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さよなら秩父鉄道1003F 貸切ツアー列車を追う

では、ここで話を1ヶ月ほど前に遡りまして、3月21日のお話です。

春は別れの季節。3月6日から続けられてきた秩父鉄道1000系の引退記念企画も、いよいよ最終章に突入。撮影会も交えた、さよならツアー列車の運転を以て、1003Fの営業運転は終了となる。

そこで、今回も秩父鉄道沿線へ。3日間の中で、最終日は別れを惜しむファンが殺到するだろうと判断し、ツアー列車の追跡は、運転初日となる3月21日に実施する事に決めた。ツアー列車の運転区間は、熊谷~秩父間。羽生にも三峰口にも顔を出さない為、撮影できる場所は、かなり絞られてしまう。その中でも、出来るだけキャパが広く安全であり、更に光線状態の良い場所はないか。色々と検討した結果、最初の撮影地は、桜沢~寄居間、JR八高線との並走区間に決めた。この場所は、2010年7月に、東武鉄道51009Fの甲種輸送を撮影する際に、訪れた場所。東武東上線の玉淀駅が最寄りとなる事から、本川越~川越市経由で現地へ向かった。

9時25分頃、現地に到着する。この時点で、1003Fの通過まで15分ほど。さぞや大勢の鉄道ファンが集まっているだろうと思いきや、この場所で待っていたのは10人程。思ったより少ない人数だった。早速撮影準備を開始。桜沢9時37分発の三峰口行きで状況を確認。そして、およそ5分後、1003Fのツアー列車がやって来た。

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桜沢~寄居間を行く1003Fさよなら貸切ツアー列車。

通い慣れた道を走る1003Fの貸切ツアー列車。3月6日からはヘッドマークを掲出して言運転していたので、てっきり、このツアー列車もヘッドマーク掲出と思いきや、現れた1003Fはヘッドマークなしのすっきりした状態。そう言えば、数日前に、ヘッドマークなしで運用に入ったとネットでも上がっていたっけ。そんな事を思い出した。

この後、撮影地でお会いしたフォロワーさんと共に、1003Fの追跡を開始。撮影地最寄りの桜沢駅から列車に乗ろうとするも、後続の普通列車には間に合いそうになかったので、方針を変更し寄居駅へ。同駅より、急行列車で秩父へ向かう事にした。西武鉄道の新101系を改造した6000系による急行列車は、今回が2回目の乗車。寄居から秩父まで、普通列車では約40分かかるところを29分で結び、しかも、当初乗る予定だった普通列車を和銅黒谷で追い越す等、急行料金を払っても充分に価値のある29分だった。

10時42分、秩父駅に到着。1003Fは、まだホーム上にいた。この後、ツアー客向け撮影会のために入替をすると言うので、改札を出場し、1003Fの入替シーンを撮る事にした。

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秩父駅構内で入替中の1003F。

1003Fは、一旦羽生方へ引き上げた後、構内の留置線へと進んで行った。

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西武鉄道4000系と並ぶ。

そして、この後、撮影会が始まる。我々は、駅ビル内のそば屋で早めの昼食を摂った後、午後の撮影に向けての移動の為、ホームへ。まだ撮影会の最中だったので、私もホーム上から、その様子を撮影することにした。

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秩父駅のホームより撮影会の様子を撮影。

留置中の西武鉄道4000系の横に並べられた1003F。よく見ると、走行中には掲出されていなかったヘッドマークを掲出している他、方向幕にも、何やら細工が・・・

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どうやら五日市線を再現した模様。

そこで、1003Fだけに焦点を当てて撮影してみる。方向幕には、「拝島~武蔵五日市」と言うステッカーが貼られており、どうやら五日市線を再現したようだ。実際に、五日市線では、中央快速線用の101系のうち、付属編成の3両編成を、日中の五日市線の線内折り返し運用に就かせており、オレンジ色の3両編成と言えば、まさに五日市線のイメージがピッタリ。秩父鉄道側も、その点を考慮し、この幕をステッカーで再現したのだろう。でも、この幕、私自身は、101系電車で見た記憶がない。

ここで、ちょっとだけ昔話をさせてもらいます。

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五日市線の運用に就いていた頃の101系。

御覧頂いています写真は、今から33年前、1983年に撮影してもらったものです。当時、青梅線ではED16と言う機関車が、最後の活躍をしていた頃で、引退を前に、この機関車を撮りたかったTOMO少年。親のカメラを借りて、初めて一人で拝島駅へ撮影に行った。当時のTOMO少年は人見知りが激しく、せっかく停まっていたED16も、ホームの端にいた数名の鉄道ファンの間に入って撮ると言う行動が出来ずに、貨車との連結面だけ撮って、逃げるように戻って来たというような状況。そんな中、たまたま、拝島駅1番線に停まっていた武蔵五日市行きの101系を撮っているときに事件が起きる。同列車の運転士さんより、突然声をかけられた。「写真撮ってあげるよ」 その言葉に甘えて、何と運転席へ。その時に撮ってもらったのが、この写真。御覧頂くと良く解るのですが、乗務員室内には、編成番号札と共に、「拝島~武蔵五日市」と書かれた札をぶら下げており、当時の101系には、「拝島~武蔵五日市」と言う幕は無く、この札を下げて対応していた筈なのです。後に、103系には、「拝島~武蔵五日市」と言う両駅表示の幕が入った事は確認しているのですが、101系は、確か最後まで入れられていなかったと記憶しています。とは言っても、秩父鉄道がイベントに合わせて、ここまで再現をしていただいた事に関しては、とても有り難い事で、最後の最後で五日市線をイメージさせるネタを作ってくれた事は、高く評価出来ると思います。

なお、本来であれば、運転席に入る事は鉄道営業法で禁止されていますが、当時の運転士さんがご厚意で入れていただいたものと思います。この時、私自身が撮影した画像もあったのですが、当時7歳の子供が撮影した画像はピンボケが酷く、「拝島~武蔵五日市」と書かれたサボがはっきり読めない状態でした。もう33年も前の話なので、既に時効と思いますので、当時の五日市線の様子をご紹介する為に、この時の画像をご紹介させていただきました。


昔話が長くなりましたが、再び本題に戻ります。

秩父駅からは、貸切ツアー列車に先行する形で出発。向かった先は、上長瀞~親鼻間の荒川橋梁(親鼻鉄橋)のポイント。秩父鉄道の有名撮影ポイントの一つであるが、実は、私自身、ここで一度も撮影した事が無かった。1003Fも最後にこの場所で撮影しておきたい。そう言う思いでこの場所を選択した。最初は解らずに上長瀞駅から現地へ向かったのだが、どうやら親鼻駅からの方が近かったようで、現地に到着した時には、1003Fの通過まで、残り数分と言うタイミングになってしまった。

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荒川橋梁(親鼻鉄橋)を行く1003F。

この後、上長瀞駅ではなく、親鼻駅へ戻り、熊谷方面へ。1003Fの貸切ツアーは、この後、広瀬川原車両基地内で、C58と並べた撮影会が行われる事になっており、後続の列車に乗れば、まだ撮影会の最中に広瀬川原車両基地の横を通過する事になる。そこで、車内から、その様子を撮影してみた。

まず最初に飛び込んできた光景がこちら。

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解体作業が進む1010F。

1003Fより前に、一足早く引退した1010F。3月9日に撮影した時と比較すると、デハ1210のパンタグラフは外されており、更に中間のデハ1110に関しては、ベンチレーターも撤去されており、搬出間近と言う状態だったようだが、ツアー客には、こちらも撮影対象となっていたようだ。

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C58 363号機と並ぶ1003F。

そして、1003FとC58との並び。今年は、正月に特別運行が有ったものの、C58の今シーズンの運転は1003F引退後の3月29日からだった事もあり、この並びは、もう本線上でみる事は出来ない。それだけに、このツアー客向け撮影会の目玉となっていた。

この後、私は石原駅で下車。ツアー客を乗せて熊谷へ向かう1003Fを撮影する為、ひろせ野鳥の森駅方向へ向けて歩く事に。途中、何カ所か撮影できそうな場所を見つけるものの、悩んでいるうちに良い場所は取られてしまい、2番目の候補地だった場所に落ち着く事に。待つ事よそ40分ほど。熊谷へ向かう1003Fが通過して行った。

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撮影会を終えて熊谷へ向かう1003F。

光線状態や周りの障害物などを考慮し、この場所では後追いのみに絞ったのだが、何故かデハ1203の方向幕は「回送」表示だった。

撮影後、ひろせ野鳥の森駅へ歩いて移動し、ここから熊谷へ。ツアー客を下ろした1003Fは、熊谷駅構内の留置線に留置されていた。撮影し易い場所に停まっていたので、留置線を撮影出来る駐車場へ。

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熊谷駅構内の留置線で休む1003F。

既にパンタグラフも下ろしており、この日は、このままこの場所で過ごすようだ。

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最後に非冷房車のデハ1103を撮影する。

編成全体を撮影した後、中間車で非冷房車であるデハ1103のみも撮影してみた。こうして見ると、中間車に関しては、国鉄時代の姿を彷彿とさせる。

この撮影を以て、1003Fの撮影を終了とした。まだ最終日まで2日残した状態ではあったが、このデハ1103の撮影が、同編成の最後の撮影となった。

あれから1ヶ月。ネットで調べてみると、1003Fの解体作業は順調に進み、4月23日頃には搬出されたとのこと。国鉄時代よりも長く活躍した車両もいただけに、1両ぐらい保存されるかと思いきや、最後はあっけなく解体搬出されてしまったようだ。

秩父鉄道1000系電車、長い間、お疲れさまでした。

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コメント

この日、私はツアー客で乗っていましたよ。TOMOさんがお越しになられていたなら、熊谷あたりでお会いできたかなと思っていました。現にTOMOさんがいるだろうと探していましたけど。(笑)
すでに、鉄道フォーラムでも紹介していますが、私もブログを掲載しています。
5月17日に広瀬川原基地公開があるようですので、今年は元都営三田線5000系が展示されるようですが、お目にかかれると幸いです。

投稿: 横山正典 | 2014/04/29 10:10

横山正典さん、コメントありがとうございます。

速報ブログの方にもコメントをいただいていましたね。ありがとうございます。

来週には、広瀬川原車両基地でのイベントがありますが、今年はまだ行くかどうかは正式に決めていません。たぶん行くことになるかと思いますが、1000系がいないのは、何とも寂しいです。

イベントに合わせて、1000系を偲ぶ会でもやりましょうか。

投稿: TOMO | 2014/05/07 12:15

TOMOさん
それはいい案ですね。
中止になった1010Fツアーも申し込んでいた口ですから。
今週末はいよいよ最古参の5000系の展示をするようですね。でも、3編成しかないので、置き換えはすぐになりそうですね。種車は東急8500の廃車も始まる見込みですしね。

投稿: 横山 正典 | 2014/05/11 20:58

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