軍艦島に上陸する
さて、それでは、今回の旅のメインである軍艦島の上陸について書きたいと思います。鉄分0の記事になりますから、鉄道記事にしか興味がないと言う方は、飛ばしていただいても構いません。
12月12日(日)、ついに運命の日が訪れる。つぐみさんの「軍艦島に行きたい」という一言から、およそ半年。全てはこの日の為に何度か打ち合わせをして調整してきた。軍艦島上陸コースの手配も完了しているものの、実際に、当日を迎えるまで、現地で上陸できるのか。そして、そもそも船が運航できるのかという保証もない。全ては、当日の天候状態次第なのである。何しろ、幹事さんはかなりの雨女。私自身は、これまで晴男と言われてきたけれど、最近は、雨男、雨女の知人が増えたせいか、昔ほどの勢力は弱まってしまっている。前夜、軍艦島に渡る4名の顔合わせによる懇親会でも、明日は大丈夫だろうか?と言う不安が会話の中に何度も出てきた。とりあえず、開き直るしかない。そう思って朝を迎えると、雲ひとつない快晴。良かった。まずは第一関門クリアである。
早速、ホテルを出発し、集合場所である長崎港ターミナルへ。宿泊先の東横インからは、徒歩10分ほどのところであった。集合時間ぎりぎりに到着したのだが、まだ、幹事のつぐみさんの姿しかなかった。その後、5分ほどで残りのメンバーが到着。早速、受付を済ませて、船の方へと向かう。
いよいよこの船で軍艦島へ向かう。
これから乗船するのは、やまさ海運のマルベージャ号と言う遊覧船である。今年の軍艦島上陸コースは、使用する船舶の船舶ドックの関係で、何とこの日が最終日。もうここしかないと言う状況でのオフ決行となった。
早速、この船に乗り込む。受け取ったチケットには、座席の指定は無く、1階席、2階席のどちらに乗ってもOKだった。お天気も良いし、暖かい事もあって、2階席で潮風を浴びながら軍艦島を目指す事にした。この時、進行方向左側に座ってしまったのは、やや失敗だったが・・・
午前9時、定刻通り長崎港を出港。遊覧船と言う事もあり、まずは長崎港周辺の案内からスタートする。途中で、長崎港と福江港を結ぶ高速艇とすれ違ったり・・・
長崎港を出てすぐにすれ違った高速艇「ペガサス」
橋や灯台、そしていくつもの島を眺めたり・・・
高島の飛鳥磯釣り公園
同じく高島の風力発電所。
出港からおよそ40分。前方に軍艦島が見えてきた。
いよいよ軍艦島が近付いて来た。
この辺りまで来ると、やや波は高いものの、問題無く上陸できそうだ。良かった。船は少しずつ軍艦島へと近付いて来る。そして、ついに接岸。我々も上陸の準備に入る。この時、私は持参したEOS7Dのレンズを交換しようとしたのだが、EF70-200 F4.0 L USMのレンズを外した際、なんとレンズフードを落としてしまった。レンズフードはあっという間に海の底へと沈んでしまう。レンズ自体、中古品で、購入時、レンズフードもボロボロだったから、まあ悔いはないが、一瞬の出来事に、やや動揺してしまった。
気を取り直して、いよいよ上陸。波が高い事もあり、船から降りる時も、足元がふらついてしまう。慎重に一歩ずつ階段を下り、島に上陸した。
では、ここで軍艦島について軽く触れておく事にしよう。
軍艦島。長崎港から南西に約19キロの沖合に位置する島で、正式名称は「端島(はしま)」。面積が約63,000平方メートルと言う小さな海底炭鉱の島で、弊が島全体を囲い、鉄筋コンクリートの高層住宅が立ち並ぶ姿が軍艦に似ている事から、通称「軍艦島」と呼ばれるようになった。この島は、私が生まれてから1年後となる1974年の4月20日を以て無人島となったが、2009年1月、「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとして、世界遺産暫定リストに追加記載された。
さて、軍艦島のドルフィン桟橋から上陸した我々は、係の方の誘導に従って、第一見学広場へと進んで行く。
崖の上にある幹部職員用住宅(3号棟)
炭鉱の幹部職員が住んでいたと言われている3号棟。ここは、他の住宅と異なり、内風呂もあったとの事。
端島小・中学校(70・71号棟)
島内の子供たちが通っていたと言う、端島小・中学校跡。1階から4階までが小学校で、5階と7階が中学校。6階には講堂・図書館・音楽室が設けられていたと言う。また、給食を運ぶために島内の建物で唯一のエレベーターも設置されていた。画像ではお解りにくいかもしれないが、小・中学校の建物の手前にある鉄筋の屋根は、端島小・中学校の体育館である。
続いて、第二見学広場へ。
レンガ造りの建物だった総合事務所跡。
第二見学広場は、炭鉱の中心となっていた場所で、会社事務所などが集中していた。この赤いレンガが目印となる総合事務所には、炭鉱マンの為の共同浴場が設けられており、浴槽はいつも真っ黒だったと言う。
そして、第三見学広場へ。
25メートルの海水プール跡。
台風により大破した小中学校のプールの代替として1958年に作られたプール。閉山の1~2年ほど前まで、このプールは海水を使用していたと言う。
30号棟(右)・31号棟(左)アパート。
1916年に作られた30号棟アパートは、かつて「グラバーハウス」とも呼ばれ、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートと言われている。鉱員住宅として建設され、地下には売店もあった。また1階には理髪店や郵便局も設置されていたと言う。
この辺りまで、ガイドさんの案内付きで見学すると、もう船に戻る時間である。足早に船に戻った後、再び長崎港に向けて出港となる。その際、船は軍艦島の周りを1周して、立ち入りのできない島の北側を船上から見学する事になる。
船上から見た島の北側部分。
この辺りは、光線状態が悪く、船内から撮影しても逆光となってしまうので、編集したらこんな色調となてしまった。たぶん端島病院等があった地域ではないかと思う。
端島小中学校を裏側から見る。
最後に島全体を船上から撮影。
ぐるっと島の周りを一周した後、船は長崎港へ向けて進んで行く。その際、最後に軍艦島全体を撮影してみた。やはり、こうやってみると、軍艦の形に似ているなあと思ってしまう。
船は順調に進み、およそ40分ほどで長崎港に帰還。最後に、軍艦島上陸証明書を係の方から貰って、軍艦島見学ツアーは終了となった。
今回の軍艦島ツアー、当初は天候状態が心配されたが、結果的にはお天気に恵まれて大満足の結果となった。もともとは、つぐみさんが行きたいと言わなければ、このオフも成立しなかった訳で、私自身も、この時期に九州へ行くこともなかったかもしれない。貴重な経験をさせてくれた、幹事のつぐみさん、ありがとうございました。
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