引退間近の119系を追って飯田線へ その1
年頭の挨拶記事でも触れたように、2011年最後の旅は、引退が迫っている119系を追って飯田線でした。既に、北部のワンマン運転列車は、313系へ置き換えが進んでおり、南部には313系に加えて213系も進出。119系は、まさに風前の灯状態。もっと早く飯田線に行きたかったのですが、怪我や仕事の都合もあり、結局はこの時期となってしまいました。
それでは、年末の飯田線訪問記を少しずつ書いていきますので、お付き合いくださいませ。
2011年12月下旬の事、車両の置き換えが進み、最後の活躍を続ける119系を記録しようと飯田線に行きたいとツイッターに呟いたところ、飯田線に大変詳しい方から、色々とコメントを頂いた。しかも、御叮嚀に、リバイバルカラーのE4編成の運用まで調べてくれると言う。季節柄、中央アルプスとの組み合わせも撮っておきたいところ。すると、12月30日の朝、E4編成は、1503Mとして駒ケ根まで入線すると教えていただいた。ところが、この日のE4編成は、朝の運用を逃すと、夕方まで駒ケ根留置と言う。これでは、中央本線の朝一番の特急で現地入りしても間に合わない。そこで選んだのが、前日に現地入りする事。中央アルプスが綺麗に拝める七久保駅周辺のポイントへ行くには、伊那市または駒ケ根辺りがビジネスホテルも探しやすい。そう思いながらネットで検索すると、伊那市駅から徒歩3分ほどのビジネスホテルに空きを見つけて予約。前夜の12月29日、立川から「あずさ31号」に乗り込み、一気に岡谷へ。岡谷から119系による飯田行きで伊那市へ。宿泊先のホテルに到着したのは23時頃のことであった。
翌朝、6時40分に起床。気温は低いが、天気は快晴。絶好の撮影日和だ。7時に朝食を摂った後、伊那市駅から七久保駅へ飯田線の列車で移動する。やって来たのは、飯田線へ投入する為に、神領車両区から大垣車両区へ転属した313系3000番台車。JR東海の標準型車両とも言える313系は、これまでに様々な国鉄形車両を引退に追い込んだ憎い奴ではあるが、それでもデザイン等に国鉄形車両のイメージを彷彿とさせるものがあり、どこか憎めない車両だ。前夜に乗車した119系同様、セミクロスシート車であるが、シートも柔らかく、乗り心地も快適。この車両なら、飯田線の列車に長時間揺られるのも快適だろうと思った。
七久保駅から歩く事およそ15分。撮影地に到着すると、寒い中、リバイバルカラーのE4編成を撮影しようとする撮り鉄さん達が集まっていた。ざっと数えても20人程はいらっしゃるだろう。お目当ての列車の通過までは、あと15分ほど。この間に、通過する列車は無く、まさにぶっつけ本番。ここまで来て失敗は許されない。私も自然と気合が入る。
やがて通過時刻となり、駅の方を見ると、水色の車両が見えてきた。少しずつ、こちらに近付いて来ると、自分のテンションも更に上がっていった。
中央アルプスをバックに駒ケ根を目指す、119系E4編成+M9編成。
デビュー当時のカラーに再現されたE4編成と、東海色のM9編成との混結3両編成が、中央アルプスをバックに走る。撮影した画像を、カメラの画面で確認した時、思わずニンマリしてしまった。撮影するのは、ほんの一瞬。この日、この場所に集まった人達は、自分も含めて、この瞬間の為に集まって来ていた筈である。おそらく、殆どの方が、仕上がった画像を見て、私と同じ感想を持たれたのではないかと思う。
さて、この場所に集まった皆さんのメインイベントは、この1503Mだったようで、同列車が通過した後は、殆どの方が撤収してしまったが、せっかくここまで来て、この景色を見て、1本しか撮影しないのは勿体ない。ちょうど、私と同じ列車で現地入りした方とお話しながら、およそ1時間後にやってくる次の列車まで待つ事にした。
次の列車は、長野駅から松本・塩尻・岡谷を経由して飯田へ向かう228M。途中の岡谷まで快速「みすず」として運転される列車で、車両もJR東日本の115系による運転だ。そんな事もあってか、この列車の通過直前になると、またどこからともなく、撮り鉄さんが少し集まって来た。それでも、先程の半分程度だ。
JR東日本、長野総合車両センター所属の115系で運転される228M。
長野色を纏う115系が飯田線を行く。この車両が運転されている事で、この地が長野県である事を実感する。228Mは、約4時間半かけて、長野から飯田まで直通するが、飯田から県庁所在地である長野までは、高速バスでも約3時間かかる様で、飯田から長野は遠いなあと感じてしまう。
そして、この228Mは、七久保駅で下り上諏訪行き237Mと交換する事から、この後、続けて119系もやってくる。
119系E14編成による237M。
集中式クーラーを積んだE14編成による上諏訪行き237M。この車両は、国鉄末期の頃、東海道本線の静岡周辺の短距離普通列車「するがシャトル」に抜擢された為、早い段階で冷房改造されており、JR化後にインバータークーラーによる冷房改造された5000番台車よりも、すっきりした印象を受ける。
この237Mの撮影を以って、この場所での撮影を終了とした。撤収作業を済ませた後、七久保駅へ。次の列車までは、およそ50分ほどある。帰りは、のんびり駅まで歩いたが、12月30日という時期的な問題なのか、町全体が、とても静かだった。
さて、七久保駅からは、豊橋行き544Mで一気に南下する。この列車は、かつて快速「みすず」用に残されていた、静岡車両区の115系を置き換えるべく、神領車両区に投入された313系1700番台車での運転。車内の座席も、車端部を除き転換クロスシートと、快適な設備を誇る車両だ。この列車で、野田城まで南下する。ちょうど、移動中にお昼を迎えるのだが、運よく、飯田で15分ほどの停車時間がある。ここで、駅そばでも食べるかと思っていたところ、なんと飯田駅他、飯田線の複数の駅でそば店を運営していた会社が倒産してからは、そば屋は撤退したままとのこと。飯田で途中下車して、1本遅らすことも考えたが、明るいうちに野田城で撮影がしたかったこともあり、売店でパン2個と温かい飲み物を購入して、再び車内に戻った。
七久保駅から乗車した544M。(伊那八幡駅にて撮影)
列車は、伊那八幡駅で交換する、豊橋からの特急「伊那路1号」の遅れの影響を受け、約10分遅れで南へ進む。途中、天竜峡から中部天竜までは、私にとっての飯田線の未乗区間。このあたりからは、車窓の景色も美しくなる。途中、対岸へ渡らない橋や、皇太子殿下ご成婚の際には、何かと話題になった秘境駅の小和田を車内から見学。特に小和田は、18きっぷシーズンと言う事もあってか、訪れる方も多いらしく、544Mに乗り込んできた乗客の数が多いことに驚いた。
車内から秘境駅、小和田を観察。
未乗区間を、途中、うとうとしながらも、なんとか中部天竜まで持ちこたえて、飯田線の完乗達成。駅構内にあった、佐久間レールパークは、完全に更地となり、更に213系が留置されている光景を見て、飯田線は、もう新時代に移行しているんだなと、ここで改めて実感することに。
中部天竜から先は、これまでにも何度か乗車した事があるお馴染みの区間。道中、すれ違う電車を見てみると、意外にも119系の姿が目立つ。タイミングの問題なのかもしれないが、こう言う状況を見ると、まだまだ119系も目立つ存在と言う認識になってしまう。
その後も、119系と交換を繰り返しながら、列車は野田城へ。日没まで残りわずかではあるが、数本は撮影できそう。と言う事で、急いでいつもの撮影地へと向かう。まず最初にやってきたのが、この列車。
119系E16編成による豊橋行き546M。
新城始発の546M。この119系も集中式クーラー搭載車両と言う事で、元するがシャトルの車両である。
213系H8編成による本長篠行き535M。
今回の遠征で、初めて撮影した213系。飯田線への転用に際して、近畿車輛にてトイレ取り付けや扉の半自動化などの改造を行い、更に、所属車両基地も神領車両区から大垣車両区へ転属している。
213系H7編成による中部天竜発豊橋行き548M。
続いてやってきた548Mも213系。おそらくは、先ほど、車内から目撃した、中部天竜駅構内に留置中の213系が充当されているのだろう。
119系E11編成による新城行き537M。
新城行き537M。よく見ると、既に方向幕は豊橋行きになっている。まあ、次が終点の新城だし、野田城駅を出発してしまえば、豊橋行きと表示していても問題はないのだろう。
まだまだ撮影していたいところであるが、この537M通過の時点で、すっかり陽も沈んでおり、ここで撮影を打ち切り、新城から折り返してくる119系E11編成充当の豊橋行き3550Mで豊橋へ。到着後は、飯田線完乗を祝して、名古屋在住の知人と合流し、豊橋駅近くの飲食店で祝杯をあげた。そして、宴の終了後は、酔い醒ましに豊橋駅へ。
213系H8編成充当の水窪行き557M。
ちょうど213系が2本続いていたので、色々と観察してみた。
新たに設置されたトイレ部分。
我が家には、マイクロエース製の213系5000番台車が8両所有しているので、半分を飯田線仕様に改造しようと計画中。トイレ部分はどうやって埋めようか等と、酔っ払い同士話しながら見物した後、翌日の行動に備えて、ホテルへと戻った。
こうして、飯田線遠征1日目が終了した。
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コメント
119系が淘汰されるんですね…
飯田線から旧国を淘汰した憎き119系が
あれから30年近い月日が経過したんですね。
伊那松島駅の踏切でボンネットタイプの日産の消防車と一緒に撮影したのが 先日のようです。
何年間後に169系+サハ165 Nの文字も描かれた みすずも懐かしく思います。
213系のトイレ改造ですか・・・。
数日前にテレ東の旅番組で、大糸線を走る115系1000番台のクハ115-1000のトイレの通気窓が無いことに気付きました!
確かに昨今のE231系にはトイレの通気窓がありませんが。
投稿: 準急豊島園 | 2012/01/09 14:34
フラミンゴです。明けましておめでとうございます。
飯田線はうちの近辺の路線で、以前から213系と313系3000番台の関西線使用車が来るのではと、噂されており去年の12月初頭から、就業し始めた様子です。20年前は普通に115系が走ってたんですがね・
119系は飯田線用に特化した車両なので、転属が難しく30年も経過している事から今年か来年全廃される見通しです。
やっぱり廃車されるのは寂しいものですね。
次の119系レポートも楽しみにしております。
投稿: フラミンゴ | 2012/01/10 20:12
準急豊島園さん、フラミンゴさん、コメントありがとうございます。
>準急豊島園さん
119系も、早いもので登場から30年近くが経過しています。飯田線の旧型国電が淘汰されたのが、つい昨日のように感じてしまうのは、私も年をとったと言う事でしょうか?
大糸線115系のトイレですが、私は番組を確認していませんが、115系のクハのトイレは、基本的に窓があったと思いますので、おそらくは、2両編成にするためにモハ114を先頭車改造した、クモハ114のトイレではないかと思われます。
>フラミンゴさん
既に119系も半数が運用を離脱しているという状況でございます。おそらくは、3月意までの命ではないかと。119系関連記事は、この後も続く予定です。どうぞお楽しみに。
投稿: TOMO | 2012/01/16 13:56
遅ればせながら・・・本年もよろしくお願い致します。
TOMOさんのお写真を見ると飯田線に行きたくなりました。
駒ヶ岳をバックの119系、115系の写真素晴らしいです!!
今年も色々な記事を楽しみにしています❤
投稿: 地歴部員 | 2012/01/24 16:13
地歴部員さん、コメントありがとうございます。また、コメント返しが遅くなりまして申し訳ございません。
駒ケ岳バックの写真、気に入っていただけたようで何よりです。これを撮影した瞬間、本当にここへきて良かったって思いました。
今年も、色んな写真を撮っていきたいと思っております。なかなかリアルタイムに更新できませんが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
投稿: TOMO | 2012/02/20 00:37