さよなら富士急2000系 「フジサン特急号泣号」を撮影する その3
旬の話題を優先していましたので、間隔が開いてしまいましたが、ここで、再び2月7日、富士急行線遠征記に戻ります。
「くれちうどん」さんで、吉田うどんを堪能した後は、最寄りの寿駅から電車で富士山駅へと移動する。タイミング良くやって来た河口湖行きは、旧塗装を纏った1202F。2両編成の車内は、2000系を撮り終えて、富士山駅へ向かうであろう鉄道ファンが乗り合わせており、車内は満員状態だった。
列車は、およそ10分ほどで富士山駅の2番線に到着する。「フジサン特急9号」として河口湖へ向かった2000系は、河口湖到着後、14時から16時まで、富士山駅1番線にて、運転台見学イベント(事前申込制)が行われており、その間、富士山駅では2000系車両が撮り放題となっている為、2番線は、2000系車両を撮ろうとする鉄道ファンで賑わっていた。そんな私も、富士山駅に来た目的は、2000系車両の撮影である。ここまでお世話になった河口湖行きの発車を見送った後、1番線に停車中の2000系車両の撮影を開始した。
運転台見学イベントの為、富士山駅1番線に停められた2000系。
2000系車両も、営業列車は、あと1往復を残すのみ。運用の合間の約2時間を利用して、運転台見学イベントが設定された。また、車両にも、最後の1往復に向けた装飾が行われており、河口湖・大月方の先頭を務めるクモロ2201の方向幕にも、「さよなら2000系」の文字が入れられた。
そして、この直後、2番線には、8000系による「フジサン特急」が到着。新旧の「フジサン特急」が並んだ。ツーショットを撮る最後のチャンスと思い、私も何とか近付こうとするが、人が多くて、ベストポジションは確保できなかった。それでも、車止め付近になんとか入る事が出来たが、8000系と2000系、双方の停止位置がずれている為、8000系が動き出してから撮影した。
8000系と2000系、新旧のフジサン特急が富士山駅で並ぶ。
私の立ち位置からだと、1番線と2番線の間の障害物を交わす事が出来ず、御覧のように、綺麗な並びの写真と言う訳にはいかなかったが、2000系の最終日と言う事もあり、こんな形でも並びが撮れたと言う事で、私自身は満足している。
そして、8000系が出ていくと、2番線からも少しずつ鉄道ファンの姿も減り、落ち着いて撮れる状態になって来た。そこで、今度は、展望車側から編成写真を撮影してみた。
改めて停車中の2000系を撮影する。
運転台見学が行われている展望車、クロ2001にも、展望席の窓に「惜別」と「感謝 乗務員区一同」と書かれた紙が掲出されているのが確認できた。
この後、改札口を出場し、今度は、駅に隣接する踏切から撮影してみる。
富士山駅隣接の踏切から、1番線に停車中の2001Fを撮影。
2番線のホーム上からは目立たなかった、助手席側に掲出されているマークも、ここからなら、はっきり確認する事が出来た。
そして、ここから後ろを振り向くと・・・
部品取りとして残されていた、クモハ169-27
「フジサン特急」用の2000系車両を、JR東日本から譲渡される際に、部品取り用として、当時の三鷹電車区に在籍していた169系3両1編成を購入していたが、そのうち、クモハ169だけが、富士山駅に隣接する車両工場内に、形を留めて残されていた。しかし、2000系の引退により、残されたクモハ169-27も、お役御免と言う事になる。
部品取りのクモハ169も撮り終えて、再び富士山駅へ戻ろうとすると、踏切が閉まった。何が来るのだろうと思っていると・・・
5000形トーマスランド号の河口湖行きと並ぶ。
2番線に入線して来たのは、5000形トーマスランド号の河口湖行きだった。ホームの柵の隙間から、カメラを構えて、並びを撮影する。
そして、そのお隣、3番線には・・・
更に大月行きフジサン特急とも並ぶ。
そして、河口湖から戻って来たフジサン特急が、3番線に入線。ここで新旧フジサン特急の並びを、やや強引ではあるが撮影してみた。
この後、最後の1往復に臨む2000系「フジサン特急」を出迎えるため、河口湖駅へと移動する。私が河口湖駅に到着した時点では曇り空だった。しかし、それから10分ほどしたら、雪が降り出して来てしまった。最初のうちは、小雪がちらちらと降り続く感じかと思ったら、見る見るうちに本格的な雪に変わってしまった。
降り続く雪の中、2000系の回送列車が河口湖駅に入線。
降り続く雪の中で待つ事、およそ15分。16時15分頃になるが、富士山駅から、2000系の回送列車が河口湖駅に到着した。
河口湖に到着した2000系。河口湖駅16時49分発の大月行きの「フジサン特急12号」に合わせて、ラストランセレモニーが行われる。私もセレモニーに合わせてホームへ入場する。
後継車両の8500系と並んだ2000系。
ホームに向かうと、4月23日から「富士山ビュー特急」としてデビューする8500系がパンタグラフを上昇した状態で、構内に停車しており、引退する2000系との新旧特急の並びを撮る事が出来た。なお、8500系に関しては、この時点で、外装の塗装は行われておらず、御覧のように白一色での状態で留置されていた。
「特別急行」の文字が、列車としての重みを感じさせる。
側面にあるLED式の表示器を眺めると、「特別急行」と表示されていた。特別な急行、略して特急。最近は、JRから定期急行列車が姿を消してしまい、特急が庶民的な乗り物と認識されているが、こうして「特別急行」と表示されると、昭和の時代、まだ特急列車が特別な存在だった頃を彷彿とさせる。
側面のサボも特別仕様。
ここまで撮影してきたところで、いよいよ出発時刻が近付いてきた。先頭1号車付近では、セレモニーの真っ最中。私も、背後からセレモニーを見守る事に。
富士急行線管理駅長による出発合図。
16時50分、富士急行線管理駅長による出発合図で、「フジサン特急12号」が河口湖駅を発車。
居合わせた職員が敬礼で「フジサン特急12号」を見送る。
そして、管理駅長以下、セレモニーに参加した職員達が、走り去る「フジサン特急12号」を敬礼で見送る。その姿が、とても印象的だった。
こうして、最後の1往復に出発した2000系。私は、後続の大月行き普通列車で、河口湖から帰宅する事にした。途中で、本当の意味での最終列車となる「フジサン特急15号」と交換したが、この瞬間が、私にとって、2000系との最後の別れとなった。もう真っ暗で、撮影できるような状況ではなかったので、心の中で「お疲れ様」と叫びながら、車内より見送った。
ラストランを終えた2000系は、後日、富士山駅構内に留置してあった、部品取りのクモハ169-27と合わせて、下吉田駅構内へ回送され、3月に入って解体作業を開始。1号車のクロ2001を残し、2号車と3号車は解体されてしまった。そして、部品取りのクモハ169-27は、なんと運転台部分だけがカットモデルとなって残されたそうである。解体を免れたクロ2001と合わせて、何らかの形で公開してくれたら・・・ そう思っている鉄道ファンは、きっと多い筈。良い形で我々の前に戻って来てくれる事を信じて待つ事にしよう。
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