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ありがとう209系 京浜東北線・根岸線より引退

では、再び更新順を変えて、1月23日から24日にかけてのお話。

JR東日本では、各線で老朽化した車両の更新を積極的に進めているが、この度、京浜東北線から209系電車が姿を消すことになった。

209系は、1992年に登場した209系の試作車両、901系電車(後に量産化改造を経て209系900・910・920番台車に編入)のデータを反映させて、1993年に登場。これまでの車両の概念を覆し、寿命・コストを半分にすることで、当時、大量に所有していた103系を早急に置き換えることに成功した。しかし、登場から15年以上が経過し、この209系にも故障が目立つようになってきたことから、この度、中央線で実績のある、E233系の新バージョンである1000番台車に置き換えられることになったのである。

最盛期には83編成の209系が活躍していた京浜東北線。2007年12月から開始されたE233系への置き換えは順調に進み、ついに、最後の編成を残すのみとなった。そこで、17年間に亘って京浜東北線を支えてきた209系に敬意を表し、JR東日本では、1月17日からウラ52編成に、「ありがとう209系」のヘッドマークを掲出して運転することになった。

ヘッドマーク掲出が始まってから、この209系を撮影しようと、スケジュールを調整していたのだが、なかなか都合が付かず、撮影できないまま、とうとう最後の2日間を迎えてしまった。最終日前日である23日も、所属している鉄道フォーラムの新年会オフがあり、午前中から15時頃までは、予定が詰まっていた。都電荒川車庫の見学を終えた15時頃から、宴会までの1時間半ほど自由行動となったため、京浜東北線の209系を追跡することにした。すると、幸いなことに、横浜方面から南浦和に向かっている最中とのこと。そこで、王子から京浜東北線に乗車し、田端方面へ。神田駅でウラ52編成を出迎えることにした。

神田駅頭着後は、中央線ホームへ移動。同ホームには、やはり同じようなことを考えている人が多数いらっしゃった。私は、ホームの中程で撮影することにした。ウラ52編成の神田駅頭着は15時50分。中央線、東京行き電車の時刻を見ると、直前の電車は15時48分発で、その電車の後は52分発まで無いことから、被りは回避できそうだ。あとは、中央線の遅延がないことを祈るだけ。48分発の東京行きが1分ほど遅れて神田駅を出発すると、すぐに列車接近放送が入った。これで被りが回避できたことは確定的。安心して撮影することに。

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ついに、京浜東北線から引退する事になった209系。

まずは、無難に入線シーンを撮影するも、この神田駅のホームは、微妙にS字カーブとなっているので、今度は近付いてきたところをもう一度撮影してみることに。

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近付いて来た所でもう1回撮影。

10両編成の209系が、微妙にS字を描くように曲がっているのがお分かり頂けるかと思う。これで入線シーンの撮影は終了とした。

続いて、出発までの短い時間を利用して、今度はこの車両を撮影することに。

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京浜東北線の5号車に組み込まれている6ドア車、サハ208。

6ドア車、サハ208。10両編成のうち、この6ドア車を含むサハは、転用計画がないことから、引退後は廃車・解体の運命をたどることになる。やや勿体ない気もしないでもないが、6ドア車に関しては、通勤輸送に特化した車両だけに、職務を全うしての引退と言うことになるかと思う。

この後、走り去るウラ52編成の後追いを撮影して、23日の209系の撮影を終了とした。

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南浦和に向けて神田駅を発車する209系ウラ52編成。

続いて24日。いよいよこの日が泣いても笑っても209系の運用最終日となる。前夜の新年会で飲み過ぎてしまった事もあり、なかなか重い腰が上がらず、実際に撮影に出かけたのは午後からとなってしまった。、最終日は21A運行で運転されていると言う情報をネットで知り、時刻表を眺めながら作戦を立てる。おそらく、どの駅も混雑が激しいだろうと判断し、駅の外からの撮影を心がけた。そして、最初に思いついた場所は上野公園だった。現地に到着したのは、ウラ52編成充当の快速大宮行きが通過するおよそ8分前だった。早速、公園内を歩き、どうにか撮影できそうな場所を確保。持参していた小型の脚立を使用する事で、何とか撮影する事が出来た。撮影準備が出来た直後、ウラ52編成が通過する筈なのだが、一向に姿を見せない。どうやら、別れを惜しむファンが殺到し、遅れているとの事。結局、所定より8分ほど遅れて、ウラ52編成がやって来た。

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上野駅に進入する209系ウラ52編成。

続いて、大宮駅から折り返し磯子行きとなるため、この列車を蒲田付近で狙おうとするが、蒲田~川崎間の線路沿いを歩きながら撮影できそうな場所を物色してみる。しかし、ちょうど順光になると言う事もあって、影を気にせずに撮れる場所は、既に多くのファンが待機しており、入り込む余裕は全くなかった。結局、駅に程近い線路沿いの道から適当に撮影したものの、思うような写真を撮る事は出来なかった。

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蒲田駅を出発し、一路磯子に向かうウラ52編成。

先程の上野でも既に8分ほど遅れていたが、この蒲田の時点で、既に15分ほどの遅れて運転していた。この後、磯子から折り返し南浦和行きとなるのだが、この列車に関しては、もう走行写真の撮影は不可能となる。そこで、綺麗に撮れそうな品川駅で撮影する事にした。17時頃より、山手線外回り電車が発着する2番線の新宿方で待機。最初は3人ぐらいだったのだが、ウラ52編成が近付いて来るにつれて、徐々に人が多くなり、最終的には、この場所でも20人ぐらいのギャラリーが集まったと思う。で、ウラ52編成の方も、遅れはさらに増しており、最終的には24分遅れで品川駅にやって来た。

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品川駅に到着するウラ52編成。

この撮影を以て、京浜東北線の209系の撮影を終了とした。

京浜東北線を17年間に亘り支えてきた209系は、こうして、幕を閉じる事となった。寿命もコストも半分と言うキャッチフレーズで誕生した209系だが、この電車の開発により、後に誕生したE231系やE233系、そして他の鉄道会社の新型車両に受け継がれたものは多く、ある意味、21世紀初頭における通勤形電車の基礎を作ったと言っても過言ではないと思う。今後、京浜東北線を引退した209系は、一部のサハを除き、房総地区へ転用される事になるかと思う。いずれ、第二の職場へ移動した209系の活躍ぶりも追っていきたいと思う。

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コメント

この車に関しては「撮影しておきたい」という衝動にかられません。
一つは南武線に残っているや八高線にいるというのもありますが最初から使い捨てという意識があるので設計者の思いなどがあまり見られません。
試作車は確かに個性があったのですが量産はそういうわけでもないです。
205のようにバージョンがすごくあるわけでもなく(千代田線乗り入れくらい)、内装もプラ丸出しですしでう~~んですね。

しかし廃車予定がなんと房総でさらに頑張るというオマケまで付きました。モーレツ社員は余生を暖かいところで送るという図式を見ると、むしろ私はこれからの209の方が興味が出るかもしれません。

投稿: SATO | 2010/01/26 08:03

こんなに遅れてしまうと後続の電車もかなりの影響を受けたでしょうね。ファンの気持ちは分かるけど、いくら京浜東北線209系運用最終日だからと言ってダイヤを遅らせる行為はやめて欲しいです。

投稿: 西武6000系6109Fスマイルビジョン及び6113F大好き | 2010/01/26 20:57

 こんばんは。土曜日はお疲れ様でした。

 日曜日ですが、さすがに朝は起きることが出来ませんで、私も動き出したのは11時過ぎでした。当初は乗車メインでと考えていましたが、北浦和で運よく大宮寄りのホーム先端に誰もいなかったので、ここで撮影いたしました。

 10分近く遅れていたのはともかく、遅れているにもかかわらず、車内から次から次へと列車か降りてきてシャッターを切るという光景を見たときには辟易してしまいましたね。こちらは駅撮りだったので、過ぎ去った後の後追いを余裕で撮影できましたが、あれだけ多くの人に見送られたことを考えると、209系もまんざらでもなかったと思いますね。それでは。

投稿: mattoh | 2010/01/26 22:34

皆さん、コメントありがとうございます。

>SATOさん
この車両に関しては、開発の経緯も含めて評価が分かれる車両ですね。ただ、記事の中にも書きましたが、この車両によって、各社の通勤形車両に大きな影響を与えたことは確かですので、私はそれなりに評価できるのではと思っています。京浜東北線引退後に、まさか房総半島へ転用されるとは、全く予想もしなかっただけに、正直今でも信じられません。113系・211系の後釜が209系になるとは。でも、房総半島のローカル、113系の前は73系電車でしたから、そう考えると、また通勤形に戻ったと言う事になりますね。

>西武6000系6109Fスマイルビジョン及び6113F大好きさん
私が最後に撮影した電車は、品川時点で24分遅れでしたから、当然、順番も変えています。しかし、今回のようなさよなら運転の現状を、10年ほど前と比較しますと、以前は、こんなに列車が遅れるほどファンが殺到したと言う事は無かったように思います。今後、このようなさよならイベント自体、行われなくなる可能性もゼロではないでしょうから、そうならないように、我々ファンも日頃から気をつけないといけないですよね。

>mattohさん
こちらこそ、土曜日はお疲れさまでした。さすがに新年会の翌日、なかなか重い腰が上がらなかったのは、私だけではなかったのですね。さて、最終日はどの駅も多くのファンで賑わっていたのですが、さすがに北浦和だと、やや撮影には向かない構造だったと思いますから、集まったファンも少なかったようですね。

投稿: TOMO | 2010/01/29 02:12

TOMOさんこんにちは、そうでしたかラストランに行かれましたか。自分も、17日と23日と24日に撮影行きましたよ。
17日はまだ日にちがあるせいか人は少なめでしたね。23.24は人が凄く撮影には適さなかったですね。
自分は、何とか撮影はできました。
地元を走る京浜東北線は、幼い頃から馴染みの有る電車だけに209系が京浜東北線から離れるとなると何かさびしい気持ちになりましたね。最終日のラストの方は、車変もされたみたいですしね大宮で張り込んでいたら233系が来る始末最悪でしたね。
209系京浜東北線長い間お疲れ様でした。

投稿: たけしー | 2010/01/30 16:19

私は、大学の試験が近い為209系のさよなら運転を見に行くことができませんでした。ただ私としては209系が京浜東北線から消えるにはちょっと早すぎるかなと感じます。

中央線ではE233系の増備が終わったとはいえ、高架化工事の関係上201系を存置したままでありながら、201系を残して京浜東北線は209系を全て追い出してE233系の増備を終えるといった結果になってしまったし、早すぎる引退は残念ですがまだまだローカル運用で活躍の場が与えられているからこそこれからも原形の209系を見る楽しみができて非常に嬉しいです。このまま全車廃車になったら非常に勿体ないですからね。

短い間でしたが209系、本当にお疲れさまでした。

投稿: mi-ha- | 2010/01/31 15:48

TOMOさん、こんにちは。
私は23日に撮影に行きました。

場所は西川口としましたが、理由は南浦和から2駅南であることと、混み具合を考慮しても北側で撮れる場所があることで撮影しました。
ま、架線柱が少々邪魔でしたが、それは上手く処理をすれば何とか撮れますので。
後中央201系についてですが、来年度中には検査期限が来てしまいますので、おそらく東急車両による代替車の製造遅延があるのかなと見ています。

投稿: 横山 正典 | 2010/01/31 22:33

 こんばんは。

 この209系のドア開閉音と加減速時に於けるVVVF音、聴いていてある種独特な感じがしたところから、今でも頭に焼き付いてしまっています。
 初めてこの独特なドア開閉音と加減速音に接した時、これがJR東日本(そしてJR車両)の新標準になるのかな、と思ったりしたものでした。
 付随車の一つとして登場した「6扉車」もまたインパクトを感じさせてくれましたし・・・

 それはさておき、209系の京浜東北線に於ける最後の姿を追っての撮影行、お疲れ様でした!

投稿: 南八尾電車区 | 2010/02/01 01:56

お久しぶりです。入試が終わったため先日よりネット上での活動を再開しました。

僕も入試の関係で最終日以外に撮影できる日がなかったので、最終日1/24に撮影/乗車しました。
最終列車(1621A、磯子→南浦和)は磯子を15分遅れで発車しました。あまりにファンが殺到したため黄線の外に出てまで撮影する方もいて、駅員さんも含んでの「磯子罵声大会」となってしまいました。気持ちは分かりますが、危険な撮影はやめてもらいたいものですね。
ちなみに南浦和でウラ149編成に車両交換され(最初から決まっていたみたいです)ましたが、遅延の影響でその列車は鶴見行きに変更された(本来は桜木町行き)ようです。
サハ208ですが、何故りんかい線70-000系に転用しなかったのかが今でも気になります。りんかい線は直通相手の埼京線205系の多数の編成に6扉車が組み込まれていますし、70-000系は209系ベースの車両で電装品も同じですから、サハ208のドアエンジンを空気式に交換し(一部の空気式ドアエンジン装備クハやサハ全車や川重製モハは解体されたので、発生した空気式ドアエンジンを転用)70-000系に組み込んでも良かったのでは、と今でも思っています。

投稿: F02 | 2010/02/01 11:48

皆さん、コメントありがとうございます。

>たけしーさん
やはり、たけしーさんも撮影に行かれましたか。ヘッドマーク掲出が始まった頃は、まだ幾らか人も少なかったみたいですね。おそらく、前日も同じような状況だったのではないかと思います。

>mi-ha-さん
当初は寿命10年と言われた209系ですが、実際には京浜東北線を17年間支えてきましたから、私は逆に思ったよりも長く活躍したのではないかなと思っています。サハは廃車となってしまいますが、その他の車両は、房総地区での活躍が期待されていますので、新天地での活躍に期待しましょう。

>横山正典さん
西川口で撮影されたんですか。これはノーマークでした。今度、機会がありましたら、西川口で京浜東北線を撮影してみますね。中央線のE233系に関しては必要数の投入が終わっていると思っていたのですが、結局は201系の分も代替車を作ると言う事なんですかねえ。

>南八尾電車区さん
209系は、これまでのVVVF車とはやや違ったモーター音でしたから、登場時は、ちょっと違和感がありましたね。

>F02さん
私が品川で撮影した最終電車に乗車されたんですか。お疲れさまでした。サハ208のりんかい線転用案・・・いやあ考えた事ありませんでしたが、確かに埼京線の205系には、半数以上にサハ204が2両も連結されている訳ですから、りんかい線の70-000系に6ドア車を連結しても良いかもしれませんね。

投稿: TOMO | 2010/02/03 07:36

こんにちは青森車両センターへ昨年より京浜東北で使われた209系3編成が通称東客と呼ぶ所へ留置してますが、なんの為に在るのかわは判りませんがたまに屋根雪を下ろしています。

投稿: 融雪 | 2010/03/13 11:39

融雪さん、コメントありがとうございます。

京浜東北線を離脱した209系は、一部車両を除き、房総半島ローカル用へ転用改造をしていますが、転用改造は、JR東日本管内の総合車両センター(東京・大宮・長野・郡山・秋田)で実施していますが、どの総合車両センターとも、それぞれの地域の車両の検査等もあり、一度に大量の車両を改造すると言うことは不可能となっています。

そこで、各総合車両センターへ行く前に、各地の留置線へ一時的に疎開させています。これまでに出ている目撃情報では、常磐線の高萩駅や高崎線深谷駅、更には直江津や一ノ関など、使用していない留置線に分散して留置し、総合車両センターの空きを待つといった状況となっています。青森に疎開留置している車両も、いずれは秋田総合車両センターへ運ばれて、房総半島向けに改造されることになるかと思います。

投稿: TOMO | 2010/03/17 13:00

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