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昭和の日 中央線201系H7編成を撮影

今日4月29日は昭和の日。

昭和天皇の誕生日と言う事で、2007年より「昭和の日」と改められた祝日である。今日は午後から浜松町で開催されている鉄道模型のイベントに出かける事にしていたのだが、27日より運用復帰した、中央線の201系H7編成が、今日も25T運用に入っていると聞き、浜松町のイベントに行く際に、H7編成を撮影して行く事にした。

12時過ぎに自宅を出発。まずはH7編成に先行する形で東京方面へと向かう。当初は、水道橋で下車し、水道橋~御茶ノ水間の定番ポイントへ行こうかとも思ったんだが、道中、各撮影ポイントに人が多く出ていた事も確認していた。

そこで、予定を変更。浜松町へ行く事を考慮して、神田駅で撮影する事にした。まずは、3・4番線の東京方へと向かう。思ったよりも人は少なかったが、それでも、やはり201系を撮ろうと言う人で賑わっていた。早速撮影準備に取り掛かる。E233系で練習を重ね、おそそ15分後の事。ようやく201系H7編成の東京行きが神田駅に到着した。

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神田駅に到着した201系H7編成。今日は25T運用だった。

カーブしている神田駅。その為、この駅では編成全体を見渡して撮影する事が出来ず、御覧のように7両分入れば精一杯という感じである。

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神田駅を出発し東京駅を目指す201系H7編成。

午前中、京浜東北線が、線路内に障害物があった影響で遅れていたため、この時点でも京浜東北線にやや遅れが生じていた。狭い神田駅のホームでの撮影なので、京浜東北線の列車の通過と重なってしまうと、中央線の撮影そのものに影響が出てしまうので冷や冷やしていたのだが、まずは第一関門が突破できた。

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奇跡の復活!中央線201系H7編成が運用復帰

中央線三鷹~国分寺間の高架工事に伴う運用増のために、2編成だけ残されていた中央線の201系。しかし、運用増の原因となっていた武蔵小金井駅での折り返しも、上り線の切り替えに伴い、ホーム上で出来る事になった事から、3月のダイヤ改正を機に、運用数が元に戻され、その結果、201系が定期運用から離脱。H4編成が6月中に、H7編成も夏までには引退する事となり、現在、H4編成のさよなら運転が、JR東日本八王子支社各地で行われている。

そんな状況の中、もはや中央線の201系は風前の灯。E233系に追われ、まさに、首の皮1枚だけ残ったと言うような印象である。しかし、本日昼前の事。友人より、201系H7編成が運用に復帰し、21T運用に就いているとの情報を得た。早速、昼休みに時刻表を見てみると、ちょうど青梅に行っており、これから青梅特快として東京を目指す事が解った。

そこで、今日は、昼休みの時間をややずらして、この青梅特快を撮影する事にした。ちょうど、午後から中央線の線路沿いへ出かける予定だった事も好都合だった。私は、西荻窪駅の近くで昼食を済ませて、13時10分頃、改札を入場。1・2番線ホームの高尾方へと向かう。既にお一人、先客がいた。私は、その後ろ側からカメラを構えて待つ事にする。そして、13時18分頃の事、前方にオレンジ色の201系の姿を確認する事が出来た。被りの心配もない。安心してシャッターを押す事にした。

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奇跡の運用復帰。ダイヤ改正後、運用を離脱していた、201系H7編成が21T運用に入った。

西荻窪では久し振りに見る201系。これまでに、この場所では何度も201系を撮影してきた事もあり、今日も、それまでと全く同じ感覚で撮影するつもりだった。しかし、通過直前に吹いて来た風に反応したのか、201系が近付くにつれて、体に震えが出てきてしまった。何か久々の感触に興奮してしまったのかもしれない。

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12系客車を使用した団臨を撮影

お墓参りで高崎を訪れた4月10日。この日は、早朝のD51の出場回送以外に、もう一つ、撮影対象の列車があった。

それは、高崎車両センターの12系客車を使用して、上野~越後湯沢~六日町間を走る団体臨時列車である。最近では、客車列車そのものが少なくなってきているが、この高崎には、SL列車用として、12系客車が残されており、今回は、この車両を使って運転される団臨だ。

この列車、鉄道ダイヤ情報誌を見ると、高崎駅を11時01分に出発する事になっていた。そこで、ちょっと母親が買い物に行っている間を利用して、私だけ井野駅へ先回り。この列車を撮影する事にした。10時53分頃、井野駅に到着する。まずはホームの様子を確認する。長い上りホームの何カ所かに、この団臨を撮影するであろうファンの姿が確認できた。私は、後追いでの撮影を考慮して、上りホームの新前橋方に移動し待機する事に。既に先客が4人いたのだが、何とか入る事が出来た。

現地到着から待つ事およそ10分。下りホームに列車接近放送が入り、前方よりEF81の姿が確認できたが、無情にも、上りホームでも列車接近放送が・・・被られるかと覚悟したが、下りの通過の方が早く、何とか撮影する事が出来た。

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EF81 84号機が先頭に立った12系使用の団体臨時列車。

青い12系客車の先頭に立ったのは、真っ赤な車体のEF81 84号機。側面に星のマークが付いていない事から、普段は貨物列車を中心とした、地味な運用に使用されている車両であるが、この日は、御覧のように12系客車を牽引。日頃は地味な星マークなしのEF81。ちょっとだけ華やかな感じに見えた。

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12系客車の後ろには、EF64 1001号機が連結されていた。

ギリギリのタイミングで、後追いも撮影する事が出来た。御覧のように、上野方には、EF64 1001号機が連結され、折り返しの上り列車は、同機が牽引を担当した。

この撮影を以て、午前中の撮影を終了とした。私は下りホームへと移動し、入線してきた両毛線の普通列車で、お隣の新前橋駅へと移動した。

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てっくう撮影隊さん

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D51 498号機 出場回送を撮影

では、ここで4月10日のお話。

毎年、我が家では、4月に入ると墓参りに出かけている。今年も4月の第二土曜日に墓参りと言う事になった。私は母親と高崎へと向かうのだが、この日の早朝、大宮総合車両センターに入場していたD51 498号機が出場し、所属車両基地である高崎車両センターへの回送列車が運転されるらしいと言う話を聞いた。そこで、墓参りに行く途中に、この回送を撮ろうと、私だけ先に出発した。

早朝5時25分頃に家を出発。新小平駅で青春18きっぷに日付を入れてもらい、まずは大宮へと向かう。6時35分頃、大宮駅に到着。9番線へと移動すると、向かい側の11番線には、EF65 501号機に繋がれたD51 498号機が停車していた。

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大宮駅11番線で出発を待つD51 498号機の出場回送。

早朝にも関わらず、大宮駅9番線には、この出場回送を撮ろうと大勢の鉄道ファンが訪れていた。回送列車の停止位置が前寄りになっていた事が幸いして、宇都宮線の普通列車の停止位置に被られる事無く撮影できたことが有り難かった。

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古い鉄道写真1 犬山橋で撮影した名鉄キハ8500系

では、ここでちょっと古いお話を。

最近、ツイッター仲間より、手軽に楽しめるスキャナーがあると聞き購入してみた。これまで、我が家にはスキャナー設備がなく、銀塩のカメラで撮影した写真を、ブログにアップする事は基本的にしていなかったのだが、この程度でスキャン出来るのであれば、今後は時々古い写真の回顧録も書いていくつもりである。

さて、そんな新シリーズの第1弾は、名鉄キハ8500系のお話。名鉄キハ8500系は、新名古屋(現:名鉄名古屋)から、名鉄犬山線を経由して、新鵜沼駅手前の連絡線より、JR高山本線へと入り、高山までを結ぶ特急「北アルプス」に運用されていた車両。名鉄の高山本線乗り入れの歴史は長く、この車両の前にも、キハ8000系と言う気動車が「北アルプス」として運用されていたが、同形式の老朽化及びJR東海のキハ85系と走行性能を合わせるという目的で、1993年、キハ8500系が5両製造された。

名鉄では、このキハ8500系を使用して、特急「北アルプス」を1日1往復運転していたが、利用客の減少から2001年9月30日を以て、「北アルプス」を廃止した。キハ8500系にとっては、誕生から8年で用途を失ってしまったのだが、車歴も浅いと言う事で、第3セクターの会津鉄道が、自社の快速列車用として購入する事になり、2002年3月よりデビュー。現在では、鬼怒川温泉と会津若松とを結ぶ快速「AIZUマウントエクスプレス」に使用されている事は、弊ブログ2009年12月29日付記事でご紹介したとおりである。

名鉄から会津鉄道へ嫁いで今年で8年。ようやく安住の地を得たと見えたキハ8500系だが、登場から17年が経過し、老朽化や部品の維持管理が問題となり、今年4月を以て引退する事になった。

悲運な車両とも言えるキハ8500系。そこで、今回は購入したばかりのスキャナーを使用して、名鉄時代の写真をご紹介したい。

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名鉄の撮影名所、犬山橋を行くキハ8500系特急「北アルプス」

この写真を撮影したのは、1999年12月5日のことであった。当時は鉄道道路併用橋だった犬山橋であるが、翌2000年3月には、下流に道路専用橋が開通し、この鉄橋は鉄道専用橋として生まれ変わっている。現在でも撮影名所であることには変わりないが、当時のように橋の中で撮影する事は不可能である。

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犬山橋を渡り終えて、JRとの連絡線へと向かうキハ8500系「北アルプス」

なお、この前日である12月4日には、JRグループのダイヤ改正が実施されており、名古屋地区では313系の本格的な営業運転開始、急行「たかやま」の特急格上げ、急行「かすが」のキハ75への置き換えなど、国鉄型車両の淘汰へ向けた変化があり、私も、このダイヤ改正を挟んで名古屋に滞在し、各地で撮影をしていた。この日は、JR各線の観察が一通り済んだ事もあって、東京へ戻る前に犬山に立ち寄り、併用橋としての犬山橋の記録をしていたと記憶している。

この写真を撮ってから丸10年が経過したのか・・・

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流鉄5000系「流馬」に会いに行く

では、ここで4月5日のお話に遡ります。

4月5日と6日の2日間、松戸市内の取引先での仕事が入り、この2日間は、ほぼ1日を松戸市内で過ごした。特に初日となる5日は、現地へ直行直帰となり、我が地元からは武蔵野線での往復。さすがに1時間以上、武蔵野線に乗り続けると言うのは、結構しんどかった。

5日夕方、16時30分頃仕事を終えて、武蔵野線の東松戸駅から帰宅するが、ふと流鉄の様子が気になり、新松戸駅で下車。実は2009年6月に甲種輸送で流鉄入りした5000系(旧西武273F)が、現地での改造を終えて、「流馬」として営業運転を開始していたのだが、現地での活躍ぶりは、まだ見ていなかった。幸いにも、日中降っていた雨も上がっており、駅停車中であれば撮影も可能。と言う事で、流鉄流山線に立ち寄る事にしたのである。

新松戸駅で下車し、そのまま流鉄流山線の幸谷駅へと移動する。ちょうど流山行きとして「なの花」号がやって来た。すぐ隣の小金城趾駅で交換してくる馬橋行きに期待して待つ事に。数分後、馬橋行きが到着。期待通り、新顔の「流馬」がやって来た。早速、幸谷駅に停車中のところを撮影する事に。

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幸谷駅に停車中の流鉄5000系「流馬」

この編成は、2009年6月に実施された甲種輸送で流鉄入りした後、流山の検車区で流鉄仕様に改造された。甲種輸送の時は、正面の行先表示が幕のままであったが、行先表示は御覧のようにLED式に改造されており、だいぶ印象が違って見えた。

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山手線6扉車の廃車回送を撮影

4月21日のお話。

午後から文京区内の取引先に出かける事になっていた。職場を出て西荻窪駅に向かうと、平日にも関わらず、緩行線ホームには、撮影をしている方が3人ほどいらっしゃった。201系が定期運用を離脱してからは、この場所でも撮影している人は、臨時列車がある日以外は、殆ど見かけなくなっていた。これは何か来ると思い携帯電話で調べてみると、山手線E231系の6扉車の廃車回送が、まもなく通過する事を知った。既に新宿駅を出発している事から、10分ほどで来るだろうと判断。その場に留まり、コンデジで撮影をする事に。

13時20分頃、前方よりEF64の姿を確認。撮影体制に入るが、それと同時に、背後には緩行線の千葉行きが停車中。そして出発と言う事で、見事に被られるタイミング。更に運悪く、1番線には三鷹行きもやってくる。と言う事で、コンデジで強引に撮影してみたものの・・・

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EF64 1031号機に牽引され、長野を目指すE231系6扉車の廃車回送。

まず最初の1枚は、御覧のように、三鷹行きのE231系と完全に並走する形になってしまった。ギリギリまで粘ってみたものの、並走している三鷹行きのスピートが早く、廃車回送を追い越して行くような形になってしまった事から、だいぶ距離がある状態でシャッターを押す事になってしまった。

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EF81 80+24系乗務員訓練列車と「カシオペア」を撮影

さて、大宮駅で安中貨物を撮影した後は、大宮駅のお隣の駅、宇都宮線の土呂駅付近へと移動する。

この日、宇都宮線(東北本線)では、EF81 80号機が24系客車5両を牽引する乗務員訓練列車が、尾久~黒磯間で運転されていた。実は、小山へ向かう湘南新宿ライン宇都宮線直通の快速電車が、蓮田駅で、この訓練列車を追い越しており、上りに関しては撮影しておきたいと思っていたのである。ただ、先日のEF510の訓練運転のように被られてしまっては意味がない。そこで、被りの心配の少ない場所での撮影と言う事で、今回は土呂駅周辺で狙う事にしたのである。

撮影地へは、趣向を変えて東武野田線の大宮公園駅から歩いて移動した。その為、現地に到着したのは、乗務員訓練列車の通過のおよそ5分前の事。撮影準備をしていると、すぐに踏切が鳴り出し、EF81の姿が確認できた。

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尾久へ向かうEF81 80+24系客車による乗務員訓練列車。

久々に撮影する星ガマ+24系客車の組み合わせ。このところ、「北斗星」を撮りに行っても、カシオペアカラーの車両だったりする事から、赤と青の組み合わせも撮影しておきたいところ。今度は、「北斗星」で撮影しておきたい。

この列車の通過からおよそ15分後には、札幌に向かう「カシオペア」が通過する事になっていた。そこで、今度は土呂駅のホーム上から「カシオペア」を撮影する事に。下りの湘南新宿ライン宇都宮線直通快速の通過の後、札幌へと向かう「カシオペア」が土呂駅を通過して行った。

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EF81 92号機が牽引する「カシオペア」

EF81の後継車両となるEF510には、「カシオペア」用のE26系客車に合わせた色合いの車両も登場する事になっており、イラストを見ると、現在のカシオペアカラーのEF81とは、違う雰囲気となる。この組み合わせも、いつまで見られるか解らないだけに、安中貨物、北斗星同様、撮影できる時は確実に押さえておきたい。

カシオペアの撮影を以て、4月18日の撮影を終了とした。

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2010年4月18日撮影の貨物列車

小山駅まで、400系のラストランを撮影に行った4月18日、400系撮影後の午後からは、東京方面へ戻りながら、貨物列車を撮影する事にした。

まずは、EH500が牽引する3054列車を撮影しようと、撮影地に向けて歩いていたら、移動中に同列車が来てしまい大失敗。これで何か気持ちが吹っ切れてしまったと言うか、妙に疲れてしまい、この場所で撮るのを諦めてしまった。

それでも、せっかくだから何か貨物列車を撮っておきたい。宇都宮線の上り普通列車に乗り込み、車内で貨物時刻表などを眺めて出した結論が、大宮で貨物列車を撮影する事。その後の予定を考慮しても2本は撮影出来る事が解ったため、そのまま宇都宮線の普通列車を大宮で下車し、11番線ホームへと移動する。日曜日、15時30分頃の大宮駅11番線は、こんなにも鉄道ファンが多いのかと言うほど、ホームの先端は鉄道ファンだらけ。まあ、中には、よく大宮駅で見かける顔もあったが、まあ、人様の邪魔にならない場所で、貨物列車の通過を待つ事にする。

11番線到着からおよそ10分後の事になるが、10番線の信号が青になる。そして、前方よりこんな列車が近付いて来た。

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EF65 1067号機が牽引する、隅田川発宇都宮貨物ターミナル行き5593レ。

数少なくなってきた3色更新機であるEF65 1067号機がコキを牽引する5593レ。先日、新秋津駅で撮影した配給列車に、コンテナが載っていないコキが1両だけと言う物があったが、この日の5593レは、まさにそれに近い形。しかし、配給列車と異なり、たった1両のコキは、コンテナが満載の状態である。何とも模型のような編成に、この場に居合わせた鉄道ファンは、皆、唖然とした感じであった。

5593レ通過からおよそ5分後の事。今度はこの列車が通過して行った。

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お馴染みの安中貨物は、EF81 93号機が牽引。

「北斗星」牽引用のEF81 93号機が牽引を担当した、この日の安中貨物。EF81の後継機関車となる、EF510の500番台車が、少しずつ仲間を増やしているだけに、この安中貨物に関しても、いずれは牽引機が変更となるだろう。いつまで、EF81が牽引する姿を見る事が出来るか、今後も、機会があれば安中貨物を撮影して行きたいと思っている。

この列車の撮影を以て、大宮駅11番線からは撤収。次の目的地へと移動した。

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ラストランを迎えた400系「つばさ」

4月18日のお話。

1992年、初の新幹線・在来線直通運転用車両として華々しくデビューした400系新幹線車両。18年間に亘り、東京と山形を結んで来たこの車両が、ついにラストランを迎える事となった。

最後の400系車両となったのは、L3編成。実は、偶然にも昨年末に福島駅で遭遇していたが、最後の1編成と言う事で、その後はなかなか遭遇する事無く、ついにラストランの日程が発表されてしまっていたのである。新在直通と言う画期的な発想を実現させた車両と言う事で、最後の姿はしっかりと記録しておきたいと思い、ラストランとなった4月18日、400系の最後の力走を見に行く事にした。

400系を一番気軽に見られるのは、東京駅や大宮駅なのだろうけど、流石にこの両駅は人も多いだろうし、見に行く気分になれない。そこで思いついたのは小山駅。多少距離があるものの、ホリデーパスを使えば安く行けるし、大宮から1時間もあれば到達できる。私は、小山駅へ行く事にした。

大宮駅から、湘南新宿ライン宇都宮線直通の快速電車に乗り込み、小山駅に到着したのは11時32分の事であった。400系のラストランである「つばさ18号」通過のおよそ30分前である。早速、入場券を購入して新幹線ホームへと移動する。小山駅新幹線ホームには、カメラを構えた鉄道ファンが、ホームのあちこちで待機している状態であった。私は、比較的空いている上りホームの東京方先端へ移動。本番に向けて待機する。まずは、先行する「はやて・こまち」で目をならす為に撮影してみたが、新幹線は一発勝負で撮らなくてはならない事から、かなりきつい。そして、12時03分頃の事だが、上り列車通過の接近放送が掛かる。それからおよそ2分後の事だが、はるか前方に400系の姿が確認できた。しかし、流石は新幹線。見えてから近付いて来るまでの時間が短い。何とかタイミングを図ってシャッターを押してみた。

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400系新幹線がついにラストランへ。「つばさ18号」として東京を目指す、最後の400系L3編成。

殆どの山形新幹線は、東京~福島間で、東北新幹線の「Maxやまびこ」と併結されて運転されるのだが、400系のラストランとなった「つばさ18号」は、御覧のように、東北新幹線の線内も単独運転となっている。在来線規格で作られている400系は、普通の新幹線の車両と比べると、かなり小ぶりになっていることから、このように小山駅を通過する姿も、どこか可愛らしさが伝わってくる。

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大月駅で「フジサン特急」と1202Fを撮影

さて、東小金井で201系H4編成を撮影した後は、昼食休憩を挟んだ後、何故か中央本線を西へ。やって来たのは大月である。

実は、大月駅は単なる通過点。本来であれば、この先まで行きたいところなのだが、前の記事でも触れたように、倒木及び車両点検の影響により、中央本線の特急列車に遅れが出ており、本来であれば接続する筈であった、大月止まりの普通列車と、大月始発の甲府行き普通列車が接続しないと言う結果になってしまった。そこで、この大月駅で、暫くの間、時間を潰す事になってしまった。

ただ待つのも面白くない。そこで、富士急行線の様子を見に行くと、ちょうど「フジサン特急」が入線してくるところであった。

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大月駅に到着した「フジサン特急」

大月方が展望車と言う事で、到着した「フジサン特急」は、第2編成である。

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さよなら中央線201系H4編成 武蔵五日市号を撮影

4月17日のお話。

前夜から季節外れの雪に見舞われた関東地方。疲れていた事もあって、朝もゆっくり寝ていたのだが、西からの使者の電話で叩き起こされた。起床後に、我が家の窓を開けると、外は雪景色。そんな天気だった事も有って、溜まっていた疲労を癒すべく、完全に休養にしようかと思っていたのだが、201系H4編成のさよなら運転が、三鷹~武蔵五日市間で運転されていると言う事で、重い腰を上げて、五日市線内へ向かう事にした。

萩山を出発したのが11時30分。既に、武蔵五日市行きの下りは撮影不可能。よって、五日市線内でも上り列車のみの撮影となる。五日市線内での撮影なんて、いつ以来だろう。とりあえず、拝島から五日市線に乗ろうとすると、一週間前の河口湖行きの撮影に同行した、たけしー氏より、秋川~武蔵引田間で待機していると言うので、その場所へ行ってみる事にした。

12時15分頃、たけしー氏が待つポイントに到着。しかし、周りを見回すと、私がこの場所で撮ると、やや後ろで撮っている人の邪魔になる。そこで、更に秋川寄りへ移動。あきる野市立西中学校付近で撮影する事にした。慌てて準備をしていると、踏切が鳴り、前方からH4編成が近付いて来るのが見えた。

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201系H4編成の第二弾は、五日市線武蔵五日市へ。

距離も短く、撮影地点が少ない五日市線。そんな事もあって、実は当日朝まで撮影に行くかどうかを悩んでいたのだが、とりあえず、五日市線らしい単線区間を行くH4編成は撮影できた。

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西武新宿線と桜

ここで話は遡って4月4日のお話。

東小金井と西荻窪で「NODOKAな★山梨号」を撮影した後は、新宿、吉祥寺と回った後、西武バスで武蔵関へとやって来た。

寒い日が続いているものの、東京の桜は見頃を迎えていた。そこで、桜と西武新宿線を絡めた撮影をしたくなり、沿線随一の桜の名所である、武蔵関~東伏見間の駅間へとやって来たのである。ここでのメインは、改正後に誕生した3ドア車による拝島快速の撮影である。まだ、多少時間があったので、武蔵関駅前の松屋で昼食を摂り、撮影地へと向かう。駅前の商店街を抜け、桜並木が続く線路沿いの道へ。満開の桜の下で、皆さん思い思いに撮影をされていた。そして、私は定番ポイントである武蔵関3号踏切へと向かうが、狭い踏切に多くの人が集まっていた。皆、考える事は一緒なのだろう。何とか、隙間を見つけたので、ライブビュー機能を使って撮影に臨む事にした。かなり無理な体勢で撮ったため、とてもお見せできない写真も何枚かあるのだが、その中からまともに撮れた物をご紹介したい。

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各停玉川上水行き5263レ。

新2000系4+4の玉川上水行きと言う事で、あまり面白みが無かったのか、カメラを向ける人が気持少なかったため、まあまあの感じで撮る事が出来た。

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富士急行線を撮影

さて、201系H4編成の撮影に出かけた4月11日は、久し振りに富士急行線にも乗車し、同線を走る様々な列車も撮影した。そこで、今回は、201系の撮影の合間に撮影した、富士急行線の車両のお話。

大月駅前で昼食を摂ってから、撮影地最寄りとなる三つ峠駅まで、富士急行線の普通列車に乗車した。ちょうどタイミングが悪く、列車の間隔が開いていたため、暫くの間、大月駅で撮影をする事に。まず、食事を終えて、外に出ると、目の前には、この車両が停車していた。

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大月駅で出発を待つ、フジサン特急7号。

うどん屋さんを出て、目の前に停まっていたのは、派手なカラーでお馴染みのフジサン特急である。今やすっかり富士急の顔ともなった2000系車両。種車である元JRのジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」の構造上、展望車の向きが2編成とも異なっており、この日、「フジサン特急7号」に充当されていたのは、大月方が展望車となる第2編成だった。

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さよなら中央線201系H4編成 河口湖号を撮影

さて、ここで更新順を変えて、本日の撮影記を。

E233系投入終了後も、三鷹~国分寺間の高架工事に伴う運用増のため、2編成だけ残された201系。最後まで残っていた2編成も、3月のダイヤ改正を機に、定期運用を離脱し、H4編成が6月中に、H7編成も7月中には廃車となることになった。

長年、中央線の通勤輸送を支えてきた201系。利用者の中にも、オレンジの電車に愛着を持っている方は多い。JR東日本八王子支社では、引退する2編成のさよならイベントを企画。本日より、先に引退するH4編成を使用したイベント列車の運転を開始した。さよならイベント第1弾は、富士急行線河口湖までの運転である。富士急行線の入線に合わせて、10両編成だったH4編成は、6両編成に組み直された。久々の富士急行線入線ということで、出来れば、富士急行線の線内でも撮影したいところ。同行者との相談の結果、往路を中央本線の上野原で、復路を富士急行線内で撮影することに決めた。沿線は相当な混雑が予想されたので、早めに現地へ入って撮影地を確保・・・と思ったのだが、なんと今朝は二度寝してしまった。

とりあえず、撮影準備をして家を飛び出すが、結局は、高尾10時58分発の韮崎行きで上野原に向かうしか出来なかった。高尾で待ちぼうけを食った同行者には申し訳ない事をしてしまった。

撮影ポイントである上野原に到着したのは、201系通過のおよそ30分前となる、11時24分の事だった。撮影地となる駅近くの駐輪場には、多くのファンが待機していた。もう撮れないか・・・一瞬そう思ったが、諦めずに撮影地に行ってみると、どうにか撮れそうな事が解った。早速準備に取り掛かり、先行する普通列車及び特急列車でリハーサルを重ねながら本番を待つ。そして、11時55分頃の事、6連に組み直された201系H4編成が、上野原にやって来た。

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本日から始まった201系のさよなら運転。第1弾は、6両編成に組み直されたH4編成で河口湖行きとしての運転された。

上野原を通過する201系H4編成。ちょうど順光での撮影と言う事で、まさに「会心の当たり」と言いたいところだが、一つ残念なのが4号車の乗客である。窓から身を乗り出して、我々、撮影者達を逆に撮影しようと言う事なのだろう。しかし、走行中の列車の窓を開けて身を乗り出すと言うのは、大変危険な行為である。目立とうという精神だけでやるのであれば、こう言う行為は絶対にやめてもらいたいものである。

気を取り直して、今度は上り列車の撮影のため、富士急行線内へと進む。大月の駅前で、吉田うどんを堪能し、大月駅からは、富士急の5000系電車で三つ峠を目指す。目指す撮影地は、2008年6月28日、201系「四季彩」編成による「四季彩河口湖号」を撮影するために訪れた場所である。あの時は、下吉田駅から道に迷いながら、何とか到達した場所であったが、今回は、2年前の記憶が、ある程度覚えているため、迷うことなく撮影地に到着する事が出来た。出来れば、富士山をバックに撮りたいところだが、残念ながら、富士山は雲に隠れていた。そこで、三つ峠駅に一番近い地点で、車両中心に撮影する事にした。

富士急の1000系などを中心に撮影しながら待つ事、およそ1時間10分。16時25分頃になるが、201系H4編成が、ゆっくりと撮影ポイントを通過して行った。

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河口湖から折り返して、一路三鷹へと向かう201系H4編成。

ゆっくりとやって来た201系。実は、この撮影ポイントのところに、運転士の速度目測訓練を行うための、工事用標識が設置されており、全列車、時速20キロまで下げて通過する事になっていた。その為、かなり落ち着いて撮る事が出来たのは、とても有り難かった。

こうして、色々あった201系さよなら運転第1弾の撮影は、無事に終わる事が出来た。

さよなら運転のために6両編成に組み直されたH4編成だが、今後、6月13日まで実施されるさよなら運転は、全て6両編成での運転となるため、暫くは、6両編成に組み直された姿を見る事になるだろう。これから2ヶ月間、スケジュールに余裕があれば、出来るだけ、H4編成の最後の雄姿を見届けに、沿線へ出かけてみようと思っている。

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臨時急行「NODOKAな★山梨号」を撮影

4月4日のお話。

JR東日本は、4月1日より6月30日までの間、「山梨・中央線キャンペーン」を展開する事になった。山梨方面への観光キャンペーンは、昨年もこの時期に行われており、2年続けて観光キャンペーンが展開され事となった。キャンペーン展開後初の土日となった4月3・4日の2日間は、中央線でも多くの臨時列車が運転され、観光客の足を確保した。

数ある臨時列車の中、注目されたのが、JR東日本新潟支社が所有する485系カーペット電車「NODOKA」を使用した臨時急行「NODOKAな★山梨号」の運転である。観光キャンペーンのオープニングに合わせて運転された臨時列車である。普段は、中央線に入線する機会の少ない485系「NODOKA」だけに、この列車が運転されたと言う記録はしっかりと残しておきたい。運転2日目となる4日朝、この列車を撮影する事にした。

4日朝、まず私は東小金井へと向かった。「NODOKAな★山梨号」に使用される485系「NODOKA」は、豊田車両センターを拠点として運用に就くことになっていた。東小金井では、この送り込みを撮影するつもりなのだが、「NODOKA」通過のおよそ10分前に東小金井駅に到着すると、既にホームの先端には6名ほどの先客がいた。まあ、私がそこに入っても、充分に撮影可能な状況だったので、私もその後ろからカメラを構えてみる。この時、既に待機していた先客のうち、若い世代の方達は三脚を使用している人が多かった。私自身は、日中の駅ホームでの撮影には、三脚は使用しない派なので、ちょっと意外な気がしたが、このようなスタイルを最近よく目にする。流行りなのだろうか?

中央特快通過で、タイミングを合わせた後、いよいよ485系「NODOKA」が通過する。近付いて来る同編成に狙いを定め撮影してみた。

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東小金井を通過。一路新宿を目指す、485系「NODOKA」の回送列車。

485系「NODOKA」は、御覧の通り3両編成。短い編成と言う事も有って、最近では、観光キャンペーンに合わせて運転される臨時列車に充当されるケースも多く見受けられる。10両編成のE233系ばかりを見てきた後にやってくる3両編成は、狙いを定めるのが逆に難しかった。

さて、送り込みの撮影の後は、いよいよ「NODOKAな★山梨号」の撮影へと移る。当初は、季節感を出そうと思い、桜が満開となっている東中野へ行こうと思ったのだが、後続の快速電車で追跡しながら、時刻表でダイヤを確認すると、東中野では間に合わない事が判明した。そこで、荻窪で下車して、西荻窪へUターン。車内から西荻窪駅のホームを見ると、撮影している人が1人しか確認できなかった事が、この場所での撮影の決め手となった。

荻窪から緩行電車で西荻窪に戻ると、車内から確認した時と同じ、先客が1人と言う状況は変わらなかった。私は、先客である初老の男性に会釈をした後、ホーム先端より7~8メートル下がった場所で待機する。これまで、この駅では何度も撮影をしてきたが、実は、このホーム先端から7~8メートルほど下がった場所と言うのが、私のお気に入りの場所。この日も、この場所で撮影する事にした。

先行列車でタイミングを図りながら、待つ事およそ15分、いよいよ「NODOKAな★山梨号」が近付いて来た。この時、先客の男性から「前にしゃがむけど問題無いか?」と聞かれた。この一言で、私は、この男性が何をしようとしているのかが理解できた。「問題無いです!」と答えておく。先客の男性は、ホームの中央で撮影した後、近付いて来た所を、ホームの先端でもう一度撮影すると言う作戦だったらしい。ちょっとした一言だが、声をかけてもらった事で、私も落ち着いて対処できる。何気ない事だが、こう言った事が、撮影地でのトラブル回避に繋がる事だろう。私自身も、見習わなくてはと思った。

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一路小渕沢へと向かう臨時急行「NODOKAな★山梨号」

先頭の展望席には、前方の景色を楽しむ乗客の姿が確認できる。たまには、こう言う遊び心のある車両に乗って、ゆったりと鉄道の旅を楽しむのも良いかもしれない。

この撮影を以て、西荻窪から撤収。中央・総武緩行線の電車で新宿へと向かった。

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桜満開 御殿場線山北駅へ

さて、新蒲原で不完全燃焼気味の撮影を終えた私は、東海道本線の上り普通列車に乗り込んで沼津へと移動する。更に沼津から御殿場線に乗り換え。目指すは山北駅。御殿場線の名物とも言える山北の「桜のトンネル」の見物である。

弊ブログでは、これまでに2006年2007年2009年と、過去3回取り上げており、この時期の山北駅訪問は、恒例企画として定着している。今回、新蒲原の桜が満開であれば、そちらを優先にするつもりであったが、結局は、今年も山北駅に立ち寄る事となった。

沼津からの御殿場線普通列車で山北駅へ。到着直前に、満開の桜が見えてきた。ここは期待通り満開であった。そして、この電車の後には、371系による新宿行き「あさぎり6号」が迫っている。まずは、この列車から撮影を開始しよう。私は改札を出て、駅に隣接している鉄道公園経由で、桜のトンネルが見下ろせる陸橋へ向かう。ちょうど、鉄道公園では、恒例の桜まつりを開催しており、お祭りムードに浸りながら歩いていたら、お目当ての陸橋には、371系の通過ギリギリの到着。リュックの中にある40Dの準備が間に合わず、コンデジでの撮影となってしまった。

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満開の桜の中を走る371系「あさぎり6号」

欲を言えば、もう少し左側によって撮りたかったのだが、さすがに特急列車と合わせて撮影しようと言う方も多く、この場所を抑えるのが精いっぱいだった。無理をしないで、ホーム上から撮るという手段も有ったのだが、この列車は、昨年もホーム上から撮影しているので、今回はこの場所からの撮影とした。

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桜と富士山を見に新蒲原へ

4月3日のお話。

4月に入っても低温の日が続いていたが、首都圏の各地では桜が見ごろを迎えていた。そこで、この土日は、桜と列車を絡めた撮影に専念することに。まず3日は青春18きっぷを活用して、JR東海エリア内へと行く事にした。

と言いつつも、朝が出遅れてしまったため、三島まで新幹線を利用する事になった。目指す場所は新蒲原。この駅の手前に、桜と富士山を絡めて撮影できる場所があると、以前から聞いていた。確か2007年3月18日のダイヤ改正のポスターでも、この場所で撮影した画像が採用された。桜・富士山、そして313系を絡めたものだったが、静岡地区用に投入された313系ロングシート車が、本格的に営業運転を開始した直後だった事も有り、おそらくはイメージ合成の写真だったのだろう。

三島駅から東海道線の普通列車に乗り換え西へ進む。乗車したのは313系2600番台車だった。主に身延線・御殿場線で活躍中の車両だが、時には、このように東海道線の普通列車の運用にも入る。途中、沼津から最後部車両の一部が業務用スペースとなった。13時24分、新蒲原駅に到着する。

私は、駅前の道を富士川駅方向に向けて歩きだす。10分ほどで撮影ポイントの下に到着する。ここから細い階段を上がって、陸橋の上から狙うのだが・・・なんと、肝心な桜があまり咲いていない。東京よりも暖かいと思っていたのだが、ここの桜は、まだ咲き始めたばかりと言う感じだった。更に、富士山も雲で隠れていた。まあ、仕方がない。せっかく来た事だし、この場所で撮影しておく事にしよう。まずやって来たのはこの列車だった。

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富士川~新蒲原間を行く甲府行き「ふじかわ7号」

ちょうどやって来た「ふじかわ7号」で試してみたが、御覧のように、桜もあまり咲いていないので、イメージしていたような撮影はできなかった。

せっかく来たので、この後、下り列車も撮影してみる事に。

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211系LL4編成による静岡行き787M。

とりあえず、上り列車と下り列車を1本ずつ撮影してみたが、なんだかテンションも下がってしまったので、この2本の撮影で打ち切り、撤収する事にした。

しかし、このまま帰るのも勿体ない。せっかくJR東海エリアまで来たのだから、もう1カ所、桜と列車を絡めて撮影してみる事にしよう。まあ、こんな事も有ろうかと、三島まで新幹線を利用したのである。足早に新蒲原駅へと戻り、同駅から上り列車に乗り込んで、次の目的地へと向かった。

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西武 E31形電気機関車さよならイベントへ 後編

さて、E31は横瀬車両基地に到着し、いよいよさよならイベントも本番に突入。私達一行は、西武秩父へ向かう、E31三重連を撮影するために、武甲山をバックに撮影が出来るポイントへと移動する。

横瀬駅から歩いて5分ほど。畑の中の撮影ポイントに着くと、既に20名ぐらいのファンが待機している状態であった。まだ本番までは40分以上あるのだが、この時間帯に来ておいて正解だった。とりあえず、本番に向けて待ち続けるが、この日はとても寒くて、待つのも一苦労である。それでも、世間話をしながら時間を潰す。

10時52分、ライターの吉田一紀さんが横瀬駅に到着するとの連絡が入り、横瀬駅の改札口へお迎えに行く。この日、吉田さんはお誕生日。以前より、西武鉄道のE31を見たいと言うお話だったので、御誘いをしていたのだが、E31の最後の運転と言うこの日に、ようやくスケジュールが一致したのである。しかし、急なお仕事が入り、この西武秩父への1往復しか見られないとの事。まあ、お仕事は仕方がないが、せめて、特等席で見ていただこうとご案内をする事に。

撮影地に戻る前、ちょうどE31が三重連を組んで入換をしていた。まずは、吉田さんと共に、このシーンから撮影をする事にした。

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西武秩父へ三重連での1往復に備えて、入換中のE31。

西武秩父方よりE31+E32+E34と言う組み合わせで組まれた3重連。入換中と言う事で、3両のE31は、それぞれパンタグラフを片側しか上昇していない。西武秩父に向かう際には、おそらく先頭のE31のみ、パンタグラフが2基上昇となるだろうから、本番とは違う姿を撮る事が出来た。

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西武 E31形電気機関車さよならイベントへ 前編

3月28日のお話。

この日、西武鉄道のバラスト輸送や新車搬入などに活躍をしてきたE31形電気機関車が、24年間に亘る現役生活にピリオドを打つ事となり、横瀬車両基地において、「E31形電気機関車さよならイベント」が開催される事となった。

E31形電気機関車の活躍ぶりは、これまでにも弊ブログで何度も取り上げてきた。バラスト輸送が一足早くモーターカーに置き換えられてからは、走行する機会も少なく、最近ではハンドルを握る乗務員氏の高齢化も問題となっていた。そこで、西武鉄道では、多摩湖線に残っていた101系低運車の置き換えと兼ねて、牽引業務もこなせるオールMの101系263Fを登場させた。実際に、263Fが牽引業務に就くまでは、様々な紆余曲折があったようだが、3月6日から7日にかけて実施された多摩川線車両の甲種輸送で、牽引車としてのデビューを果たし、この結果、ついにE31が平成21年度内を以て引退する事となった。

さよならイベントの詳細は、西武鉄道の公式サイトで発表され、横瀬車両基地内での撮影会と、横瀬~西武秩父間で3重連によるラストラン1往復がメインと言う。最後の力走ぶりは、是非とも押さえたいところ。しかし、撮影場所が限られる事から、イベントの開始時刻よりも前に、現地入りし、撮影場所を確保しようと思っていたところ、イベントの当日、送り込みを兼ねて、E31牽引による101系低運車の廃車回送があるらしいとの話を聞き、急きょ、早朝からの出撃となった。

当日、朝6時前に家を出発。まずは所沢経由で飯能へと向かう。よせばいいのに、前夜「24シーズン7」の最終回を見てしまい、睡眠時間1時間と言う思いっきり寝不足の状態でスタートした。途中、所沢駅で、眠そうにしている知人に遭遇。聞けば、やはりE31狙いだとか。北飯能信号所へ行くと言うが、その彼は聞いてみると睡眠時間4時間だと言う。4時間も寝た人の方が、私よりも寝不足のような顔をしていると言うのはちょっと・・・

20106Fの飯能行きで飯能に到着。乗車してきた飯能行き車内には、いかにも「鉄ちゃん」と言う感じの人も多かったが、彼等は、そのまま目の前に停まっていた西武秩父行き車内に消えていった。このサプライズに関しては、西武沿線のファンの間で知られているのだけのようで、沿線外から来るファンには、あまり知られていないようであった。私は、所沢駅で出会った知人と、北飯能信号所を目指して歩く。どのぐらいの人が撮影に来ているのか、やや不安だった。飯能駅から歩く事およそ10分。東飯能4号踏切に着くと、既に何名かの鉄道ファンが待機している状態だった。ただ、思ったよりは少ないと言う状況。とりあえず、私は5号踏切の方に向かうが、ここも既に2名の方が待機しており、ちょっと撮影し辛い状態だった事から、4号と5号の間の駐車場付近より撮影する事にした。この場所も既に5名ほどの方が待機しており、先客の邪魔にならない場所で待機する。地元のおばさんからの「がんばってくださいね」と言う温かい声援で勇気付けられながら、待つ事およそ20分。E34+101系217F+E32+E31と言う編成が武蔵丘車両基地を出庫。飯能駅に向かっていった。

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ついにラストラン当日を迎えたE31。さよならイベント当日の朝、3両のE31達は、廃車解体のため横瀬車両基地へ向かう101系217Fを挟んで、横瀬車両基地へと向かっていった。

E34を先頭に、飯能へと向かうE31+217Fの回送。E34が先頭に立つのは、武蔵丘車両基地~飯能間だけであり、まずは無難に撮影する事が出来て良かったと思う。それにしても、E31最後のお仕事が、廃車となる101系を挟んで横瀬に行くというのも、長年、西武鉄道を支えてきたE31らしい最後と言えるかもしれない。

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