久留里線を訪ねる
では、再び1月10日のお話に戻ります。
この日は朝から青春18きっぷを使用していた。俗に言う消化試合である。白岡でEF81の訓練列車を撮り終えたのが11時前のこと。まだ帰るには早すぎる。でも、すでに昼が近い。どこへ行こうと考えていたところ、久留里線のキハ30の事が頭に浮かんできた。
先日、久留里線で最後の活躍を続けているキハ30の、郡山総合車両センターからの出場配給の撮影をした。この時は、EF65 1118号機牽引だったものの、残念ながら宇都宮線の普通列車に被られてしまい、まともな撮影はできなかった。あの時は消化不良気味に終わり、早く現地へ行って国鉄色に塗り替わったキハ30を見たいと思っていたところだったこともあり、久留里線を目的地の候補に加える決断は早かった。あとは、これから現地へ行って、キハ30に会えるかどうかと言うことだが、白岡から乗車した宇都宮線の車内で、携帯電話を使用し各種掲示板を当たってみると、ちょうど、キハ30が木更津で出庫準備をしているとの情報を入手。この時点で正式に久留里線行きが決定したのである。
途中、上野駅構内の飲食店で昼食を摂り、東京駅から総武線の快速電車で木更津を目指す。運良く、内房線直通の君津行きだったことから、奮発してグリーン車にした。朝が早かったこともあり、この時点で少々疲れ気味。少しでも疲労を回復させておこうというのが、グリーン車を選択した理由だった。
東京駅から1時間20分ほどで木更津に到着。到着したホームの向かい側が久留里線のホームである。さて、キハ30は・・・いました。目の前に。早速撮影してみる。
国鉄色に戻されたキハ30を先頭に、木更津駅で出発を待つ久留里線列車。
跨線橋の陰があるため、停車中のキハ30は、やや暗い感じに写ってしまうが、肉眼で見るととても綺麗だ。これで台車や連結器がグレーに塗られていなければ、もっと良いのだろう。でも、これは検査を受けている郡山総合車両センターの仕様だから仕方がない。
撮影後、久留里行きの編成を見渡してみる。まずは先頭のキハ30。昔、よく高崎の親戚宅へ行くのに、拝島から八高線に乗っていくことが多かった。小学生の子供に、2時間以上、ディーゼルカーに乗せることは、かなり苦痛で、雑誌に出ているような、特急列車や急行列車が走る、高崎線で行ってみたいと思ったことは何度もあった。でも、今となっては、こんな気動車に2時間以上乗ることの方が贅沢。まあ、子供の頃はそんなこと解らないよね。欲を言えば、子供の頃から見慣れている「タラコ」色の方が良かったかも。
キハ30の後ろに連結されていたキハ38。
続く2両目はキハ38。こちらの車両も、元は八高線で活躍していた。国鉄末期、キハ35の改造名義で数両作られた車両。八高線初の冷房車となったはずだが、当時は冷房の性能もよくなく、冷房を使用すると逆に調子が悪かったと記憶している。
どちらにしても、私にとっては、とても懐かしい車両であることには間違いない。どちらに乗ろうか悩んだが、結局はキハ30を選んだ。空いている座席に腰を下ろし、落ち着いた頃、列車は久留里へ向けてゆっくりと動き出した。
列車は、木更津を出発すると、まずは、内房線に並行する形で走り出すが、すぐに右手へ分かれていく。内房線と分岐すると、もう畑が目立ち、のどかな風景が続くことになる。単線で似たような景色が続くこと、そして、早朝からの活動でだんだんと睡魔が襲ってきた。眠気がピークになった頃、横田駅に到着。久留里方面からの木更津行きと交換した。あちらは、キハ38と久留里線生え抜きのキハ37による2両編成だった。キハ37は、国鉄時代、久留里線と関西の加古川線に投入され、次世代のローカル線用気動車として期待されたものの、量産はされずに、久留里線の3両と加古川線用の計5両が作られただけで終わってしまった。加古川線用の2両は、後に山陰地方に転用されたものの、数年前に運用を離脱。現在では廃車となってしまい、今では久留里線用の3両を残すのみとなってしまっている。
帰りは、キハ37に乗りたいなあ・・・なんて思っていたら眠気が冷めてきた。
ふと、この辺でキハ30の走行写真が撮りたくなってきた。しかし、既に時刻は15時近くとなっており、そう長い時間撮影はできない。そこで、この列車の終点の久留里駅に近づいてきたところで、どこかキハ30が順光で撮れそうな場所がないか、車内からそれらしいところを物色することに。周りの景色及びキハ30に注がれる太陽光線を見ながら進み、下郡という駅で途中下車をすることにした。
下郡駅で途中下車。
下郡駅。ホームは片面で3両分ほどしかない。もちろん無人駅である。車掌に青春18きっぷを提示して下車した。ご覧のように、ホームよりも待合室やトイレの方が目立つという駅だ。そして、ホームがそのままスロープ上になっており、線路の横に出られるようになっている。そして、正式な踏切ではないものの、畑の畦道のようなものが線路を横切っており、地元の人は暗黙の了解でこの場所を通過しているようだ。こんな小さな駅だが、一つ感心したのは、駅から徒歩1分ほどの場所に、セブンイレブンがあった。私の地元、萩山駅周辺には、長年コンビニ自体が無かった。数年前にやっとオープンしたものの、もし、今でもコンビニがなかったら、久留里線沿線よりも田舎かもしれない。
さて、先程のキハ30は、約30分後に久留里から折り返してくることになる。それまでに撮影場所を探さなくては・・・私は県道を久留里方面へ向かって歩き出す。この辺りは、線路に沿ってすぐに畑があるため、それほど遠くまで行かなくても撮影できる場所は見つかりそうだ。幸いにも、駅から2つめとなる踏切付近で撮影できそうなことが解った。早速、撮影準備に取りかかる。順光で撮れるのはキハ30のみである。そこで、この場所での撮影は後追い1本に絞ることにした。と言うことで、まずは三脚を出してカメラをセットする。そして、待ち時間の間、どこかに座っていたいと思い、鞄から小型の脚立を取り出した。列車通過までの間、脚立を椅子代わりにして座って過ごすことにする。そうなると、だんだんと横着になってきて、最終的には、三脚を低くセットして、脚立に座ったまま撮影することにしてしまった。
セッティング完了から待つことおよそ10分ほど。すぐ横の踏切が鳴り出した。先程のキハ38+キハ30による木更津行きである。私は、キハ30の通過に合わせてシャッターを押した。
久留里から折り返し、木更津へと向かうキハ38+キハ30。
順光の中を行くキハ30。ローカル線にありがちな風景とうまくマッチしていて、いい感じに撮ることができた。撮り鉄として、この途中下車は、充分に満足できる成果を得ることができた。
さて、撮影後は再び下郡駅へ戻り、終点の上総亀山を目指すことにする。駅のホームで15分ほど待つと、後続の上総亀山行きがやってきた。入線してきた車両を見てびっくり。なんと、この列車もキハ38とキハ30の混結だった。しかも、そのキハ30は、先日、郡山からの出場したばかりの車両。あの時は、蓮田で被られたんだったなあ。そんなことをすぐに思い出した。
列車は、10分ほど進むと久留里駅に到着する。ここで、上総亀山から来る木更津行きと交換のため、暫くの間停車する。私は、ホームに降りて、上総亀山から来る木更津行きを撮影する事にした。数分後、木更津行きが到着する。
久留里駅に到着した上総亀山発木更津行き。
上総亀山からやって来た木更津行きは、御覧のようにキハ38とキハ37との組み合わせの2両。先程、横田駅で見かけた木更津行きとほぼ同じ組み合わせである。行程上、このまま上総亀山まで行っても、同じ車両で折り返す事になるので、この時点でキハ37に乗れない事は確定的だった。ああ、キハ37に乗りたかったなあ・・・
気を取り直して、車内に戻り先に進む。久留里を出ると、景色も一変して、徐々に山間へと進んで行く。久留里駅を出ておよそ15分ほどで終点、上総亀山駅に到着した。この時点で、久留里線完乗達成である。折り返しまでの時間18分を利用し、上総亀山駅を観察する。
まずは上総亀山駅の駅舎を撮影。
小さな木造駅舎の上総亀山駅。なかなか良い味を出している。
夕闇迫る上総亀山駅ホームで出発を待つキハ30+キハ38。
キハ38の真横から、車止めを見てみる。
夕闇迫る上総亀山駅。流石にこの時間になると、もう歩きまわったり撮影する余裕もあまりなく、駅舎やキハ30を撮影した時点で、再びホームへと戻って来た。まだ停車時間に余裕があるので、今度はキハ30とキハ38の車内を撮影してみる事にした。
バケットタイプの座席が並ぶキハ38の車内。
キハ30の車内。
さて、どちらの車両に乗ろうかと迷うところ。車内の写真を撮りながら迷いつつ、結局は往路と同じくキハ30に落ち着く事になった。やっぱり、八高線での思い出が、どうしてもキハ30に私を引き寄せてしまったのであろう。青春18きっぷシーズン、夕方の久留里線と言う事で、上総亀山まで乗車してきた列車とほぼ同じ顔ぶれの車内。やはり、私を含めて、乗り潰しと言う方が多いようだ。もうすっかり陽も落ちて、窓からは全く景色が見えず、淡々と駅に停車していく。上総亀山を出ておよそ15分。久留里駅に到着すると、やはりここで下り列車と交換する。良く見ると、ここで交換する木更津行きは、下郡で撮影した編成で、国鉄色のキハ30が先頭だった。と言う事で、こんなシーンを撮影してみた。
久留里駅で交換する国鉄色のキハ30。
国鉄色のキハ30。そして、手前に停車している木更津行きの運転士の手にはタブレット。一昔前まで、全国各地でこんなシーンは見られたと思うが、今では、そんなシーンが見られる場所も少なくなってしまった。それが、東京からほど近い久留里線で見られるとは・・・
昭和のムードを色濃く残す久留里線だが、既に新型車両への置き換え計画はあるようで、こんなシーンが見納めとなる日も、少しずつではあるが近付いてきている。久留里を出発した後は、車窓を見る訳でもなく、そのままぐっすり眠ってしまい、気がつけば、木更津駅の一駅手前である祇園駅まで来ていた。列車はそのまま木更津駅に進入。この時点で、私の久留里線の旅は幕を閉じた。
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コメント
先日コメントした通り、去年の大晦日に乗ってきました。最初の画像はキハ30―98ですが、キハ38型(タネ車はキハ35型です)は2でしょうか?実は僕が大晦日に乗った編成が、キハ30―98+キハ38―2なんです。あの日は木更津~久留里間を2往復した後、キハ30―62が増結されました。
投稿: 岩崎友裕 | 2010/02/02 18:23
最後の写真はとってもいい感じですね。間違いなく「国鉄時代」を彷彿させる写真です。
新塗装車の「たぬきマーク」も好きです。木更津に證誠寺(しょうじょうじ)があるのにちなむといいます。
木更津から上総亀山へ向かってくと、すごい山の中へ入っていきますよね。千葉というと「海」のイメージがありますが、山深いところもあるんですね。
私にとっては相模線で見慣れていたキハ30の最後の活躍場所です。
投稿: バイシ | 2010/02/02 23:16
岩崎友裕さん、バイシさん、コメントありがとうございます。
>岩崎友裕さん
仰る通り、最初の画像に出ているキハ38は2で間違いないです。あっ、本文がキハ30の改造名義となっていましたね。失礼しました。訂正しておきます。昨年の大みそかは、国鉄色キハ30が2両連結されたということでしょうか。それは見ておきたかったです。
>バイシさん
最後の写真、自分でも撮った時に、良い感じに撮れたなあって、思わず自画自賛してしまいました。日も暮れて夕方と言うのが良かったのかなと思います。久留里線の末端区間は、仰る通り、海のイメージは全くありません。本当に、ここが千葉?と思いたくなるような風景でした。
投稿: TOMO | 2010/02/04 18:21