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西武101系四季の電車「春」(247F) 301日ぶりに多摩湖線で営業運転

では、ここで順番を変えまして、本日、4月30日のお話です。

4月8日の甲種輸送で、多摩川線から戻ってきた101系四季の電車「春」(247F)。本線側に戻ってきてからは、もっぱら西武園線で運用されていたが、本日、ツイッターで西武関連のツイートを読んでいたところ、午前中から、多摩湖線の運用に入ったことを知った。今朝は、多摩湖線を利用していなかったので、走っていたことに気づかなかったのだが、多摩湖線で走り出したとなれば、地元民として是非とも撮影したい。そこで、都心での用を終えて、夕方、帰りながら247Fを撮影しようと思っていたのだが・・・

運悪く、西武新宿線、西武柳沢~田無間で人身事故が発生した影響により、多摩湖線もダイヤ乱れが発生。本日は、国分寺~萩山間の列車の一部が、不定期列車として西武遊園地まで延長運転をしており、247Fも、その運用に入っていたのだが、人身事故の影響から、直通運転が中止となり、私が地元に戻ったときには、247Fが萩山駅構内の留置線に入庫してしまっていた。

このまま、留置線に引き上げたまま、もう今日は運転しないのか?萩山に到着した私は、諦めきれずに、ホームの先端へ向かい留置線を見ることに。すると、247Fは、ヘッドライトを点けたままの状態で留置されているではないか。あきらめ切れない私は、自宅へ帰らずに、ホーム上で、暫く観察することにした。

観察開始から、およそ15分後のこと。コンデジで247Fの様子を見ると、方向幕が、「萩山」から「西武遊園地」に変わっていることに気づく。そこで、いつ動いてもいいように、3番ホームへ移動し、観察を続けた。

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2000系とともに、萩山の留置線で待機する247F「春」

そして17時20分頃のこと。拝島行きの到着が大幅に遅れているため、順序を入れ替え、2番ホームからは西武遊園地行きが先の発車となる旨のアナウンスが流れた。しかも、西武遊園地行きは、車庫から出てきて、車両も発車案内機の表示と異なり、3ドア車での運転だと言う。その直後、留置線の247Fが動き出し、ゆっくりと2番ホームに入線してきた。

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萩山駅2番ホームにゆっくりと入線してきた247F「春」

人身事故によるダイヤ乱れと言うことで、一度は247Fの撮影を諦めたが、こうやって特発便として出てきたと言うことから、この後も暫く駅に残って観察をすることが確定的となった。

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西武多摩川線 101系247F「春」の甲種輸送を撮影

では、4月8日のお話です。

前日、慰安旅行を終えて、山北駅そして八王子駅を経由して帰宅した私。帰宅が深夜になってしまった事も有り、この日は、早起きが出来ず、出かけるのがギリギリのタイミングとなってしまった。この日の目的は、西武多摩川線から戻ってくる101系247F「春」の甲種輸送である。

前夜、ネット上にアップされていた画像を見て、この日のJR区間の牽引機が、通称「カラシ」と呼ばれるEF65 1127号機が担当の可能性が強まった事も有り、早めに出かけようと思っていたのだが、結局は、いつも通りギリギリのタイミングとなってしまった。とりあえず、選択肢は国立駅だけになってしまっていた。ネタガマが牽引すると言う事で、おそらくホーム上は、多くのファンが集まっているだろう。その事は解っていたのだが・・・

午前10時頃、国立駅に到着。下りホームの立川方先端は、予想通り、多くの鉄道ファンが集まっていた。そこで、259Fの甲種輸送のときと同じく、7号車付近で待機する事に。その直後、下り列車が国立駅に到着するが、入線してきた電車は、ホームの先端で集まっていた少年達に注意を促しながらの停車だったのか、いつもよりも時間をかけて、ゆっくりと入線してきた。

10時10分頃の事。前方より、多摩川線の甲種輸送列車が近付いて来た。牽引してきた機関車は、予想通り「カラシ」だった。

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EF65 1127号機に牽引され、新秋津へ向かう101系247F「春」

今回の多摩川線の甲種輸送は、JRグループのダイヤ改正後、初の実施となった為、まずはJR区間の牽引機が、改正前同様、EF65が担当するのか、気になっていたのだが、結果的には、御覧のように、EF65が担当。EF65の活躍の場が減らされていく中で、改正後も変わらずEF65が担当してくれた事は嬉しかった。

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後追い。

とりあえず、国立駅での撮影は、被られる事無く無事に終了した。この場所に集まっていたファンが、この直後、一斉に撤収して行く。私も、この247Fを追い掛ける為、一旦、改札を出場。次の目的地、新秋津へと向かう。

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西武多摩川線へ向かう101系245Fを八王子駅で撮影

お待たせいたしました。それでは、弊ブログ久々の西武ネタです。

4月7日夜の事。御殿場線山北駅での撮影を終えた私は、山北から国府津・茅ヶ崎・橋本と乗り継いで、八王子へと向かった。4月7日から8日にかけて、西武鉄道では、多摩川線の車両交換に伴う甲種輸送が実施されていた。流石に、職場の慰安旅行と重なる為、1日目の甲種輸送の撮影は不可能ではあるが、多摩川線に向かう車両は、夕方から八王子駅構内に留置され、終電後に武蔵境に向かう事になっていることから、八王子駅留置中の様子は撮影が可能だった。そこで、山北駅から八王子駅へと向かったのだった。

横浜線の電車で八王子駅に到着したのは、21時頃の事だった。到着後、横浜線のホームからビックカメラ横の留置線を見ると、白い電車の姿を発見。早速、ホーム上から撮影してみる事に。

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八王子駅に留置中の西武101系245F。

今回、多摩川線へ異動する事になった245Fは、2011年7月13日に、ワンマン対応工事を終えて武蔵丘検修場を出場。2011年7月15日より多摩湖線で営業運転を開始し、以後、多摩湖線や西武園線で運用されていた。

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続いて中央線ホーム(3・4番線)からも撮影してみる。

結局、八王子駅では、横浜線ホームと中央線ホームから、留置中の245Fを撮影しただけで終了。駅周辺の飲食店で、晩飯を食べた後、帰宅した。帰宅後、PCで、複数の掲示板やブログから、この日の甲種輸送の様子を確認。新秋津~新座貨物ターミナル~八王子間の牽引を担当したJRの機関車を見て、思わずニンマリしてしまった。これまでのパターン通りならば、翌日もこの機関車になる筈。これは、JR区間の撮影者が多くなりそうだな。そんな事を考えながら、布団に入った。

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御殿場線山北駅を訪ねる

4月7日のお話。

前日6日より、職場の慰安旅行があり、1泊2日で伊豆高原へ行って来た。現地では、ゆっくり温泉に浸かって、さらに美味しい海の幸を堪能。身も心もリフレッシュする事が出来た。

そんな帰り道。伊豆高原から「スーパービュー踊り子」に乗り込むが、慰安旅行の一行と熱海で別れて、E233系の普通列車に乗り換え。まずは国府津へ。ここから最後の1回分だけ残されていた青春18きっぷに日付を入れて、御殿場線の山北駅へ向かう事にした。

弊ブログを御覧の皆様には、「また今年もか」と思われる方も多い事だろう。振り返ってみると、弊ブログでは、これまでに、2006年2007年2009年2010年と、過去4回、山北駅の桜を取り上げている。そして、今年は、これまでの年と異なり、どうしても、山北駅を訪ねたかった、その理由の一つには、J-WAVEの番組で取り上げた事と言う事もあるのだが、もう一つの理由として、今年3月のダイヤ改正を機に、山北駅が無人化された事が挙げられる。無人化された山北駅を、この目で確かめておきたかったのだ。

実は、4月1日にも、この山北駅は通過している。しかし、この時は、桜も開花したばかりで、まだ3分咲きと行ったところだったため、6日後の土曜日に再度訪問と言う事を決めていた。国府津駅から乗車した御殿場線の沼津行き2549Mは、数少ない313系3100番台のV14編成。2006年、静岡に残っていた国鉄形車両を一掃する前に先立って増備された車両。外観上は、3000番台車と大差はないが、トイレが車いす対応の為に大型化されている他、行先表示もフルカラーLED化されているのが特徴。2編成のみの存在と言う少数派の遭遇で、幸先よいスタートと言えるだろう。

16時41分、山北駅に到着。車掌に青春18きっぷを見せた後、ホームの沼津方先端へ移動。2549Mと交換する2552Gの入線シーンを撮る為である。2552Gと言えば、4月1日、駿河小山から乗車した列車。16時45分頃の事、前方より313系のライトを確認。桜のトンネルを抜けて、駅構内に入って来たところで撮影を開始する。

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山北駅に進入する国府津行き2552G。

桜のトンネルを抜けて、山北駅に進入する国府津行き2552G。この日は、313系3000番台車V11編成での運転だった。

2552Gと入れ替わりに、今度は、私が山北まで乗車してきた2549Mが沼津に向けて山北駅を出発する。

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山北駅を出発し、一路沼津へと向かう313系V14編成による2549M。

これから桜のトンネルへと向かう313系V14編成。313系としては少数派に当たる3100番台車と、山北の桜との組み合わせは、これまでに撮った事が無かった為、ちょっと得した気分になった。

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御殿場線駿河小山駅で「あさぎり」の並びを見る

では、引き続き4月1日のお話です。

伊豆箱根鉄道駿豆線の貸切列車から降りた後は、そのまま三島で東海道線に乗り継ぎ沼津へ。ここから御殿場線に乗り換えて、向かったのは駿河小山駅。

3月17日のダイヤ改正より、運転区間が新宿~御殿場間に短縮された特急「あさぎり」。運転区間短縮と合わせて、車両も小田急60000形MSEに統一され、平日に関しては3往復に減ってしまった。MSE化された「あさぎり」は、御殿場到着後、すぐに折り返す為、以前のように、御殿場線内での「あさぎり」同士の交換は、平日は見る事が出来ない。しかし、土曜・休日は、1往復増発される為、増発される「あさぎり12号」が、駿河小山駅停車中に、定期列車の「あさぎり5号」が通過することになっており、「あさぎり」同士の並びが見られる事になる。

この「あさぎり」の並びを見る為、沼津駅から国府津行き2550Mで、駿河小山を目指す。伊豆箱根鉄道の貸切列車の中でビールを飲んだせいか、座ると眠くなり、うとうととしてしまっていた。途中の御殿場で目を覚ますと、構内に60000形MSEが停車しているのを見たが、見慣れないせいか、まだ違和感があった。

15時47分、駿河小山駅に到着。無人駅の為、車掌に青春18きっぷを見せて下車。そして、ホーム上で「あさぎり12号」の到着を待つ事に。光線状態等を考慮し、撮影場所は、ホームの御殿場方と決める。

16時11分頃の事、「あさぎり12号」が駿河小山駅に到着。それからおよそ2分後の事。御殿場行き「あさぎり5号」が軽やかに駿河小山駅を通過していく。

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駿河小山駅を通過する「あさぎり5号」(右)と新宿行き「あさぎり12号」(左)

MSE同士の並びは、まさに一瞬の出来事だった。まあ、「あさぎり5号」は、停車しない訳だから仕方ないか・・・

この撮影を以て、駿河小山駅での撮影を終了とした。この後は、後続の国府津行き2552Gで国府津を目指す事に。2552Gと言う列車番号が表すように、この列車はワンマン運転だった。2両編成、ワンマン運転の2552Gは、行楽客などで混雑していた。私は、先頭車両に乗車し、ワンマン運転の実態を見て行く事にした。

御殿場線のワンマン運転は、1999年12月より開始された。ワンマン運転区間は、御殿場線全線。もちろん、当初から全列車がワンマン化されている訳ではなく、313系化された一部の列車が対象であった。御殿場線でのワンマン運転の歴史は、既に12年以上と言う事になるが、私自身は、御殿場線のワンマン運転には反対である。まあ、理由は後程触れるとして、まずは、この日の2552Gで起きた出来事を触れておく事にする。

順調に走っていた2552Gに異変が起きたのは、谷峨駅に差し掛かろうとした時だった。一人の乗客が、運賃箱にある両替機で両替をしようとした。しかし、お金を入れたものの、小銭が出てこない。そこで、停車中に運転士に申告し、運転士が対応に当たるが、運賃箱は反応しない。この時点で、既に遅延が発生しており、運転士も、ひとまず谷峨駅を出発する事に。そして、輸送指令室へ対応策を相談する。そのまま、先日のダイヤ改正で無人駅となった山北駅に到着するが、ここで、運転士が証明書を作成し、先程の乗客に対して、松田駅の駅係員に証明書を渡して、お金を返金してもらうように乗客に説明していた。まあ、先程の乗客も松田まで行く予定だったようだから、松田駅での対応と言う事になったのだろう。しかし、この時点で8分の遅れが発生している。列車は、そのまま山北駅を出発し、フルスピードで東山北へ。ここも無人駅なのだが、降りる客が先頭車前寄りのドアを開けた所、ホームで待機していた乗客が、開いたドアから乗車してしまう。ワンマン運転の列車なので、無人駅からの乗車の場合、本来は先頭車両後ろ寄りのドアから乗ることが前提である。それに対して、運転士も、注意していない。と言うか、運転士は集札業務もあり、これ以上の遅れを出さない為にも黙認しているような状態であった。

御殿場線の国府津~御殿場間は、都市部にも近く、更には、国府津からJR東海になっている事を知らない乗客も多く、横浜方面から、そのままSuicaで乗ってくるような客も多い為、ワンマン運転の運転士は、列車の運転以外にも、証明書発行等の業務をさせられる事が多い。その事からも、遅延が発生するケースが多く、必死に働く運転士がとても気の毒に感じてしまう。この日も、まさにそんなケースだった。私が御殿場線のワンマン運転を反対する最大の理由が、まさに、このICカード問題なのである。そして、ワンマン運転開始から12年にもなるのに、東山北駅のように、本来の乗車位置から乗ろうとしない客もいたり、JR東海の他のワンマン運転実施路線と比較すると、ワンマン運転の乗車方法も徹底していないようにも見える。これは、御殿場駅や松田駅等、沿線の主要駅で、モニター等で無人駅を監視し、乗客に対して、乗車位置を守るように注意放送を流す等の対策も必要なのではないかと思う。

結局、この遅れは、終点の国府津まで引きづる事になり、国府津には、およそ5分遅れでの到着となった。

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悪夢の転倒から7カ月 ようやく完治宣言

気付けば、悪夢の転倒から7カ月が経過してしまいました。

季節も秋から冬へ。そして、冬から春へ変わっても、月に2回程度の通院生活が続いていましたが、昨日、4月18日の事になりますが、ようやく通院生活も終了となりました。私の右足には、ガーゼを固定する為に使用したテープによる被れも残りますので、あとは、皮膚の回復を待つ事になりますが、とりあえず、転倒事故による傷は埋まりました。これに伴いまして、弊ブログ上でも、完治宣言を発したいと思います。

この7ヶ月間、皆様には、ブログ、Twitter、Facebookを通して、励ましのメッセージを数多く頂きました。皆様には、心より感謝しております。今後は、少しずつ趣味活動も、転倒事故前の状態に戻していきたいと思っております。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

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伊豆箱根鉄道1100系貸切列車に乗る 後編

さて、貸切列車に乗車する為に大場駅へと向かった一行。車内では、缶ビールが1人につき1本頂けると言う事で、各自、駅周辺のコンビニでおつまみや弁当類を買うように説明があったが、私は、1100系の入庫シーンを撮るべく、大場駅3番線の車止め付近で待機する。

本来であれば、この時間内に、買い物をすべきところではあるが、大場の車庫から大場駅までの僅かな距離だけを、1100系には、ある物を掲出して運転すると言う。それは、こんな札であった。

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大場駅3番線に入線してきた1100系貸切列車。

西武時代の「通勤快速」を模した「送込回送」と言う札を掲出しての運転となった。「送込回送」となっているだけに、車庫から駅までの僅かな距離だけのお披露目となった。そして、伊豆箱根鉄道の幕には、「臨時」幕の用意が無いらしく、この「臨時」幕も主催者側が用意したもの。修善寺方の先頭車は、701系のデビュー当時の幕を模した形で、「臨」と「時」の字が、端に寄ったタイプのものが掲出されていた。

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伊豆箱根鉄道1100系貸切列車に乗る 前編

では、引き続き4月1日のお話。

沼津運輸区で371系を撮影した後は、沼津駅から東海道線で三島へ。更に、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り換え、目指すのは大場である。

西武鉄道グループの伊豆箱根鉄道には、自社オリジナル車両に加え、親会社の西武鉄道から譲り受けた1100系と1300系が少数ながら活躍している。1100系は、西武鉄道の701系を譲り受けた車両。1300系は、1100系の後継車種として、西武鉄道の新101系を譲り受けた車両で、1300系の入線により、1100系は1編成を除き廃車となった。最後の1編成となった1100系も、今年6月には引退することが発表されており、伊豆箱根鉄道では、昨年11月より、1100系を赤電カラーに塗り替えて運転している。

今回、最後の活躍を続けている1100系を、西武鉄道ファンの方が貸し切って運転する事になり、縁有って、私も、この列車に乗車する事になった。

午前10時、集合場所となった大場の伊豆箱根鉄道本社へと向かう。貸切列車に乗る前に、1100系の撮影タイムを設けていただいているとの事。受付を済ませて構内へ進んで行くと、まずは、こんな車両が待っていた。

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大雄山線車両の入場回送や工臨用に活躍するED32。

茶色い凸型の機関車、ED32。現在では、主に大雄山線の車両が大場工場に入場する際に、三島~大場間で大雄山線車両の牽引を担当したり、工事用列車の牽引を担当している。この車両、かつては西武鉄道で活躍した車両で、西武鉄道時代はE31形(初代)を名乗っていた。

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ED33。

ED32と共に、大雄山線車両の入場回送や、工事用列車の牽引に活躍するED33も、逆光気味ではあるが、撮影し易い場所に置かれていた。時折聞こえてくるAK-3コンプレッサーの音が、心地良かった。

そして、この日の主役、1100系の傍へと進んで行く。

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部分的に西武鉄道時代の塗り分けが再現された1100系。

昨年11月に赤電カラーになった1100系。伊豆箱根鉄道の白地に青帯の塗り分け線のまま赤電カラーに戻された為、西武鉄道時代とは、やや異なる姿となってしまっていたが、今回の貸切運転に合わせて、修善寺方の先頭車となるクハ2005の正面のみ、主催者側が特殊なカッティングシートを使って、西武鉄道時代の塗り分けを再現。更に、撮影会用にと、昔懐かしい「準急本川越」「西武園」「池袋」の三種類の方向幕を再現していた。

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「あさぎり」運用離脱後の371系

4月1日のお話。

宿泊した沼津の東横インからのスタートとなる。前日、飯田線の119系の撮影に出かけた後は、そのまま青春18きっぷで東海道線を東上。途中、静岡で、生桜エビなど、静岡の旬の味覚を堪能した後、翌日の予定に備えて、沼津に宿を取っていた。当初は、7時半までに起床し、8時過ぎには出発の予定だったが、見事に二度寝してしまい、出遅れてしまった。

痛恨の二度寝で、出遅れてしまったが、この日のメインイベントの前に、どうしても訪れておきたいところがあった。ホテルから歩いておよそ15分ほどの場所にある、JR東海の沼津運輸区である。沼津運輸区は、東海道線や御殿場線の列車に乗務する乗務員の基地であるとともに、車両配置は無いが、この地域で走行する車両の留置線がある。その沼津運輸区には、3月16日を以て「あさぎり」の運用から離脱した、JR東海の371系が留置されているらしいとの話を聞いていた。その真相を確認するのが、今回の訪問の目的である。

東海道線と御殿場線の線路に挟まれた、所謂「デルタ地域」の中にある沼津運輸区。デルタ地域の住宅街の道を進んで行くと、沼津運輸区にぶつかった。運輸区に沿った道路を歩いていくと、見慣れた白い車体の車両が見えてきた。

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沼津運輸区の一番外側の留置線にいた371系。

1991年のデビュー以後、予備車なしの状態で、「あさぎり」の運用に専念してきた371系。21年間、酷使し続けてきた車体は、所々に痛みが見られた。371系は、この後、団体列車用に転用される事が既に発表されており、今は、23年間を振り返りながら、次のステップに向けて、静かに翼を休めていると言うところなのだろう。

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中間に連結された2両のサロハ371。

7両編成のほぼ真ん中に連結されている2両のサロハ371。これまでにも、触れているように、この2両に関しては、おそらく転用される事無く、このまま廃車となるのではないかと予想している。思えば、371系に初めて乗車したのも、このサロハ371の2階席。つまりグリーン席である。当時17歳だった私にとっては、大冒険だった。とは言っても、乗車したのは小田急線内の新宿~町田間だが、今振り返ると、371系のグリーン席に乗ったのは、これ1回きりである。グリーンに乗ろうと提案してくれたS君には感謝しなくては・・・

本当は、もう少し傍にいたかったが、次の予定時刻まで迫っており、早々に沼津運輸区を離れ、沼津駅へと向かった。

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ありがとう119系 「119系ファイナル号」を撮影する

春は出会いと別れの季節。私自身にとって、今年の春は、出会いよりも別れのイメージが強い。

1983年のデビュー以降、飯田線を中心に活躍してきた、JR東海の119系電車も、この春、飯田線の運用から卒業することになった。既に、3月17日のダイヤ改正を機に定期運用を終えており、年度末となる3月31日までの土曜・休日に、唯一、デビュー当時の復元したE4編成を使用した、「119系ファイナル号」が、豊橋~豊川間に1往復運転されていた。

119系の引退を間近に控え、今年の正月休みは、二度、飯田線を訪れ、最後の活躍を続ける119系の記録をした。もう、これが最後の撮影だ。そう心には決めていた。しかし、3月のダイヤ改正を向かえ、細々と臨時列車として最後の運用に就く119系の姿を、もう一度、撮っておきたいと言う気持ちが日に日に強くなってきた。なんとかもう一回、119系を見たい。そう思い、本当の最終日となる3月31日、飯田線を訪れて、119系を撮影することにした。

当日、朝6時に起床。機材の点検や情報の最終確認などをした後、7時過ぎに出発。基本的に、青春18きっぷを利用するが、時間の都合上、東京~静岡間のみ、東海道新幹線「ひかり463号」を利用した。この日は、運悪く、早朝から中央線で人身事故があり、予定していた新幹線に間に合うかどうか際どかったのだが、品川駅を利用することにより、何とか乗れることができた。あとは天気さえ持ってくれれば・・・とやや不安を残して東京を発ったが、その不安は、熱海を過ぎたころより現実となる。静岡県内は大荒れの天気だった。とは言え、119系のファイナル号まで時間はあるから、何とかなるかと思いながら、静岡より在来線の普通列車に乗り換えて西へ進むが、大荒れの天候は、豊橋到着時点でも一緒だった。とりあえず、飯田線ホームへと向かい、予定していた列車に乗り込むが、豊橋~小坂井間、風規制により、徐行運転を行っており、その影響で遅れが出ていた。私が乗車する列車についても、線路を供用している名鉄との兼ね合いか、出発を見合わせていた。結局、3分ほど遅れての出発となったが、その先もノロノロ運転。約6分遅れで、目的地の牛久保駅に到着する。

牛久保駅。雨さえ降っていなければ、駅周辺を歩いて、適当な撮影地を見つけるのだが、この雨と風では身動きが取れない。駅の上りホームには、多くの撮影者が119系の通過を待っている状況だった。ホームには上屋があるが、風が強いので時々、雨が吹き込んでくる。風雨に耐えながら、ここで撮影をすることにした。

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牛久保駅に進入する豊川行き421G。

激しい風雨の中、およそ6分遅れで到着した豊川行きワンマン列車。3月17日のダイヤ改正では、これまでワンマン運転を実施していなかった、豊橋~中部天竜間でもワンマン運転が開始され、これらの列車には、大垣車両区に転入してきた313系3000番台車が充当されている。119系では、単行(1両)での運転が主体だった、豊橋~豊川間の折り返し列車も、313系の2連での運転が主体となったようだ。

豊川行き列車の後を追う形で、119系ファイナル号もやってきた。

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牛久保駅に進入する119系E4編成「119系ファイナル号」

警笛を鳴らしながら、ゆっくりと牛久保駅に差し掛かった119系E4編成。今回のさよなら運転にあわせて、特製のヘッドマークが用意されたが、このヘッドマークを装着するにあたっては、クハ118の幌を撤去して対応していた。もう他の編成と連結することもないと言う裏付けとも言えるだけに、幌が外されたと言う事も寂しく感じる。

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後追い。

カメラもコートもびしょ濡れとなったものの、まあ、何とか撮影することができた。

この後、「119系ファイナル号」は、豊川駅到着後、新城まで回送されて、折り返しまでの間、新城駅構内に留置されることになっていた。私も、後続の列車で、まずは豊川へと向かい、昼食休憩を挟んだ後、新城へ行く予定だったが、あまりの悪天候のため、いったん豊橋へ戻ることにした。

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