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城東貨物線 淀川橋りょうを訪ねる 2013春

4月5日から7日まで、慰安旅行で京都と有馬温泉へ行ってきましたが、最終日の7日は、私自身、どうしても行きたい所があったので、単独行動とさせていただきました。今回は、その時のお話を少々。

今回、どうしても行きたかった場所が、城東貨物線の淀川橋りょうである。この淀川橋りょうは、複線用の鉄橋として作られているが、鉄橋そのものは、単線として使用されており、空いている線路一本分のスペースに、鉄板を敷いた仮設の歩道橋(赤川仮橋)となっているのは、皆さんもご存知の通りである。しかし、城東貨物線は、2008年3月に、関西本線(大和路線)の久宝寺から、片町線(学研都市線)の放出駅までの間が、おおさか東線として旅客化されたのを皮切りに、現在は、片町線の鴫野駅から東海道本線の吹田信号場までの間も、おおさか東線として旅客化が進行しており、長年親しまれてきた、この赤川仮橋も、おおさか東線の工事に伴い、2013年秋には閉鎖される事になった。閉鎖前に、もう一度、訪れておきたい。そう思い、今回、この地を訪れる事にした。私にとっては、5年ぶりの訪問となる。

5年前は、知人に車で連れて行ってもらったのだが、今回は、公共交通機関を使っての訪問。事前にネットで調べた結果、阪急京都線の淡路駅が比較的近いと言う事が解っていた為、阪急京都線で淡路駅へと向かう。この日、関西地方は、前日の爆弾低気圧の影響がやや残っており、時折小雨がぱらつく天気であった。阪急の淡路駅からは、スマートフォンの地図を頼りに、目的地へと向かう。途中、近くの公園で保存中の機関車を見学した為、淀川橋りょうに到着したのは、淡路駅到着から、およそ30分後の事であった。早速、鉄橋の入口部分を撮影してみる。

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5年ぶりに訪れた、城東貨物線の淀川橋りょう。

淀川橋りょうの吹田側にある踏切から、まずは淀川橋りょうを撮影してみる。画面左側に写っているのは、おおさか東線の工事に伴い、橋の閉鎖を予告する看板である。

撮影後、赤川仮橋に踏み入れてみることに。5年前に訪れた時は、橋の対岸に立ち、橋を渡る列車を撮影した。あの時と同じアングルで撮影するには、橋の対岸に渡らなくてはならない。前回は、橋を渡っていない為、今回が私にとっては、最初で最後の赤川仮橋を渡る事になるのだが、この日の関西地方は、前日までの爆弾低気圧の影響により、時折強風が吹くと言う状況。

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風にも負けず、一歩ずつ対岸へと向かっていく。

風で飛ばされないように、帽子を脱いで歩きだすが、橋の真ん中まで来ると、強風で、足元が少しふらつきそうになる。それでも、地元の人達は、普段通り、自転車で走りぬいて行く。生活道路として、普段から使っていると、風が強くても、この程度なら問題ないのだろう。

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風に吹かれながら、およそ7分ほどで対岸に到着。

さて、無事渡り終えたので、次のミッションは、橋を通過する列車の撮影である。自宅を出てくるときに、城東貨物線の列車の時刻は控えてきた。とりあえず、昼過ぎに百済へ向かう列車が1本ある事は解っているのだが、問題は、この列車が予定通りに来るかどうかという事。前日は、全国的に大荒れの天気だった為、長距離を走る貨物列車には。遅れが発生している可能性が高い。昼過ぎに百済へ向かう列車は、大阪貨物ターミナル発なので、ほぼ定刻と思われるが保証は無い。そんな中、橋の閉鎖を聞きつけたのか、鉄道にあまり興味のないような一般の方達も、少しずつではあるが、列車を一目見ようと集まって来ていた。その中でも、小さいお子さんを二人連れた若いお父さんより、次の列車の時刻を聞かれた。とりあえず、自分は東京から来たので、詳しい事は解らないけど、昼過ぎに1本来る事は間違いない事を伝えると、お礼を言ってどこかへ消えてしまった。

現地到着からおよそ50分。鴫野方の信号が赤になっている事に気付く。列車が来るのか。それから数分後、EF210の姿が見えてきた。橋の入口付近に入って、近付いて来るEF210を撮影してみた。

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吹田貨物ターミナルへ向かうEF210の単機。

突然やって来たEF210-125号機。帰宅してから貨物時刻表を眺めてみたが、該当する列車が見当たらない。前日の爆弾低気圧の影響による遅れを引きずったままやって来た列車なのだろうか。

とりあえず、淀川橋りょうを通過する列車の撮影は出来たが、やはり機関車1両だけでは物足りない。出来れば、貨車を引っ張って来てくれた方が良い。こうなると、12時12分に、吹田貨物ターミナルを出てくる83列車に期待がかかる。定刻通りの運転であれば、12時22分頃には、この場所を通過する筈。と言う事は、そろそろ鴫野方の信号が青になる筈・・・と思って見てみたら、信号が青に変わっていた。ちょうどその頃、1時間ほど前に、列車の通過時刻についての質問にお答えした親子が、再び橋にやって来て、見学体制に。私もその後ろから、カメラを向ける事にした。

そして、12時22分。前方に83列車の姿を確認。

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お待ちかねの83列車の姿が見えてきた。

対岸からゆっくりと近付いて来た83列車を捉えた親子。水色のジャンバーを来たお兄ちゃんが、機関車に向かって指をさしているのが、カメラ越しに覗いていても伝わってくる。きっと、お父さんと弟に「来たよー」って話しているのだろう。

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近付いて来たところで、しっかりと撮影。

この日、83列車を牽引してきたのは、新鶴見機関区所属のEF210-118号機。先程の単機も、同じく新鶴見機関区所属の125号機なので、普段、地元の武蔵野線で見慣れている筈のカマであるが、この淀川橋りょうで見る姿は、格別であった。

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走り去る83列車を後追い。

そして、最後は後追い。こうして鴫野方を見ると、旅客線化に伴う複線化工事が少しずつ進んでいるようにも見える。今年の秋に、淀川橋りょうの歩道部分が閉鎖されれば、工事も一気に進んで行く事だろう。

撮影を終えて、撤収作業をしていると、先程の親子が私のところへ近付いて来た。若いお父さんから、お礼を言われた。私も、「時間通りに列車が来てくれて本当に良かったですね。」と話しかける。すると、2人のお子さんのうち、お兄ちゃんの方からも「ありがとうございました」と頭を下げられてしまった。このお父さん、きっと普段からお子さんに、こう言った教育をしっかりされているのだろう。私も「どういたしまして」と答えた。

撮影地で出会った一組の親子。この親子との交流により、清々しい気持ちで撮影を終える事が出来た。

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2008年4月21日付記事 城東貨物線 淀川橋りょうを訪ねる

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