を先頭車改造した500番台車であるが、更に500番台車のうちの3本が、弥彦線ワンマン運転用となっている。ちなみに、このS8編成は、クモハ114にトイレが設置されていない車両。2両編成での長距離運用を考慮して、18本中7本には、クモハ114にトイレが設置されている。

ちなみに、クモハ114は2両編成を組んでいる場合のみ存在する形式のため、JR東日本管内では、新潟車両センターの他、長野総合車両センターだけに配属されている形式である。

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新津駅で「トワイライトエクスプレス」を撮影

さて、磐越西線の普通列車で新津に降り立つと、駅員さんの乗り換え案内が聞こえてきた。その中に、何と「トワイライトエクスプレス」の案内が含まれていて、ちょっと驚いてしまった。どうやら、あと20分ほどで新津駅に到着すると言う。

「トワイライトエクスプレス」は、JR西日本が大阪~札幌間で運行している超豪華寝台特急で、日本一長い距離を走る旅客列車となっている。その列車が、ここ新津駅を経由して運転されている事は知っていたが、この時間帯に見られる事はすっかり忘れていた。

そこで、新潟から戻って来たキハ52・キハ58の撮影を早めに切り上げて、この「トワイライトエクスプレス」を新津駅で撮影すべく準備に取り掛かる。「トワイライトエクスプレス」は、新津駅3番線からの発車。19時30分頃になると、3番線には交代の運転士さんが待機している姿を確認できた。この事から、機関車の停止位置が判明。私は、撮影可能な距離を保ちながら待つ事にした。そして、19時36分頃の事。「トワイライトエクスプレス」が、ゆっくりと新津駅に入線してきた。

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新津駅に到着した「トワイライトエクスプレス」

撮影場所が、ホームの上屋の無い場所であったこともあって、正面に光が当たらず、赤信号の赤が車体正面に写り込み、あまり良い写真とは言えないかもしれないが、まさか、こんな所で「トワイライトエクスプレス」に出会えるとは思ってもいなかったので、個人的には見られただけでも充分と言う気持ちになれた。

数分後、「トワイライトエクスプレス」は、静かに新津駅を出発して行った。いつかは、この豪華寝台特急にも乗ってみたい。そう思いながら、走り去る「トワイライトエクスプレス」を見送った。

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新潟地区で活躍を続ける新津運輸区のキハ47

さて、今回の磐越西線撮影記の際に、非電化区間で乗車したのは、いずれもキハ47であった。

キハ47は、キハ40系列の中では、両開き2扉と言う近郊型スタイルで登場。主に西日本や四国・九州で活躍しているが、JR東日本管内にも、この新津運輸区に、寒冷地仕様の500番台車・1500番台車を中心に27両が配属されている。新潟地区には、キハ110系やキハE130系と言った、JR化後に新製された気動車も活躍しているが、米坂線以外は、キハ40系列もまだまだ活躍しており、今回、磐越西線の非電化区間では、キハ47にしか当たらなかった程である。

新津運輸区のキハ47には、塗装が3種類存在する。まずご紹介するのが、新潟色と呼ばれるカラー。

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会津若松駅で出発を待つ、新潟色のキハ47。

このカラーは、115系電車にも採用されていた事もあったが、後に115系は塗装を変更しており、現在ではキハ40系列のみで見られるカラーとなっている。

一方、新潟地区の新塗装化は、気動車でも徐々に進められており、こちらは新新潟色と呼ばれているようである。

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新津駅に到着した、新新潟色のキハ47。

御覧のように、新旧新潟色のキハ47が、まだ混在していると言う状況で、この日乗車したキハ47は、2両編成を組んだ場合、いずれも新旧新潟色の混色と言う状況だった。

そして、忘れてはならないのが、国鉄色の車両である。新津運輸区に所属するキハ40・47にも、デビュー当時の首都圏色と呼ばれる朱色1色の車両が3両(キハ40・・・1両、キハ47・・・2両)存在している。実は、今回、このうちのキハ47を1両だけ目撃しているのだが、残念ながら撮影する事は出来なかった。

今回、キハ47には、撮影よりも移動手段としての遭遇が中心だったため、御覧のように駅撮りしかしていないが、次回、新潟方面に訪れた時には、国鉄色に復元された車両も含めて、じっくり撮影してみようと思う。

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国鉄色キハ52・58で運転 「ありがとう磐越西線国鉄色号」を撮影

さて、会津若松で会津鉄道のキハ8500系を撮影した後は、再び485系「あいづライナー」に乗り込み、当初の予定通り、塩川へと向かう。

この日、磐越西線を訪れた最大の理由は、新潟から会津若松へ向けて運転されている団体臨時列車「ありがとう磐越西線国鉄色号」の撮影である。この列車は、新津運輸区に残っているキハ52・58の国鉄色編成による4両での運転となっている。キハ52もキハ58も老朽化のため、今年の春には新型気動車、キハE120系が新津運輸区に投入され、定期運用を離脱していた。しかし、今年秋になって、新潟・信州デスティネーションキャンペーンの一環で復活。新潟支社各路線をイベント列車として運転されてきたが、冬になり、いよいよ各線でも列車名の前に「ありがとう」と名の付く列車を運転するようになり、そのラストとして、今回、磐越西線で「ありがとう磐越西線国鉄色号」と言う列車が設定されていた。列車名に「ありがとう」と付く以上、この列車が国鉄色車両の最後の運転になる可能性が有り、最後にどうしても撮っておきたいと言う気持ちから、磐越西線に向かう事にしたのである。

私は塩川駅で下車した後、喜多方方向へ向けて歩きだした。特に撮影地も決めずに出発してきたため、自分の足が頼りとなる。駅から歩いて10分ほど経過すると、正面に陸橋が見えてきた。そこで、まずはここで試してみるが、線路沿いの草と架線柱の向きが気になり撮影を断念。更にここから10分ほど喜多方方向に歩くと、踏切を発見。近付いてみると、架線柱の向きも良く、順光で撮れる事が判明。国鉄色編成の通過20分前の時点で、誰もいなかった事から、この場所で撮影する事に決めた。私はのんびりと撮影準備を始める。三脚を広げようとしたが、歩道が会津若松側にしかなく、車の通行を考えて三脚は使わず手持ちでの撮影にした。そして、時間が有るので歩道で待機していると、通過10分ほど前になり、少しずつ人が増え始めた。私は望遠レンズを使用して歩道から撮影するつもりだったが、続々とやって来る人たちは、次々に前に入ってきた。まあ、車の通行量も少なかったから、問題ないだろうと判断し、私もそちらへと移動した。

そして、13時10分頃の事。踏切が鳴り出すと、前方より、キハ58が近付いてくるのが見えた。

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国鉄色キハ28を先頭に、会津若松へと向かう団臨「ありがとう磐越西線国鉄色号」

順光の中を走る4両編成の国鉄色気動車。これを見られただけでも、この場所まで来た甲斐が有った。撮影後、今度は後追いも撮影してみる。

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後追い。キハ52も良い感じである。

後追いの場合、逆光となるのだが、思ったほど気になる事もなく、キハ52も良い感じに撮る事が出来た。

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会津鉄道キハ8500系と出会う

さて、郡山からは、喜多方行き快速「あいづライナー」に乗り替えて磐越西線へと入って行く。485系赤べえ編成で運転のこの列車。通常の快速列車と異なり、特急形車両での運転と言う事で、なかなか快適だった。私は、この列車で塩川まで乗車する予定だったが、その途中、13分間停車する会津若松駅で、どうしても撮っておきたい車両があった。それは、会津鉄道の快速列車「AIZUマウントエクスプレス」である。

「AIZUマウントエクスプレス」は、東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅から、東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道を経由して、会津若松まで運転される快速列車。鬼怒川温泉駅では、東武鉄道の浅草からやってくる特急「きぬ」及びJR新宿駅からやって来る特急「スペーシアきぬがわ」と接続しており、首都圏と会津若松を、新幹線を使わずに結ぶ速達列車の役割を果たしている。この「AIZUマウントエクスプレス」には、2001年まで名鉄の新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)から名鉄犬山線を経由して、JR東海の高山本線へ乗り入れる特急「北アルプス」に使用されていたキハ8500系が、当時と変わらぬ姿で運用されている。

快速「AIZUマウントエクスプレス」は、会津若松駅4番線に入る事が、「あいづライナー」の車掌氏による乗り換え案内の放送にて確認が出来ていた。私は3番線へと移動するが、その3番線には、磐越西線の普通列車が停車していた。そこで、ホームの端から入線シーンを撮る事にした。

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会津若松駅に進入する会津鉄道キハ8500系「AIZUマウントエクスプレス」

いやあ、懐かしい。特急「北アルプス」として、名鉄線内そして高山本線内を走っている姿が蘇って来た。出来れば、もう少し障害物の無いところで撮りたかったが、この際贅沢は言ってられなかった。

入線シーンを撮影した後、今度は停車しているキハ110系とのツーショットを撮る事にした。

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磐越西線のキハ110系と並ぶ。

このキハ8500系、名鉄時代は高山本線に乗り入れて、JR線内を特急列車として運転していた経緯を持っている。その為、JR線内への乗り入れはお手の物。この「AIZUマウントエクスプレス」も、季節によっては磐越西線の喜多方まで延長運転される事がある。実は、1週間ほど前まで、この車両が喜多方まで直通運転をしていたのだが、年末年始の帰省シーズン突入に合わせたのか、この延長運転を取りやめ、その代わりに、郡山からの485系による「あいづライナー」が、喜多方まで延長運転する事になった。出来れば、このキハ8500系に乗ってみたかったが、今回は行程の都合上、会津若松駅で撮影するのみとなってしまった。

ところで、このキハ8500系について気になる噂が流れている。それは、来年3月のダイヤ改正を以て引退すると言うもの。今のところ、会津鉄道の公式サイト上では、それらしい情報は流れていないが、「火のない所に煙は立たぬ」と言うように、こう言った噂が流れるからには、何らかの根拠が有るのだろう。それだけに、わずか数分間ではあるが、昔と変わらぬ姿を見る事が出来た事は、大きな収穫であった。

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400系最後の1編成 L3編成と出会う

12月27日は、土日きっぷを使用して、磐越西線へ出かけてきた。

大宮から、東北新幹線「Maxやまびこ・つばさ107号」で、郡山へと向かう。朝飯を食べずに家を出てきたので、車内で座って駅弁を食べたくて、みどりの窓口で指定券をお願いしたところ、つばさ号の指定券が出てきた。早速乗車すると、E3系2000番台車であった。新幹線と在来線を直通する初の新幹線として、1992年に開業した山形新幹線。開業当初に投入された400系を置き換えるべく、今年登場した車両である。ミニ新幹線と言う事もあり、車内は在来線の特急に似た感じではあるが、足元にはコンセントも用意されており、東海道新幹線のN700系にも似た感じであった。

大宮から約1時間。郡山に到着。私は何気なく上りホームを見ると、「つばさ号」が停車していた。しかし、よく見ると、窓が横長。これは400系だ。しかも、400系単独で東京へ向かう列車である。開業当初に投入された400系車両は、新庄延長10周年の節目を迎えた今年、E3系に置き換えられ、今や最後の1編成が細々と活躍していると言う状況だった。私は、乗車してきた「Maxやまびこ・つばさ107号」の出発を待って、停車していた400系車両を撮影する事にした。

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郡山駅に停車する400系最後の1編成、L3編成。

御覧のように、400系の正面には、新庄延長開業10周年のマークが貼られており、最後の1本となり引退へのカウントダウンが始まった400系車両に華を添えていた。

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東京に向けて、郡山を出発する400系L3編成。

この日、400系が充当されていたのは、臨時列車の「つばさ76号」だった。12月26日から1月4日まで毎日運転されるこの列車は、全車座席指定の列車で、東北新幹線内もつばさ号単独での運転となっている。郡山駅では、ちょうど「はやて・こまち72号」の通過待ちのため、5分ほど停車していた。その停車時間中に、私が運よく郡山駅に降り立った事になる。

磐越西線への乗り換え駅となる郡山駅で、残り1本の400系と出会った事により、気分良く磐越西線に入る事が出来た。

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久留里線キハ30 62の出場配給を撮影

年内の業務は先週末で終了し、いよいよ正月休みに突入。今日は、所用で両国へ行っていたのだが、知人より、「久留里線のキハ30が郡山総合車両センターを出場し、黒磯からは、ゲッパ牽引で東京方面へ向かっている。」と言う連絡が入った。

ゲッパがキハ30を牽引する。これは是非とも撮りたい。そう思った私は、すぐに上野へ出て、宇都宮線の普通列車に乗り込んだ。目指すは蓮田。お馴染みの「ヒガハス」へと向かう。蓮田駅から歩く事およそ15分ほど。ヒガハスに到着。ゲッパ牽引と言う事もあって、多くのファンが待機していた。早速撮影準備の取り掛かる。ゲッパ+キハ30の通過予定時刻まで、残り5分ほどしかない。相変わらず、ギリギリの行動だ。直前の上り普通列車で光線状態等を確認。これで準備万端と思ったら、急に雲が出て陰って来た。慌ててカメラの設定を変える。そして、その直後、前方から赤いEF65が見えてきた。さあ本番だ。「気合入れて撮るぞ」と思った瞬間、無情にも下りの普通列車が猛スピードでやって来た。何と、ここで被られるとは・・・慌てて、望遠レンズで引っ張って、何とか撮影してみたが、トリミングで誤魔化せるかどうか微妙な写りに、テンションが一気に下がった。

帰宅後、画像整理をした際に、問題の画像を思いっきりトリミングしてみた。

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久留里線用のキハ30 62が郡山総合車両センターを出場。黒磯からは、EF65 1118号機が牽引を担当した。

障害物がやや気になるが、ゲッパがキハ30を牽引した事は、充分に解る画像になってくれた。国鉄色になったキハ30。この色だと、床下機器はグレーではなく黒の方が似合うと思うのだが、これは郡山総合車両センターは、床下機器をグレーに塗るのが定番だから、仕方ないか・・・

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ヘッドマーク付きで運転されたD51試運転を撮影

天皇誕生日である12月23日、上越線でD51 498号機の試運転があるらしいと小耳に挟んだ。先日の旧客を使用したロケ列車は、八木原で撮影した1回のみであった事から、年内にもう1回ぐらいはSLを撮っておきたいと思っていた矢先のお話。そこで、朝早くに家を出発。八高線経由で上越線へと向かった。

拝島3分、高麗川1分と言うハードな乗り継ぎをクリアして、高崎9時17分発の上越線水上行きに乗車。まずは、岩本を目指す事にする。車内で、ちろ氏他数名のメンバーと合流し、撮影地を目指した。高崎を出発してから40分程度で岩本駅に着くと、いつもの撮影ポイントには誰もいなかった。これまで、何度かこの場所で撮影をしてきているが、こんなのは初めての経験である。早速、撮影準備に取り掛かる。先行の貨物列車や115系の普通列車で練習を重ねながら待つ事にする。先行の普通列車が過ぎ去った頃になると、徐々にファンの姿が目立つようになった。そして、11時20分頃の事。D51 498号機の試運転列車が、ゆっくりと近付いて来た。

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D51 498号機+12系の試運転が岩本付近を通過する。

この日運転された試運転は、御覧のように、かつての寝台特急「ゆうづる」のマークをイメージしたような「試運転」のヘッドマークを掲出しての運転。また、客車に関しても、普段の「SLみなかみ号」に使用されている12系客車ではあるが、通常の運転時より1両少ない5両となっており、普段とは全く異なる姿での運転となった。

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2009年12月20日撮影の貨物列車

12月20日は、浦和駅の高架切り替え工事が実施されたため、それに伴う京浜東北線の逆線走行などを撮影した。その件に関しては、後日お伝えする事にして、まずは、その合間に撮影をした貨物列車の話題から。

昼頃の事、与野駅近くで貨物線を走る宇都宮線・高崎線の普通列車を撮影していた。この場所は、ちょうど武蔵野線に通じる貨物線の分岐部分である。その為に、撮影中にも貨物列車がやって来た。まずは、この列車を撮影してみた。

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EF64 1005号機が牽引する、岡部発根岸行き3094列車。

3094列車は、高崎線の岡部から根岸に向かう石油返空列車。タキ1000形で構成されており、貨物時刻表に記載されている列車種別も「高速」となっている。タンク車による貨物列車は、スピードも遅いイメージがあったが、タキ1000形のみで構成された列車の場合、最高速度95キロまで対応できるので、旅客列車のダイヤに影響を出さずにダイヤが組めるようだ。こう言う編成を見ると、21世紀の貨物列車の姿と言える。

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EF510-501号機の甲種輸送を撮影

JR東日本は、現在、寝台特急「北斗星」「カシオペア」及び常磐線の貨物列車などを牽引しているEF81の老朽化に伴い、JR貨物が開発したEF510形電気機関車を導入する事になった。その第1陣がこの度完成し、12月18日に兵庫県の川崎重工を出発。翌12月19日の午後、配属先であるJR東日本の田端運転所へ到着する事になった。

ちょうど19日は土曜日。私にとっては撮影し易いタイミングである。そこで、JR東日本としては初の電気機関車新製となったEF510の甲種輸送を撮るため、この日は朝から撮影に出かけた。まずは、小田原付近を目指すつもりであったが、不覚にも寝坊してしまい、大船駅までしか行かれない事になってしまった。そこで、当初の予定に反して大船駅でEF510を出迎える事に。9時34分、大船駅に到着。早速、東海道線の上りホームへと向かうが、既に多くのファンが待機していた。その中には、裏辺研究所の裏辺所長の姿も。早速合流して撮影に臨む。現地到着からおよそ9分後。EF65に牽引されて、EF510-501号機が大船駅にやって来た。

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JR貨物のEF65に牽引され、関東に上陸したJR東日本初の新製電気機関車、EF510形。

今回新製されたEF510-501号機は、御覧のようにブルーの車体に星のマークが入り、JR北海道で「北斗星」や「カシオペア」を牽引するDD51形ディーゼル機関車に近い感じの塗装となっていた。これまで、交流及び交直流電気機関車は、全体的に赤系統のカラーが多かっただけに、このような青いカラーでの登場は予想外であった。

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後追い。

この大船駅では逆光気味での撮影となるが、この日の主役であるEF510を撮るために後追いをするには、順光となるため、結果的には好都合だった。

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お帰りなさい 西武2077F

さて、高崎からは、高崎線の普通列車で大宮へ。そこから京浜東北線、武蔵野線と乗り継ぎ、府中本町へとやって来た。

西武鉄道では、今年度も新2000系にバリアフリー化工事を実施しているが、今年度の改造車となった2077Fが、7月31日に東急車輛へと入場していたが、この度、改造を終えて東急車輛を出場。甲種輸送により、西武沿線へと戻って来た。もともと、この日は甲種輸送撮影のため、午後から仕事を早退する予定であったが、D51+旧客の運転情報が入ってきたため、急きょ、有給休暇を取る事にしたのであった。

高崎線の普通列車から、京浜東北線または埼京線を挟んでの武蔵野線への乗り継ぎが悪く、目的地である府中本町の到着は、なんと2077F通過のおよそ20分前となってしまった。駅撮りなら十分間に合うタイミングであるが、出来れば、先日の30000系の甲種撮影で訪れた多摩川の鉄橋で撮りたい。そこで、またも府中本町駅前からタクシーを利用する。こうして、無事に2077Fの通過に間に合う事が出来た。早速、多摩川の土手でカメラを構えて、2077F甲種の通過に備える。待つ事およそ5分ほど。国鉄色のEF65に牽引された2077Fが、ゆっくりと近付いて来た。

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国鉄色のEF65に牽引され、多摩川を渡る西武2077F。

この日、新鶴見から2077Fを牽引してきたのは、国鉄色赤プレートのEF65 1079号機。新型電気機関車のEF210やEH200の増備により、EF65も徐々に姿を消しており、国鉄色を纏うJR貨物のEF65も、今や貴重な存在となって来た。そんな中、西武鉄道の甲種輸送では、この国鉄色PFとの相性が良いのか、11月末に実施された38107F甲種の時に次いでの国鉄色PF充当となった。

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霜取りパンタの使用を開始した 高崎車両センターの211系

さて、八木原でD51の撮影を終えた後は、東京方面へ向かうため、まずは高崎へ移動する。高崎駅には、昼前に到着したので、ここでちょっと早いが昼飯を摂る事にした。昼食後、高崎線の普通列車に乗り込むため、8番線へと向かうのだが、その際に6番線に入線してきた211系を見ると、先頭のクモハ211のパンタグラフが2基上昇していた。

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冬本番。霜取りパンタの使用を開始した高崎車両センター所属の211系。

高崎車両センターの211系は、昨年秋頃より、パンタグラフのシングルアームパンタ化がスタート。当初、シングルアームパンタに交換された車両は、御覧のようにクモハ211の運転台側にも霜取り用と思われるパンタグラフを増設した。パンタグラフ増設編成は、全部で6編成が用意されたが、6編成登場した時点で、シングルアームパンタ化が一時的に停まった。その後、今年6月頃より、再びシングルアームパンタ化が再開され、その動きは、グリーン車組み込みの編成にも普及した。今日では、殆どの編成が、シングルアームパンタに交換された。そして、季節は秋から冬へ。冬到来に合わせて、運転台側に増設された霜取りパンタの使用も始まったようである。

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駅構内のトイレに向かう通路上より、6番線停車中のクモハ211の屋根を撮影。

211系高崎車のシングルアームパンタ化及びパンタ増設編成の撮影は、これまでにも何度か実施しているが、増設された霜取りパンタを上げて走る姿を見たのは、私自身、今回が初めての事だった。それだけに、今回、上手い具合に、高崎駅で霜取りパンタを上昇させた211系に出会う事が出来て、本当に良かったと思う。

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D51 498号機 旧客を牽引する

12月15日のお話。

この日、私は今年最後の有給休暇を申請していた。東急車輛に入場していた西武2000系、2077Fが出場する事になっていたので、その甲種輸送を撮影する事が目的だったのだが、直前になり、D51 498号機が上越線で旧客を牽引するかもしれないと小耳にはさみ、急きょ、予定を変更。午前中は、上越線に行く事にした。

当日朝、前日の帰宅時に購入していた青春18きっぷを使って移動する。自宅に一番近いJR駅である新小平駅にて、改札印を入れてもらった。久々の18きっぷ。以前、この駅から乗車する際に、いきなり5回目から押されてしまった事が有ったが、今回はしっかり1回目から押してもらえた。そのまま、武蔵野線、埼京線、高崎線、上越線と乗り継ぎ、上越線八木原駅で下車。目指すは、この駅から徒歩15分程度のところにある有名撮影ポイント。この場所に行くのは今回が初めて。事前にチェックした地図を頼りに現地へ向かうが、曲がる道を間違えたらしく、なかなか目的地に到達できない。ようやく到着したのは、駅を出てから20分以上が経過した頃であった。撮影地には、多くの車、そして人。およそ50人はいただろうか。それでも、何とか場所を確保。早速、三脚をセットして撮影準備に入るが、左側に見えてくる高圧線の鉄塔が何とも邪魔だった。そこで、この場所ではなく、先客の間からカメラを構えてみる。今度は良い感じだ。あとは、D51の通過を待つばかりである。そんな頃、上りの普通列車が通過して行くが、編成が短すぎて練習にならない。その後も、下り列車が来る気配すらなく、このまま本番を迎える事になりそうだ。そして、そのままおよそ10分が経過。踏切が鳴り出した。そして、前方から私の目に飛び込んできたのは、D51 498号機だった。

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旧客6両を牽引し、上越線を行くD51 498号機。

通常の電車と異なり、スピードが遅い事から、目の前を通過して行くまでの間、多少時間が有った。それだけに、何枚もシャッターを押してしまったが、ちょっとでも撮影場所がずれると、機関車の後方には、高圧線の鉄塔が見えてしまう事から、シャッターを押した回数の割には、モノになる画像が少なかった。

撮影終了後、撤収作業に入るが、この場所で一緒に撮影された殆どの方達が、素早く撤収作業をした後、D51を追跡するべく立ち去って行った。私も後を追い掛けて・・・と行きたいところだが、この日の休暇申請の目的は、あくまでも西武鉄道2000系の甲種輸送を撮影する事である。従って、D51の撮影は、この場所での撮影のみとなる。

久々に撮影した蒸気機関車と旧型客車の組み合わせ。たった一度きりの撮影であるが、気温が低いため、煙もしっかりと出ており、十分に満足する事が出来た。

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西武 副都心線対応工事を終えた6112Fの出場試運転を撮影

12月12日のお話。

先日、知人より副都心線対応工事を終えた6112Fが、12日に出場するらしいというお話を聞いた。池袋線に在籍する6000系の全編成を対象としたこの工事も、いよいよ終盤戦に突入しており、最近では、副都心線へ乗り入れができない「Y」マークを貼った6000系の姿も、珍しい存在となってきていた。この改造工事、当初より武蔵丘検修場ではなく、玉川上水車両基地で実施されているが、出場は平日に重なることが多く、これまでに試運転を撮影できたのは、今年2月に出場した6108Fのみ。今後も土曜日に出場が重なるのはあまり無いだろうから、なかなか撮影出来ないうちに終わってしまうのではと思っていた矢先のことだったので、その情報を信じて拝島方面へ出かけることにした。

当日、昼前に出発。まずは玉川上水車両基地を車内から確認。目に見えるところには、6112Fの姿はなかった。やや不安に思いつつも、玉川上水から後続の拝島行きに乗って先へ進む。どこで撮ろうか悩んでいるうちに西武立川まで来てしまい、ここで下車した。すると、下りホームの発車案内機の2行目に「通過」の文字を発見する。拝島線の最速列車である拝島快速も停車する西武立川駅だけに、通過列車となると試運転しかない。私は、駅の外へと出て、光線状態の良さそうな場所を探すことにした。

ご存知の方も多いかと思うが、西武拝島線の玉川上水以遠は、線路に沿って高圧線があり、高圧線の鉄塔と単線、そして畑の3つが、私にとっての西武拝島線のイメージである。このうち単線区間と畑については、以前から比べると少なくなってきたが、拝島線の西武立川~拝島間は、単線で残っており、昔ながらの拝島線の面影が残っている部分も多い。そう言う場所で撮りたいなと思いながら、線路沿いを歩き、西武立川駅から2つ目の踏切の手前に良さ気な場所を発見。ここで試運転列車を待つことにした。上りの拝島快速通過の後、12時45分頃のことであったが、白いお顔になった6000系6112Fの試運転が、この場所を通過していった。

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副都心線対応工事を終えた6112Fが出場。まずは試運転で拝島へ向かう。

あまり開けた場所ではないものの、僅かに見える畑。そして後方に見える高圧線の鉄塔が、拝島線らしさを強調してくれたと思う。正面に出てしまった影は、冬場の撮影だけに諦めるしかなさそうである。

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583系再び中央線へ 「583系で行く新潟の旅」号運転

さて、本来であれば、中央線高架工事関連の記事を書かなくてはいけないのですが、旬な話題を優先するため、この話題からお送りします。

今年4月より展開してきた、中央線開業120周年記念キャンペーンは、12月31日が終了と言う事で、残り3週間ほどとなったが、そのキャンペーンのファイナル企画として、「583系で行く新潟の旅」と言うイベント列車が企画された。同様の列車は、10月9日から11日にかけて、仙台車両センター所属の583系を使用して運転されたが、今回は、秋田車両センター所属の583系を使用し、更に片道のみの運転と言う事で、前回とは異なる形での運転となった。また、中央線自体も、三鷹~国分寺間の高架新線への切り替えが完了した後の運転と言う事で、前回同様、約30分間停車する東小金井駅は、高架新ホームに停車する。これはしっかりと記録しておきたい。

そこで、12月11日の夜、いったん帰宅した後、再び機材を持って東小金井駅へと向かった。私は、萩山駅を22時ちょうどに出発する国分寺行きに乗車。いつもの通勤時と同じように、国分寺で中央線に乗り換え東小金井へと向かうが、国分寺駅の中央線ホームに降りようとすると、ちょうど目の前で583系の団臨が出発して行くところであった。この列車、国分寺でも客扱いする事をすっかり忘れていた。こんな事なら、1本早い列車で国分寺へ行くべきであったかもしれない。気を取り直して、後続の快速電車で東小金井駅へと向かう。同駅2番線には、583系が停車していた。ホーム上は、既に多くの鉄道ファンが集まって撮影している状態であった。

まずは、下りの3番線へと移動するが、まだ到着後間もないと言う事で、集まったファンは撮影に夢中になっていた。そこで、撮影準備をしながら、暫く様子を見る事に。数分後、少しずつ鉄道ファンの姿が少なくなってきた事を確認しながら、少しずつ583系に近付く。そして、何とか撮影する事が出来た。

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上り線も高架新線に切り替わった東小金井駅に停車する、秋田車両センター所属の583系電車。

2面3線の明るい駅に生まれ変わった東小金井駅。近代的な駅とは対照的に、昭和の香りが漂う583系が停まっている姿は、とても対照的であった。

この後、583系は、中央線で活躍中の複数の車両たちとの一瞬の共演を果たす事となるが、私が見た中では、583系が停車している間、201系が来ることは無かった。しかし、E257系や高尾行き「成田エクスプレス」に充当中のE259系との並びも見る事が出来た。E259系との並びは、上手く撮る事が出来なかった。既に夜間の撮影と言う事も有り、なかなか通過列車との共演は難しかった。

そんな中、この車両との組み合わせは、何とか撮る事が出来た。

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中央・総武緩行線のE231系による武蔵小金井行きと、583系との並びが実現。

カナリア色の帯をまく209系・E231系は、早朝・深夜に武蔵小金井や立川まで行く運用が存在するので、この場所で見る事は、そう珍しい事ではないが、更に583系と並んだとあれば、滅多に見られる並びではない。ISO感度を上げて、手持ちで撮っているので、多少ぶれてはいるが、どうにか解る仕上がりで撮れたので、個人的には満足している。

この撮影後、583系は新潟を目指して、ゆっくりと東小金井駅を発車して行った。私は、機材を片付けた後、改札で入出場を繰り返した後、自宅へと戻った。

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東京メトロ 「スマイルフェスタ09 in AYASE」会場へ

さて、馬橋で「East-i D」を撮影した後は、常磐緩行線で綾瀬へ。そして、ここから千代田線の北綾瀬行きに乗り換える。この日は、千代田線の車両基地である綾瀬車両基地にて、東京メトロ「スマイルフェスタ09 in AYASE」が開催されていた事もあり、いつもは空いている千代田線の北綾瀬支線の電車も大混雑。イベント会場からの帰りのお客さんを避けながら、なんとか5000系アルミ車による北綾瀬行きに乗り込む。

北綾瀬駅から、10分ほど歩き、東京メトロの綾瀬車両基地に到着。まずは総合案内所で会場案内図を貰う。この時点で、既にイベント終了まで45分ほどしか時間が無いため、足早に会場の中へと入って行く。入口から左手に進んでいくと、懐かしい車両が見えてきた。

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日比谷線で活躍していた3000系車両。

1994年まで日比谷線で活躍していた3000系車両。この綾瀬車両基地には、保存のため、3000系のトップナンバー車2両が保管されている。この2両、他の3000系車両と共に、一度は長野電鉄に譲渡され、現地では3500系として活躍していたのだが、8500系(元東急8500系)への置き換えに伴い、余剰が発生し、3000系第1編成に含まれていた2両が、2007年に里帰りを果たす事になった。

3000系里帰りの模様は、弊ブログ2007年1月27日付記事をご覧ください。

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馬橋支線を行く「East i-D」を撮影

さて、松戸駅で207系を見送った後は、東京メトロの綾瀬車両基地で実施されていたイベント会場へ行く予定だったが、「East i-D」の回送が有るらしいとの情報を聞き、急きょ、予定を変更し、こちらの撮影を優先する事にした。

JR東日本には、現在、在来線用の検測車が2編成存在する。1つは、勝田車両センターに所属し、標準軌区間を除く東日本エリアの電化路線をカバーするE491系「East-i  E」。そして、もう一つが秋田総合車両センターに所属し、非電化区間も走行できるキヤE193系「East i-D」である。どちらもエリア内を定期的に巡回しているのだが、キヤE193系「East i-D」に関しては、首都圏エリアでの非電化路線が少ないと言った事情もあり、これまで撮影した事が無かった。それだけに、綾瀬のイベントよりも、「East i-D」の撮影を優先する事にした。

この日の「East i-D」は、どうやら高崎から大宮を経由して、木更津へ回送される途中らしい。しかし、「East i-D」は、キヤと言う形式名や「D」が示す通り気動車であり、その道中は、気動車を運転できる乗務員が少ないと言う事も有ってか、首都圏での回送の場合は、機関車牽引による移動が多く、今回もまさにそのパターンとなった。

私は、回送ルートやその後の移動を考え、武蔵野線馬橋支線が撮影できる、馬橋駅近くの歩道橋から撮影する事にした。この場所を選んだ理由は、「前も後ろも撮影が可能であること」である。松戸から緩行線の我孫子行き電車で、馬橋駅に到着し、そのまま現場に向かうと、「East i-D」の情報を嗅ぎ付けたファンが数名待機していた。先客の方達の邪魔にならない場所からカメラを構えて列車を待つ事に。そして、現地到着からおよそ20分後の事。EF65に牽引された「East i-D」が馬橋支線に差し掛かった。

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馬橋支線を行く「East i-D」の回送列車。

キヤE193系「East i-D」を牽引してきたのは、国鉄色のEF65 1115号機。最近では、EF65の出番自体も減っている事から、こう言った回送列車でも稼働しているときは、しっかりと記録しておきたいところである。

そして、「East i-D」初撮影と言う事で、しっかりと後追いの撮影もする事に。

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キヤE193系「East i-D」の後追い。

日頃撮影しているE491系「East i-E」と異なり、気動車と言う事で、両先頭車にはパンタグラフが装着されていない。こう言った点も、E491系とは決定的な違いである。その違いを撮るには、この場所の選択は正しかったと思う。

こうして、念願だった「East i-D」の撮影も無事に終了した。一仕事終えた後は足取りも軽くなる。私は、馬橋駅へと戻り、常磐緩行線の電車で、次の目的地である北綾瀬へと向かった。

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207系900番台 さよなら運転を撮影

12月5日のお話。

JR東日本では、今年度より東京メトロ千代田線と直通運転をしている常磐緩行線に、新型車両E233系2000番台車を投入し、既存の203系・207系を順次置き換える事にしている。新型のE233系は、既に1編成が落成し、営業運転に就いているが、この度、新型車両と引き換えに、207系900番台車が引退する事となった。207系900番台車は、国鉄が最初で最後に作ったVVVFインバータ制御による通勤電車。900番台と言う数字が示すように、試作的要素の強い車両であり、実際に製造されたのは、試作車両の1編成のみ。こう言った車両を、「レアもの」と言う方も多いようだが、やはり「レアもの」と呼ばれる宿命か、この車両が、一番最初に置き換えられる事となった。

23年間、常磐緩行線一筋で走り続けてきた207系900番台車。この功績を称えるべく、団体列車「ありがとう207系」が、この日、松戸~取手間に1往復運転される事となった。このツアー、11月20日の14時からインターネット限定で販売されたそうだが、あっという間に売り切れになったと言う。

そこで、この列車を撮影すべく、5日は常磐線沿線へと出かけてみた。しかし、この日は、中央線三鷹~国分寺間の上り線の高架切り替え工事が予定されており、朝のうちは、武蔵小金井・東小金井・武蔵境の3駅の地上ホームを記録していたため、常磐線沿線へ入った時には、207系は既に松戸を出発し取手に向かっていた。とりあえず、後続の快速電車で追跡を試みるが、我孫子付近の公衆立ち入りの影響で、常磐線の列車に遅れが生じてしまった。ちょうどその頃、弊ブログと相互リンクを汲んでいる「くましげの日記帳」の管理人である、くましげさんより柏にいらっしゃると連絡が有ったので、私も柏で合流する事にした。常磐線沿線は、どこも多くの鉄道ファンが詰めかけており、全く入る隙すらないほどであったが、この柏は、やや余裕が有った。私は、くましげさんの後ろから撮影する事にしたのだが、人の多さと列車進入時における安全面を考慮し、ホーム先端の真ん中から撮影する事にした。事前のリハーサルでは、障害物は多いものの、この場所からでも10両編成が何とか入る事を確認していたのだが・・・

現地到着から待つ事およそ20分後の事。先行列車の後を追うような形で、ゆっくりと207系900番台車「ありがとう207系」号が近付いて来た。早速撮影してみるのだが・・・

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柏駅に差し掛かる207系900番台車「ありがとう207系号」

どうも「本番に弱い病」が再発してしまったのか、練習時はしっかりと編成単位で撮れたものが、最後尾車両が4分の1ほど切れてしまった。

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臨時快速「ぶらり高尾散策号」を撮影

11月28日のお話。

11月最後の土曜日となったこの日は、朝から自宅でのんびり過ごしていたのだが、夕方から多摩川の河川敷へ、中央線の臨時列車の撮影に出かけた。

季節は秋。中央線沿線では、高尾山の紅葉が見頃を迎えている。JR東日本水戸支社では、東京近郊の紅葉の名所でもある高尾山へ、常磐線沿線から乗り換えなしで行ける臨時快速列車「ぶらり高尾散策号」を初めて運転する事となった。運転日は11月21日と28日。日頃は中央線を走行しない、勝田車両センター所属の485系電車での運転と言う事で、是非とも撮影しておきたいと思っていたのだが、21日の運転に関しては、私自身すっかり忘れていた。そこで、28日については、しっかりと撮影しておきたいと思っていたのだが、朝の高尾行きに関しては出遅れてしまい、夕方のいわき行きの撮影に賭ける事にした。

私は、自宅を15時30分に出発した。しかし、この頃から雲行きが怪しくなり、暗くなってきた。これで撮影出来るのか不安に思いながらも立川へと移動する。そして、立川駅南口から立川バスに乗り込み、多摩川の河川敷を目指した。16時12分頃、現地到着。「ぶらり高尾散策号」の日野駅通過は16時18分なので、何ともギリギリのタイミングである。早速カメラの準備をするが、かなり厳しい状況。カメラのISOを640まで上げて、何とか撮影できる状態になった。そして、上りの快速電車2本で練習を重ねた後、16時18分、勝田車両センターの485系による「ぶらり高尾散策号」が、多摩川の鉄橋を通過して行った。

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夕闇迫る中、一路いわきを目指す「ぶらり高尾散策号」

両端の先頭車が、北海道で使用された実績を持つ485系1500番台車で構成された、勝田車両センターの485系K60編成。御覧のように、ヘッドマークは「臨時」と、ややさびしさが残るが、同編成の最大の特徴である4つ目ライトを点灯させて走る姿を、この場所で記録できた事は良かったと思う。

撮影後、走り去る列車を眺めてみた。車内は、そこそこの乗車率である。この列車、全車座席指定とのことで、殆どの方が常磐線方面へお帰りになると言う事であれば、この列車の設定は、ある程度成功と言えるのではないかと思う。今後は、初詣臨などで再び高尾へ来てくれる事を祈念しつつ、撮影地を後にした。

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「ふくろう協定」のヘッドマークを掲出した西武4000系

さて、御花畑駅から仲見世通りを歩いて西武秩父駅へ向かうと、次の上り列車は、秩父鉄道三峰口からの池袋行き快速急行だった。これならば、秩父鉄道線内から乗っても良かったのだが、後の行動を考えると、西武秩父駅からパスモで入場しておいた方が好都合かと判断したので、これはこれで良かったと思う。

早速、跨線橋を渡って2番ホームへ行くと、ちょうど4000系の快速急行が入線してきたのだが、よく見るとヘッドマークを掲出していた。そこで、停車時間を利用して撮影する事に。

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「ふくろう協定」のヘッドマークを掲出した4009F。

東京都豊島区と埼玉県秩父市は、昭和58年より姉妹都市提携を結んでいるが、この度、豊島区と秩父市を結ぶ西武鉄道が、西武秩父線開業40周年を迎えた事により、豊島区と秩父市がより友好関係を深めるため、豊島区のシンボルである「梟(ふくろう)」と、秩父神社にある「北辰の梟」にちなんで、「ふくろう協定」と言う、新たな友好都市協定を結ぶ事となった。それを記念して、西武鉄道の4000系2編成に、「ふくろう協定」のヘッドマークが掲出される事となった。ヘッドマークは2種類あって、この4009Fは、豊島区側のヘッドマークとなっており、もう1編成、4011Fには秩父神社の「北辰の梟」をイメージしたヘッドマークが掲出されている。

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昨年から運転中の「北辰の梟」ヘッドマーク掲出編成と並んだ4009F。

ちなみに、もう1種類のヘッドマークを掲出した4011Fは、私が乗車した快速急行の長瀞発の車両として、横瀬より連結したのだが、下車した時には、既に暗かった事も有り、撮影出来なかった。

「ふくろう協定」のヘッドマーク掲出は、本日12月3日までの予定となっている。

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秩父鉄道創立110周年「ありがとうフェスタ」会場へ

さて、西武秩父駅周辺で特別仕様の「パレオエクスプレス」を撮影した後は、西武秩父駅前~仲見世通りと経由して、秩父鉄道の御花畑駅へと移動する。ここから、秩父鉄道に乗り込み、「ありがとうフェスタ」を開催している三峰口へ向かう事になるのだが、ちょうど三峰口行きよりも前に、羽生行きが来ると言うので、一足早く改札内へと入り、羽生行きを観察する事にした。入線してきたのは、この車両だった。

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秩父鉄道創立110周年「ありがとうフェスタ」のヘッドマークを掲出した1011F。

御覧のように、オレンジに塗られた1000系1011Fがやって来た。三峰口駅で開催中のイベントを告知するヘッドマークを掲出し、イベントのムードを盛り上げていた。日頃、中央線を利用しているせいか、秩父鉄道のリバイバルカラーの中では、このオレンジ色の1011Fが一番お気に入りなのだが、残念ながら羽生行きなので見送る事に・・・

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門鉄デフになったC58 363号機を撮影

さて、西所沢での狭山線の観察を終えた私は、下りの飯能行きに乗車して飯能へ。そして、更に飯能から特急「ちちぶ11号」に乗車し、西武秩父へと向かった。

この日、秩父鉄道では、創立110周年を記念した鉄道ファン向けのイベント、「おかげさまで110周年 ありがとうフェスタ」を三峰口駅構内で開催していた。そして、110周年に関連して、C58 363号機により運転されているSL列車「パレオエクスプレス」も、牽引機のC58のデフレクターを、国鉄時代の門司鉄道管理局で良く見られた「門鉄デフ」を再現して運転すると言う。

そこで、三峰口駅のイベントへ出かけると供に、このC58を撮影しようと計画した。飯能から特急列車に乗車したのは、三峰口へ行く前に、西武秩父駅周辺で、C58の撮影と昼食を済ませてしまおうという狙いからであった。11時48分、西武秩父駅に到着。目星を点けていた西武秩父逆1踏切付近で待機している人は、この時点で確認できなかった事から、まずは安心して仲見世通り内で昼食を済ます。そして、「パレオエクスプレス」通過のおよそ10分前に、逆1踏切へと向かうと、先客の方がお一人。タイミングを見計らってご挨拶をして、その方の後ろからカメラを構える事にした。この日は、前日とは対照的に、穏やかな空模様。ポカポカ陽気で、パレオエクスプレスを待つのも楽だった。

そして、待つ事およそ10分ほど。門鉄デフを装着したC58 363号機による「パレオエクスプレス」が、ゆっくりと近付いて来た。

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門鉄デフを装着。そして創立110周年記念マーク・日章旗を掲出して、三峰口へと向かうC58 363号機。

今回のC58への門鉄デフ装着は、秩父鉄道創立110周年記念のサプライズ。門鉄デフは、今年2月、内房線を走行したC57 180号機で、初めて見たが、門鉄デフの方がスマートに見えるような気がする。まあ、この辺りは、個人的な好みの問題もあるかもしれないが・・・

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側面も撮影してみる。

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