カテゴリー「国鉄」の7件の記事

EF57 7号機を訪ねる

8月19日の撮影記を続けます。

開業目前の宇都宮ライトレールの試運転を撮影するために宇都宮を訪れた私。宇都宮では、ライトレールの試運転と合わせて見たかったのが、駅東公園に保存されている電気機関車、EF57 7号機である。

EF57形電気機関車は、1940年から43年までにかけて15両が製造された、国鉄の旅客列車牽引用の電気機関車。当初は、東海道本線で活躍していたが、高崎線、上越線を経て、1960年から61年にかけて、全車両が宇都宮機関区に転属。東北本線の直流電化区間や日光線で旅客列車の兼任に従事したが、1978年9月までに全車両が廃車となった。

東北本線直流区間の花形車両として活躍したEF57だが、7号機を除き、全車両が解体されてしまった。という事で、現存する車両はたった1両。今回、ライトレールの試運転の撮影の合間に、駅東公園のEF57 7号機を訪ねることとした。宇都宮ライトレールの駅東公園前停留場から歩くこと5分少々。EF57 7号機は、公園内のプール脇に置かれていた。

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宇都宮駅東公園内に保存されているEF57 7号機。

公園内に鎮座するEF57 7号機。ご覧のようにパンタグラフも上昇しており、EF57の特徴の一つでもある、パンタグラフがデッキ部分に突き出ている様子も良く解る状態で保存されているのは有り難い。

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2エンド側からも撮影。

フェンスに囲まれた状態で、中に入ることはできないが、年に一度、秋の鉄道の日の前後に公開もしているようなので、公開日に合わせて、再訪してみようと思う。

手短に撮影を済ませ、再び宇都宮ライトレールの撮影へ。しかし、ライトレールが走る鬼怒通りに戻ってきた直後には、雨が激しく降り始めてしまい、近くの銀行の支店の軒先で雨宿りをすることになってしまった。

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ブログ開設17周年

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧頂きまして有難うございます。

2004年9月6日に誕生した「TOMOの鉄日誌」は、おがげさまで、本日9月6日で、開設17周年を迎える事になりました。

17周年にちなみまして、「17」の付く車両と言う事で、今回は、この車両のお話をしたいと思います。

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ED17 1号機。(2007年5月26日 JRおおみや鉄道ふれあいフェア会場内で撮影)

ED17形電気機関車です。ED17は、東海道本線の東京~小田原間の電化用として、1923年から1925年にかけて、イギリスから輸入された車両。1931年、中央本線の八王子~甲府間の電化開業に合わせて、ギア比を変更するなどの改造が行われ、この際に形式を、ED50からED17に変更。以後、身延線や飯田線へと活躍の場を移し、1970年代まで活躍を続けました。現在では、この1号機が、鉄道博物館に収蔵されています。

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マイクロエース製、ED17 2号機。(自宅にて)

ここまで執筆した記事は、この記事を含めまして2958件。開設当初は、デジカメも持っていなくて、携帯電話のカメラで撮った写真を使って記事を書いていました。ある意味、勢いで始めてしまったブログが、まさか、ここまで続くとは、自分でも驚いております。SNS全盛の時代ではありますが、過去の記録をすぐに呼び出すことができるのは、ブログの強みです。宜しければ、過去ログにも、お付き合いいただけたらと思います。

本日より、18年目に突入いたしますが、引き続き、多くの皆様に楽しんでいただけるよう、精進してまいります。今後とも、TOMOの鉄日誌を、どうぞ宜しくお願いいたします。

なお、ブログ開設15周年の記念企画として計画をしておりました、しなの鉄道115系の貸切列車についてですが、実は、今年春より、企画の準備を再開し、17周年を迎える9月中に、湘南色の115系S3編成をお借りして運転できるところまで、一度は話が進んだのですが、昨今の新型コロナウイルス感染症の状況を鑑み、延期の決断をさせていただきました。東京の新規感染者数は、少しずつ減りつつありますが、まだまだ感染者数も多く、このような状況では、年内の開催は難しいと思われます。よって、来年以降、感染状況を踏まえながら、企画を進めていきたいと思います。いつの日か、貸切列車のご案内が出来る日まで、気長にお待ちいただければ幸いです。

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ブログ開設13周年

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧頂きまして有難うございます。

2004年9月6日に誕生した「TOMOの鉄日誌」は、おがげさまで、本日9月6日で、開設13周年を迎える事になりました。

そこで、今回は、13周年にちなみまして、この車両(模型)のお話をしたいと思います。

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KATO製クモニ13。(2017年9月3日、自宅ロフトにて撮影)

KATOの飯田線シリーズから、クモニ13形荷物電車です。実車は、1983年に廃車になるまで、飯田線で活躍していました。1983年と言えば、当時、私は10歳。既に「鉄道ファン」等の雑誌は読んでおり、飯田線から旧型国電が引退すると言う話を、雑誌の誌面上で目にしていました。その後、鉄道模型の話になってしまいますが、KATOが、数年前から飯田線シリーズを展開。その結果、幼い頃、雑誌で見ていた旧型国電が、模型の世界で、しかも完成品で蘇ると言う事で、ここまで、飯田線シリーズは全て購入。いつか、飯田線をイメージしたレイアウトを、自宅のロフトに作りたい。そう思っています。

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相棒のクモニ83。(2017年9月3日、自宅ロフトにて撮影)

弊ブログは、本日より14年目に突入しますが、引き続き、ブログを御覧の多くの皆様に楽しんでいただけるよう、頑張ってまいります。今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

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ブログ開設11周年

いつも「TOMOの鉄日誌」をご覧頂きまして有難うございます。

2004年9月6日に誕生した「TOMOの鉄日誌」は、おがげさまで、本日9月6日で、開設11周年を迎える事になりました。

そこで、今回は、11周年にちなみまして、この車両のお話をしたいと思います。

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TOMIX製キハ11形気動車(2015年9月4日 所沢市電気鉄道にて撮影)

JR東海のキハ11形気動車ではなく、国鉄のキハ11形気動車のお話。キハ11形は、1953年に開発したキハ10系一般型気動車のグループの中の一形式で、1955年から登場した便所付き両運転台車両。登場時は、キハ48000形を名乗り、1957年までの3年間で、74両が製造されましたが、国鉄の線路上からは、1980年までに全車が引退。しかし、青森県の津軽鉄道に2両、茨城県の茨城交通(現:ひたちなか海浜鉄道)に3両が譲渡され、このうち、茨城交通に譲渡された3両は、20世紀の終わりまで使用され、廃車後は、このうちの2両が、さいたま市の鉄道博物館と、名古屋市のリニア鉄道館に引き取られ、国鉄時代の車号に戻した上で、保存されています。

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鉄道博物館で展示されているキハ11 25 (2008年10月25日撮影)

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現在はリニア鉄道館で保存されているキハ11 26は、旧車号キハ48036を名乗る。(2009年5月4日撮影)

昨年は、10周年と言う節目を迎え、次の10年に向けて、新たな気持ちで臨んだ1年もあっという間に過ぎ去ったような気もします。弊ブログは、本日より12年目に突入しますが、引き続き、ブログを御覧の多くの皆様に楽しんでいただけるよう、頑張ってまいります。今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

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さよなら秩父鉄道1003F 貸切ツアー列車を追う

では、ここで話を1ヶ月ほど前に遡りまして、3月21日のお話です。

春は別れの季節。3月6日から続けられてきた秩父鉄道1000系の引退記念企画も、いよいよ最終章に突入。撮影会も交えた、さよならツアー列車の運転を以て、1003Fの営業運転は終了となる。

そこで、今回も秩父鉄道沿線へ。3日間の中で、最終日は別れを惜しむファンが殺到するだろうと判断し、ツアー列車の追跡は、運転初日となる3月21日に実施する事に決めた。ツアー列車の運転区間は、熊谷~秩父間。羽生にも三峰口にも顔を出さない為、撮影できる場所は、かなり絞られてしまう。その中でも、出来るだけキャパが広く安全であり、更に光線状態の良い場所はないか。色々と検討した結果、最初の撮影地は、桜沢~寄居間、JR八高線との並走区間に決めた。この場所は、2010年7月に、東武鉄道51009Fの甲種輸送を撮影する際に、訪れた場所。東武東上線の玉淀駅が最寄りとなる事から、本川越~川越市経由で現地へ向かった。

9時25分頃、現地に到着する。この時点で、1003Fの通過まで15分ほど。さぞや大勢の鉄道ファンが集まっているだろうと思いきや、この場所で待っていたのは10人程。思ったより少ない人数だった。早速撮影準備を開始。桜沢9時37分発の三峰口行きで状況を確認。そして、およそ5分後、1003Fのツアー列車がやって来た。

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桜沢~寄居間を行く1003Fさよなら貸切ツアー列車。

通い慣れた道を走る1003Fの貸切ツアー列車。3月6日からはヘッドマークを掲出して言運転していたので、てっきり、このツアー列車もヘッドマーク掲出と思いきや、現れた1003Fはヘッドマークなしのすっきりした状態。そう言えば、数日前に、ヘッドマークなしで運用に入ったとネットでも上がっていたっけ。そんな事を思い出した。

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昭和のマンモス機 EH10を見に行く

さて、前の記事で触れたように、4月14日は、城東貨物線淀川橋りょう(赤川仮橋)を訪れたが、最寄駅である阪急京都線・千里線の淡路駅から歩いて5分程の所にある、東淡路南公園には、こんな機関車が保存されている。

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国鉄最大級の電気機関車、EH10。

住宅街の公園に、ひっそりと保存されていたのは、国鉄が生んだ昭和のマンモス機、EH10形電気機関車である。

EH10形電気機関車は、1954年に登場した電気機関車で、国鉄史上最大級の電気機関車である。当時の東海道本線は、貨物輸送の需要が大きく、急速に電化が進んだものの、関ヶ原越えが輸送上のネックとなり、同区間でも1200tの貨物列車を、補助機関車なしで牽引するために開発された。EH10形は、1957年までの3年間に64両が製造され、東海道本線(美濃赤坂支線を含む)と山陽本線(神戸~岡山間)及び宇野線の貨物列車牽引用に使用されてきたが、1975年以降、老朽化が進行し、更に国鉄唯一の8動軸機と言うこともあって、他線区への転用が困難となり、急速に姿を消し、1982年までに全車廃車となった。

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古い鉄道写真5 田町電車区のクロ157

先日、某サイトで、185系電車と、貴賓車クロ157の事が話題になった。

クロ157は、皇室の小旅行用並びに外国賓客用の貴賓車として、1960年に登場した。登場時は、157系のクモハ157-1+モハ156-1のユニットを牽引車として3両編成で運用されたが、1962年6月の運転時に、牽引車両の電気系統の故障により、走行不能な状態に陥ってしまったため、クモハ157-2+モハ156-2のユニットを、牽引車として追加。以後、157系の2つのユニットに挟まれる形で運用されるようになった。

その後、157系車両の(貴賓車両を除く)全廃により、牽引役を183系に変更するも、1985年3月、183系の田町電車区からの転出により、牽引役が185系に変更される。その際、塗装も185系に準じた塗装に変更し、皇室の小旅行に使用されてきたが、1993年5月の運用を最後に、運転実績が無く、現在では、東京総合車両センター内に保管されていると言う。

そんなクロ157を、過去に一度だけ撮影した事がある。1986年8月23日、当時、中学1年生だった私は、夏休みの思い出にと、185系で行くミステリー列車に乗車した。確か、品川駅発着で、列車名も185系にちなんで「イッパー号」だったと記憶しているが、同列車のルートの中に、田町電車区での撮影会が入っており、その際、このクロ157も展示されていた。滅多に見る事が出来ない貴賓車と言う事で、私もやや興奮気味にシャッターを切った記憶がある。古いアルバムを探していたところ、当時の写真が出てきた。

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田町電車区内で展示されていたクロ157-1。

正面気味の写真となってしまっているが、御覧のように、特別な車両と言う事もあって、ロープで仕切られた状態で展示されていた。今思うと、もう少し右によって側面も入るように写せばよかったのに・・・と思うが、当時の自分には、そこまで考える余裕は無かったのかもしれない。でも、1962年以降は、先頭に立つ事が無かったクロ157を正面から見られるチャンスは、そう多くない筈。そう考えると、この写真でも悪くないのかもしれない。

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メインの撮影会場に並べられた167系・185系・211系。

26年前の田町電車区のスター達が並べられたメインの撮影会場。185系も、まだデビューから5年が経過した程度で、伊豆方面への看板列車として君臨していた。また、一番右の211系は、デビューしたばかり。そんな211系も、今や東海道線からは追われる身となっている。そして、真横を通過する京浜東北線は、当然の事ながら103系。

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当日乗車した185系を品川到着時に撮影。

この日乗車した185系には、御覧のように特製のヘッドマークを掲出しての運転となった。ツアーそのものは、品川駅を出発して、大崎~蛇窪信号場~品川と経由して田町電車区へ。撮影会後、確か横須賀まで往復して終了だったように記憶している。ルート的には単純かもしれないが、あの頃、大崎~蛇窪信号場間は、殆ど通過する事は出来なかった筈。更に、滅多に入れない田町電車区に入れたと言う事で、夏休みの良い思い出になった事は間違いない。

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