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引退目前 黄色電連になった流鉄「なの花」を撮影

全営業車両が、西武鉄道からの譲受車で運用されている、千葉県の小さなローカル私鉄、流鉄。

2010年1月からは、元西武鉄道新101系を譲受、改造した5000形が登場。毎年、元西武鉄道の701系・801系である2000形や101系である3000形を置き換えていった。そして、3000形は全車引退し、2000形も2両編成の「なの花」を残すのみとなっていたが、この度、「なの花」が4月28日を以て引退することになった。

流鉄のホームページを見ると、4月中の「なの花」は、土曜と日曜のみ動くという。引退を前に、現地へ行って御名残撮影をしてきた方たちの話では、「なの花」の電気連結器のカバーが黄色く塗られているとのこと。西武鉄道では、701系・801系が冷房改造された際、未改造車とはブレーキ性能が異なることから、混結を避けるため、連結器のカバーを黄色に塗装していた。また1981年以降に、新宿線に投入された新101系も、701系グループとの連結対応改造を実施し、これらは他の101系と連結できない事から、701系同様、電気連結器のカバーを黄色に塗って区別した。まさに、黄色電連は、新宿線の3ドア車のイメージともなったと言っても過言ではない。「なの花」は、その愛称名からも解るように、黄色ベースの塗装となっており、かつての701系冷改車のイメージを残していることもあって、黄色電連との相性はバッチリ。これは、ラストランではなく、通常の運用に就いている姿をカメラに収めておきたい。そう思い、4月21日の午後、流鉄を訪れてみた。

武蔵野線の電車で新松戸に到着したのは、13時25分ごろの事であった。新松戸駅の武蔵野線ホームからは、流鉄の線路を見下ろすことができる。ちょうど、流鉄幸谷駅近くの踏切が鳴っており、馬橋に向かう電車が幸谷駅を発車するところだった。幸谷駅を出発していったのは、お目当ての「なの花」だった。昼間は20分間隔で動いているはずなので、40分後の馬橋行から撮影を始めることにして、その間に昼食を摂ることに。お腹も一杯になってから、馬橋~幸谷間の撮影ポイントへ移動する。武蔵野線の馬橋支線の高架をくぐり、おなじみのポイントへ。

撮影地到着からおよそ4分後の事。馬橋に向かう「なの花」がやってきた。

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4月28日を以て引退する流鉄2000形「なの花」

小雨がぱらつく中、馬橋へ向かう2000形「なの花」。この日一発目の撮影は、僅かに咲いていた菜の花を強引に絡めて撮影してみた。さよなら運転の時は、おそらく賑わうであろう、このポイントも、この日は、雨模様と言う事もあってか、この撮影地で撮影している人は、私と同行した知人の2名のみだった。

この後、馬橋から折り返してくる流山行きを撮影する事になるのだが、馬橋方にある踏切へ移動するも、正面気味になってしまう事から、結局は、元の場所へと戻り、撮影する事に。

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折り返し流山へ向かう「なの花」。

折り返しの流山行きは、パンタ付きのクモハが先頭になる事から、ここは前パンを意識したいところであるが、背景の建物のせいか、あんまりパンタは目立たなかった。それでも、こうやって前パン側を撮影してみると、かつて、クハ1791~1796に101系と同等の主要機器を搭載した三代目501系を思い出してしまうのは、私だけではない筈だ。

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北近畿タンゴ鉄道 リニューアル車両「あおまつ号」「あかまつ号」を京都駅で観察する

京都府と兵庫県を走る第三セクター鉄道の北近畿タンゴ鉄道。沿線には、日本三景の一つとも言われる天橋立もあり、京都・新大阪からの特急列車も乗り入れるものの、20期以上連続して赤字を計上している等、かなり苦しい経営を強いられている。

そんな北近畿タンゴ鉄道では、この度、JR九州の特急列車等のデザインを手掛けている、水戸岡鋭治氏が設計・デザインを担当した観光型リニューアル車「あおまつ号」「あかまつ号」が4月14日より運転を開始する事になり、デビューを前に、4月7日、京都駅で展示会が開かれる事になった。ちょうど私が関西に行っている間に開催されると言う事で、城東貨物線の淀川橋りょうを訪れた後、一路、京都へと向かう事にした。

梅田の阪神百貨店の地下で、遅めの昼食を摂った後、JRの快速電車で一路京都へ。「あおまつ号」「あかまつ号」は、京都駅7番線の東京方で展示されていた。そこで、私は奈良線の発着する8・9番線ホームへと移動し、同ホームより「あおまつ号」「あかまつ号」を撮影してみた。

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京都駅で展示された北近畿タンゴ鉄道の「丹後あおまつ号」と「丹後あかまつ号」

今回リニューアルされた、「丹後あおまつ号」と「丹後あかまつ号」は、北近畿タンゴ鉄道の普通列車の主力車両であるKTR700形を改造しており、「あおまつ号」「あかまつ号」ともに、天橋立に代表される沿線の白砂青松を象徴する「松」がテーマのデザインとなっている。

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昭和のマンモス機 EH10を見に行く

さて、前の記事で触れたように、4月14日は、城東貨物線淀川橋りょう(赤川仮橋)を訪れたが、最寄駅である阪急京都線・千里線の淡路駅から歩いて5分程の所にある、東淡路南公園には、こんな機関車が保存されている。

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国鉄最大級の電気機関車、EH10。

住宅街の公園に、ひっそりと保存されていたのは、国鉄が生んだ昭和のマンモス機、EH10形電気機関車である。

EH10形電気機関車は、1954年に登場した電気機関車で、国鉄史上最大級の電気機関車である。当時の東海道本線は、貨物輸送の需要が大きく、急速に電化が進んだものの、関ヶ原越えが輸送上のネックとなり、同区間でも1200tの貨物列車を、補助機関車なしで牽引するために開発された。EH10形は、1957年までの3年間に64両が製造され、東海道本線(美濃赤坂支線を含む)と山陽本線(神戸~岡山間)及び宇野線の貨物列車牽引用に使用されてきたが、1975年以降、老朽化が進行し、更に国鉄唯一の8動軸機と言うこともあって、他線区への転用が困難となり、急速に姿を消し、1982年までに全車廃車となった。

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城東貨物線 淀川橋りょうを訪ねる 2013春

4月5日から7日まで、慰安旅行で京都と有馬温泉へ行ってきましたが、最終日の7日は、私自身、どうしても行きたい所があったので、単独行動とさせていただきました。今回は、その時のお話を少々。

今回、どうしても行きたかった場所が、城東貨物線の淀川橋りょうである。この淀川橋りょうは、複線用の鉄橋として作られているが、鉄橋そのものは、単線として使用されており、空いている線路一本分のスペースに、鉄板を敷いた仮設の歩道橋(赤川仮橋)となっているのは、皆さんもご存知の通りである。しかし、城東貨物線は、2008年3月に、関西本線(大和路線)の久宝寺から、片町線(学研都市線)の放出駅までの間が、おおさか東線として旅客化されたのを皮切りに、現在は、片町線の鴫野駅から東海道本線の吹田信号場までの間も、おおさか東線として旅客化が進行しており、長年親しまれてきた、この赤川仮橋も、おおさか東線の工事に伴い、2013年秋には閉鎖される事になった。閉鎖前に、もう一度、訪れておきたい。そう思い、今回、この地を訪れる事にした。私にとっては、5年ぶりの訪問となる。

5年前は、知人に車で連れて行ってもらったのだが、今回は、公共交通機関を使っての訪問。事前にネットで調べた結果、阪急京都線の淡路駅が比較的近いと言う事が解っていた為、阪急京都線で淡路駅へと向かう。この日、関西地方は、前日の爆弾低気圧の影響がやや残っており、時折小雨がぱらつく天気であった。阪急の淡路駅からは、スマートフォンの地図を頼りに、目的地へと向かう。途中、近くの公園で保存中の機関車を見学した為、淀川橋りょうに到着したのは、淡路駅到着から、およそ30分後の事であった。早速、鉄橋の入口部分を撮影してみる。

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5年ぶりに訪れた、城東貨物線の淀川橋りょう。

淀川橋りょうの吹田側にある踏切から、まずは淀川橋りょうを撮影してみる。画面左側に写っているのは、おおさか東線の工事に伴い、橋の閉鎖を予告する看板である。

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浜松運輸区に留置中の車両を新幹線車内から撮影

相変わらず遅れながらの執筆が続く弊ブログですが、ここで、ちょっと最近の話題を触れておきたいと思います。4月5日のお話。

4月5日から2泊3日の日程で、職場の慰安旅行へ参加。東京駅から、東海道新幹線「のぞみ11号」で西へ向かう。目的地まで、N700系の旅を堪能するが、私には、この車内で、どうしてもやっておきたいことがあった。それは、JR東海の在来線車両の廃車・解体待ち車両が留置されている浜松運輸区の今の状況を、新幹線車内から撮影することである。3月16日のダイヤ改正を機に、運用を離脱した117系が、大量に疎開留置されているという情報を目にしていたことと、リニア鉄道館での保存が叶わず、美濃太田運輸区内に留置されていた車両が、続々と、浜松運輸区に陸送されてきているという情報を目にしていたため、今回は、現状を記録すべく、どうしても撮影しておきたかったのである。

東京から1時間強。浜松通過時間に合わせて、カメラに望遠レンズをセット。そしてデッキへ。浜松駅通過から、およそ1分後に、お目当ての浜松運輸区留置線が見えてきた。新幹線は、かなりの速度で運転をしている。とりあえず、開き直って、シャッターを押し続けた。

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浜松運輸区内に留置中の117系と119系。

まず、目に飛び込んできたのは、117系と119系。119系に関しては、もう1年以上、この場所に置かれているはずだが、119系は、半数以上が解体されたものの、一部の車両が、福井県の第三セクター鉄道会社、えちぜん鉄道へ譲渡され、改造を終えた車両が、現地での営業運転を開始した。えちぜん鉄道では、今後も119系の譲り受けを予定していることから、現時点で、浜松運輸区に残っている119系は、譲渡予定車の可能性が強そうである。

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国鉄色の117系、そして、何やら懐かしい車両の姿も。

疎開留置中の117系の中には、御覧のように、国鉄色に戻されたS11編成の姿も。そして、JR東海色の117系の後ろには、キハ58らしき車両の屋根も見える。

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更に別のアングルでも。

この画像も、良く見直してみると、117系S11編成の隣には、381系らしき車両の屋根が見えているし、更には、オハフ46の姿も。ここへ来たと言うことは、解体されてしまうということなのだろうか?また117系も、結局は、「トレイン117」ことS9編成以外は、全て本線上から姿を消してしまったようだ。こうやって解体待ちをしている姿を見ると、長年親しんできた車両だけに、何とも辛い光景ではあるが、これが現実。しっかりと受け止めなくては・・・

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西武多摩湖線 ダイヤ改正で消えたもの3 本町信号場での列車行き違いと一橋学園折り返し列車

さて、多摩湖線のダイヤ改正ネタも、いよいよ佳境に入ってまいりました。

今回、多摩湖線全線でのワンマン運転開始に伴い、ダイヤ改正の詳細が発表される前より気になっていたのが、平日朝のラッシュ時間帯に残されていた、本町信号場での列車行き違いと、国分寺~一橋学園間の折り返し列車である。国分寺~一橋学園間のほぼ中間地点にある本町信号場。この信号場での列車行き違いをすると、国分寺~一橋学園間は、最大で1時間あたり8本の列車が運転出来る。しかし、青梅街道駅に交換設備がない為、一橋学園~萩山間では、逆に1時間あたり4本と半減してしまう。この為、一橋学園~萩山間では、昼間の方が、朝のラッシュ時間帯よりも列車の本数が多いと言う現象まで起きてしまっていた。この状態を、ダイヤ改正後も維持するのだろうか。仮に、一橋学園までの区間列車の運転を残した上で、国分寺~萩山~西武遊園地間の直通運転を開始すると、車両も5編成必要となる事から、多摩川線の甲種輸送が重なれば、車両が足らなくなる。と言う事は、一橋学園止まりと本町信号場での列車行き違いは、ダイヤ改正を以て、廃止となる可能性が強いと判断。そこで、2013年が明けて最初の平日ダイヤとなった1月4日の朝。早起きして、本町信号場へと行ってみた。

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本町信号場に進入する249F「夏」による一橋学園行き。

この日、一橋学園折り返しの運用に就いていたのは、多摩川線用の四季の電車、249F「夏」であった。「夏」と言う文字とは対照的に、とても寒い朝であった。まさに季節外れの夏って感じ。

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