古い鉄道写真2 1988年8月の青梅線103系
では、ここで古い鉄道写真のお話。
祖母の四十九日法要も済ませて、今は祖母が住んでいた都営住宅を明け渡す為の整理を進めている。この家は、私の実家でもある事から、私自身の私物も多数あり、この土日は、実家の私物整理に追われている。
そんな中、ある引き出しから、私が撮影した古い写真が多数出てきた。こう言う写真に遭遇すると、手の動きも暫し止まり、写真に見入ってしまう。たまたま出てきた写真が、22年前、1988年8月24日に撮影したものであった。TOMO少年、当時14歳(15歳目前!)の夏である。写真を見て、この日、何をしに出かけたのか、すぐに思い出した。
1988年8月24日、私は同級生のW君を連れて青梅へ出かけた。この日の青梅線は、高崎の旧型客車+トロッコ車を使用したトロッコ列車が、八王子~奥多摩間で運転されており、私達も、この列車を狙っていた。しかし、トロッコ列車を撮っては見たものの、とてもお見せできるような写真ではない。一応、この1年前に、オリンパスのOM10を中古で購入しており、一眼レフは使っていたのだが、当時のTOMO少年の腕では、これが限界だったのだろう。
それよりも気になったのが、その時一緒に撮影していた、当時の青梅線の主力車両である103系だった。青梅線の103系は、1976年より運行を開始。最初に入線したのは、京浜東北線のATC導入により捻出された低運転台の車両で、入線当初はスカイブルーのまま運転していた。その後、中央線と同様、オレンジへと塗装変更されるものの、JR化後も山手線・横浜線への205系投入により運用を離脱した103系ATC車が転属してくるまでは、非冷房車の103系が主力であった。そんな初期型中心の103系が大好きで、この日も103系を数枚撮影している。
撮影場所が、はっきり思い出せないのだが、たぶん二俣尾~軍畑間のどこかの踏切ではないかと思う。この当時、青梅線を走っていた103系は、殆どが非冷房車。また冬季の暖房効果を高めるため、両端の先頭車の扉は、冬になると、一部の駅で締め切りをしていた為、先頭車のドアのガラスには、その旨を案内するステッカーが貼られていた。正面の方向幕も、何やら103系のサイズと一致していないような気も。もしかしたら101系の発生品を利用していたのだろうか。
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