流鉄「若葉」のさよなら運転を撮影
さて、練馬駅で「ローズエクスプレス」を撮影した後に向かった先は、流鉄沿線である。
西武鉄道からの譲渡車で運転されている千葉県の小さな私鉄、流鉄。この度、元西武鉄道の101系を改造した3000系「若葉」が引退する事となった。「若葉」は、同線に残った最後の3両編成。今や殆ど出番も無く、先に引退して行った3両編成の車両と同様、「若葉」も最終日となる5月15日しか撮影チャンスは無く、午後から沿線に出向き、撮り納めをする事になった。
途中、西日暮里駅付近で昼食を摂り、そのまま東京メトロ千代田線~常磐線の直通列車で馬橋へ。到着後、流鉄乗り場へ向かうと、ちょうど入って来た流山行きが、この日の主役である「若葉」だった。早速、鰭ヶ崎までの乗車券を購入し入場。まずは、乗車前に、ホーム上から「若葉」を撮影する事にした。
この日を以て引退する事になった流鉄3000系「若葉」
「若葉」には、御覧のように引退記念のヘッドマークの他、西武時代に使用されていた種別札「快速」を模した「惜別」と言う札が下げられていた。「惜別」札に関しては、先に引退した3000系「流星」のさよなら運転の時にも使用されていたが、今回の「若葉」も、「流星」同様に、午後から「惜別」札が掲出されたようだ。
車内及びホーム上には、「若葉」の引退を惜しむファンが数多く集まっていた。あまり時間も無い事から、馬橋駅では手短に撮影を済ませて、流山方の先頭車であるクモハ3002の車内へ。車両の真ん中付近の座席に腰を下ろすと、ドアが閉まり、流山に向けて出発して行った。
馬橋を出発すると、単線の線路をのんびりと進んで行く。やや乗り心地は悪いものの、単線の線路上を走る姿は、どこか西武多摩湖線や多摩川線を彷彿させるものがある。2駅目、沿線唯一の交換駅である小金城趾では、馬橋行きと交換するが、やって来た馬橋行きは、削年入線した5000系「流星」であった。
「流星」の到着を待って、我が「若葉」も流山に向けて出発。予定通り、次の駅の鰭ヶ崎で下車。下車後、小金城趾方へ歩き、両駅のほぼ中間地点にある踏切付近で、折り返してくる「若葉」を待つ事にした。この時点で、このポイントに集まっていたファンは10名ほど。どうにか撮影可能な人数であった。10分ほど待つと、馬橋行き「若葉」がやって来た。
折り返し馬橋へと向かう「若葉」
流山から折り返してきた「若葉」。この時間帯は、この向きではなく、反対側の方が光線状態が良好だと言う事が、撮影して初めて気がついた。そこで、今度はやや流山方に移動し、馬橋から折り返してくる「若葉」を、撮影する事にした。
馬橋行き「流星」
「若葉」と小金城趾で交換する5000系「流星」で試し撮り。光線状態も良好だ。気がつけば、営業運転開始後の5000系「流星」を撮影するのは、今回が初めてだった。
再び流山へ向かう「若葉」
「流星」通過後、すぐにやって来た「若葉」。今度は順光で撮影する事が出来た。
撮影後、今度は馬橋~幸谷間のポイントへ移動するため、鰭ヶ崎駅へ移動し、流山から折り返してくる「若葉」に乗る事に。おそらく、これが最後の「若葉」乗車となるだろう。先程と同じくクモハ3002に乗車。僅か2駅ではあるが、101系初期車特有のモーター音を堪能した。
幸谷駅到着後、流鉄の線路に沿って馬橋方向へ。両駅間のほぼ中間地点にある踏切で、最後の1往復を狙う事に。その中間地点の踏切に到達する前に、流山から「若葉」が折り返してきた。
流山へと向かう「若葉」。この場所を通過するのも、上下合わせてあと1回ずつ。
そして、この場所からもう少し馬橋方向に言った踏切へと移動。流鉄の撮影ポイントとしては、お馴染みの撮影ポイントと言う事で、この場所には多くのファンが集まっていた。そして、この場所に到着してすぐの事。馬橋行き「流星」がやって来た。
馬橋へと向かう「流星」
そして、「流星」が再び流山へ向かうと、途中の小金城趾で、「若葉」とすれ違うのだが、いよいよ、この1往復が、「若葉」にとっての最後の1往復となる。先に引退した3000系「流星」も、最後の1往復には、「流星最終」と書かれた札が掲出されていたが、「若葉」はどうなるだろうか。
「若葉最終」の札を下げて、馬橋へ向かう。
予想通り、最後の1往復には、西武時代の「通勤準急」の種別札を模した「若葉最終」の札が下げられていた。
さあ、この後は、いよいよ「若葉」最後の列車である。最終列車も、この踏切から馬橋方向にカメラを向けて撮影する事にした。
流山へ向かう「若葉」最終列車。
通い慣れた道を軽やかに走り去る「若葉」の最終列車。もう、この場所を通過する事は無い。そう思うと、撮影していても寂しさを感じた。
この後、私は幸谷駅まで歩き、電車で流山へと向かう。流山に到着すると、営業運転を終えた「若葉」が、1番ホームに停められていた。訪れたファンに、「若葉」の12年間に亘る活躍を伝えるべく、各車両には、「若葉」の目線で書かれたメッセージが貼られていた。そのメッセージを1枚ずつ読んで行く。そうか、この車両は、西武鉄道時代、131Fだったか。と、西武時代の事を思い出した。確か131Fは、引退間近に新宿線にやって来て、最後は多摩湖線で運用に就いていたと記憶している。
そんな「若葉」を40分ほどホームのベンチに座って眺めていたが、16時15分頃になり、いよいよ「若葉」が車両区に入庫する事になった。入庫に際して、「若葉」は、推進運転で、いったん馬橋方に引き上げられた後、ゆっくりと車両区へ向かっていく。
検車区へと向かう「若葉」
これが本当のラストラン。多くのファンに見守られながら、検車区へと入庫した。
入庫した「若葉」は、この後、静かにパンタグラフを下ろし、12年間に亘る流鉄での現役生活にピリオドを打った。そして・・・
職員さん達の手によって、ヘッドマークと最終札が外されていく。
最後は、引退運転に伴う装飾を外され、普段通りの姿になった「若葉」を撮り終えたところで、撮影を終了とした。ありがとう「若葉」、長い間、本当にお疲れさまでした。
さて、「若葉」の引退により、全車2両編成となった流鉄。このまま、代替車両の入線は無いものと思っていたのだが、6月5日に、西武鉄道武蔵丘検修場で開催されるイベント、「西武電車フェスタ2011in武蔵丘車両検修場」のチラシを見てみると、当日、会場にて流鉄の車両が展示される事が発表されている。おそらく、引退した「若葉」の塗装を受け継いだ、新生「若葉」となる車両ではないかと思われるが、果たしてどんな姿で展示されるのか、今から楽しみである。
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コメント
私もこの日とその前日・一週間前と立て続けに流鉄を訪れました。
最初の、顔に日が当たってない「若葉」の写真の踏切(17号)は、私の体感的には小金城趾駅のほうが近く感じます。
私の撮った写真と窓の開き方や影の具合を比較すると、私も同じ列車を集団の右端(遮断機寄り)で撮っていると思われます。お互い姿を見ているかもしれないですね。
3連であることが災いして101系が701系(なの花)や801系(青空)より先に消えるというのはさみしい話です。
また、101系の譲渡はこの流鉄だけだったので、車体も揃った101系の営業車の最期でもありました。
投稿: ひみつ | 2011/05/31 02:18
ひみつさん、コメントありがとうございます。また、コメント返しが遅くなりまして申し訳ございません。
当日は、ひみつさんも近くで撮影されていたのですね。ブログを拝見しましたが、光線状態からして同じ列車を撮っていたようです。たぶん、知らない間にお互い見ていますね。
私の場合、鰭ヶ崎駅は、階段も少なく、すぐに道路に出られる点で、こちらからの方が近く感じています。
3蓮という事で、先に流鉄入りした元701・801よりも先に引退してしまったことは、何とも残念であります。仰る通り、101系低運車最後の生き残りだけに、この車両の引退を惜しむ西武ファンは多かったと思います。
投稿: TOMO | 2011/06/15 17:52