カテゴリー「古い鉄道写真」の17件の記事

古い鉄道写真15 高崎機関区のEF65

前の記事で触れた、251系を使用した臨時特急列車を大宮駅で撮影した日のこと。

この日撮影した写真を眺めてみると、アルバムの中には、JR貨物高崎機関区に所属する、EF65の写真が複数収められていた。251系の写真から判断すると、おそらく1996年に撮影したものと思われる。1996年と言えば、国鉄の分割民営化から9年。当時の高崎機関区は、1986年まで在籍していた、EF60を置き換えるべく集められた、EF65の0番台と500番台が多数配属されていた。この頃、そんなEF65を撮ることが、マイブームとなっていたらしく、この日も、大宮駅のホームを行ったり来たりして撮影したようである。

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大宮駅10番線を通過するEF65 28号機牽引の貨物列車。

この日、最初に撮影された貨物列車は、EF65 28号機が牽引する貨物列車。後ろに連なるタンク車は、タキ43000のように見える。EF65 28号機は、2003年12月24日付で廃車となっている。

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EF65 503号機が牽引する貨物列車。

続いて撮影したのは、EF65 503号機が牽引する貨物列車。この503号機は、1965年から66年にかけて高速旅客列車牽引用として登場した500番台(P形)の中の1両。かつてブルートレインを牽引していた事もあり、この車両は、ブルートレインに合わせた特急色を維持しているが、500番台車の中にも、更新工事を受けた車両があり、先にアップした28号機と同様、更新色を纏った車両もあったが、この503号機は、更新されることなく、1998年12月に廃車されている。

機関車ばかり注目してしまったが、よく見ると、この列車、石炭輸送用のホキ10000が4両連結されている。タキとホキの混結の割には、それぞれの両数が短いから配給列車だったのか。それとも、これが本来の姿なのか?

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古い鉄道写真14 251系を使用した臨時特急列車

4月7日、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が発令されました。また、緊急事態宣言が出される前に、3月最後の土日には、東京都知事からの外出自粛要請がありました。私自身、在宅勤務が難しいこともあり、平日は、どうしても外出する日々が今後も続きますが、休日に関しましては、3月最後の土日より、不要不急の外出を控えております。弊ブログにつきましても、当分の間、自宅から勤務先までの通勤区間エリアとその周辺の話題、そして、これまでブログへの執筆のタイミングを逃してしまった話題、更に古い写真を使った話題などを執筆していきたいと思います。

と言う事で、早速、古い写真を使ったお話です。

3月14日のダイヤ改正を機に、運行を終了した、JR東日本の251系電車。自宅で過ごす時間が増えたことから、リニューアル工事前の旧塗装の写真がないか探すことに。すると、1冊のアルバムの中から、ちょっと気になる写真が出てきた。ネガを探してみたが、ちょっと見つからなかったので、プリントした写真をスキャナーで読み込むことに。

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大宮駅6番線に進入する251系電車。

見つかった写真は、大宮駅4番線から撮影したもの。251系電車は、大宮総合車両センターに所属しているが、それは2013年3月に、田町車両センターの組織再編により転属してからの話。旧塗装時代は、「スーパービュー踊り子号」の一部列車が、大宮駅まで延長運転をした実績はあるが、この列車は、どう見ても高崎線を走行している。

いろいろと調べてみると、251系を使用した高崎線を走行する臨時列車は、上野~水上間で「ビュー谷川号」、上野~万座・鹿沢口間で「ビュー草津号」があり、おそらく、そのどちらかを撮影したものと思われる。251系旧塗装での「ビュー谷川号」「ビュー草津号」は、1996年の運転という事で、この写真は、今から24年前の写真という事になりそう。

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大宮駅6番線に停車中の251系。

今、この当時の写真を見てみると、ホームの発車案内器とか、もう少し列車名が解るものも撮っておけば良かったと思うが、この頃は、フィルムによる撮影だったから、おそらく、フィルム代・現像代を少しでも節約することしか考えていなかったのだろう。

改めて、251系の旧塗装を見てみると、伊豆の景色には、このカラーの方が似合っていたなあって思う。引退が決まってから、せめて1編成だけでも、この色になっていたら・・・と考えてしまった。

さて、今回は、24年前の写真をご紹介させていただきました。アルバムを見ますと、おそらく、この251系の臨時列車を撮影した同じ日に、大宮駅で撮影した写真がかなりありました。こちらも、今振り返ると、とても懐かしい写真ですので、次回の更新時は、この写真を取り上げたいと思います。

古い写真ネタ、引き続き、お付き合いのほどお願いいたします。

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古い鉄道写真13 西武6152F(1~4号車)日立製作所出場甲種輸送

9月3日、自宅で古い写真を整理していたら、懐かしく、そして気になる写真が出てきた。ネガも残っていたので、早速、スキャナーを使ってパソコンに取り込んでみた。

今から13年前、2004年9月5日のお話。

前年の2003年9月に、西武池袋線、大泉学園~保谷間で発生した踏切事故により、6152Fの1号車から4号車までが損傷を受けた。その修復作業を、製造メーカーである、日立製作所で行う事になり、2004年6月6日から7日にかけて、損傷を受けた6152Fの1~4号車が、甲種輸送により、日立製作所へ送り込まれた。そして、およそ3カ月後、修復作業を終えた6152Fが、甲種輸送により戻って来る事になり、朝から撮影に出かけた。まずは、JR線内の様子を撮ろうと、西国分寺駅へ行ったが、中線に貨物列車が停車していた事は、今でもよく覚えている。このままでは撮影できない。しかし移動する時間が無い。ちょうど来た、府中本町行きに乗り込み、走り出した電車の車内から、すれ違う6152Fの甲種輸送を撮ったのだが、大失敗だった。

そして、西武線内の輸送シーンを撮ろうと、所沢へ。ここで、E31形電気機関車に牽引された6152Fを撮影した。

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E34+E33に牽引され、所沢駅6番線に進入する6152Fの1~4号車。

この日、私が撮影した場所は、所沢駅東口のエレベーター付近。エレベーターの隣に、職員用の扉があり、その扉のガラス窓から撮影した。この場所には、今でも扉があり、ガラスも健在だが、駅も大幅に変わった今となっては、こんなにすっきりした写真を撮る事は出来ない。当時は、こんなアングルで、E31が撮影出来た訳だから、良い時代だった。

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クハ6152の前面はブルーシートで覆われている。

所沢駅では、数分間停車したようで、列車が完全に停車してから、強引に6152Fの様子を撮ろうとしている。御覧のように、クハ6152の前面はブルーシートで覆われていた。

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一路、小手指へ向けて走り出す。

当時のネガを見ると、結局、6152Fの甲種輸送の撮影、まともに撮れていたのは、この所沢駅東口エレベーター乗り場付近での数枚だけだった模様。この後の事は、全く覚えていないのだが、そのまま家に帰って、翌日から始める、ある事に関しての準備を進めていたのかもしれない。

あれから13年。6152Fは、他の池袋線所属の6000系と同様、線内運用から、東京メトロ・東急・横浜高速線への相互乗り入れと、活躍を続けている。一方、E31形電気機関車は、2010年3月28日に実施された、さよなら運転を最後に、西武鉄道では現役を引退。その後、縁あって、E32・33・34の3両が、大井川鐡道に譲渡された。しかし、現地では、なかなか運用に就けず、新金谷の車両区や千頭駅構内等で長い事留置されていたが、今年、ようやく運行再開の目処が立ち、現在は、E34が整備を終え、客車牽引試運転などが行われたと言う。今回出てきた古い写真を見て、大井川で復活したE34が見たくなった。

年内に大井川へ行ってみるかな・・・

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古い鉄道写真12 165系最後の営業列車 快速「こころ」

昨年8月の引っ越し時に、荷作りで苦労したものの一つに、デジカメ導入前に撮っていた鉄道写真がある。

それらの古い写真を箱詰めしたもの中には、未だに開封していないものがあるが、良い機会なので、これらの写真をデジタル化しようと決意。先日、たまっていたヨドバシカメラのポイントを利用し、新たにフィルムもスキャンできるスキャナーを購入した。これまでに、名刺などをスキャンする事が出来る、簡易的なスキャナーは所持していたが、本格的なスキャナーの導入は、これが初めて。早速、気になった写真を数枚、スキャンしてみた。

今回は、その中から、私の大好きな直流急行形電車、165系のお話。

今から14年前。2003年4月1日早朝、新潟駅に到着した快速「ムーンライトえちご」を以て、165系の定期運用は消滅した。しかし、定期運用終了後、9月末までの約半年間、臨時快速列車「こころ」が運転された。この列車は、当時、NHKで放送されていた、朝の連続テレビ小説「こころ」の舞台となる一つである、中越地方の越後湯沢と長岡を結ぶもので、当然、このドラマを意識した列車名である。

この165系の快速「こころ」を、私は2回、乗りに行った記憶がある。

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越後湯沢駅に停車中の165系快速「こころ」

当時の撮影データが見当たらないので、はっきり断言できないが、前後の撮影した画像から判断すると、運転開始直後の4月中に、まず一度乗りに行っていた模様。この快速「こころ」には、M6編成が充当されていた。当時、165系で運用に就いていたのは、この他にM1編成しかなく、M6編成は、最後まで、快速「こころ」専属で運用されていたと記憶している。

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クモハ165側も撮影したが、こちらは残念ながら発車直前まで「回送」幕だった。

そして、二度目の乗車は最終日となった2003年9月28日。この日は、早朝、中央線三鷹~国分寺間の高架化工事に向けた、第1回目の線路切り替え工事が、大失敗に終わった日でもあった。

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越後湯沢駅に停車中の団体列車「急行さよならこころ号」

この日も、1回目の時と同じように、越後湯沢~長岡間の快速「こころ」に乗車して、165系の乗り収めをした。そして、夕方、越後湯沢へ向かう、上りの「こころ」を撮影後、越後湯沢駅へ。営業終了後の回送列車を、団体列車扱いの急行列車として、新潟まで運転する事になり、この列車を越後湯沢駅で見送った。残念ながら、発車するまで、115系が停車しており、このような並びの写真しか撮れなかったが、これも今となっては、良い思い出。

と言う訳で、今後も、古い写真ネタを、定期的にお送りしていきたいと思っています。お付き合いいただければ幸いです。

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古い鉄道写真11 青梅線「せせらぎパノラマ号」

三連休最終日は、自宅で写真の整理。

昨年8月に新居へ引っ越して以来、未だに開封していない段ボールがいくつかあり、この日も段ボールを1つ開封。この箱には、古い写真も入っていたのだが、懐かしい写真が出てきて、暫し手が止まってしまった。

2001年8月、当時、三鷹電車区(現:三鷹車両センター)に所属する、165系改造のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」が、引退を間近に控えていた。そんな中、同年8月22日から26日までの5日間、「パノラマエクスプレスアルプス」を使用した、臨時快速列車「せせらぎパノラマ号」が、青梅線で運転された。みたけふるさと祭りに合わせて運転されたものだったが、「パノラマエクスプレスアルプス」を使用した最後の臨時列車であり、実質的に、同車のさよなら運転と言える。

165系大好き人間の私としては、当然、この列車の撮影に臨んだが、運転初日となる筈の8月22日は、台風により運休。23日からの4日間での運転となった。

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拝島駅に停車中の「パノラマエクスプレスアルプス」

撮影した日時の記録が残っていないので、4日間のうち、いつ撮影したのかは特定できないが、おそらく、まずは、拝島駅で、立川駅へ送り込まれる回送列車を撮影したものと思われる。そして、注目していただきたいのが、4両編成での運転と言う事。「パノラマエクスプレスアルプス」は、6両編成で運転されていたが、この列車は、青梅線奥多摩まで入線すると言う事から、5号車と6号車を編成から外し、変則的な4両編成での運転となった。

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青梅~宮ノ平間を行く「せせらぎパノラマ号」

そして、拝島駅で送り込みの回送列車を撮り終えた後は、沿線へ先回り。青梅~宮ノ平間、お馴染みの山根踏切で撮影していた。この山根踏切、当時は、青梅線の有名撮影地の一つとされていたが、今では、この地を走る車両も、普段はE233系ばかり。訪れる人も少なくなったのではないかと思う。

その後、「パノラマエクスプレスアルプス」は、6両全車が富士急行へ譲渡。3両編成ずつに分割され、翌2002年、「フジサン特急」として再デビュー。2016年2月7日を以て営業運転を終了するまで、14年間活躍を続けた。

雪が降る河口湖駅で「フジサン特急」を見送ってから、もうすぐ1年かぁ・・・

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ブログ開設12周年

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧頂きまして有難うございます。

2004年9月6日に誕生した「TOMOの鉄日誌」は、おがげさまで、本日9月6日で、開設12周年を迎える事になりました。

そこで、今回は、12周年にちなみまして、この車両のお話をしたいと思います。

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鶴見線で活躍していた、クモハ12。(1996年3月24日、さよならイベント時に国道駅で撮影)

神奈川県を走るJR鶴見線で、1996年まで活躍していた、クモハ12です。平成の世まで、クモハ12052と12053、旧型電車が2両も生き残った理由は、同線の大川支線の分岐駅となる、武蔵白石駅の大川支線ホームの急曲線。20メートル級車両が入線できなかった為、この車両が大川支線の専用車両として、生き残りました。しかし、老朽化には勝てず、武蔵白石駅の構内改良により、大川支線ホームを廃止。この結果、20メートル級車両の乗り入れが可能となり、クモハ12の活躍に終止符が打たれました。

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古い鉄道写真10 ちょっと懐かしい西武3ドア車の記録

私事ではございますが、この度、マイホームを購入しました。6月末に引き渡された後、コツコツと準備を進めてまいりましたが、いよいよ、8月18日に引っ越す事になり、現在、引越しの荷づくりに追われる毎日を過ごしております。

そんな中、古いアルバムを箱詰めしている際に、ちょっと懐かしい写真を見つけましたので、その一部をご紹介したいと思います。

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西武園線の折り返し運用に就く、引退間近の701系電車。

残念ながら、撮影日の記録がないので、はっきりとは断言できないが、引退を目前に、701系としては最後まで残った781Fの記録をしようと、西武園線の折り返し運用に就いていた同編成を、東村山駅で撮影した。

ちなみに、この電車が出た後には・・・

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3000系3013Fによる急行本川越行き。

特急退避の為、4番ホーム(現在の3番ホーム)に入線してきた、3000系3013Fによる急行本川越行き。元々、池袋線の各駅停車用として開発された3000系だが、1993年ごろより、池袋線への新2000系投入により、ねん出された3000系の一部編成が、新宿線に転属してきた。101系同様、ツートンカラーを纏っている姿が懐かしい。

さて、西武鉄道の3ドア車の忘れられない出来事として、2001年秋に、101系159Fを、懐かしい赤電カラーに塗り替えて、イベント列車として運行した事が有りました。私も、当時撮影していた筈なんですが、こちらも、引越しの荷作りをしていたら、出てきましたので、こちらも合わせてご紹介したいと思います。

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新宿線、新井薬師前~沼袋間を行く159F。(2001年9月30日撮影)

2001年9月29日と30日に西武新宿~西武園間、そして10月7日と8日に、池袋~横瀬間を、イベント列車として、赤電カラーで運転された159F。このイベント列車の為だけに、塗装を変更。イベント終了後は、営業運転に就く前に、黄色一色に戻されてしまい、101系の赤電塗装は、僅か2週間で消滅した。赤電塗装を纏った101系を、実際に見た時は、子供の頃に見た801系の非冷房時代を思い出し、とても懐かしく感じた。

159Fの赤電が運転されてから11年後、まさかKATOから、101系低運車、しかも赤電になった159Fまでもが、製品化される事になるとは、世の中、何が起こるか解らないものです。

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古い鉄道写真9 「トワイライトエクスプレス」宮原駅停車!

今日、3月14日は、JRグループの全国ダイヤ改正。

春は出会いと別れの季節。このダイヤ改正を機に、北陸新幹線が開業。華やかな北陸新幹線開業の裏では、「トワイライトエクスプレス」が、大阪~札幌間の運行を終了した。

そこで、弊ブログでも、近江鉄道遠征記をいったん中断して、旬な話題として、「トワイライトエクスプレス」の話題を取り上げたいと思います。と言っても、写真は古い写真。今から24年前、1991年3月のお話。

「トワイライトエクスプレス」が、団臨として、北陸本線・信越本線・上越線・高崎線・山手貨物線経由で、浜松町まで運転される事になった。当時、私は17歳。普段、首都圏では絶対に見られない豪華寝台列車だけに、何としても撮りたい。撮り鉄仲間と共に撮影に出かけた。狙ったのは、下り列車。たぶん、長岡周りで大阪へ戻る列車だったと思う。同行した撮り鉄仲間の勧めもあり、高崎線の宮原駅で撮影する事にした。なぜ宮原駅か。当時、「トワイライトエクスプレス」の客車は、JR西日本の宮原客車区に所属していた。同行した撮り鉄曰く、「宮原客車区の車両は宮原駅で撮るのが一番」との事。

私は、宮原駅2番線の上野方に陣取り、その瞬間を待つ事に。そして、ついに、「トワイライトエクスプレス」がやって来た。

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1991年3月、「トワイライトエクスプレス」が団臨として上京。高崎線宮原駅に入線する「トワイライトエクスプレス」の団臨。

この日、「トワイライトエクスプレス」を牽引したのは、専用機のEF81 104号機。「トワイライトエクスプレス」自体は、この後、2005年にも上京しているが、この頃には、首都圏各線に続々とATS-Pが導入されており、JR西日本のEF81が、そのまま入線してくると言うような事はなく、「トワイライトエクスプレス」専用機のEF81が上京してきたのは、現時点でこの時のみ。おそらく、この時が最初で最後と言う事になってしまうだろう。

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宮原駅の駅名票と「トワイライトエクスプレス」

宮原客車区所属の「トワイライトエクスプレス」が、宮原駅に停車しているところを撮る。当時のTOMO少年は、同行した撮り鉄仲間と、このアングルでの撮影を終えた時、きっとニンマリしていたと思う。

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古い鉄道写真8 長野電鉄須坂駅にて

さて、1994年ごろの長野遠征記。JRの長野駅での撮影を終えた後は、長野電鉄に乗り込んで、向かった先は須坂駅。

長野線と屋代線が交わり、更には車両の整備も担当する車両工場も併設されている、長野電鉄では最大級の駅となる須坂駅。現在は、屋代線が廃線となったものの、駅構内の様子は、1994年も2013年もそんなに変った感じはしない。そんな須坂駅ならば、短い時間で、様々な種類の電車を撮影出来るだろう。そう思って、ここへ来たのかもしれない。

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特急用の2000系を使用した普通列車。

ちょうど須坂駅で出くわした2000系の普通電車。2012年の3月まで活躍していた特急用の2000系車両は、本来の始業である特急運用の他に、間合いで普通列車の運用に就く事もあった。2000系の代替には、元小田急電鉄の特急ロマンスカーHiseを編成短縮化した上で譲り受けた1000系、そして、元JR東日本の「成田エクスプレス」用車両253系を譲り受けた2100系の2種類の車両が活躍しているが、どちらも、2000系で見られたような普通列車運用と言うのは、存在しないのではないかと思う。

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古い鉄道写真7 新幹線開業前の長野駅にて

前の記事で触れていますように、西武鉄道では、まもなく3000系車両の本格的な廃車が始まります。それに備えて、我が家の古い写真の中から、3000系の良い写真が無いか、色々と探しているときに、1冊のアルバムが出てきました。撮影時期を記入していなかったのが悔やまれるのですが、写っている写真の中身からして、たぶん1994年頃の撮影と思われます。今回は、このアルバムの中から、何枚かご紹介したいと思います。

舞台は長野駅。まだ長野新幹線は工事中です。たぶん、当時親しくしていた仲間たちと出かけたんだと思いますが、長野まで、どうやって行ったとか、何をしに行ったのかは、はっきり覚えていません。でも、写した列車から判断すると、たぶん長野駅には昼前に到着していたみたいなので、大宮辺りからL特急「あさま」で長野入りしたのかも。

で、長野駅で最初に撮影したのは、こんな列車。

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長野駅に到着する165系急行「赤倉」

新潟からやって来た165系急行「赤倉」。この日の急行「赤倉」は、上沼垂運転区(現在は新潟車両センター)に所属する165系K1編成+K2編成での運転だった。前3両となるK1編成は、3両共165系のトップナンバー車両で構成されており、たぶん、これ目当てで長野へ行ったのかな?と言う気がする。

ちなみに、当時の急行「赤倉」は、確か妙高高原~長野間が普通列車となっていた為、長野駅到着時点では、種別幕も「普通」と表示されている。

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到着後、K2編成側からも撮影。

後ろ3両のK2編成。この編成は、原型ライトを維持したまま、1999年に三鷹電車区へ転属となり、「新幹線リレー号」や「ホリデー快速ピクニック号」の運用で注目を浴びるようになるとは、この時、全く想像もしていなかったと思う。

ちなみに、K1編成・K2編成とも、クモハ165の角形通風器が撤去されている。これは、長年、新潟地区で運用されていた165系によく見られる特徴の一つである。

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JR東海の381系「しなの」とも並んだ。

その後、名古屋行き特急「しなの」が入線してくるが、この「しなの」も、この当時は、383系が臨時列車で走り始めたばかりで、長野発着の列車は、御覧のように381系で運転されていた。この時、165系の隣に入線してきた381系は、JR東海では少数派だった非貫通の100番台車だった。

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