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銀河鉄道バスで行く赤電撮影会の旅 前編

6月1日のお話です。

西武鉄道の話題を中心に取り上げているブログ「ひがしむらやま551//」の管理人KUSUさんが主催する、赤電撮影会が上信電鉄の本社で開催された。

上信電鉄には、元西武鉄道の101系の譲渡車である500形が2編成、401・701・801系の譲渡車である150形が3編成。合計5編成10両の西武鉄道からの譲渡車が活躍している。このうち、150形に関しては、西武鉄道時代、赤電として親しまれてきた車両であり、今回、150形の中から、元401系407Fである151Fのクモハ151の正面を、赤電カラーにラッピングすると言うもの。

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ラッピングにより1日だけ赤電姿に再現される事になった上信電鉄151F。

西武鉄道の401系は、吊り掛け駆動方式最後の新製車両として製造された411系を、冷房改造・新性能化した車両であるが、401系編入時に、行先方向幕を正面左上に移設している為、このまま赤電のラッピングをすると、元551系の中間車を先頭車改造した赤電最後の新形式571系に近いスタイルとなる事から、この151Fを使って571系を再現しようと言うのが撮影会の狙いである。571系は、晩年、多摩湖線や多摩川線、拝島線等、支線区で活躍しており、私自身も、よく乗車した記憶がある。今回、この撮影会の話を聞いた時、すぐに参加表明を出した。

当日、高崎までの往復には、東村山市内に本社があるバス会社、銀河鉄道の貸切バスを利用した。今回のイベントに合わせて、銀河鉄道の新型貸切バスがチャーターされており、東村山駅・所沢駅から乗車する事が出来た。私は、朝、所沢駅の狭山そばで食事をした後、所沢駅東口から、この貸切バスに乗車した。乗車前に、参加費用を支払い、いざ車内へ。バスの車内には、見慣れた顔がズラリと並んでいる。そんな中、私が座った座席と通路を挟んで反対側には、若い女性が一人。ツアーの趣旨とは、どうしてもイメージが繋がらないタイプの方ではあるが、この方の正体は、追って明らかになる。

さて、バスは、所沢インターより関越自動車道に入り、一路高崎を目指す。車内では、西武鉄道ネタの貴重なDVDの放映もあり、移動中の車内も、貴重な映像で盛り上がった。途中、事故渋滞が有ったものの、予定よりも、やや早く上里SAに到着。ここで30分ほど休憩となる。

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高崎までの往復に利用した、銀河鉄道G708号車。(上里SAにて)

30分間の休憩時間中、バスも撮影会状態。御覧のように、かつて西武池袋線で運転していた「通勤快速」の種別札をイメージした「送込回送」の札も登場した。

この後、バスは順調に高崎まで進み、当初の予定よりも、かなり早く高崎に到着。撮影会開始までの間、上信電鉄本社内の会議室で休憩させてもらった。この会議室及び廊下が、なかなかの絶景。早速、ここからも撮影する事に。

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上信電鉄本社ビル内より、この日の主役、151Fを撮影してみる。

571系電車を再現する為に、正面及び側面の一部がラッピングされた上信電鉄151F。側面が入ってしまうと、上信電鉄の現行カラーが見えてしまうが、正面から見れば、まさに赤電そのもの。肉眼でみると、ベージュの部分が、やや緑がかって見えたのだが、撮影した画像を見てみると、なかなか良い感じだ。

撮影準備が完了し、私達も撮影会場へ。早速線路内に入って撮影を開始する。

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撮影会開始。まずはデキ1と並べて。

撮影会前半戦は、上信電鉄のデキ1と並べての撮影。この日の為に西武時代の方向幕を再現し、手巻きで懐かしい行先表示を出していただいた。まず最初に用意された幕は、西武園線の線内折り返し運転時に使用した「東村山~西武園」の幕。晩年の571系は、西武園線の運用も多かった筈で、この幕も懐かしさを感じる。

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デキ1、151F、そして元701系の155Fを入れて。

続いて、やや後ろに停まっていた、元701系755Fを改造した150形第3編成、155Fを入れて撮影してみる。この155Fは、701系の6両固定編成を増やす際に、編成替えで余剰となったクハを電動車化した、三代目501系を彷彿させるスタイル。

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多摩湖線萩山行き。

萩山駅利用者としましては、やはり「萩山」の幕を見る事が出来るのは嬉しい。西武鉄道で最後まで残った赤電351系電車が活躍していたのが、多摩湖線の国分寺~萩山間。当時の国分寺駅のホームが、17メートル級電車3両編成分しかなかった為に残されていたのだが、夏場は、冷房車が入線しないのは、サービス低下につながると言う事で、351系の一部運用を2両編成の冷房車、401系に置き換えて対応していた。もちろん、夏場以外では、吊り掛け車の2両編成も入線していた事があるので、571系も入線していたかもしれない。


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準急国分寺行き。

今では、国分寺~西武遊園地間の直通列車が主体となった多摩湖線だが、1996年ごろまで、全線直通列車は、野球開催日もしくはイベント開催時のみの運転で、しかも、八坂・武蔵大和を通過する準急列車としての運転だった。吊り掛け駆動式の351系でも直通運転をする為の苦肉の策だった訳だが、当時は、西武新宿発着の急行も運転されており、不定期列車とは言え、急行停車駅の八坂・武蔵大和を準急は通過すると言う珍現象が見られた。

ここで、上信電鉄側からのサプライズとして、高崎駅構内に倉庫代用として残されている、元西武451系の生き残りである100形103Fを間近に見させてくれると言う事になり、二班に分かれて構内を移動する事に。

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元西武801系の譲渡車である150形153F。

構内を移動する際に、ちょうど入替を終えたばかりの、150形第2編成、153Fを間近に見る事が出来た。この車両は、元西武801系801F。801系の譲渡車は、他に流鉄に2編成あったが、流鉄の車両は既に引退しており、現存する元801系の車両は、この車両のみとなってしまった。

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倉庫として残されている100形103F。西武鉄道451系電車の貴重な生き残り。

これまで、周辺の道路から、この車両を見る事は有ったが、この角度で見るのは、今回が初めて。上信電鉄さん、ありがとうございます。

この後、撮影会会場に戻り、撮影を続行する事に。

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快速急行西武園行き。

1998年3月26日のダイヤ改正までは、競輪開催日に西武新宿~西武園間直通の快速急行が運転されていた。新宿線と西武園線の直通運転自体は、その後も細々と残されていたが、東村山駅構内の脱線事故発生後は、直通運転そのものが廃止されてしまい、今後、西武園行きの優等列車を見る事は難しいかもしれない。

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小平行き。

晩年の571系の運用で印象に残っているのが、拝島線の朝の通勤列車、玉川上水発小平行き。前日の夕方までに、現在の玉川上水車両基地の洗浄線付近にあった臨時ホームの4番ホームに送り込み停泊。翌朝、小平行きとして運用されるもので、当時の朝の通勤時間帯では数少ない萩山駅で連結作業をしない列車だった。この送り込みの間合い運用で、夕方、小平~西武遊園地間を1往復していたと記憶している。

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準急田無行き。

現在でも平日の朝に見られる田無行きの準急。種別と行先の組み合わせとしては、個人的には好きな組み合わせである。

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急行西武新宿行き。

西武新宿行きは、当日用意された全ての種別札を下げていただいた。私もそのうちの一部を撮影。

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快速急行西武新宿行き。

ここまで撮影したところで時刻は12時となった。ここで一旦撮影を終了し昼食を摂る事に。昼食は、クモハ152の車内に用意された、いなり寿司とけんちん汁。しっかり食べて、午後の撮影に備える事にした。

後編へ続きます。

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