富士急6000形の甲種輸送を撮影
お待たせいたしました。それでは、1週間前、1月21日のお話。
大月から河口湖へ向かう富士急行線。現在は、元京王5000系を譲り受けた1000形・1200形が主力車両として活躍している他、自社発注の5000形、更には「フジサン特急」として、元JR東日本のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」を譲り受けた2000形など、個性の強い車両が活躍している他、朝晩には、115系やE233系と言った、JR中央線からの直通列車も運転されている。
その富士急行線で、そろそろ深刻な問題となりつつあるのが車両の老朽化である。主力車両の1000形・1200形は、京王帝都電鉄時代から通算すれば、もう50年近く走っている車両。自社発注の生え抜き車両である5000形も、実は私とほぼ同世代。既に登場から30年以上は経過している。
そこで、富士急行は、次世代一般型車両として、JR東日本で廃車になった205系を譲り受け、6000形車両としてデビューさせる事になった。既に第一陣として、長野総合車両センターで3両編成に改造した第1編成が、昨年秋に到着。現在、デビューに向けて、自社工場にて整備が行われている。そして、この度、第二陣が、長野総合車両センターでの改造を終えて出場。1月20日から22日にかけて、甲種輸送にて富士急線へと運ばれた。長野総合車両センターから、富士急行線の始発駅である大月駅へは、篠ノ井線・中央本線を経由すれば、簡単に輸送する事は出来るが、富士急行線への引き渡しの際に、大月駅での入換業務を担当するディーゼル機関車が必要との事で、この甲種輸送は、いったん梶ヶ谷貨物ターミナルまで入線。ここで、DE10を連結するが、今度は、車両自体の方向転換も兼ねているのか、新座貨物ターミナルを経由し、ここから折り返して中央線へと進んで行く行程となっていた。しかも、武蔵野線を走行するのが、土曜日の真昼間と言う事で、通院生活中の私でも、病院が早く終われば撮影可能と言う、大変有り難いダイヤ。当日は、早々と病院へ行き、甲種輸送の撮影に備えていた。
病院からいったん自宅に戻って、撮影機材を持って再出発したのが11時30分頃の事。まずは、西国分寺へと向かう事に。お天気が良ければ、是政駅付近の多摩川の鉄橋にでも行こうかと思ったが、この日は、朝から冷たい雨が降る寒い1日。そこで、駅撮りを選択。更に、最近の傾向から、早々と現地へ行っても、後から来た人に割り込まれるという格好が多かった事から、西国分寺には、甲種輸送通過の15分ぐらい前に着けば良いやと言う気持ちで向かう事に。西国分寺駅に着くと、予想通り、武蔵野線のホームには、多くのファンが待機していた。まあ、機関車を入れて6両分が撮影出来れば充分と言う事で、上りホームの中程に陣取る事に。そして、待機中は、何故か競馬新聞を持ったおじさまに、「がんばって撮ってくれよ」と応援までされてしまった。
現地到着からおよそ15分後となる12時10分頃の事、EH200に牽引された富士急6000形車両の甲種輸送が、西国分寺駅を通過して行った。
EH200に牽引され武蔵野線を行く、205系改め、富士急6000形。
小雨降る西国分寺を通過する富士急6000形の甲種輸送列車。同列車は、篠ノ井からEH200-4号機が牽引を担当。私自身、EH200が牽引する甲種輸送を撮影したのは、今回が初めてであった。
後追い。
今回、富士急行へ譲渡された205系は、京葉線で活躍していた旧千ケヨ25編成のうちの3両で、この車両は、1985年、国鉄時代に、山手線へ最初に投入された二段窓の205系車両の生き残りでもある。二段窓の205系は、10両編成4本が存在したが、今回、廃車後も、一部の車両が他社へ譲渡されて活躍を続ける事になったのは、大変喜ばしい事である。最後部の車両は、モハ205に、廃車となった205系先頭車の運転台部分を移植し、先頭車に改造された車両である。
ちなみに、この編成も、既に富士急入りした車両と同様に、富士急の工場で整備が行われる為、帯色も、最後に活躍していた京葉線仕様のままとなっている。富士急では、どのようなカラーリングになるのか楽しみ。
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